最後のバレンタイン(著者 halsan)
俺は彼女いない歴と年齢が一致するごく当たり前の高校1年男子。
小学生の頃は、バレンタインデーというのは、母と姉が、父と兄と俺にお揃いのチョコレートをくれる日だと思っていた。
中学生の頃に、女子が男子にチョコレートをプレゼントしながら愛の告白をするという日だと知ったが、3年間、告白されることはなかった。それに、俺が女の子を好きになることもなかった。それよりも仲間とワイワイやっているほうが楽しかったし。
が、高校入学後、俺の生活は激変してしまった。
俺は公立高校の受験に失敗し、いわゆる底辺高と言われる男子校の進学コースに進んだ。
制服はネイビーブルーのブレザーとグレーのズボンという、ごく一般的なもの。だが、この高校では学校の方針とやらで、私服での通学も認められていた。とは言っても所詮は男子高。華やかさなど皆無。
高校入学後、すぐに俺は生徒会に呼ばれた。
生徒会のドアを開けると、そこには男の俺から見てもイケメンの男子が2人いた。生徒会長は中央の椅子に座り、もう1人はその右に立っている。
「何かご用でしょうか? 生徒会長」
「マコトくんといったかな。まあ、座りなよ。右のソフトモヒカンは副会長だ」
生徒会長は美しく金髪に染められた髪を掻き上げながら、俺にそう言った。
「ところで、マコトくんは学校生活にはもう慣れたかな?」
「いえ、まだまだわからないことばかりです」
「そうか、そうだよな。当然この学校の習わしなど、誰にも聞いていないだろうな?」
俺は眉をひそめた。「習わし」という表現の胡散臭さもそうだし、2人が俺を見つめる目線も、なにか尋常ではない圧力を感じさせる。
「マコトくんはクリスマスイブとバレンタインデーについては、当然知っているよね」
生徒会長は微笑みながら俺に尋ねる。当然の質問に俺は無言で頷いた。
「クリスマスとイブとバレンタインに必要なものはなーんだ?」
生徒会長は俺をからかうように笑みを浮かべながら質問を投げかけてくる。
「七面鳥とチョコレートですか?」
「ぶー。外れ」
俺は小首をかしげた。すると、副会長の俺を見る目線がいっそう厳しくなる。しまった。なにか怒らせるようなことでも言ってしまったか。
「答えはね、か・の・じょ。わかったかな?」
生徒会長は俺をからかうように答えを返してきた。
「お言葉ですけど、俺は彼女ができたことはないですから、それはわかりません」
その言葉に2人の目線が一層厳しくなった。なんだ? 彼女いないというのはそんなに悪いことなのか?
「合格」
生徒会長が一言俺に放った。
「お前の小首をかしげる姿の破壊力はたまらんな」
ソフトモヒカンの副会長が、厳しい目線から一転して柔和な表情で俺を見つめながら小さく囁いた。
「じゃ、ちょっとこちらに来てくれるかな」
生徒会長は立ち上がると、隣の部屋に来るように俺に指示をした。
その部屋は生徒会室からつながるドアがあるだけで、廊下からは立ち入ることができない。
そしてその部屋にあったのは……。
豪奢な鏡台と様々な化粧品に色とりどりのアクセサリー。そして衣装の数々であった。但し、衣装は全て女性用だった。
立ちすくむ俺の両肩に生徒会長は手をかけ、耳元で囁いた。
「マコトくん、君がモテなかったのは、君が可愛らしくて女子からの嫉妬の対象になっていたからだと思うんだ」
「お前のくりっとした瞳も、薄紅の唇も、なめらかな白い肌も、この役割にふさわしい」
俺は嫌な予感がしつつも、生徒会長と副会長の2人に尋ねた。
「役割って、まさか……」
「生徒会書記だよ。別名『姫』だけどね」
俺の予感は的中した。
何でも、この学校は過去相当荒れていたらしい。特に酷いのがクリスマスイブとバレンタインデーだったという。ここは男子高。その2日とは無縁の学校である。それが彼らのフラストレーションとなり、彼らを街で暴れさせる原因となった。
そして事件は起きた。きっかけは、ある出会系サイトだった。
当時校内でも最強の一角と言われていた生徒が、バレンタインデーに出会い系サイトに引っかかった。
「今日暇している人、彼氏にふられた私を慰めてくださいな。チョコレートを用意して待っていますね」
腕っ節は強いが純情だった彼も、高校生の青い劣情には勝てない。彼は「騙されてもいいや」と自分に言い聞かせながら待ち合わせ場所に向かった。が、それは「騙される」というレベルのものではなかった。
