鋼鉄処女の恋人(著者 caster5mg)
季節――二月。
時――昼休み、序盤。
場所――高等学校、男子トイレの中。
平素何かと行事の多い学園生活だが、それとは別に、年に二回程、頭の中が桃色な人種達によって行われる学園行事が存在する。
――そう、『クリスマス』と『バレンタイン』だ。
教師達も関与できないこの行事は、上記で述べた前頭葉まで桃色人間達の手による『非リア充狩り』と言っても遜色ない。
そして、今日はその内の一つ。『バレンタインデー(非リア充狩り)』だ。
格差、というものはどこにでもあるもので、今トイレの中で優雅に焼きそばパンを食べ終えたばかりの僕は、圧倒的に狩られる側の人間だった。
教室はおろか、廊下、図書室、パソコン室、下駄箱、果ては職員室でさえ、桃色ハンター達に依るヒューマンハンティングが行われている学園内で、唯一見つけた安全地帯がこのトイレの中だった。
なので、僕個人の名誉の為に言っておくが、決して、いつもトイレで食っているわけではない。たまにしか食っていない。週二くらいしか食っていない。
空になった焼きそばパンの袋をくしゃくしゃと丸めた後、先ほど購買部で買ったレモンティーのパックにストローを刺す。そのまま、食後の一服を楽しもうとした時、トイレの中に誰かが入ってきた気配がした。耳を澄ませば、顔もわからない人物は、隣の個室のドアを開ける。
……ここで、素人なら『飯食ってる時に隣でトイレなんかしてんじゃねえよ』などと思うところだろうが、トイレ玄人の僕は違う。ここは、用を足すところです。
分別をわきまえている僕カッケーと思った後は、何事もなかったかのように、隣の音をバックグラウンドミュージック(クラシック)代わりに、優雅な食後の一服を再開し、トイレを去った。
季節――二月。
時――昼休み、中盤。
場所――中庭。
トイレから出ても、まだ昼休みは余っていた。
相変わらずの桃色空間による、恋愛ゾンビ達が横行する校内は、もはやバ〇オハザードである。
少し外の新鮮な空気でも吸おうと思い、中庭に出てみると、雨が降っていた。天気でさえも僕の居場所を奪おうというのか。
肩を落としたままUターンして、次なる安息の地を見つけようとした時、ぽよん、と柔らかいものにぶつかった。
「キミ、1ーDの和光くん?」
聞きなれない、くねくねした発音が耳に入り、そこにいる人物が自然、視界に入る。……誰だ?
聞きなれない発音の人物は、見慣れない人物でもあった。だがその容姿から、今まで関わった事が無いであろうというのは、理解できた。薄く化粧をした顔に、少しカールのかかった茶色の髪。豊満に膨らんだ、二つの山が作られたシャツの袖を捲くりあげ、右手首にはシュシュが二つ付けられている。何で持ってきたのかよくわからないカーディガンを腰に巻きつけ、極めつけは、スカートを短く履いていた。簡単に言えば、イケイケな格好をした女史です。
一瞬、自分が話しかけられたのかわからず、後ろ左右を確認したが、誰もいない。それどころか、そのギャル子は僕の顔を見ていたので、思わず視線を外す。
「……いえ、違います」
かろうじて出た言葉がそれだった。
「名札書いてあんじゃん」
ぐっはぁ。しまった、いつもは本名を晒さない僕カッケーと思い、名札を外しているのだが、今日に限って、さっきすれ違った教師に注意されて名札を付けてたんだった、ぐっはぁ。
「ちょお待ってー」
脈絡なくスマートフォンを取り出し、何やらいじり始める。胸に付けている名札の色を見る限り二年生のようだが……それにしても大きい。そういえば、さっき振り向いた時、何か柔らかいものにぶつかった気がしたんだけど……。
なんて考えている間に、そのギャル先輩の後ろから同種のギャル先輩二名が走ってきた。なるほど。仲間を呼びやがったのか。いや、勘弁してください。死んでしまいます。
「おーい、みっけた?」
「んー、いたいた。これー」
人をこれ呼ばわりした先輩は、逆手に親指を差す。後から来たギャル先輩二名は、僕をまじまじと見始めた。
「ふーん。これが……」
どいつもこいつも人を『this』呼ばわりしやがる。僕の知らないところで流行っているのだろうか。それとも、文字通りディスられているのだろうか。
「あの……あにか御用でしょうか?」
久しぶりに学校で喋ったので噛んでしまった。だが、先輩達に意図は伝わったらしく「あーそーだ」と切り出し始めた。
「ちょっときて。ぶちょーが呼んでっから」
はい?
