バレンタインさんは殺されたんだよ(著者 鷹樹烏介)
聖職者バレンタインさんは殺された。
教会の意向に逆らって、恋する二人を祝福したことで殺されたのだ。
しかも撲殺だ。投石でボコボコにされて死んだ。
きっと、無念だっただろう。
教会も「あれ? やりすぎた?」と思ったのか、いつの間にか聖人に列せられていて、彼は聖バレンタインとなり、彼の業績をたたえる日まで出来たのだけど、天国でご本人は苦笑されていることだろう。
そんな話をすると、私の数少ない友人の一人『風間 俊』は
「バレンタインを僻むお前はモテないだけじゃね?」
などと言う。
否定はしない。私がモテないのは事実だからだ。
バレンタインデーが意識されるのは、だいたい小学校高学年ぐらいだろうか。『風間 俊』とか役者みたいな名前で、役者みたいに整った顔のコイツは、その頃からモテた。
私はその頃からモテなかった。筋金入りだ。そもそも、異性と会話が成立しないのだ。
風間に言わせれば、私の顔は怖いらしい。凶暴そうに見えて、女子は本能的に脅えるそうな。誤解のないように言っておくが、私は女性に手を上げたことはない。例え、顔が連続殺人犯の顔であろうと、私はフェミニストなのだ。
風間をコーディネーターにして、外見を変える努力はした。私だって思春期の男子だ。女の子にモテたいという願望はあった。
書道家が一文字に引いたような眉毛が良くないのではないかと、整えたことがある。
結果は、私が眉毛を細くすると、ぐっと表情の冷酷さが増すということが分かっただけだった。
短く刈りこんだ頭髪がいけないのではないかと、伸ばしたこともあった。風間はサラ・フワの長髪で、すこし憧れていたというのもある。
結果は、単なる蓬髪になっただけだった。私の髪質はまるでデッキブラシの様に強くて密集していているので、短く刈りこむしかないことを思い知らされただけだ。
三白眼がいけないのではないかと、伊達眼鏡をしたこともあった。これは、本当に絶望的だった。凶暴さに胡散臭さが加わって、何もしていないのに警官に職務質問までされてしまったのだ。私は、眼鏡を封印し、マサイ族なみに良い視力に産んでくれた親に感謝した。
こうした紆余曲折を経てなんとか協力しようとしてくれた風間もついに白旗を上げ、
「ごめん、むり」
と降伏宣言をしたのは中学の頃だった。
こんな私だって、恋をしたことは有る。中学の三年間思い続けた人がいて、卒業の時に思い切って告白しようとしたのだが、彼女は私を見ると顔面蒼白になって脅え、富士額の有名ネズミのイラストが可愛い財布を私に差出し、震える声でこういったのだった。
「これしか持っていません。命だけは……」
以降、私は軽い諦念に達し、狭い教室に年頃の男女が半々という夢の様な高校生活を、清く、とても清く、三年も過ごしている。
推薦で合格した私は、一月にはもう進学先が決まっていた。二月と三月は学校に通いつつ車の教習所に通い、私の唯一の趣味である登山のための道具や遠征の軍資金を稼いでおくために、短期のアルバイトをしている。
自動車免許が取得出来たら、叔父が古いジムニーを譲ってくれることになっていて、それにキャンプ道具を積んで山に行くのもいい。ゆえに、軍資金は多ければ多いほどいいのだ。
私が選んだのは、土木工事のアルバイトだった。役所が予算を消費するためだけに、年度末になると道路を穿り返すのだが、私もそのお零れにあずかろうというわけ。
深夜から明け方に行われる工事が多いのだが、寒いしキツい。だが、日当は大きいのだ。
ここでは、恵まれた体格に助けられた。特に鍛えたわけではないのに、私の体は均整のとれた筋肉の塊で、これはいったいどんな現象なんだろうね?と風間に聞いたことがあったが、「体質じゃね?」と、面倒くさそうに答えただけだった。
なにはともあれ、肉体労働は、それほど苦にはならないのがありがたい。眠いのは辛いけど。
疲れた体を引きずるようにして、家路につく。労働の夜は明け、冬の冷たい空気に吐息が白い。
今日は日曜日だ。帰って温かい布団にもぐり込みたいところだ。それも可及的速やかに。
