バレンタインハザード(著者 山田羊)
「お前の料理はテロだ。生物兵器だ。バレンタインのチョコレートを俺に渡さないでくれ。俺の命が足りない」
「ひどい! 私の料理はバ〇オハザードじゃないのに!」
バレンタインデーの日。俺は幼馴染の由莉の家に行き、土下座をしてお願いした。俺にチョコレートを渡さないで、と。
由莉は料理の腕前が絶望的になかった。悪魔と契約して暗殺と毒殺の腕前を磨いたのではないかと疑ってしまうほどだ。鉄の鍋の底が溶け、ついでに俺の舌も溶けてしまいそうだった去年のバレンタイン。可愛く包装されたその物体からは、紫色の煙が出ていて、目が霞んだのだ。
「乙女の戦場だよ? バレンタイン!」
「市販でいいから! まだ死にたくない。死んだおじいちゃんに会える魔法の料理は食いたくない!」
「市販はダメ。龍くんは私のチョコレートを食べる義務があるの。幼なじみでしょ?」
「違う! 俺は今日から龍之介の名前を捨て、お前の幼馴染であることをやめた! お願い! まだやり残したことあるんだって!」
「どんだけ嫌なのー。ただがチョコレートでしょー?」
由莉は土下座で懇願する俺を見下ろしてため息をついた。幼馴染だからチョコレートを食べる義務があるとかなんとかで毎年のように天国への片道切符を俺にくれるのだが、一応、手料理。捨てるに捨てられず、もしかして美味しいかもしれないという一縷の希望にすがって食べてみるのだが毎年のごとくおじいちゃんに会える。お盆よりも会える。
由莉はそんな俺の絶望をどこ吹く風で聞き流していた。制服の上から猫柄ピンクの可愛らしいエプロンを着てモジモジとしていた。あの猫はきっと人に取り憑いて人を食い殺すに違いない。
「私、龍くんのこと好き。結婚したい。だから今のうちに餌付けしとこうと思うの」
「俺は嫌いだ! 結婚してお前の料理を食べるくらいなら毎日犬の餌食べていた方がいい!」
「じゃあ私と結婚して。毎日犬の餌食べさせてあげる」
「嫌だ! その二択は嫌だ!」
「じゃあ私が犬の餌作ってあげる!」
「犬も食わないからな!? 大体お前が料理を作ったら街が崩壊する! 国が滅ぶ!」
俺は人間の食べ物が食べたいだけなのだ。由莉がいくら俺のことを好きだと言っても、俺はそんなつもりはない。バレンタインになると毎年告白もとい、プロポーズしてくるのだが、俺は断り続けていた。当たり前だ。女は顔じゃない。人を殺す料理を作るか作らないかだ。俺は普通の料理を作る女の子と結婚したい。
「龍くんと結婚出来ないと、私は一体誰と結婚すればいいの? 料理はバ〇オハザードだし、自慢じゃないけど頭も良くない。お先真っ暗じゃん! 幼馴染なんだから責任取ってよ!」
「知らねーよ!? 俺のお先も真っ暗だよ! 何で毎日バ〇オハザードしなきゃならねーんだよ! 核ミサイル腹に詰める趣味は無いぞ!」
「死にはしないからー、あはは。馬鹿だなー。料理で人が死ぬなんて、フィクションだよフィクション」
「死ぬんだよ! お前の料理がフィクションだったらよかったのにな! てか、その後ろ手に持ってる包装から真っ黒い煙が出てるんだけど!?」
「チョコレートだよー。手作りチョコレート!」
「AED持って来い! 装置繋いでからなら食べてやる! あと、遺書書かせろ。家族に別れを告げてから食う!」
由莉の使ったあとのキッチンは、近づけない。近づくと立ちくらみと頭痛が起こり、手足が痙攣するのだ。そんなもの食べたら心臓止まるか、胃が口の中から飛び出してくるだろう。由莉を何度か口に入れたことはあるが、味はショックで覚えていない。悪魔の食べ物だ。
「由莉。俺がホワイトデーに好きなものを買ってやるから、そのチョコレートだけはやめてくれ。それとも金か? 地位か? 名誉か?」
「やだ! そんなのいらない! 徹夜して作ったんだよ? 好きな人に食べてもらいたいなーって思って。龍くんはひどいね……ぐすっ」
よよよ、由莉は泣き真似をする。去年はその泣き真似に引っかかり、チョコレートを食べてしまった。今年はどんな手を使っても、俺は絶対に食べない。てか俺が泣きたいんだけど。マジで泣きたい。俺が何をした。
「じゃあさ。私のチョコレートを食べるか、私と結婚するか二つに一つ! 今決めて! すぐ決めて! はい、ヨーイスタート。じゅーう、きゅーう、はーち……」
「やだぁぁあ! どっちも同じ未来じゃねえか! 俺は騙されないぞ! 死ぬ未来か死ぬ未来だ!」
「ほら、ここに婚姻届があるでしょ? ここに印鑑を付いたら帰っていいわ」
「悪徳商法みたいな手口使ってんじゃねぇよ!? てか俺たちまだ高校生だぞ! 結婚できるわけないじゃんか! 結婚出来たとしてもしないからな!?」
「予約よ、予約。ホテルの予約と一緒よ。簡単ラクラク予約。チョコレート一つで愛するあの人のハートを射止めるの」