脈絡のない発言に形而上のハテナが浮かぶ。
この人、主語とか述語とか習っていないのか? あれか? たまにネットとかで見かける日本語の通じない日本人なのか? それにしては、何で倒置法とか使っているんだ?
「それは、なんで」
「あぁ、そういうのいいから。ほら、行こう」
返答も待たず、遅れてきたギャル先輩二号機が腕を組む。おい、やめろ。ちょっとドキドキするだろうが。
「ちょ、ちょっと! 良くないですって」
このまま流れに身を任せるところだったが、踏みとどまる。こっちにだって都合がある(ような気がする)。というか、もしこれ以上女史が増えたら、精神的に疲れる。
「なんでー、女の子に囲まれるんだよ? 男子的においしくね?」
「いや、こっちにだって都合があるんです」
「やだー、頭かたーい。女の子が呼んでんだから、素直に付いてくればいいのにー。ひょっとして童貞?」
はぁ!? どどどどどddddっ、童貞じゃねーし!! いや、ていうか、高一でそんな色恋沙汰に目覚める程爛れた生活送ってないだけだし!! 何を言い出しやがるんだこのク○ビッチ共は!!
……クールダウン。少しクールダウンしよう。たかが一年産まれたのが早い先輩達に熱くなったようじゃ、漢としての程度も知れている。地球にも良くない。ふーっと息を吐いて、冷静な自分を務めた。
「HAHAHA、そんな事どうだっていいじゃないですか。嫌だなぁ。あのですね? 付いていくのは吝かではないですよ? でもですね? ここで要件だけでも、せめて、その部長さんは何部の人間なのかだけでも教えてくれてもいいと思うんですよ。それは、人としての礼儀ではないでしょうか?」
言ってやりました。心の中で自分に拍手を送り、その声援に応える。
ありがとう! ありがとう! みんな、今日は本当にありがとう!
「うわー、何かいきなり口調が変わりだしたんですけどー。童貞っぽいー」
「えー、やっぱ童貞なんだ」
「そういえば、何かそんな気がしてたんだよねー。ふいんき? なんかそんな感じのやつがー」
「うそー、そういえば、話し方とかそんな感じだったよねー」
「二人ともやめなよー、童貞くんの事、和光って言うのー」
受取人は不在でした。ファック!!
「まぁ、とりあえずきてー」
「あ、ちょ……」
今度はもう一人の先輩からも、空いている反対側の腕を組まれた。成す術を失ってしまった僕は、そのまま、謎の部の面々に連れて行かれる事を余儀なくされる。
季節――二月。
時――昼休み、終盤。
場所――謎の部室。
いきなりギャル先輩方に連行された僕は、目的地を告げられることなく、とある部室に入れられた。空間だけがやたら広く確保された教室の窓辺には、先ほどのギャル達とは、風貌の違う女史が一人、窓辺に佇んでいた。
「つれてきたよー、落葉ぶちょー。じゃあ、あーしら、先に教室行ってるからねー」
ガンッ。ドアが閉まる。
お礼を呟いたその窓辺の女史は、ゆっくり振り向いた。――その姿に、息を飲む。
可愛い、否、整った顔立ちの女の子だった。クリクリとした目から伸びる鼻筋は、すっきりと高く、細く白い頬に挟まれた唇は、薄く、艶を帯びている。先ほどの女史達と違い、制服はしっかりと着ており、肩には艶やかな黒髪がかかっていた。
雨の降る窓辺に立っているせいか、その表情に、仄かな憂いを落とす。ある種の、神々しさがあった。
「お待ちしていました」
微笑みを添えた、瑞々しい声が耳に入り、思わず見とれていた僕は我に返る。
「……あの、」
(僕は何でここに連れてこられたんですか?)
