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チョコレートはわたしです。(著者 網田めい)

 ――聞くところによると、バレンタインのチョコに異物を入れる輩がいるらしい。

 それは髪の毛だったり、爪だったり、はたまた無形のもので言うと、呪いだったり。


 私は美味しいチョコを作るためにレシピ本が欲しくて本屋へ来たのだが『月刊モー』という雑誌がバレンタイン特集をしていたものだから、気になってめくってみると、そう書かれていた。


 わかめのように長髪をうねらせて、真っ黒なくま・・のある女の子がすっごい大きいハート型のチョコレートに向けて念じている姿は怖いを通り越して笑えた。


 私は彼氏がいるから、そんなことはしなくていい。

 だからこそ、笑えたのだけれども……。笑えたのは、本を閉じて元の場所に返そうとした瞬間までだった。

 目線の先、本屋のマンガコーナーにいた彼がエッチな本を手に持っていたとか、万引きをしていた……とかならば、こちらから別れを告げて、楽に思えたかもしれない。


 でも、キスしやがった。


 今日は2月13日で、女の子が好きな男の子に、お節介に近いほどの想いを込めて作るお菓子は一体何にするかと決める最終ジャッジ、すなわち準備期間の最終日。そんな大事な日の本屋の片隅で、顔の整った()と……、ちゅっ。


 収入の少ない本屋で万引きをして、クラスで自慢している人がいるが、それと同じように悲しい。

 本屋の店主の気持ちがわかる気がした。さらに細かくすると、まさしく万引きされた気分で、私の方の値段は時価。0円だと信じたいがそうはいかない。100億円くらいの価値がある気がした。


「私ぃ、チョコは作らないんだよねぇ」


 かわいこちゃんの声が、ものすごく腹が立ちます。

 余裕ですなあ、この女。でもな女は顔じゃねえ! 愛嬌だ! 男をがっちりと掴む愛嬌だ!


「えー……チョコ、食べたいなあ……」


 はい? 私のチョコは? 楽しみに待ってるって言っていたやないか。

 なんで、そんなにがっかりしてるんですか。あなた。

 そもそも私たち、付き合っているんじゃあ……。


「しょうがないなあ、今夜、14日になった瞬間に電話してあ・げ・る❤」


 あばば。なんじゃその、言葉ばばば。

 顔だけじゃない! 下目使いで、唇に人差し指を当ててウィンク! 

 すっげえ男のハートを掴む愛嬌持ってるじゃん! こんな言葉を言ってみたい!

 でも、無理! 恥ずかしくて死ぬ!

 私がウィンクをすると、顔面の筋肉が引きつって、ぜったいに汚いウィンクになる。

 でもさ、その私立の可愛い制服を着た化け物ちゃんよ。

 高校生は早く寝た方がいいと思うの。私は毎日23時に寝ているよ。

 早く寝ないと、両親が心配するでしょう? こいつは、不良だ不良! 


「でも、早く寝ないと両親が心配するから一分だけね❤」


 うわっ。めっちゃいい子! いいもん、女は成績よ成績! 

 こないだの英語の点数は75点だったのよ、私!


「そうだ、この間の英語のテスト95点だったのよね」

「へー、やるじゃん」


 負けた。

 勝てる所がなーい。あっはっは。

 いやいや、それよりも……。ふががが、んがーーー。

 きっと、遊ばれてる! 遊ばれてるよ! 気がついて、私の彼氏!

 

 ――それよりも何故私は、酷いことをされて、見ているだけなのだろうかと考えてみるがわからなかった。


「チョコは作らないとかいいつつも、どうせ作るんでしょ? 楽しみに待ってるよ。ありがとう」

「あはは、バレた?」


 え、何? その意思疎通的な、何か。

 そっかあ、私の彼氏は楽しみに待っているのかあ、彼女のチョコを。

 泣きたいのに涙は枯れているようだ。口の中もからっからで、びしょ濡れの犬のように悄然としているけども、きっと犬みたいに可愛らしい動物じゃなくて、ありんこの背中にいるダニみたいな小物だ。

 

「――お客さん。その本、売り物なんやけど」


 本屋の店主は、ついつい私が握りしめてしまった『月刊モー』を見て、呆れ顔でそう言った。

 

 がちゃがちゃ、ちりん。


「850円やで」


 私はくしゃくしゃの『月刊モー』を買って、地面にのめり込むような歩き方で帰ったのは、誰かさんに優しい声をかけて欲しかったからだ。そして嬉しかったというよりも、楽になった。

