悪魔たちのバレンタインデー(著者 伊左坂ぐうたら)
悪魔学園。それは魔界ではなく、なんと現実世界に存在した。だが、ネーミングのインパクトに反して、学園設立の由来は『ある悪魔があくまでも作りたかった』という腰砕けな内容である。
それはさておき、この学園に在籍している二人の男子学生が、屋上からグラウンドにチラチラと視線を泳がせつつもダベる所から、話は始まる。
「もうすぐ2月も中旬だな」
「あぁ」
「アレが来るな」
「生理か?」
「俺ら、男だろうが! あるか、そんなモン」
怒るイケメンに対し、眠たそうな凡人が「あぁ、そうか」と別の答えを思いついた。
「追試か。バカはつらいなぁ」
「そのセリフ、俺の成績より遥かに下のオマエに言われたくないな」
「じゃ、豆まきか?」
「もう終わった」
「ヒドイ、私との関係は遊びだったのね」
「ええい、一向に本題に入れん。バレンタインデーだ。2月14日。女の子からチョコを貰う日」
凡人からは、これといったリアクションはなかった。
「おい、無視か? ま、オマエには無縁過ぎるイベントだからな。だが、今回だけは頼みがある」
「あぁ、だからグラウンドの一望できる屋上に呼ばれたのか」
合点のいった凡人はイケメンと共にグラウンドに視線を移した。
グラウンドには女子のグループが、えんえんとジョギングを続けていた。
「高嶺キョウコ……いつ見ても俺好みだ」
「ん? どれだ?」
「何だ何だ、その反応は。オマエ、高嶺キョウコを知らないのか?」
「知らん」
「オマエと同じクラスでオマエの隣の席の、超絶美人。オマエのクラス、何故か美人が多いが高嶺キョウコは格が違う」
「格?」
「ああ、高嶺キョウコはな……」
と、イケメンによる彼女自慢は世界的に名だたる企業の名前から始まり、家族構成、知人・ペットの種類等々、あらゆる分野において、普通のセンスとはかけ離れていることを語り聞かせていった。
「隣のクラスのクセにやたらと詳しいなぁ」
「当たり前田のクラッカー。オレは高嶺キョウコに恋してるからな!」
Zzz……。凡人は興味が無いとばかりに、眠りを深めていった。
「寝るな。ここからが本題なんだ。オマエからキョウコにチョコの話をして、本命が他にいるかどうかを探ってくれないか?」
(何を言っているんだ、コイツは?)という気持ちから、凡人はイケメンを凝視した。
イケメンと視線が合う。
ほんの一瞬だけ、イケメンの目のふちが赤く光ったような気がした。するとどうであろうか、それまでの彼に対して感じていた高慢ちきな態度と言動が不思議と気にならなくなり、すんなりと承諾した。
「では、色好い返事であることを期待しているよ」
イケメンの去り際のセリフから暫くのち、下校を促すチャイムが鳴った。それまでボーッとしていた凡人は、ようやく我に帰ることができた。しかし、なぜ屋上にいるのかがわからなかった。
頭と首を捻りつつ、凡人は帰路についた。
ー
翌日。
通学途中、凡人は誰かから声をかけられて、振り向いた。
「凡、おはよう」
「あー、おはよう」
「なぁに、そのテンションの低さ。二日酔いタレントの真似かしら」
「まだ、酒を飲んだことは無いんだが……」
「分かっているわよ。からかってみただけ」
凡人に語りかけてきたのは同じ学園で同じクラスの女子だった。名は……ああ、そうだった。高嶺キョウコ。席が隣というだけのごく普通の女の子だ。おぼろけな昨日の記憶の誰かが言うような、「近寄りがたい格の違うオーラ」を持っている風には見えない。
「凡? 話、聴いてた?」
昨日のことを思い出していたら、彼女の会話を聞き漏らした。
凡人は聴いていなかったことを正直に認め、頭を下げた。と、高嶺キョウコが凡人のアゴをガッチリつかむや、持ち上げた。そして、そのまま凡人のおでこを彼女のおでこに触れさせた。
普通の男の子なら、顔と顔の距離の近さに心臓がバクバクしているところだが、凡人にはそういった反応はなく、むしろ、彼女が自分の頭の中の何かを探しているのを邪魔しないよう、余計なことを考えないようにしている。
「原因がわかったわ、凡」
「へぇー、何だったんだい」
「あなた、悪魔に印象操作されていたわ」
凡人の頭の中から何らかの答えを見出だした高嶺キョウコが、そう教えてくれた。
「悪魔? まさか自分以外にも入学しているとは思わなかったよ」
