人間じゃなくたってバレンタインするのです!(著者 はなうた)
私はみるく! 今をときめく高校一年生の女の子!
絹のような真っ白な毛が自慢のマルチーズ!
世界各国のわんちゃんが集うここ、私立犬狗学園高等部。私はその小型クラスに属していて、日々の生活を楽しんでいる。
でも、今日に限ってはちょっと嫌な空気を肌で感じていた。
「キャン、キャン!」
「へっ、へっ、へっ……」
教室中に男どものはしゃぐ声や荒い息が響き渡っているのだ。
理由はすぐわかる。翌日に迫ったバレンタインデーを前に、誰もが色めき立っているからだ。
♂のヨークシャテリアが興奮しすぎて床の上でのたうちまわっている。クラスの二大イケメンと名高いチワワとプードルが、貰うチョコの数を競って賭けを行おうとしている。
みんな動揺しちゃって、みっともないなぁ。あんな露骨にチョコ欲しいオーラ出されると義理でもあげたくなくなるよね!
「……チョコなんてさ、犬には毒なだけだよ」
「そうそう。ドッグフーズ協会の陰謀だって、みんなわからないのかねぇ」
「バレンタインなんか僕たちには要らないよ。恋犬がいるヤツらだけでイチャイチャしていればいいのさ」
「ほんと、リア獣爆発しろだよねぇ……」
かといって、教室の隅でぼそぼそ怨念を発するシーズーとシャーペイ。あいつらにもあげる気はさらさらないけどね!
はぁ。それにしてもこのクラスの男どもと来たら。もっとクールに構えてられないのかなぁ。たとえば彼みたいに……。
目を閉じて、愛しの彼の姿を思い浮かべる。私の最愛の彼。
私がチョコを渡すのはあの方だけだと、ずっと心に決めているの。
お尻をどっしりと地面に落として座るたくましいシルエット。その穏やかな瞳はいったい何を映し出すの? 願わくばその奥に潜むのは私だけであってほしい。
……いかん。考えるだけで胸がきゅんとなる。ここで興奮してたらあの男子どもと変わらんじゃないか。慌てて舌を出して体温調整に努める。
「おや?」
呼吸を整えながら周りを気にしていると、騒がしい教室の中で一箇所、どよんと沈んだ空気を見た。
その席にお座りしているのは、私の友達のちよ子ちゃん。控えめで内気な性格が可愛いフレンチブルドッグな女の子だ。
でも今日の彼女は背中が頼りなく曲がっていて、いつもはコウモリの羽のように立った耳もへにゃっと垂れ下がっている。
あれは明らかに元気がない。どうしたんだろ。
「ちよ子ちゃん。どうしたの? 何か悩み事?」
顔をあげたちよ子ちゃんは、やっぱり元気がなさそう。いつもはよだれでテカテカな口元も綺麗に渇いてる。かなり思い悩んでいるようだ。
聞くと、ちよ子ちゃんは恋をしているらしい。
意中のお相手は隣の大型クラス所属のシェパード……リーブスくん。その名前、彼以外の男には興味のない私ですら聞き及んでいる。体毛の黒と茶色のバランスがとれた、『ドイツの草刈正雄』とも賞されるあのイケメンさんだ。
ちよ子ちゃんは明日そんな彼にチョコを渡そうと思ってるみたい。同時に、自分の秘めた想いを伝えたいそうだ。すでにチョコも作っていて、さらには決め台詞も考えてあるという決意ぶり。
でも「チョコだけでなくわたしも食べて……」はさすがに過激が過ぎると思うよ?
「そっかぁ~。で、前日になって勇気がなくなっちゃったんだね」
弱々しく頷くちよ子ちゃん。何にでも一生懸命なこの子は、どうやらちょっと気負いすぎてるみたい。
うん、ここは友達として……ううん、親友として、私がお手伝いしてあげないと!
「ちよ子ちゃん、明日の告白、私が後ろから応援してあげるよ!」
とはいえ、やっぱり大事なのはちよ子ちゃんの勇気。逆にいうと、その勇気さえ出してあげれば、彼女の恋はぜったい成就する。だって、ちよ子ちゃんはこんなにプリティーでキュートなんだもん。
なら、私にできるのは彼女の勇気を引き出してあげること。それしかないよね!