そう聞いていいものか。ありふれた言葉で言えば、美少女である、女史の前にいきなり立たされた僕は少し怯む。
ここに着く前は、その部長と呼ばれる人物に文句の一つでも言ってやろうと思っていたのだが。
「? 何でしょうか?」
少し小首を傾げる姿も、また可愛い。
――この先輩の事は、知っていた。というか、この学校に在籍しているならば、嫌でも目に入る。名前は『落葉 千仍子』
一つ上の先輩だ。その美しい容姿に惹かれ、告白する人物は後を絶たないが、その全てにおいてあまり良い噂を聞かない。通称、鋼鉄処女という禍々しい異名まで持っていた。とても先ほどの先輩(笑)と同じ年に産まれたとは、到底思えない。
「あの、和光さん?」
「ひゃいっ!」
声が裏返った。恥ずかしい。あぁ、落葉先輩もキョトンとしている。
「ひょっとして、先ほどの方々から何も聞いてませんか?」
「あ、と、連れてきた先輩達ですか?」
「えぇ」
「あ、えーと、聞いて、ないです……」
「やっぱり……」
溜め息を零す。
何かしら、手違いがあったのだろうか。ひょっとして、連れてこられて「あなたじゃないです」とか言われるんじゃないだろうか。
違う心配でドキドキと高鳴る鼓動を抑える。先輩もまた、胸を抑えて、「落ち着け、がんばれわたし……。わたしがんばれ……。がんわれ…………あれ?」と呟いていた。
やはり、何か言いにくい事を言い出すつもりなのだろう。うわぁ、帰りたい。前倒しで泣きたい。
しかし、逃げ出すわけにもいかず、先輩の次の言葉を待つ。……その時間が、長く感じられた。
「……あ、あにょ!」
「……」
あれ? 今噛ん
「あの!」
――だと思ったらテイクツーが始まった。今のは聞き流そう。うん。
「は、はい」
ともあれ、身構える。どんな言葉が来ても凹まない、鋼の心を持って。
先輩はポケットから何かを取り出す。それは、ピンクの包装紙に包まれていた。可愛らしくラッピングされたそれを、僕に差し出す。
「これ、こ、あの、どうぞ!」
「えっ」
言葉ではなく、物が来た。訝しげに、警戒心は解かないままに、その包みを受け取る。
「……開けてもいいんですか?」
頷きで返される。
お言葉に甘え、僕はその包みを剥がした――。
季節――1年後の二月。
時――放課後。
場所――サ〇ゼリア。
「どうだった?」
喜々としている落葉先輩に「どうもこうもないです」と切り返した。
「そもそも、伏線が回収できてないですし、ギャルを登場させる必要はないですし、オチは丸投げですし、何か先輩無駄に美化して書いてますし、何より僕はこんなに卑屈じゃないです。トイレで飯食った事なんて無いです」
3……20回ぐらいしか。
「えー、何か伏線あったっけ?」
「ほら、結局何部なのかとか。あと、その、何で先輩が……」
「んー?」
「……こんなにアホな文章しか書けないのかとか」
「がーん」
うわ、リアルで「がーん」とか言ってるこの娘。
「えっとね、それはね『続きはウェブで』みたいな」
ウェブにはねえよ! もったいぶらないで作中で説明しろよ!
「はぁー。一応、演劇部の次の台本なんですから。説明するところはしましょうよ」
「んん……和光くんが言うなら……」
先輩は、少ししおらしくなる。……少し言いすぎたか。
「入学式の時には、あんなに優しくしてくれたのに……」
「待ってください。その言い方は、絶対に他所ではしないでくださいね? 正しくは、『入学式に転んで、歩けなくなっていた先輩を保健室に連れて行って介抱した』ですよね?」
背もたれに身体を預ける。僕の言葉などもはや聞く由もなく、台本の修正に取り掛かっていた。
頼んでいたコーヒーカップを手に取り、口を付ける。
……かくして、僕もまた、頭の中桃色人間の一人になってしまったわけだ。恋愛をしている、というには、まだ二人の距離は離れているけれど、これはこれで悪い気はしない。
暇な時間を持て余した僕は、先ほど先輩から貰った包みを外し、中に入ったチョコレートを齧った。
甘く、ほろ苦い欠片が、舌の上で溶けていく。
本当は、……まぁいいや、来週話そう。
今は、少しだけ、この余韻に浸っていたい。
了