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story1 幸せの青い鳥

 ロンドド郊外には、茶色い建物がある。三階建てのその建物は、モダンな造りになっており、茶色の煉瓦と白い煉瓦を組み合わせた壁には、所々に蔦が絡み付いていた。

 正面から見て、窓は九つ。ひとつの階ごとに三つだ。一階には明かりはついておらず、人の住んでいる気配というものがまったくない。その扉の右側に階段があり、一階から入らずとも、二階、三階へと直接行けるようになっていた。階段が一度途切れる二階には、明かりが皓皓とついており、その窓はすべて、大きく開け放たれている。

 フォームスン探偵社──二階の扉には、そうかかれた看板が、堂々と掛けられていた。

「今日もいい天気じゃないか。なあ、エリスン君」

 大きな肘掛椅子にゆったりと座った体勢で、男はパイプを吹かしながら、助手にそう呼び掛けた。緑色を基調とした、チェックの柄のスーツに身を包んでおり、ほとんど手を加えられていない金に近い茶色の髪が、窓から入る風に時折揺れている。黙っていれば美青年なのだが、口を開けばただの馬鹿という、なんとも惜しい逸材だ。名を、シャルロット=フォームスンという。この探偵社を仕切る、若き名探偵(自称)だ。

「あなたが天気を語るなんてめずらしいわね、シャルロット? 少しは外の空気を吸おうという気になったのかしら?」

 それに対して、随分と冷ややかな応えを返しながら、エリスンと呼ばれた女性は無造作にシャルロットにコーヒーを差し出した。自分の分の紅茶を手に、優雅に来客用のソファに腰掛ける。エリスン=ジョッシュ。柔らかい金髪が魅力の、見た目も中味もゴージャスな美女だ。住み込みで働くようになってから、ちょうど三年を迎える、有能な助手(自称)。

 探偵社といえども、そのメンバーは以上の二人のみだ。

 名探偵であり、社長でもあるシャルロットは、椅子の上からエリスンを見やった。

「相変わらず、君はおもしろいことをいうなぁ、エリスン君。外の空気など、今こうしている間にも窓から入ってきているではないか」

 とぼけているというわけではなく、どうやら本気でそう思っているようだ。笑みをたたえ、本当におもしろそうに、万年運動不足の名探偵はいう。

「はいはい、そうね、その通りね。あなたとまともな会話をしようだなんて思ってないから、安心してちょうだい」

「はっはっはっ、まったく、君はシャイだね!」

 話が噛み合っていない。

「ときに、エリスン君。私は先程から空腹を感じているのだがね。エリスン製アップルパイはないのかな?」

 至極偉そうに腰掛けたままで、シャルロットはそんなことをいいだした。エリスンは、あからさまに不機嫌そうに眉をひそめる。

「アップルパイ? どうしてあたしが、あなたの空腹のためにそんなものを作らなくてはならないのよ?」

「おや、おかしなことをいう。アップルパイ作りは君の趣味だと思っていたのだが、違ったかな? とにかく、私はそれが食べたくて仕方がない。今すぐ作ってくれたまえ」

 どこまでも尊大な態度だ。エリスンの、ティーカップを持つ指に力がこもる。

「シャルロット、あなたね、ここ数日仕事という仕事をしていないじゃないの。せっかく依頼の手紙があっても、読みもしないし。このまま赤字経営を続けていたら、その日に食べるものにも困るようになってしまうわよ。そんな情況で、そんな探偵に、どうしてあたしがアップルパイなんて作らなくてはならないのかしらっ?」

