百物語4
「桃奈、大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫だから」
桃奈は達昭の手を振り払い、身をかがめた。
「おい、沙紀」
だめ。
拒んだのは五月だった。
「どんなことがあっても、物語ることを途中でやめてはいけない」
真剣な眼差しに達昭はたじろいだ。
「橋を目の前にして、いくつものいくつもの人がまっさかさまになって落ちていく。私はそばの茂みに隠れて、じいと息を潜めている。その光景に目をやるのは怖いから、橋に背を向けて草葉の陰に体育すわりをし、静かにうつむいている。耳にはとぽんとぽんと人の落ちた音が聞こえてくる」
沙紀の瞳は爛々、恍惚としている。あいつは何を語ろうとしているんだ?
どうしてそんな表情を浮かべられるんだ。
人の降る橋。これじゃ、まるで、あの時のようじゃないか。
達昭は小学生の頃の出来事を思い出す。
夏休み。白い雲。緑映える山々。背を繋ぐようにかけられた鉄橋が水芭蕉生い茂る湖の水面にくっきりと映っている。
地区のキャンプ大会。熱い鉄板から立ち上る白い煙は香ばしい。焼けた肉の匂いが少年だった達昭の胃袋を揺さぶる。
「達昭、お前、怖いのかよ」
「馬鹿いうな。幽霊に比べたらこんなもの怖くない」
「お前幽霊なんか信じてるのかよ!」
「幽霊は本当にいるぞ」
「こいつ幽霊が見えるんだってよぉ!」
幼き日の隼人は今よりやんちゃで、度胸試しをするのが得意だった。橋から飛んで湖に落ちる遊びを思いついたのも隼人だった。
「だから、飛び降りるのは怖くないんだって」
「じゃあ、飛べよ」
隼人の煽りに従い、達昭は橋の上から飛び降りる。
まるで魂を持って行かれるような重力の感覚。息をするのも忘れてしまう。
水が重たいものなのだと初めて知った。水面に叩きつけられた衝撃を全身で味わう。沈む身体は思うように動かせない。白い泡や、水の色で視界はぐちゃぐちゃになる。
やがて、浮きあがると、太陽の光を目の当たりにする。
ドボンと音が鳴り、波が揺れる。隼人が後を続いたのだった。
「お前幽霊怖いくせに生意気だな」
「本当の幽霊見たこともない癖に」
「馬鹿じゃないの」
「お前が馬鹿だよ」
同じだった。あの子も達昭や、隼人と同じように飛び降りただけだった。
達昭や隼人は何度飛び降りても大丈夫だったのに、どうしてあの子だけが違っていたのだろう。
あの日、一人の女の子が橋から飛び降りたまま、姿を見せなくなった。
人の降る橋と対になる話です。