それはある女子高生が不良仲間とつるんで仕掛けたカツアゲだった。
いかに腕っ節に自信があっても多勢に無勢。彼は殴られ、蹴られ、血まみれにされ、財布を奪われた。
「ばかみたーい」
耳に響いたのはメッセをよこしてきたブサイクな女の声。女は彼の財布から、彼が「もしかしたらの万が一のために」と、彼なりの誠実さで忍ばせておいたコンドームを指で摘むと、彼の横に投げ捨てた。
彼はアスファルトの冷たさを頬に感じながら復讐を誓った。
彼の復讐、それは女子高生の学校を襲撃することだった。
彼は数十名の仲間を引き連れ、女子高生が通う共学の高校を襲った。バットや木刀、鉄パイプなどを持った彼らは暴徒化し、その高校をめちゃくちゃにし、校長以下全ての教員を半殺しにし、彼を襲った男どもも、見つけざま殴り倒しボコボコにした。そして最後に彼を騙した女子高生を全裸にして逆さに吊るし、数十名で小便を掛けたのである。こんな不細工は犯す価値もないとばかりに。
この事件は教育委員会を震撼させた。当然彼らは処罰されたが、今後このような事件はあってはならない。
そうして紆余曲折を経てこの学校に作られた制度。それが『姫』制度。
「僕は2年前の姫、彼は去年の姫だよ。姫は2年になると男性の姿に戻り副会長、3年で会長となるのさ。最大の特典は某一流大学への推薦入学決定ということかな」
「推薦」という言葉に俺は誘われる。
「一年我慢すればいいのですか?」
「ああそうだよ、そのうち『我慢』じゃなくなると思うけどね」
生徒会長と副会長はくすくすと笑いながら俺に言った。
「それじゃ、明日からよろしく、『マコト姫』」
翌日から、俺は1時間早く家を出て、特別室で着替える生活が始まった。
俺はドレッサーの前に座る。生徒会長から、化粧品は生徒会費で購入するから遠慮するなと言われているが、正直化粧の仕方なんかわからない。ぐぐってみたけど、高校生にファンデーションは早過ぎるみたいだし、チークやアイメイクも難しそうだ。
俺は昨日の帰りにドラッグストアで買った、淡い色付きのリップバームをポケットから取り出し、自分の唇にそっと走らせてみた。そして鏡に顔を近づける。
「あれ? 可愛いぞ俺」
次は衣装。様々な衣装が掛けられているが、最初から派手な服装も良くないだろうと思い、グレーのスカートを手にとってみた。これは制服と同じ生地で作られたプリーツスカートというらしい。ひだひだがひらひらして可愛い。
俺は普段履きのトランクスからぴっちりとしたブリーフに履き替え、下半身のラインが出ないようにさらにタイツを履く。そしてその上からスカートを履いてみた。スカートの履き方は姉が目の前で着替えているのをよく見ていたので、やり方はわかる。トップはスカートの隣に掛けられていた一式を合わせた。
結局俺が身につけたのは、白のブラウスにネイビーのブレサー、首にはワインレッドのリボン。そしてグレーのプリーツスカートにブラックのタイツと、これもブラックのペニーローファー。一見、この高校の女子制服にも見える。
その姿で生徒会室に戻った俺の姿を見て、会長と副会長は「ほう」と溜息をついた。
その日の全校集会は歓声に包まれた。その歓声を独り占めにしているのは俺。自分自身の可愛らしさを鏡で知ってしまった俺は、皆に手を振って愛想を振りまいてみた。すると歓声が更に大きく響き、俺を包んだ。今日から俺はこの学校の『姫』である。
「『姫』は不可侵である」これが学校のルールだとのこと。
ただ、キャンペーンガールのようなものなのだろうか、オレは生徒会長の指示で、様々な先輩たちとデートを重ねた。相手は進学コースのトップだったり、サッカー部のキャプテンだったりした。デートは楽しかった。ある先輩の話は面白おかしく、勉強になり、時に涙を誘った。ある先輩が勧めてくれたスイーツはどれもおいしかった。ある先輩とは恋愛映画を見て、ともに涙した。
異性とのデート。それはオレ自身も夢に描いていたもの。但し立ち位置は反対だったが。
夏頃になると、衣装も薄着になってくる。
「姫、よかったら生徒会費で新しい衣装でも買いましょうか?」
「いいのですか?」
「ええ、特に夏物はサイズが重要ですからね。3人で出かけましょうか」
「はい、会長さま!」
その日は生徒会長と副会長、そしてボクの3人でショッピングモールに出かけた。
「あ、これはどうかな」