「ちよ子ちゃんがもし迷っちゃったら、私が後ろから声をかけてあげる。それなら、少しは安心でしょ?」
ちよ子ちゃんの瞳に生気が甦る。たるんだほっぺにも少し赤みが戻ってきた。
「よしっ。じゃあ、そのための舞台を整えないとね!」
さっきとは打って変わって、コクコクと元気よく頷くちよ子ちゃん。
嬉しそうにほっぺを震わせ、口元からはヨダレが「待ってました」とばかりに四散八散。顔にかかったヨダレをハンカチで拭きながら、私にも何だかやる気がみなぎってきた。
ちよ子ちゃんなら、絶対大丈夫!
だって、あなたは何といっても――
* * *
――翌日、バレンタインデー当日の放課後。
私とちよ子ちゃんは、足早に目的の場所――校舎裏に向かう。
朝のうちにリーブスくんの机の中に手紙を忍ばせ、準備は万端。あとはちよ子ちゃん自身が想いを伝えるだけだ。
隣を見ると、ちよ子ちゃんの足取りがいつもより硬い。鼻息もげはげはと荒く、目もちょっと血走っている。ひどい! その絵面はさすがにひどいよちよ子ちゃん!
「ちよ子ちゃん落ち着いて! 深呼吸深呼吸!」
ぜひぃぜひぃと息を整え、なんとか自我を保てたようだ。それでもなお、隣からはちよ子ちゃんの緊張がビシビシと伝わってくる。
でも……その気持ちよくわかるよ。
すっごくドキドキして呼吸すらまともにできなくなるもんね。こういう時って、何て声をかけてあげたらいいんだろう。
「……一番苦しいのって、今だよ。その今を乗り越えたら、自分に自信を持てるようになるから。だからちよ子ちゃん、頑張ってね!」
結局こんなことしか言えないけど、ちよ子ちゃんは笑顔を見せてくれて安心した。
陳腐に思える言葉でも、大事なのは気持ちを伝えることなんだ。
この告白イベントが終わったらきっと、ちよ子ちゃんは今よりも素敵な女の子になれるから。
これは私の経験からして、たしかなことだから。
だから、全力でその気持ち、ぶつけなよ?
校舎裏にはすでにリーブスくんが来ていた。
というより結構前から待っていたのか、私たちが到着した時はちょうどフェンスにマーキング中だった。さ、さすがイケメン……、小用の体勢も様になっておられる……。
そのセクシーな姿に心打たれたのか、しばらく放心状態だったちよ子ちゃん。でも、私が柱の陰から声をかけると、ハッとしたように彼の前まで歩いていった。
リーブスくんは、その草刈フェイスを少し傾げてちよ子ちゃんの第一声を待っている。でも、なかなか顔をあげようとしないちよ子ちゃん。
……そういえば、ここに来るまでもヨダレが全然出てなかったな……緊張してたり、本調子じゃない証拠だ。
もしかしたら、ちよ子ちゃん……頭真っ白になって、言いたいことを忘れちゃったのかも。
予行演習で繰り返した台詞が、緊張のあまりすっ飛んじゃったのかもしれない。これはまずい……。
リーブスくんはあくびをしながらうしろ足で後頭部を掻いている。お、女の子が緊張して固まってるってのになんて傲慢な態度なのっ!? ぐぬぬ、ちょっとイケメンだからって……。
文句の一つでも言ってやりたいが、相手は何てったって親友の想い犬。ここで出しゃばるわけにはいかない。
「ちよ子ちゃん、ここでちゃんと自分を伝えないと、きっと後悔するよ! 結果がどんなでも私は側にいるから! だから、全部打ち明けちゃいな!」
でも、思わず叫んでしまっていた。
ど、どうしよう……。ごまかすために遠吠えしてみたけど、すでに二匹の視線が痛い。
姿は見えてないだろうけど、リーブスくんは訝しげに私のいる方を窺ってる。ちよ子ちゃんは驚いた顔で目を見開いてる。
や、やってしまった……。ここで私がいることを知られたら、リーブスくんも警戒しちゃうかもしれないのに。
これでもし、ちよ子ちゃんの告白が失敗したら……私のせいだ――
――リーブスくんのことが、好きです!
