どっちにするの?(著者 maruisu)
「あのさ、チョコレート食べるのやめたら?」
「明日はビターよりもミルクだな」
それがいつもの私たちの会話。
彼は毎日チョコレートを食べる。そのために毎日チョコレートを買う私。
「ほんとにチョコレート好きだよね」
呆れたように言うと、彼は頷く。
「もう癖みたいなもん?」
笑いながら疑問形で言われても、そんなものは知らない。
「ねえ、今年のバレンタインデーはチョコレート以外の物プレゼントしてもいい?」
来年は違う学校に進学する私たち、今年が高校生最後のバレンタインデー。だから今年こそは自分で選んだプレゼントをもらってほしい。
「えー! 今年もチョコでいいじゃん。俺、チョコ好きだし」
巻いているマフラーを口元まで引き上げると、一言そう言う。
「それは知っているけど」
「じゃあいいじゃん。チョコレート以外の物なんて、考えるのも面倒だろ? 俺はチョコもらえたらそれで幸せ」
そりゃ、君はそうかもしれないけど……。でも、私はそうじゃない。
違うものをプレゼントしたいんだ、今年こそは。
だけど結局、それ以上の反論が思いつかずその話は結局そこでうやむやになった。
でもね、知ってるんだから。チョコレートの食べ過ぎで、ちょっとおでこにニキビが増えたこと。それを気にしていること。それに太ってきてるのだって知ってる。去年よりも絶対、体重ふえてるよね?
でもって、それを気にして甘味料入りのカロリーオフのチョコレートに変えたせいで、お腹壊していることも知ってる。それって絶対カロリーオフだからって安心しすぎてチョコレートを食べ過ぎてる。なのに絶対チョコをやめない。
隣を歩く彼を見ながら、聞こえないようにため息を吐いた。
彼氏だからカッコ良くなってほしい――って気持ちももちろん多少はないわけじゃないけど、それ以上に、チョコ好きだとカロリー取り過ぎだし、虫歯にだってなるし。あんまり体に良くないんじゃない?
いっつもそう言うけど、軽く受け流す彼。
好きになったらそればっかりになる彼。だから他の物にも少しでも目を向けてほしいのに。
「何だよ、俺がチョコレート好きだからってお前に迷惑かけてないだろ?」
あんまりにもチョコレートを否定しすぎたせいか、彼がむっとする。
迷惑は掛かってない――チョコレートを買っておくのだって私が好きでやってるわけだし。私が買わなくなったら、彼は自分で買うだけだ。それにチョコ食べたからって私に害があるわけじゃない。
だけど……。
「……迷惑じゃないけど……。
確かに迷惑かけられてはないけど……。
でも、いやなの!
私、知ってるんだから!
君がチョコレートを好きなのは元カノのことが忘れられないからでしょ?
先輩、チョコレート好きだったもんね!
そんなにチョコレート……ううん。彼女の方が良ければ、別れてあげるよ! さよなら!」
「え!? ちょっと待て! ――おい!!」
持っていたチョコレートが入っていた袋を彼に思いっきり投げつけて、その場を走り出した。
昨日はバレンタインデー。
受験も終わり、私たちは久々に昨日デートをするはずだった。それなのに、ドタキャンされたのだ。
先に受験が終わるまで勉強を頑張ろうと言ったのは、彼の方だった。クラスメートだったから、教室で顔を合わせるときだけがまともに彼と会話できる時間。休み時間には他愛もない話をして、私が買ったチョコレートを食べる彼。受験が終わるまでは――そう思って放課後のデートも休みの日のデートも我慢してた。
それがようやく受験が終わり、ようやくデートできると喜んでいたのに。
でも、おじいちゃんが倒れて入院することになったなら仕方ない。お見舞いよりデートの方が重要なんてこと、口が裂けても言えないし。そう自分に言い聞かせてようやく気持ちを落ち着かせた。
それなのに、昨日の夕方友達から聞いたのは、ショックな一言だった。
あんたの彼――さっき、元カノ――あの先輩と歩いてたよ。
彼の元カノは、私と彼と同じ部活の先輩だった。
はじめ先輩と彼がつき合っていたんだけど、先輩が卒業してしばらくして、彼と別れたとうわさを聞いた。それで私の方から彼に告白して、つき合うようになった。振られて傷心だった彼の心の隙間に入り込んだような、そんな横から掠め取るような成り行きだったけど、オッケーをもらった時は天にも昇る気持ちってこういうことを言うんだって思えた。
つき合って一年と少し。三年になったら受験を理由にデートはなくなっていたから、恋人らしいことをしたのは二年生のうちのほんの半年だけ。
それなのに、別れたはずの先輩とは休みの日に会ってたんだ。
友達が親切に写メを取っていて、それを見せてもらったら間違いなく彼と先輩だった。
この先輩がチョコレートが好きで、部活の時によく食べていた。彼女と付き合い始めて、彼はチョコレートが好きになった。
だから私はチョコレートなんて、大嫌い。
私にはバレンタインデーの朝に電話をかけてきて、おじいちゃんが倒れて病院に行かなきゃいけないから、月曜日に放課後デートしようって。その時チョコくれたら嬉しいって言ってたのに!