ボクが見つけたのは、淡いベージュのワンピース。横に飾られているブリムが大きめのストローハットとよく似合いそう。
「試着してみたらどうだい?」
ボクは会長に言われたとおり、試着室に向かった。マヌカンのお姉さんが笑顔で案内してくれる。
ボクはブラウスとプリーツスカートを脱ぎ、ワンピースを頭からすっぽりとかぶった。柔らかな布がふわりとボクのカラダを包む。そして生成りのストローハットを髪に乗せ、試着室のドアを開けた。
「どうかな?」
ボクは会長と副会長に似合うかどうか見てもらう。するとお姉さんが可愛いミュールを持ってきてくれた。
「素足なら、これがきっとお似合いですよ」
すると、生徒会長は即決で支払いを済ませてしまった。
結局ボクはこの姿で学校まで帰ることにした。生徒会長と副会長の間に入って、2人と腕を組みながら。2人の疾る鼓動を両腕に感じながら。
クリスマスイブは毎年講堂で開催される。このイベントはは自由参加だそうだけれど、今年は大半の生徒が講堂に集まったらしい。
「これも姫の魅力ですよ」
「ありがとう、生徒会長さま」
クリスマスイブは学校最大のイベントのひとつ。私は純白のドレスに身を包み、黒髪に小さなティアラを飾った。そして一段高い席に座る。ちなみに隣は空席。
「それでは姫、お願いします」
副会長の指示に私は笑顔で返し、席を立って右手にグラスを持ち、左手にマイクを掴んだ。
「学友の皆さま! メリークリスマス! みんな、愛してるわ! 乾杯!」
乾杯の後、皆は予め配られた整理券に従い、喧嘩をすることもなく私の隣に順番で座り、記念写真を撮り、私の右手の甲にキスをしていく。こうしてクリスマスイブの夜は、皆で幸せに過ごした。
最後のイベントは「バレンタインデー」。
入学した時はおかっぱだった髪もすっかり伸び、背に届こうかという。私は美しい漆黒の髪に産んでくれた父と母に感謝した。
私は髪をひっつめにし、三角巾を頭に結んだ。この部屋は衣装部屋のさらに奥にある、バレンタインデー専用の部屋。
私は3日前からこの部屋にこもり、ビターチョコレートを刻み、湯煎にし、クッキーを焼き、コーティングし、袋に入れ、メッセージを書き、リボンで封をする作業に没頭した。この頃には既に私は全校生徒の顔と名前と性格を覚えていた。それぞれの顔を思い浮かべながら、私の想いをメッセージにしてカードに書いていく。それは大変だったけど、楽しい作業だった。
バレンタインデー当日。全校生徒が講堂に集まる。
私は悩んだ末、この日の衣装を、最初に皆にお披露目したブラウスにリボン、プリーツスカートにした。ジャケットは着ず、タイツも履かない。その代わりに白のエプロンを身につけた。一見したら薄着の私。でも、講堂の中はとても暖かかった。
この日はクラス順、出席番号順に皆は私の前に訪れた。最初は生徒会長。
私は生徒会長にチョコレートクッキーの袋を渡す。そしてうれしいような、悲しいような複雑な表情で席に戻ろうとする生徒会長を呼び止め、その頬にキスをした。
思わぬ私の行動にいつもは冷静な生徒会長もあたふたした。可愛いわ。
「姫、これはやりすぎです……」
「大丈夫、皆にキスを贈るから」
私は一人一人にチョコを手渡し、頬にキスをし、耳元で囁いた
「ありがとう、そしてさようなら」と。
微笑むひと、泣きじゃくるひと、唇を噛みしめるひと……。
バレンタインデー。それは姫と皆との別れの日。
姫の役目はバレンタインデーを持って終了する。
私は部屋で、アクセサリーを磨き直し、新品の基礎化粧品を用意し、衣装を整えた。既に生徒会長はおらず、隣の部屋には副会長のみ。最後に私は1年間向かい続けた鏡の前に腰かけた。
鏡に映る私を見つめる私。
涙が止まらない……。
1年間の思い出が涙となってあふれ続ける……。
しばらくの後にノックの音。
「マコト、大丈夫か?」
副会長は既に私を姫とは呼ばない。
「大丈夫です、カオルさん。ボクは大丈夫ですから」
私は新会長に声を振り絞り、ドレッサーから立ち上がった。そしてドアに向かう。
ドアノブを掴んだ私は振り向き、鏡に映る自分自身を改めて見つめる。そして最後の言葉。
「さようなら…… 『私』 」
「何かご用でしょうか? 生徒会長」
「ヒカルくんといったかな。まあ、座りなよ。右の黒髪ちょんまげは副会長だ」
生徒会長はソフトモヒカンの髪を撫で付けながら、彼にそう言った。
新しい一年が始まる。