school(著者 パン×クロックス)
僕は基本的に甘いものが苦手だ。ケーキを食べる位なら、焼き鳥を食べたい。オレンジジュースを飲むくらいなら、カレーを飲みたい。甘いもので太る位なら、しょっぱいもの食べて高血圧になって、脳梗塞になって死にたい。
そんな僕にも好きな甘いものがある……チョコレートだ。
受験の時も〝お腹がへったら〟のピーナツヌガーチョコバーとブラックコーヒーが昼飯だったし、濃い緑茶を飲む時にも、偶に薄いブラックチョコレートを食べたくなる。
それになにより、時々強烈にあの黒い板に噛り付きたくなるんだ。
一枚食べ終わるまで無言で〝ボリボリボリボリ〟頭蓋骨を咀嚼音のみが支配する世界。カカオ豆の香りに包まれた僕は、チョコレート・トリップーーアルコールも、ドラッグもいらない。チョコレートのもたらすアドレナリンの分泌で、チョコレート・ハイになって浮世のウサを晴らす。
そんな僕に魔のシーズン〝バレンタイン・デー〟なる降魔が時が訪れる。
その期間にチョコレートを買えるのは女子のみ。男子が買う=チョコレートを貰えない寂しい男の見栄、的な意識が働いて、とてもじゃないが小心者の僕には買うことが出来ない。
今年も気づけば二月になっていた。毎年買い溜めておこうと思うが、正月に浮かれて過ごす内に、気づけばSBT(すげー昔にいた、バレンタインだかなんだか知らないファック野郎にかこつけて、誕生日でも無いのに女子がチョコを独占する厄日)がやって来て、聞いてもいないのに、ニュースでも今年の流行チョコの話題なんぞをながす。
全く迷惑な話だ。なんだか入手しずらくなった途端に、無性にチョコレートが食べたくなってきた。
県内の高校に向かう電車の中でそう思い始めると、いてもたってもいられずに、降りた駅のコンビニに入る。お菓子のコーナーに行くと、お気に入りの板チョコが……あった! 喜び勇んで手を伸ばしかけた時、サッとそのチョコレートを横取りされた。
夢中になっていたのと、イヤホンで音楽を聞いていたので、全く存在に気付かなかったが、女の子が手にとって、こちらを見ている。
小心者の僕は相手を確認する事もできずに、何も無かったことにすると、クルリと身をひるがえして足早に立ち去った。
ドキドキと脈打つ心臓、他から見たら真っ赤な顔は、風邪でもひいている様に写るかもしれない。実際に道行く人は、勢い良く歩く僕を避ける様に道をゆずったーー
お昼休みの後半、僕は一人ベランダでスマホの音楽を聞いていた。その肩をトントンと叩かれる。
振り向くと、同じクラスの香取小花がポケットに手を突っ込んで睨んでいた。
「え?」
片方のイヤホンを取ると、意味の分からない俺は、間抜けな声をあげる。
「これ」
ポケットから手を抜いた香取が、その手を脇腹に突き刺す。
「いてっ!」
硬質な物を感じた僕が見下ろすと、そこには板チョコが突き刺さっていた。
「逃げる事は無いでしょ、あれじゃ私が悪いみたいじゃない」
そう言ってチョコをグイグイ押し込んでくる。僕はそこで初めて朝の女の子が香取だと分かって、
「ゴメンゴメン、顔見てなかったんだ。恥ずかしくてさ……」
またも恥ずかしくなって、真っ赤になってしまった。それを見た香取は始めて、
「ふ〜ん、なら許してあげる」
というと少し口角を上げた。クラスでも中々人気がある彼女が笑うと、天使の様にあどけなくなる。中々人気止まりなのは、無愛想な態度と、何を考えているか分からないせいだ。
「それ、ニルバーナでしょ、ファーストアルバム。古いの好きなんだね」
と言って僕のスマホを指差した。
『ニルヴァーナだよ』
と思いながら、
「うん」
と答える。バだろうがヴァだろうが、まあどっちでも良い。
「その何曲目かに、スクールってあるでしょ? 高校の歌」
言われて『はてな?』と思いながらも、
「うん……」
と曖昧に答える。昨日知ったばかりとはとても言える雰囲気ではなかった。
「あの歌詞の意味って何だろうね? 知ってるだろ、俺の運。高校に逆戻りしろ、それがお似合いだって繰り返す歌詞」
言われて咄嗟に、
「グランジロックに意味なんて無いよ、ただその実在感が意味なんだ」
僕が音楽サイトの受け売りを語ると、
「うえ〜っ、生意気!」
軽く脛を蹴られた。そして、
「それ、あげるよ」
手に残された板チョコを指さすと、クルリと身をひるがえして去っていった。
後に残されて呆然とする僕。だがこの日から、SBTはセント・バレンタインという言葉に変わった。