リッチ マミー フィランソロピー(著者 椎形@パスワード)後編
※
二日後 二月十一日
「Ed,Push!」
ボールを受けた男子生徒が、相手ゴールを指差して叫ぶ。
赤いユニフォームを着たエドワードは、指示通りに右サイドへと走り込む。それには敵のディフェンス二人が対応し、エドワードの前方に回り込んでマークする。
指示者の生徒は、それでも右サイドにロングパスを送った。ボールは敵エリアの最奥、ゴールラインの手前へと飛び込む。
ディフェンス二人がボールを追う。エドワードはその背後から、嘘のような速度で二人を抜き去ってしまう。
「Cross!」
二度めの指示。エドワードはライン際でボールを確保し、ゴール手前の集団めがけて強引に蹴った。
ドンッ
鈍い打撃音、響く反動。ボールの軌道を見届けながら、エドワードは地面に倒れた。
鋭い笛の音が響き、敵ディフェンスが足を止める。
ゴール前で一際喜ぶ男子生徒が、起き上がるエドワードへと駆け寄った。
「足はっや……」
「スポーツ経験あるってね。サッカーは初めてらしいけど」
「へぇ……。良かったじゃん、入れて」
完全実力主義国家、アメリカ。学校のクラブも例外ではなく、入部には試験に合格する必要がある。人気のクラブとなると、初心者の入部は不可能とまで言われている。
この国では、サッカーはマイナーなスポーツとされている。派手を求める人種のため、0-0で引き分けるような戦いは望まない。フットボールやバスケットボールのような、一人で敵陣に駆け込む爽快なスポーツを求めている。
「ーーナーン。投げてよー」
「はいはい」
私とシャーロは、学校が所有するサッカーコートの外側にいた。時間潰しにフリスビーを持ち込み、部活動中のエドワードの帰りを待っている。
シャーロはフリスビーを飛び上がって掴み、キーキーと叫んだ。
「だーから高いって言ってるでしょーに!」
「ごめんって」
……私は悪くない。シャーロのストライクゾーンが悪い。
どうして暇潰しにフリスビーなのか。答えはズバリ、《体育の授業で習うから》。マイナーなスポーツを習う週間があり、今回はペアを組んで、フリスビーの安定性と速度を測るらしい。
「ーーわっ、ちょっ……。もう、シャーロ!」
「My answer!」
夕方
「……初めて見たよ」
「なにが?」
「ファストフード店で、その野菜の量」
「そう?」
「まるで野菜畑」
その比喩には聞き覚えがあり、私はクスリと笑う。
「シャーロにも同じこと言われた。初めてここに来たとき」
「……そりゃあ、」
「おまたせー」
トレイを持ってきたシャーロが隣に座り、三人で料理を食べ始めた。
転入生エドワードは、二日と半日で多くの衆望を得た。
包帯なのに親しみ深く、包帯なのに身体能力は抜群。畑に蒔いた種のように馴染み、竹の成長のような速度で注目を集めた。
私とシャーロは、その話題の渦中の人物をファストフード店に誘った。映画撮影、異文化交流、地球外生命物体との接触。たとえ他人にどう見られていても、良くは思われていないだろう。
会話の内容は、九分通りがエドの学校生活の話だった。学校生活には馴れたか。移動教室の場所は覚えたか。授業には苦労していないか。転入初週でフリスビーを習って戸惑っていないか。
その次の質問で、気兼ねなく話していたエドの様子が変わった。実に他愛ない、フルコース料理のデザートに添えられたパセリのような質問だった。
なにか訊きたいことは?
