『雨ニモマケズ』を宮沢賢治記念館で読んでみよう!
そしてお腹が満たされた事で、宮沢賢治記念館へ!
宮沢賢治の直筆原稿、チェロなどの私物、描いた絵などの展示、そして宮沢賢治の一生を追いつつ、彼が何に興味をもっていた天文学、地質学、音楽、農学といった多方面から掘り下げてみせてくれるそんな場所で、内容は濃くウッカリするとここで一日過ごせるそんな記念館。宮沢賢治好きならここで御飯三杯どころか、三食三杯いけるくらいの美味しさ。
やはり肉筆原稿で改めて読む宮沢賢治の文字には、言葉にならないパワーがあります。『永訣の朝』など読んでいて私は涙を流してしまいました。
この記念館の展示物はドレも魅力的なのですが、改めて見て頂きたいのは『雨ニモマケズ』の肉筆ノート。コチラの文章は、あくまでも宮沢賢治が自分に向けて書いたもの。だから人に発表するつもりもなく殴り書きで書かれたものが死後発見された事もあり、文章の中に二つのミステリーがあったりします。また病床で書いた為に漢字が少なく病人が最も書きやすいカタカナを中心に描かれている事で、その解釈が割れ、現在出版されているモノでも複数の異なる表記をされている所があります。
一つは、浮いてしまった『行ッテ』という言葉。何処かにいれようとして、朱記で上に別記してあるのですが、その言葉を何処に入れれば良いのかが未だに謎である事。
東西南北の北の文章だけ何故か『行ッテ』の言葉がなく、そこに入るのではないかという説が有力ですが、基本は北だけは『行ッテ』なしで活字となっていますが、詩集によっては先に『行って北に』となっているものとかも出てきているようです。
二つ目は「『ヒデリ』ノトキハナミダヲナガシ」の『ヒデリ』。実は元々は『ヒドリ』と書かれています。しかしこれは書き間違いで『ヒデリ(日照り)』であろうとそのように変更になっている印刷物が殆どです。しかし本当に書き間違えたのか? 『ヒドリ』であっているのでは? と唱える研究者も多くいます。
そして『ヒドリ』であるとどういう意味になるのか? 最も有力なのは『日雇い労働者』の意味。私がコチラではないかと思っている説は岩手弁で訛った『独り』の意味であったというもの。皆様は改めて『雨ニモマケズ』の詩を見つめなおして、ここで賢治の想い感じてみては如何でしょうか?