 それは夕日が心に沁みて、涙がようやく落ちたから。



 *

 


 お母さんに夕ご飯はいらない、熱があるからと風邪薬の錠剤を口に放り込んで、嘘をついた。

 部屋を覗きに来たら困るのでパジャマに着替えて寝ようしたが、机上に投げ置いた『月刊モー』が目立っていた。


「…………」 


 つぶらな瞳のくまのぬいぐるみの隣にある、オカルト雑誌は不気味だった。

 暖色に統一しているお気に入りの部屋にぽつんと見えた真っ黒の本は、さながら空想上の男子の殺風景な部屋に置いてあるピンク色の本の存在のような、下手をするとそれを越えた、とてつもない背徳感に苛まれる。

 

 普段の私なら絶対に買わないと言い聞かせる。

 かばんに入れて、明日の朝にコンビニのゴミ箱に捨てようと考えるが……でかでかと見える『絶対に成功するバレンタイン特集』は本当にうざったい。

 表紙の下部、『世界の超人・怪人・奇人』と書かれていた小さい見出しに無理やり目を動かして「実は私、超人になりたいのよね……そう、鋼鉄の心が欲しいの」とひた隠し、手に取ってめくるが――その前に。

 ……お母さんが入ってきたら変な目で見られそうなので布団をかぶり、あたかもベッドで寝ているようにする。そして、携帯の明かりで記事を照らして読み進めた。


《手作りチョコに髪の毛を入れよう》


 いやいや、気味悪がられて失敗するがな。


《それが嫌な人は、爪を入れよう!》


 いやいや、変わらんでしょう。


《じゃあ、初心者でも出来る、呪いのチョコの作ろう!》


 いやいや、それで成功したとしても呪われている人とは付き合いたくないし、大事にしたいんですけど。


《だったら、あきらめる?》


 うーん……。真っ向勝負したいんですけど……。


《真向勝負をしたい人は……頑張ろう!》


 ふざけんな!


 布団をかぶり続けて酸素が薄く、暑くなってしまったせいもあったが、心底腹が立った。

 おもむろに顔を出して、ぶはっ。大きく息を吸って、そのまま枕を抱きしめて悶えた。


「がはは! 布団をふっとんばすなよ!」


 ――豪快な笑い声が私の部屋を響かせた。

 氷嚢を持ったお父さんとわかると胸が痛くなる。

 

「お前はお父さんと似てアホやなあ。布団をかぶって酸欠か?」


「……う、うん」


 うんとしか言えない。だって現実、酸欠になりかけていたわけだし。


「そっかあ、風邪は大丈夫か?」


 お父さんは微笑みながら、不器用に寝かしつけてくれて――、氷嚢はひやっとして気持ちが良かった。 嫉妬の感情はどろどろで、ただ淡に熱い。でもそれは、嘘をついてしまった罪悪感と、恥ずかしい想いが混じっていた。お父さんは溶けてしまった岩を固めるように、額から垂れた汗を清潔なタオルで穏やかに拭いてくれた。


「……うん。大丈夫、だから」

「もうすぐバレンタインやなあ。今年も愛娘のチョコを楽しみにしてるでー。あっはっは!」

「……あ、あっはっは! 楽しみに待っててや!」


 私はいつものようにお父さんの真似をして豪快に笑うが、お父さんは私の“異変”に気がついた。

 それは、ぐるぐるとわけがわからなくなっている私の気持ちの異変でも、実は風邪が仮病と疑われたとする異変でもなくベッドから放り出された『月刊モー』の存在だった。


「なんやこの、怪しげな雑誌は……」

「え、あ……」


 ごめんなさい。

 怪しげな雑誌をついつい買ってしまい、私は変な子になってしまったかもしれません……。


「――絶対に成功するバレンタイン特集?」


 お父さんは更に何かに気がつき、わんわんと嘘泣きをした。


「お父さんは悲しいっ! お前がどこぞの馬の骨にチョコを渡すことを考えているなんて! しかも絶対に成功できるように頑張っているだなんて!」


 すでに付き合ってるとは、絶対に言えない。


「あの、お父さん?」

「お父さんは絶対に応援しないぞ! お前を悲しませるようなやつだったら、その布団のようにふっとんばしてやるからな!」


 どうしよう。実は付き合ってて、その彼氏が他の女の子とキスをしていたなんて言ってしまうと、本当に発狂して殴り飛ばしそうだ。しかも、お父さんは警察官でいろいろな黒帯持ちだし、軽々と背骨を撃砕しそう。いや、待てよ。これはお父さんに彼氏に酷い事をされたって言えば裁きの鉄槌が……。