「俺はホテルじゃねえ。あとリアルに心臓持っていかれるからな!」
こんな希望の持てない二択は初めて聞いた。絶望だ。首を斬られて死ぬか、胸を撃たれて死ぬか選べと言われているようなものだ。死ぬ未来しか見えない。ここは微かな望みをかけてチョコレートを食べるべきか。いや、何だか悪臭ただよう黒煙の包装の中身は察することは容易い。口に入れたら意識がスパークして、永遠に戻ってこれない可能性もある。
しかし、結婚するとなるとそのリスクは倍増だ。毎日外食というわけにもいかない。必然的に手料理を食べることになり、俺は死ぬ。
結婚せず、料理も食べないという選択肢もあるが、自暴自棄になった由莉が友人たちに手料理を振る舞う。結果として幼馴染が大量殺人犯になり、俺のせいで尊い命が犠牲になる。
……絶望的だ。
幼馴染のチョコレートでこの街がやばい。テロだ。テロ。
「チョコレートを見せて欲しい。話はそれからだ……」
「えぇ、普通だよ? ほら」
包装から出されたチョコレートは普通の星型の可愛らしい形をしていて、見た目は美味しそうな感じだ。見た目は……ね。
黒煙が上がっているのと、チョコレートじゃない悪臭が漂っているのを除けばだが。細かく刻んで料理に混ぜたら、どんなに毒に耐久のある忍者も発狂して死ぬだろう。
ましてやこれを一つ丸ごと食べた日にはリアルバ〇オハザードだ。結構大きいし。野球ボールくらいはあるぞ。あれ食ったらどうなるのかな……。
あぁ、短い人生だった。
「頼む。俺はまだやり残したことがある。せめて童貞を捨ててから死にたい」
「私で捨てればいいよ。ただし責任取って結婚してもらうけど」
「お前の身体なんて興味ないぞ」
「……今からこのチョコレートを龍くんの舌に埋め込むわ。永遠に味わい続けて惨たらしく完食しなさいよ」
「嘘ですごめんなさい! 美しすぎて俺には勿体無いです! お許しください!」
もうだめだ。死ぬしかない。バレンタインにチョコを贈るなんて決めたやつは、このチョコレートを食べてほしい。そして考え直してほしい。自分がいかに愚かなことをしたか。
バレンタインデーは男がチョコレートを贈る日にして、ホワイトデーも男がチョコレートを贈る日にしよう。皆ハッピーだ。
「私のチョコレートを食べたらキスしてあげる」
「永遠に床とキスしておきたいです!」
「私の想いが詰まってるんだよ? 愛の力で美味しくなるって……」
「愛の力でそのチョコレートが美味くなるなら、愛の力でこの世から戦争は無くなっている」
「四の五の言う前に食べてよ!」
由莉は強引に俺の口の中に、チョコレートをねじ込もうとしてきた。やめてくれ! やめてくれ! 俺はまだ人間を続けたい! 人間やめたくない!
「私、龍くんのことが好き。大好き。だからこのチョコレートを食べてほしいな」
「俺は自分の身体が大切だ! おごっ、やめっ、 やめて! 死ぬから!」
「ほーら、美味しいよー。あーん。大きく口を開けてねー」
俺は半泣きのまま立ち上がり、距離を取る。もうだめだ。覚悟を決めるしかない。俺はもう……道を選ぶしか生きる方法はないのだ。神よ! 俺を幸せにせずとも、せめて五体満足で生かしていてください!
俺は手足の震えを隠し、全力で由莉に告げた。
「由莉、結婚しよう! 俺は幸せになれないかもしれないがな!」
「嬉しい。私は幸せだよ!」
とりあえず今は、約束だけして逃げることにしよう。印鑑は今度押すからさーあはは。とか言って曖昧にしておけばいい。我ながらナイスな考えだ。馬鹿め。口約束なんて後からどうにでもなる。
「じゃあここに印鑑押してね」
「馬鹿だな。印鑑なんて持ってるわけないだろー。だからとりあえず、今から印鑑取りに帰るぞーあははー」
ふはは。印鑑なんて取ってくるわけないだろう。このまま逃げればこちらの勝ちだ。我ながらナイス。超ファインプレーだ。
「あるよ、印鑑。私が今、この手に持ってるから」
「え?」
由莉は持っていた星型のチョコレートを俺に自慢気に見せた。
「このチョコレートの中に入ってるんだよ。だから食べて取り出してね? もちろん食べるまで帰してあげないんだから……ね?」
「そ、そ、そそそそそれは安心だね!」
「うん。安心でしょ?」
「あばばばば」
汗が止まらない。しかもよく見るとこの婚姻届には保証人のところには俺の母と由莉の母の名前が書いてある。
両家公認だと……!?
「あとは、『由莉、結婚しよう!』もボイスレコーダーに録音してあるから。足掻いても無駄だよ」
自然と涙がこぼれた。もう逃げられない。俺は嵌められたのだ。結婚は墓場。リアル墓場だ。
もう俺に二度と春は訪れない。
「おかえりなさい貴方。ご飯にする? ご飯にする? それとも……ご、は、ん?」
「ずっと残業してくる」
こんな未来が待っているような気がしてならない。