「あら、学校名を知ったら、入学に興味を持たれても不思議ではないわ。もっとも、この悪魔さんがきちんとした方法で入学したかどうかは不明だけれど」
補足説明。悪魔学園は、悪魔もしくは悪魔と異種族のハーフもしくはクォーターの入学も受け付けている。
ちなみに凡人こと捨石・凡人は、後者である。
「高嶺キョウコは……」
「キョウコでいいわ。私だけ、凡って呼び捨てにするのも不公平でしょ」
「じゃ、キョウコも悪魔なのか?」
「凡と同じ、悪魔と何かのハーフよ」
「何か?」
「父は悪魔だけど、母は……わからないの」
「ごめん」
「いいのいいの。凡だって、同じ境遇じゃない」
「アレ? 今日はじめて会話したのになんでそんなこと、知ってるの?」
高嶺キョウコはおでこをさすってみせた。要は、さきほどの力の使用時に凡人の個人情報を垣間見たのだ。
昨日のイケメンと違い、キチンと理由を示した彼女の態度には感心する凡人だった。
次の質問もとい昨日のイケメンからのお願いを聞こうと思ったそのとき、学園の始業開始を告げるベルが鳴った。
二人は大慌てで学園を目指した。
ー
昼休み。
いつもなら、焼きそばパンを食べたあとに机に突っ伏す凡人は、珍しく起きている。その理由は、もちろんイケメンとの約束を果たすためだが、肝心のキョウコは昼休みに突入するや、隣のクラスへと入っていった。
慌てて凡人が後を追い、入室した途端、平手打ちの音が教室内に派手に響いた。
キョウコは、イケメンのほっぺたを叩はたいていた。
「なぜ、こんな仕打ちをする。高嶺キョウコ」
「簡単よ。私があんたのことを好きじゃないから。だからわかりやすい形で教えてあげたの」
「ふむ。高嶺キョウコ、キミは誤解をしている。僕をじっと見つめてくれ。この曇りなき瞳、キミへの純粋な愛が相思相愛になる瞬間を信じているのだよ」
と、イケメンの目のふちが妖しく光るよりも速く、何かがイケメンの目にかかった。
一瞬のことに何が起きたのかを把握できないでいる、このクラスの生徒たちだったが、イケメンが墨のような液体をかけられて、涙を流しながら苦しんでいるのだけは伝わった。
動揺生徒たちをよそに、何かが飛んできた方向へと振り向くキョウコ。
まるで人が変わったかのように真剣な眼差しで水風船を投げ終えていた凡人の姿に、驚いた。
「凡?」
「キョウコ、下がって。まだ、終わっていない」
「催涙弾の中身入りとはなかなか手が込んでいるじゃないか、凡人!」
と、イケメンは目が見えないはずなのに、まるで見えているかのように凡人に接近してきた。それはまるでヤーサンが、威圧感を含ませてにじり寄るかのようだった。
イケメンの片腕が、もう少しで凡人に届きそうな距離にまで近づいてきたそのとき、凡人の背後から、複数の銃を構えた人たちが、一斉に現れた。
「悪魔アスモデウス、これ以上の凡人への接近を実行するなら、ただちに迎撃げいげきに入ります」
ただならぬ様子から、彼らを囲むようにして様子見していたイケメンのクラスの生徒たちは、隣のクラスの噂の美少女グループがごく普通にハンドガンからライトマシンガンといった幅広い範囲のさまざまな銃を構え、イケメンを威嚇している光景を目の当たりにして、思考が止まった。
「カッ、お前ら全員、ジジイん所のボディーガードだったんかよ。道理で俺の誘いをアッサリと無視するわけだ」
このセリフに、凡人・キョウコ・周りの生徒たちは、イケメンの不誠実さを目の当たりにした。
美人グループは10人である。この悪魔アスモデウスは「お前ら全員」と明言した。そして、ついさっきまでは高嶺キョウコを口説いていた。
途端に、このクラスのイケメンにドキドキしていた女子たちの視線が白けた。男子たちはこぞって「イケメンは氏ね」「爆発しろ」等のブーイング行動に出た。
場の雰囲気が急に悪くなったことにイラついたアスモデウスは、イケメンの姿を解き、本来の姿に戻り、再び恐怖を振り撒こうと考えた。アスモデウスはすぐさま腹に力を込め始めた。
「ま、そこまでにしておこうか」
なんの気配もなく、いきなり初老の身なりの良い男がアスモデウスの肩に触れた。
「テメェ、ジジイ!」
「私の娘に対して、不実を働くとは良い度胸じゃないか」
金髪に色白の肌、赤と青のオッドアイの妙齢の優男が、アスモデウスに優しく微笑んだ。