家の前に人影があるのに気が付いたのは、だいぶ家に接近してからだった。
帰宅を楽しみにしていた私の心は、青菜に塩をかけたように萎びてゆく。そっと回れ右をして、どこかに逃げようとしたのだが、遅かった。
「ロウ君! なんで逃げるんだよぅ!」
私に女性は近づかないと言ったが、一人だけ例外が居たのを思い出した。
私の家の斜め向かいに住んでいる小夜子。こいつだけは例外だった。
ため息をつく。しばらく、彼女が私に注意を向けなかったので完全に油断していた。そういえば、私と風間に「彼氏が出来た!」と、はしゃいで報告してきてから丁度一ヶ月。最も警戒しなければならない時機だった。
背を向けている間、必死に表情をつくる。コツは何もかもを許す菩薩の心だ。
「い……いやだなぁ、君を見て逃げるわけがないじゃないか」
やや声が裏返ってしまったが、まぁまぁの出来の菩薩っぷりだ。及第点。
ここは、東京郊外の新興住宅地。不動産会社がここ一帯の土地を買い、区画整理し、建売の家をいっぱい作って分譲した形式の住宅地だった。
そこに時を同じくして引っ越してきたのが、私の「石動家」、私の家の向かいが「風間家」その風間の家の隣が「土御門家」で、土御門家の一人娘が小夜子だった。
いしどう? ってよく言われるけど、私の苗字は「いするぎ」と読む。名前は浪と書いて「ろう」。浪人したらきっと「浪人の浪」って言われただろうね。
そんなわけで、私たち三人は親同士の仲が良いこともあり、いつもつるんで遊んでいたというわけ。いわゆる幼馴染ってやつだ。
小夜子のお袋さんもえらい美人だが、その血を引いて小夜子も幼い時から、見た目はまるで天使の様だった。
今では、街ゆけば誰もが振り返る美少女に成長している。
癖のないストレートの黒髪はまるで練絹のよう艶やかで、風が吹けばサラサラと音がしそうなほど。肌は白大理石を天工が精魂を傾けて磨き上げたかの様で「淡く発光しているかのようだ」と、形容される。アーモンド型の大きな目には、見る角度によって深い紫にも見える神秘的な瞳が煌めき、日本人離れした高い鼻、朱を引かなくとも艶やかなでぽってりとした官能的な唇、それらが完璧な配列を保って顔を形作っているのだ。
だが、幼馴染である私は知っている。彼女の中身は、凶暴にして貪欲、狡くてサディストで、ゲスなのだ。美少年大好き&美少女大好きのバイセクシャル疑惑もあった。
私と風間は、最大の被害者だろう。私と風間が抱えるトラウマは、殆ど彼女に起因していると言って過言ではない。大事なことなのでもう一度言う、過言ではない。
例えば、私はザリガニが怖いのだが、これは、彼女がザリガニの鋏で鼻を挟んだらどうなるだろうか? と、考えたのが原因だ。痛くて、生臭くて、鼻血も出たのだが、彼女はそれを見て腹を抱えて笑っていたのだった。
風間はドジョウが怖い。これは、パンツの中に大量のドジョウを入れたらどうなるだろうか? と、彼女が考えたから。
我々は、「馬鹿な悪戯をしてっ!」という親の叱責に対し、真犯人は小夜子だと主張したのだが、あんな天使みたいな可愛い子がそんなことするわけないと、却下された。
私と風間は冤罪被害の恐ろしさを、小学生の頃からその身に叩き込まれていたのだった。
天使と悪魔が同居する小夜子は、見た目だけは良いので「恋多き女」だった。ただし、極端なメンクイで、男をアクセサリーかなんかだと勘違いしているきらいがあり、相手もまた同じような思考の連中ばかりだったので、だいたい一ヶ月で破綻するのだ。ボロが出るともいう。
こんな小夜子だが、少しは乙女なところもあり、わんわん泣きながらの愚痴を、私か風間が聞かされることになる。聞かされる方はたまったものではないが、子供の頃に植え付けられた小夜子に対する恐怖感は拭いがたく、菩薩の心境で相手をする羽目になるのだ。
どうやら今日がその日らしい。私は修行僧の様に、苦難に立ち向かう悲壮な覚悟を固めた。
愚痴に付き合うと決めたからには、もう油断は出来ない。わんわん泣きながら愚痴るくせに、ちゃんと相手が話を聞いているのか確認をとってくるのだ。