それなら仕方ないって我慢したのに。
先輩とは平気で休みの日も会うんだ!?
彼にチョコレート入りの袋を投げつけて、泣きながらどうにかやっと家までたどり着き、部屋に閉じこもって泣いていたら気がついたときには眠ってしまっていた。
ふと点滅するライトに気がついて隣を見ると、着信を知らせる青いライトが点灯したスマホが投げ出されていた。手に取ってみると、着信とショートメールが山のように届いている。
全部、彼からだった。
電話をかけようか迷っていたら、着信音が響いた。真っ暗になった部屋に明るく光るスマホの画面で、目が痛い。画面を見ると彼の名前が書いてあったから出ようかどうか少しためらったが、出なければまたかかってくるだろうから、とりあえず出ることにした。
「今までなんで電話に出なかったんだよ!」
通話ボタンを押した途端に勢い込んだ彼の声が聞こえてきた。だって、とか言い返そうと思ったけど、あまりに彼の言い方が一方的だったからカチンときた。
「……知ってるんだから、元カノと会ってたこと」
一回深呼吸してから、電話口で呟く。
思い出したら泣き出しそうになった。そうだよ。ずっと我慢してたんだ、私。
「――それは! 先輩とはたまたま会ったんだよ。お互い懐かしいねって少し話しただけだよ。
それにあの人、彼氏いるし、ホントにたまたまだよ」
「あの人……!? そんなふうになれなれしく元カノのことよばないで!」
「元カノって、お前の先輩でもあるじゃん。っていうか、なんでお前昨日のこと知ってるんだよ!?」
「もう卒業した人だよ!?」
「……そうだけどさー。何? お前がいたら元カノと偶然会っちゃいけないの? 顔見た途端、逃げ出さなきゃいけないわけ?」
私の剣幕に、電話口の向こうで呆れた声を出している彼。
「……そういう事じゃなくて。なんで言ってくれないの? 私のこと、好きじゃないの?」
「だから、なんでそう話が飛ぶんだよ!?」
「だって、私たち三年の春から受験だからってまともにデートもしてない。教室で会うか、メールのやりとりだけじゃない。そんなの、付き合ってるなんて言えない!」
「だから、これからだろ? 受験終ったんだから」
「そう思ってたのに……受験が終わった初めての日曜日、先輩と会ってたんでしょ!?」
「そうやって、怒るだろ!? だから言えなかったんだよ!」
「嘘! ほんとはまだ、彼女のこと忘れられないんでしょ……だから……」
「――! そんなことあるわけないだろ? そう言う風に疑われるのが嫌だから、言いだせなかっただけだよ!」
二人ともいいたいことだけ言って、全然かみ合ってない会話。まるで今の私たちみたい。これ以上押し問答を続けても仕方ないと、ため息を一つ吐いた。
「――わかった。じゃあ、信じる」
あっさりそう言うと、彼はえ? と声を上げていた。
「……いいよ、信じるよ。今回は。せっかくのバレンタインデーのやり直しだったんだから。
だけど、その代わりにさっきあげたバレンタインデーのプレゼント、好きな方を選んで。
その後、どうするか考えるから。とりあえず喧嘩はお預け」
それだけ言って通話を切った。耳から離したスマホから、彼の声がまだ聞こえていたけど気にせずに通話を終了させる。そう。せっかくプレゼントしたんだから、ちゃんと食べてほしい。
彼に投げつけたバレンタインデーのプレゼントの袋の中には、箱が二つ。
一つはチョコレート。
もう一つには私の好きなもの。
※ ※ ※