突然。
ちよ子ちゃんの叫び声が、校舎裏のよどんだ空気を震わせた。
恐る恐る見ると、ちよ子ちゃんは必死な顔でリーブスに思いの丈をぶちまけていた。
顔を真っ赤に染めて。
短すぎて振ることのできない尻尾をピンと立てて。
まるで百獣の王のような咆哮に、自分のありったけの気持ちを乗せて。
それは、親友である私さえ今まで見たことのない、一歩踏み出したちよ子ちゃんの姿だった。
ちよ子ちゃんの口元から溢れる透明な飛沫が校舎裏にて舞い踊る。それは夕日に照らされキラキラと輝き、やがて土色のグラウンドに降り注ぐ。その真ん中に立つちよ子ちゃんのうしろ姿。まるで現実味のない光景だった。
す、すごく綺麗だよ、ちよ子ちゃん!
本気で想いを伝える女の子って、こんなに素敵なんだ!
全てを吐き出し、がはがはと息を切らすちよ子ちゃん。
しばらくぽかんとその様子を見ていたリーブスくん。女の子が勇気振り絞って想いを伝えたんだ。生半可な返事しやがったらタダじゃおかねぇ。
そう念を送っていると、リーブスくんはその大きな体を低く伏せて、ちよ子ちゃんの足元まで進んできた。
そして、呆然とするちよ子ちゃんの前足にご自慢の長い鼻(※私調べ)をちょこんと乗せる。
……そのイタチ一匹分ほどある尻尾を、うしろ足の間に巻き込みながら。
あ、あの尻尾の位置……。
あれは、間違いない! 降参のジェスチャーだ!
相手に対して恐怖を抱いて、和平交渉を持ちかける時に行うポーズ!
リーブスくんは、ちよ子ちゃんのことをボスとして認めたんだ!
や、やった! 良かったね、ちよ子ちゃん!
ちょっと趣旨が変わったけど、これでリーブスくんはあなたの男だよ!
ほんとは今すぐ飛び出してちよ子ちゃんを祝福したいところ。
だけど……それは野暮だよね。
しばらく、幸せそうに寄り添う二匹の影を眺めて、私はその場を離れることにした。
* * *
「はい、かかおくん。チョコだよ」
「ありがとう、みるくちゃん」
チョコを受け取って、照れくさそうにほっぺを震わせる我が愛しの彼。
よかった。喜んでくれてるみたい。証拠に、今日の彼はヨダレの分泌量がハンパない。
そう。今日という日は私にとっても特別なのだ。
約束より少し遅れて教室に辿り着いた私を、嫌な顔せずに迎えてくれたかかおくん。そんな優しい彼に無事チョコを渡すことができた。
「あ、それと。今日、ちよ子にも協力してくれたんだよね? 昨日ちよ子が嬉しそうに話してたよ」
「うん。でも、私は見てただけ。ちよ子ちゃんは自分の力で頑張ってたよ。それに……」
「それに?」
「ちよ子ちゃんは、私がいなくても絶対大丈夫だって確信してたんだ。だって……」
――だって彼女は……あなたの四つ子の妹なんだもん!
あんな、あなたにそっくりの可愛い子に告白されたら、誰だって嬉しいに決まってる。私ですら危ういかもしれない。
まあ、私にはかかおくんがいるから、大丈夫だけどね!
「え、教えてくれないのかい?」
「うん、内緒! じゃ、帰ろ!」
「気になるな~、ヒントだけでもっ」
少し不満げにヨダレをまき散らす彼と笑い合いながら、体を寄せ合って家路に就く。
「ううん、じゃあ大ヒント……」
ほとんど答えになってるけど……まぁいいや。
何たって今日は、私たちにとって特別な日なのだから――。
そうして私は、彼の大きなほっぺにちょこんと口づけた。
おわり。