「ーーあー、……あるよ。訊いていいのか?」
「of course」
逡巡するエドに対し、シャーロが上半身を前に倒して興味を示す。私はフォークを持つ手を止め、彼の発言を予測した。
エドが言う。
「……いや、大したことじゃない。……君たち二人が、どうして俺に構ってくれるのかなって」
……ほらやっぱり。
私が普通の高校生なら、枯骸と食事なんてしない。自分の家に呼ぶなんて、核兵器全廃よりもありえない。並列して歩かず、常に距離を取り、存在しない何かとして扱う。
その真逆の行為を、この三日間、シャーロと共に続けてきた。包帯姿のエドワードには、自分以上の怪奇現象と思えただろう。
「気になる?」
「……ああ」
そして大概の人が、一つの疑心に行き着く。
私たちの行動に、なにか裏があるのでないか。
シャーロは人懐こい笑みを見せ、答える。
「別に普通だよ。仲良くしたかっただけ。ナンは付き添いだけど」
※
晩
二十六の空港が犇めく州で、空車のタクシーを捕まえるのは至難の業である。
私たちもまた、ダウンタウンを練り歩いてやっと見つけた。裏路地で怠慢中の、日本製の青いタクシーだった。
日本製は乗り心地がよく、遠出の際はチップを先払いしてでも選んでいる。今日は運がいい。
私は助手席に座り、遠回りされないように細かく指示を出す。シャーロとエドは後部座席に座り、自宅への最短ルートを確認していた。
「ーーありがとね、乗せてもらって」
「ついでよ。それじゃ」
「Bye-bye」
市内に住むシャーロを先に降ろす。エドの家がある郊外へは大通りを抜けるため、指示の必要がなくなった私は後部座席に座った。
私はシャーロと違い、愛想も愛嬌もない。口はスラム街の治安よりも悪く、致命的なまでに喧嘩腰。交友を広げる気もなく、望んでもいない。
……つまり。
自分から他人に声をかける経験が、シャーロ抜きでほとんどなかった。
渋滞に嫌気が差し、私はシートに座り直す。車体が小さく揺れて、エドがちらっと振り向いた。
「…………」
「…………」
シャーロを降ろしてから五分。私とエドとの間には、七秒分の会話しか成立していなかった。送り届けの謝辞と、渋滞の感想だけ。
話そうという意思はあったけど、言葉が出てこなかった。家で読んだ小説の台詞を思い返しても、妙な比喩ばかりで使い物にならなかった。
そこでふと、エドが口を開いた。彼はサイドガラス越しにヒューストンの町を見据え、独り言のように呟いた。
「都会は窮屈でならないよ」
「…………」
私は片目でエドを見る。彼の視線、体の蟲動、息づかいを観察し、心境を見透かそうとした。
「……『田舎に住んでいました』みたいな口ね」
「……言ってなかったっけ」
「初耳」
私が短く言う。少しして、エドが納得したような声を上げた。
「……それもそうか」
「…………」
「お互いに、過去の話をしてない。この三日間ずっと」
「そうだっけ」
「気遣ってるのか? 包帯の話をしないように」
「……かもね」
「…………」
エドが黙り込み、私はシャーロの言葉を思い出した。
エドに接する場合の注意点や、世間一般の意向。どうすれば相手を喜ばせ、不安を解消できるのか。
私は、今の彼に何を話せばいいのか。頭の中のシャーロに、意見を求めた。
申し訳程度に渋滞が流れる。私は、口を開いた。
「ーー博愛主義。知ってる?」
それを聞いたエドは振り向き、聞き返す。
「……博愛主義?」
「すべての人を、平等に愛すること。性格、見た目、人種、他主義。例外なく」
「…………」
エドは思うことがあるのか、黙って話を聞いていた。
「シャーロがそれ。殺人鬼でもない限り、誰とでも仲よくなる」
「……それで俺に?」
「そう。……まさかそこまでとは思わなかったけど」
まさか、包帯男を《誰》に含むとは思わなかった。