「……こんなことになってしまって。あの子、ついこの間まで元気だったのに」
ハンカチで涙をぬぐいながら、彼のお母さんが呟く。ぼうっと遺影を見上げて、思い出したようにハンカチを目元に当てている。
「私も、まだ信じられません……」
おばさんの言葉に、私も軽く頷きながら目を伏せる。それから悲しい顔を作って遺影を見つめる。そこに写っているのは、私が好きだった最後の試合の時の集合写真の彼の笑顔。みんな悲痛な顔をしている中、彼の遺影だけが笑っている。
お通夜の席で一通り焼香が終わり、おばさんは人気の少なくなった部屋でずっと彼の側にいる。雰囲気は暗く重いのに故人を見送る祭壇だけがやけに明るくて、お線香のにおいが独特の雰囲気を醸し出していた。
悲痛な顔のおじさんとおばさんを見るのはやっぱり辛かった。
「あの子、バレンタインデーのチョコレートをあなたからもらって喜んでいたの。
やっとこれからみゆちゃんと遊びに行ったりできるって、喜んでいたのよ……。それが、こんなことになるなんて」
わっとおばさんが泣きだして、それを見た彼のお父さんが慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「……あの日、けんか別れしたんです。それで、仲直りにってチョコを……。
最後のプレゼントを、彼……」
私もおばさんのように顔を覆って、涙を流す。
「みゆちゃん、ずっとあいつと仲良くしてくれてありがとう。あいつも最後にみゆちゃんからプレゼントをもらえて喜んでいたんじゃないかな。あいつの机の上には、空いたチョコレートの箱があったんだよ。大切に食べようとしたみたいで、一粒だけなくなっていた……」
おじさんはそう言うと、悲しそうに俯いていた。
「圭吾、チョコレート好きだったから、みゆちゃんのチョコレートを一つでも食べられてよかったんじゃないかな」
そうですね……。そう返事をした私は、涙が溢れそうだった。
そう、彼はチョコレートの方を選んだのだ。
私はあれだけ言ったのに。
チョコレート食べるのやめたら? って。
好きな方を選んでって。
私は彼の遺影を見つめる。
彼に渡したバレンタインのプレゼントの袋に入れたのは二つ。一つはチョコレート。一つはクッキー。
もし彼が私の話をちゃんと聞いていたら、もしくは元カノへの思いを断ち切ってチョコレートを食べることをやめようと思ってくれたら、彼は死ぬことはなかったのに。
もしも彼女じゃなくて私を好きなら、クッキーを食べてくれると思った。
クッキーだったら、私のことをちゃんと見ていてくれた証拠。
でも、もしもチョコレートだったら――彼は先輩が忘れられない証拠。
チョコレートの中には、トウゴマの種をすりつぶしたものを混入してあった。少しなら食中毒のような症状が出るだけだけど、大量に食べたら死に至ることもある。でも、彼は私が好きだから絶対大丈夫。そう信じていたのにね。
残念。
※ ※ ※
やっぱり、ミユは俺の好きなものをわかってる。電話を切った後、机の上においたプレゼントの袋を開けた。中には、チョコレートの入った箱とクッキーの入った箱。俺の好きなものとミユの好きなものだ。
どっちから食べようか。チョコレートは一人で食べて、明日ミユとクッキーを食べるか。
そういえば、ミユはこの頃俺が太ってきたからチョコを食べるのをやめたら? って言ってたっけ。これを機に、チョコ断ちでもするか。ミユの手作りチョコが最後のチョコ――それもいいな。
そして俺は好きだったチョコを一口食べた。