 どくん。胸打つ熱い鼓動に吹きつける罪の突風は私の身体をかすめ取るように、ギンギンに冷やした。


 そんな親にすがる子供にはなりたくはない。しかし――。


 どくん。冷え切った四肢を暖かく動かそうと暴力的作為の煌めきは淀むように変容し、ハートの脈拍をふたたび強くした。


 そんな親にすがる子供に一度くらいなってもいいじゃない。しかし――。


「うわあああ!」


 私はふたたび、枕を抱きしめて、葛藤の悶絶をした。

 部屋に響き渡る父と娘の葛藤の叫びは、母の足を部屋に運ばせるには容易な事であった。


「何をしてるの?」


 父は号泣しながら、ゴミ虫のように母親にすがりついた。


「お母さん! マイ・ドーターがバレンタインに好きな男の子にチョコを渡すんだってさ! お父さんは悲しいよお!」


 ――母のおたまの一閃は素晴らしい音がした。

 関西仕込みの絶技の擬音を書くとするならば、『すこん』。

 引き戻されたおたまの丸い部分の名は知らないが一瞬だけめり込んだ父の寂しい頭髪が、ぺたんと、さらに毛量を減らすように助長し、魅せた。

 それが刹那の錯覚を現実へといざなった理由であり、育毛剤をいつかプレゼントしよう、と心に決めた瞬間であった。関西人のツッコミから生まれた輝かしい打音に、悲痛な叫びを重ねることは許されない。

 父が黙り、硬直したことで生まれた漫才的な“間”は芸を大いなるものに昇華させる技であり、芸人がもっとも尊い時間とするものだ。父は意を決した顔つきで母に言った。


「愛してる」


 目の前でいきなり真実の愛を告げて、キスをしようとする父は情けないもので、なおかつ相手がいるということが少し妬ましく思える……もとい、母の恍惚な表情を見た私は、傍観者である事に感謝をした。

 

「お父さん……私も、愛してるわ」


 絆というものは、私の知る由がなく、それは当事者である二人にしか見えないものだ。

 夫婦であるが恋人であると改めて確信させてくれた二人を見た高揚感は、キスを優しく返した母の事柄を入れ違いに、これが私の理想の恋人像だと敬意に変わった。

  

「私も、頑張る」


 相手の気持ちを頑張って聞く。それから――、

 チョコが楽しみって言ってくれたから、きちんとチョコも作ろうと思う。

 私はゴミ箱に『月刊モー』を投げていれて、台所へ直行した。



 *



 失敗した。


 ハートの型に多めに流し込んだチョコは溢れて、ラグビーのボールのような形になった。

 元に戻そうとしたけれど、型をそのまま外したら床に滴って無駄にしてしまった。

 真心という皮を被った躍起なる気持ちで型に流して冷蔵庫に放り込んだが、チョコの量はすでに少なく、牛乳瓶の蓋のようなチョコになってしまった。ハートの型なんて必要なかったんや。


 このすべてを、あの女のせいにしようとしたが、レシピ本を買い忘れてしまった自分のせいにする。


 お父さんは毎年毎年、市販のチョコで大喜びしてくれて、彼氏もそうであったらいいのにと、ため息をついた。

 でも、チョコを買うおこづかいは、もうないです。

 『月刊モー』に使った850円が本当にもどかしい。


 手伝ってくれた料理下手なお母さんは、大丈夫よと言ったが、影で財布を覗いていた。

 お父さんにあげる高級チョコを、当日買いに行くのだろう。薄情者だ。


 失敗したチョコは1キロほどあるが、お父さんにあげれば、豪快に食べてくれるから問題はない。

 そして、本命チョコは2グラムくらい。これは松坂牛の、どこの部位が一番高い部位か知らないが、そんな感じの希少な部分な気がして、我ながら神々しいと思う。

 手作りチョコ100グラムで、どのくらいの価値があるかどうかは、定かではないし、なにより時間がない。

 しかも22時で眠い。さっそくラッピングに入りたいと思います。

 