エドが察し、苦笑する。私はコメディを語るように続けた。
「私も出会ってすぐ目をつけられたの。面識ないのに性格見抜かれて、効果的に機嫌取られて、今では慣らされた付き添い」
「……君が飼い主かと思ったよ」
「逆。当時の私は募金詐欺よりも性格が酷かったから」
「……フハッ。……それは酷い」
心当たりでもあったのだろうか。エドは珍しく感情を出し、懐かしむように「あれはね……」と呟いた。
「なに、経験済み?」
「こっちに来るときに空港で見たよ。小学生くらいの集団に、『同じ病人として助けてください』って。その後に係員の人が詐欺だって教えてくれた」
「払ったの?」
「いや、学生だからって断った。そもそも俺は病人じゃない」
「びっくりしたでしょ」
「ああ。ーーそして転入初日、赤の他人の家に招待された。それも豪邸。疑ったよ」
私は笑った。そうね、その通りね、と同調し、新鮮な記憶の旨味を噛みしめた。
気がつくと、タクシーは渋滞を抜けて郊外に出ていた。膨大な情報量を見た気がするけど、何一つ覚えていない。残ったのは恍惚だけだった。
※
二日後 二月十三日
シャーロが受け取った数々の贈り物は、教室の机に山を生み出した。
「ーー二十……、三十……、……三十七個」
「うち男子は?」
「……十五個かな」
「やるぅ」
私は敬嘆し、数あるハート型のケースから一つを手に取る。振ってみると音がし、中身がクッキーであることが分かる。
シャーロが困ったような顔で言う。
「『いらない』って断るんだけどね。言葉だけで充分なのに」
「来週には増えてるかもよ。前日だから持ってこなかった人もいたし」
この国のバレンタインに義理はない。本命、もしくは親しい友人への感謝の印として、男女関係なく贈る。
シャーロが受け取ったのは、そのほとんどが《友人への感謝》だろう。言葉だけで充分。その牽制球がなければ、今ごろ二倍の量がホームに還っている。
「一週間はカロリーに困らない。カロリーには」
「……まちがって縦に伸びてほしいよ」
シャーロは贈り物を片付けつつ、私に尋ねた。
「で、ナンは?」
「今年は少ないよ。男からは五つ」
「and?」
シャーロはニヤリと笑み、舌で削ぎ取るように言及した。
「……それと、バラが三本」
「あれ、少ないじゃん。前は百八本も貰ったのに」
「それと、ディナーの約束が二件」
「減ったね」
「学んだのよ。お金を積んでも成功しないって」
私への贈り物は、どうやら全部が本命らしい。チョコレートには思慕の手紙が添えられ、バラの本数には愛のメッセージが込められ、明日には告白の予定が詰まっている。
「当分は婚約者に困らないね」
「分けてあげようか?」
私がシニカルに微笑む。シャーロはばつが悪そうに断り、教室の時計を見上げた。
「……じゃ、もう一つを受け取って帰ろう。そろそろ終わっただろうし」
「そーね」
「手作りらしいよ。なにかは聞いてないけど」
「……へぇ」
※
サッカーコートの脇にウッドテーブルがあり、私たちはそこでエドを待った。
練習は始まっていたものの、エドは転校の関係で補習を受けていた。成績が一定値を下回ると、学業優先でクラブを辞めさせられるらしい。
「ーーお、来た」
少しして、補習を終えたエドが入場する。学生服と厚手のコートを着て、包帯の上からニット帽を被っていた。
彼は重そうなボストンバッグを静かに置き、私たちの対面に座った。
「ごめん、わざわざ来てもらって」
「いいのよ。貰えるだけありがたいし」
「同じく」
シャーロが同意する。エドはバッグを開きつつ、私に言った。
「聞いたよ、百八本のバラの話。警察に突き出して振ったって」
「……まぁ、あれはね」
「俺もバラを贈ろうと思ってたから、危なかった」
「……ふぅん」
エドは三角の小包を取り出し、二人の前に置く。小さくて可愛らしく、インテリアとしても機能しそうな代物だった。