「ああ、なるほど」「それで? それで?」「わかるぅ」と、これだけ言っていれば何とかなるわけではないのが辛い。とても辛い。
「もうすぐバレンタインなのに、タクヤ君が」
もう、目に大粒の涙を浮かべて、小夜子は泣きそうだ。だが、私は騙されない。彼女の涙腺は女優並みに自在にコントロールできるのを知っているから。
私はこれから一時間も、あっちに跳び、こっちに跳ぶ彼女の話に付き合ったのだが、分かりやすく要約すると、要するに何処の誰かはしらないがタクヤとかいう男が、二股どころか三股をかけていたということらしい。
小夜子は男をアクセサリーか何かと勘違いしているが、一途なところはあって、絶対に二股はかけない。
話を聞いていて、私は何処の誰とも知らないタクヤに腹が立ってきた。この野郎が、小夜子と付き合っていながら三股をかけていやがって、しかもそれが発覚するお粗末な危機管理能力しか持っていないせいで、私は倒れそうなほど眠いのに、緊張感を持って小夜子の話を聞かなければならないのだ。
小夜子は夜明けの住宅地でわんわん泣くし、これも皆タクヤとかいう野郎のせいだ。私が本気で怒っているのに気が付いて、小夜子が泣きやむ。
「怒っているの?」
ああ、そうとも。私は怒っている。
「私のために怒ってくれているんだ」
ああ、そうとも。小夜子を野放しにしやがって、私は怒っているとも。
「ふぅーん……そうなんだ……」
唐突に、小夜子の愚痴は止み、私の菩薩の時間は終わりを告げた。
やれありがたや、暖かい布団が待っている。
「ロウ君、ありがと。愚痴を聞いてくれて。すっきりしちゃった」
やっと小夜子が笑みを見せた。その笑顔は、例え泣きはらした目をしていても、天使のように可愛い。見た目だけは。
「少年、バレンタインなのにバイトか?」
現場の監督にそう言われて、私は今日がバレンタインであることに気が付いた。あまりにも私に縁がないイベントなので、完全に忘れていたのだ。
「うち神道なんで、キリスト教の祭りは関係ないっす」
最初から諦念に達しているので、さらりとそう言ったセリフも出る。今は、金を貯めるのが先決だ。浮かれているわけにはいかない。
深夜、間もなく十二時を回り、忌々しいバレンタインの日は終わる。
その時である、外国製の大型バイクが工事現場に停まったのは。
たしかドカティとかいうイタリアのバイクではなかったか? 小夜子の父親がバイクマニアなので、これと似たようなバイクを持っていたはずだ。
乗り手は、細身の人物で、上下の皮のツナギを着て、フルフェイスのヘルメットを被っていた。
なんだ? なんだ? と、注目があつまる。
我々は丁度休憩時間だった。
その人物は、慣れた動作で、シートに座ったままスタンドを立てると、エンジンを切った。
そして、バイザーを跳ね上げる。小夜子だった。
「胸がねぇから、男かと思ったよ」
私は思わず、そんなことを口走ってしまった。まずい発言だったね。反省。
小夜子は、唯一の彼女の弱点である胸の事を言われて、
「うるせぇよ! 轢き殺すぞ! 今はこうだけど、あと二年ぐらいでフジコちゃんになる予定なんだよ」
と言った。いつもの小夜子だった。声の様子からして、タクヤの件から立ち直ったらしい。幼馴染として、まぁ良かったなと思う。それにしても、フジコって誰? あいつの友人にそんな名前の子いたっけ?
「んで、何しにきたんだよ」
私がそう言うと、急に小夜子は挙動不審になった。何かを言おうとして、声が出ないような様子なのだ。
「バ……バレ」
やっと小夜子が言葉をひねり出す。
バ? 馬? 葉? 場? 何なんだよ、全く。
「バ……バーカ、バーカ、にぶちん!」
小夜子が何かを投げて寄越した。私の顔面に激突する寸前でキャッチする。
それは、暖かいココアの缶だった。
「なんだ、差し入れか。ありがとよ」
小夜子は返事もせずにバイクを急発進させて走り去ってしまった。
「彼女か?」
現場のおっちゃんが言う。
「そんなんじゃないっすよ」
私はそう言って、手の上で缶のココアを転がした。
「やっぱり彼女だべ。ほれ、缶にホットチョコレートって書いてあらあ」
( 了 )