 スマホを半分に切ったくらいの四角い箱に、もけもけの紙くずのような名称不明のものを敷いて、チョコを置いてみた。なんだこれ、地味。


 ――あれこれ眠気眼で悩んでいる内に時計は24時になっていて、彼に電話をかけてみると話し中だった。台所の机は色とりどりの紙くずが散らばって、汚くて、更に悲しくなった。

 ようやく決めた赤いテープの一本は、通話中の音のように長く感じた。



 *



 こういう時に、私は雨女なんだろうなと思ってしまう。

 昨夜の電話で、もう一度告白をしようと心に決めたのに天気は曇天以上、台風以下だ。

 勇気の門出をせめて祝えよ、御天道様(おてんとさま)


 玄関の扉を開いた瞬間、顔にどっと降りかかった。

 

 お母上は背後に歩み寄り、私の肩を優しく叩く。

 電話で休校になるかも、自宅待機……と、言い切るその前に。


「いってきます!」


 長靴にレインコートで完全防御。

 私は学校に行くんだ、恋愛を学びになあ!


 と、思っただけで、恥ずかしいから口には出さなかった。


 

 *

 


 教室の窓を打つ雨音は重く、地面に落ちる音よりも慌ただしい。雷鳴は教室の薄暗い雰囲気を演出し、腹痛を起こした時のようで酷く気持ちが悪い。せめてもの救いは蛍光灯の灯りだが、鏡面反射した窓では景色が見えにくく、閉鎖された空間にしか見えなかった。


 ……そして。


 なんというか、ずぶ濡れで教室にきたのはいいのだが。

 なんというか、教室には私と彼のふたりしかいなかった。

 なんというか、彼は昨日の過ちを私が知らないと思っているからなのだろうか、早々と私のとなりの席にやってきた。

 

「おはよ」

「……おはよ」


 彼は眠そうにコンビニ袋からチョココロネを取り出して、いちご牛乳の封を開けた。

 

「眠い」


 なんというか、なぜ私の机上で寝ようとするのだろうか。

 なんというか、いちご牛乳もチョココロネも取り出したのに、なぜ寝ようとするのだ。

 なんというか、男という生き物は謎である。


 私は今、雨に気を取られすぎてチョコを忘れてしまったと、焦っている。


 どうしよう。


「あのさ。昨日本屋にいたよな?」


 打ち所が悪かったのか、そんな記憶はございませんと言いたかったが、私は頭など打ってはいない。

 そのくらい馬鹿げてて、消し去りたい記憶。そんな冗談すら言える心持ちではなかった。

 

「……うん」

「えっと、彼女さ……」

「――キス、してたよね」


 なるべく優しい顔を作って聞いてみた。

 すぐに不安の色が濃くなったと感じて、しばらく眼を伏せたが、息を呑んでから見据えた。


「別れ……」


 それから先の言葉が何をしても出てこない気がした。変な勇気だ。辛い。

 

 ……自分のせいだ。

 チョコを忘れてしまった。

 せめてあれがあったら、決別ではなく、告白が出来るのにと自分を悔やんだ。


「ごめん」


 ごめんで許されるのだろうか。

 (かす)かに涙が溢れてくると、鼻の痺れを我慢するために奥歯を噛みしめて、ふたたび眼を伏せた。


「あの人、いとこなんだよね」


 言っている意味がわからなかった。


「……でも、キス、してたよね?」

「ほっぺにな。あいつ、帰国子女なんだよ。アメリカのノリって嫌だわ、本当」


 ぐるぐる。思考はまわるまわる。


「え、でも。チョコを作るとか、電話をするとか!」

「アメリカではチョコなんて贈らないだろ。電話は友達のいないアイツの暇つぶし」

「でも、チョコが食べたいって……!」

「俺の大好物は、チョコだよ?」

「あ……」


 彼はチョココロネの封を開けて一口頬張った。


「で、でも……」

「――お前だって家族にチョコぐらい贈るだろ? そりゃあチョコは俺の大好物だけど、家族から貰うチョコは嬉しいじゃん? 他人では無いんだから、拒む理由は無いさ」

「…………ごめんなさい」

「いや、こちらこそ心配させて、ごめんな」


 ……チョコを忘れたと、ものすごく言いづらい。

 彼は、はにかみながら沈黙を破った。


「今日さ。登校してよかったよ。――ありがとう」


 私はもやもやとして、おもむろにチョココロネに指をつっこんで、頬にしゃっと塗った。


「チョコレートはわたしです!」


 告白の叫びは、教室でこだまして。彼は優しく、私の頬にキスをした。

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