彼が言う。
「感謝の印。二人のおかげで学校に馴染めた。ありがとう」
…………。
「……どうも」
「ありがとー」
小包を手に取る。中でコロコロと音がし、焼き菓子であることが分かった。
シャーロが尋ねる。
「クッキー?」
「ああ。口に合えばいいけど」
「……まぁ、全粒粉でなければ何でも」
シャーロが脇腹を小突き、私はハッと我に帰る。彼女は小包を私の鼻に寄せ、「なにあじ?」と尋ねた。
私はスン、スン、と匂いを嗅ぐ。包装紙の平らな匂いと、微かな酸味を嗅ぎ取った。
「ドライフルーツ」
「……すごいな」
「ニラ嗅がせちゃダメだよ」
※
「ーーじゃあ、そろそろ行くから」
「あ、うん」
「クッキー、ありがとね」
練習中の生徒に声をかけられ、エドは席を立った。バッグを持ち、私たちに別れを告げて、更衣室へと向かった。
「…………」
私は、彼の背中を目で追っていた。聞きたいことがあったけれど、これ以上引き留めるのは横道だと思った。
来週でいい。贈るはずだったバラの本数くらい、いつでも聞ける。そう自分を納得させ、前に向き直る。シャーロが隣で見ていたけれど、気付かないふりをした。
「どうしたの?」
「ん? ……別に。聞き忘れた話があるけど、今度にする」
「今聞けばいいじゃん」
「いいの。邪魔しちゃ悪いし」
私は帰宅の準備を進める。シャーロは黙ったまま更衣室の方を見据えて、短く尋ねた。
「バラの本数?」
「…………」
私は、恐らく絶句した。彼女の発言ががあまりにも図星で、急所を突かれたように思考と息が詰まった。
「……なんで分かったのよ」
「お、当たった。ーーエドワード!」
「あっ」
シャーロは声を張り、遠く離れたエドを強引に呼び止める。彼は突然の出来事に混乱しつつ、「なに?」と聞き返した。
「バラ、ナンにいくつ贈ろうと思ったの?」
「ちょっと!」
私は腕力だけでシャーロを引っぱり、両腕で口を封じる。彼女は全身で抵抗するけど、ひどく非力だった。
聞かれたエドは、気恥ずかしそうに周囲を見渡した。声を張り、はっきりと答える。
「八本。意味は、《あなたの思いやりや励ましに感謝します》」
「モゴッ……。プアッ、ありがとー!」
「え、ああ……」
※
「……私さ、」
「うん」
「男子から感謝のプレゼント貰ったの、たぶん初めて」
「うん」
「本命ばっかりで、貰ったことなくて」
「うん」
「……なんだろ。……ちょっと、嬉しかった」
プレゼントを積んだ自家用車の片隅。エンジン音に消え入りそうな声で、私は言い慣れない言葉を発した。
「感謝って、されたことなかった。ちょっと感動しちゃって」
「…………」
「……それくらい。……よく分からない」
「……そっかぁ」
お互いに沈黙が続き、私は小包入りのバッグを膝に乗せた。
まるで妹を愛でるように、バッグに手を添える。包帯男から贈られたクッキーは、圧倒的な価値を誇る宝石よりも、何倍も尊く思えた。
「……なんだろうね。……ほんとに」
「……こんな言葉があるよ、ナン」
シャーロは声を整え、満を持して言った。
「ーーすべての男女の間に、友情は成立しない。たとえそこが、友情の州だとしても」
「……何が言いたいの?」
「別に? 恋愛感情は成立するなんて、誰も言わないよ」
「……そうね」
「ナンが恋したなんて、誰もブグゥッ!」
※
測定は、まだ終わっていない。
人は死ぬまで、恋愛感情の測定は終わらない。
地面に着地しても、沼に沈んでも、強い力が投擲物を吸い上げる。
今の私の鉄球は、ふわふわと宙に浮いている。
包帯男の魅力によって。
日本とアメリカの違いに苦労させられた作品です。
テキサス州のモットーは、偶然知りました。行き当たりばったりで書いて、自然を意識して強引に辻褄を合わせる……。
そりゃ9000文字に一ヶ月かかるよ(´;ω;)