これにはアスモデウス、口元から魂が抜けるかのように驚いた。
この優男、名をルシファーという。魔界のトップで、文武両道に秀で、資産家でイケメン……と、ただのイケメンなだけのアスモデウスには、何もかも勝てる要素が見当たらないからだ。
謎の男と優男に両脇をガッチリと押さえ込まれたアスモデウスは、生徒指導室へと連行されることになった。
ダメもとで、アスモデウスは聞いてみた。
「あ、あああ、悪魔を殺して平気なの?」
「愚問だな」
断末魔のような叫び声と共に、アスモデウスは連行されていった。
ー
あっけにとられている周囲の生徒たちをよそに、美人グループの代表が凡人に事後報告をして、立ち去った。
凡人は、教室の掛け時計をみて、あと5分で昼休みが終わることに気付いた。
未だに呆けているキョウコに声をかけてみるものの、返事がない。なので、凡人はキョウコの手を繋ぎ、自分たちのクラスまで引っ張っていった。
キョウコが我に帰ったのは、凡人に「席につくよう」何度も促されたからだった。
思えば、昼休みは非現実過ぎた。
隣のクラスの噂のイケメンは別にいい。凡人の記憶から読み取っていたから、何の驚きもない。
一番驚いたのは、隣の席のいつも寝てばかりいる少年だった。
私は、自分という存在を自覚しているつもりだった。
父親が悪魔で、それも魔界の頂点トップ。生まれ持った父親譲りのオーラ故に、普通の同年代の少年少女では彼女と会話することさえ難しく、大人でさえ辛うじて会話ができる程度で、何かに怯えていた。
この学園に編入したときでさえ、状況は変わらなかった。
周囲は、自分と視線が合わないように注意しながら噂話に夢中だった。
唯一、違ったのが同じクラスの「任務中ですので」としか言わない女子10人。そして、隣の席でいつも寝ている少年だった。ちなみに少年の名は、少年と唯一コンタクトをとる10人の代表の子との会話から知った。
その少年が、昨日の放課後、噂のイケメンもとい悪魔に屋上に呼び出された。
悪魔が少年を利用する気で呼んだのは、父親と同じやり口だから。フレンドリーに接して、自分の代わりにアコギな任務を請け負わせたり、責任を取らせたりしている。
いつもなら関わらないのだけれど、この悪魔は父親と違い、そこまで恐怖を感じなかった。よって、今回に限り、少年を助けようと思った。
唯一の懸念は、会話がキチンとできかどうかだったけれど、心配する必要はなかった。拍子抜けするほどに、私の力を受け入れてくれた。
嬉しかった。少年が私を恐れない理由を知り得たとき、私は素直に喜んだ。だからこそ、少年が悪魔によって人生を狂わせられるのが見過ごせなくなった。
私は今、5時限目の授業を受けている。受けることができているのも、凡……いいえ凡人のおかげ。
凡人が私を恐れることなく、手を引っ張って席にまで運んでくれたから授業が受けられている。
一方、凡人は昼休みの出来事で「疲れた」からと放課後まで眠るから、と私に告げた。
私も初めは放課後まで寝させようかと思ったのだけれど、せっかく出会えた会話を交わせる掛け換えのない友人を卒業と同時に失うのをもったいないと考え始めたら、凡人が私を引っ張ってくれた手が勝手に動いて、凡人に授業を受けさせるべく起こしていた。
案の定、凡人は不満げな表情だったけれど、私が頼みこむと凡人は応じてくれた。
ー
あの昼休み以降、キョウコと会話をする時間がグッと増えた。ただの雑談のみならず、勉強相手として、部活動を通した同僚として。
バカで救い様のなかった学力はメキメキと向上し、キョウコと一緒に入った生徒会では副会長として恥じないよう、生徒会長のキョウコをキッチリとサポートした。
その後、同じ大学に通い、同じ就職先を受けて、現在、同じ部署で多忙の日々を送っている。
ある日、休憩室の自動販売機近くで、いつものコーヒーを飲みつつ、何の気なしにカレンダーをみて、ふと気づいた。奇しくも、今日はバレンタインデーだった。
バレンタインデー、それは女の子からプレゼントを貰う日。以前はチョコが主流だったけれど、最近のプレゼントは様々である。
そこで、自分はハタと気付いた。
(ああ、あの時、自分はキョウコからプレゼントを貰ったんだな)と。
だったら、お返しが必要だよな。
ホワイトデーに、お揃いの指輪を受け取ってもらえるよう、画策する自分だった。