 パリンと、とうとうティーカップの柄が取れた。半年に一度開かれるエレレ市で手に入れた安物とはいえ、勿体ない。

「エリスン君、君は今日も良くしゃべるね。健康とは実に良いことだ、はっはっはっはっ」

「……っ!!」

 さわやかに笑うシャルロットの姿に、エリスンが殺意を覚えた、まさにその時だった。

 チリンチリンと、探偵社の中にベルの音が鳴り響いた。扉に備え付けられている呼び鈴が鳴らされたようだ。

「お客さまだわ」

「待ちたまえ」

 立ち上がろうとするエリスンを、シャルロットが遮った。

「たまには私が働くとしよう。接客など、お手のものだ」

 ゆっくりと歩き、扉へと辿り着く。廊下などはなく、フロアの壁にそのまま扉がついている造りなので、エリスンは座ったままで、その様子を眺めた。

 シャルロットは、極力扉に近づき、しかし開けることはなく、落ち着いた声音で扉の向こうにいるであろう来客に呼び掛けた。

「どちらさまかな?」

 エリスンの位置からは、客の声らしきものは聞こえてこない。

「ふむ」

 何事か頷いていたシャルロットだったが、ややあって、

「帰りたまえ」

 といって扉から離れた。

「……どうしたの? いたずら?」

「ああ、ひどいいたずらだ」

 軽く眉をあげ、シャルロットは肩をすくめた。

「どちらさまか、と尋ねているのに、ヒュイヒュイとしかいわない。まったく、ふざけたいたずらだな」

「…………」

 エリスンは、ゆっくりと目を瞬かせた。

「……ヒュイヒュイとしかいわないのじゃなくて、そうとしかいえないんじゃないのかしら?」

「おや、まるでそういった変り者の知り合いがいるかのようだね?」

「ジョニーさんだわ!」

 立ち上がり、エリスンはシャルロットを豪快に押し退けると、あわてて扉を開けた。やはり、自己完結型の馬鹿に接客などやらせるものではない。せっかく尋ねてきてくれた知り合いを門前払いとあっては、申し訳が立たないではないか。

 果たして、扉を開けると、そこにはたしかにジョニーがいた。真っ白で、真丸の身体をしており、人間の顔三つ分ぐらいの大きさの、生物学者に見つかればまず捕獲されるであろう奇妙な生物だ。エリスンの肩の辺りで浮遊しているその生物は、一見何も考えてなさそうな、そしてその実何も考えていない大きな瞳を輝かせ、

「ヒュィ!」

 と挨拶した。

 そしてそのまま、ふわふわとした身体をふわふわと浮かせ、室内へと入ってくる。

「ヒュィー」

「いらっしゃい、ジョニーさん。今日は一人なの?」

 話し掛けながら、エリスンは扉を閉める。かつて、とある事件で知り合ったこの生物は、それ以来、何度か探偵社に遊びにきていた。

「ヒュイー、ヒュヒュゥ」

「いや、悪いことをしたね、ジョニーさん。てっきりいたずらだと思ったのだ。まさか単独で現れるとは思ってなかったものでね」

「そうよね、めずらしいわよね。キャサリンさんはどうしたの?」

 キャサリンとは、ジョニーの飼い主(?)だ。

 ジョニーは、つぶらな瞳を宙にさまよわせ、それからエリスンを見た。

「ヒュイヒュィ、ヒュゥ。ヒュヒュゥ、ヒュイー」

 短い手を使ってジェスチャーしてくれているようだ。しかし、そんなもので言葉の壁は越えられない。

「とにかく、どうぞ、座って。今お茶を用意するわ」

 ナチュラルに話題を変えてみた。

「ヒュイ」

 ジョニーも、物事を深く追求する性分ではないようだ。

「おや、いけないな。良い天気だと思っていたのに、雲行きが怪しくなってきた」

「一雨くるかしらね? キャサリンさんも、あとから来てくれるんでしょうけど……大丈夫かしら」

「ふむ……どうやら、本格的に降りそうだな」

 肘掛椅子に座りなおし、パイプに火をつけながら、渋面でシャルロットはぼやく。寒さも遠退き、やっと暖かくなってきたかと思えば、近ごろの天気は変わりやすくていけない。

「ヒュィー……」

 ジョニーも、心配そうに窓の外を見る。そのうちに、いよいよ雨が振り出してきた。窓を閉めなくては、降り込んできそうな勢いだ。

 窓を閉めようと、エリスンが急いで近づく。すると、ピンク色のワンピースを着た女性が、道を走ってやってくるのが見えた。

「キャサリンさんだわ! やっぱり、雨に降られちゃったみたい。シャルロット、タオルを用意して」

「まったく、なんてタイミングの悪い雨だ……」

 しぶしぶ立ち上がり、シャルロットは備え付けの棚へと向かう。ちょっとしたタオルさえ入手困難なほどの財政難だが、そんなことはいってられない。

 シャルロットが、若草色のぶたさんタオルを棚から取り出した、その時だった。

「ジョォォーーーーーニィィィイーーーっっ!!」

 けたたましい叫び声と同時に、探偵社の扉を勢い良く勝手に開け放ち、ピンクのワンピースの女性が飛び込んできた。

「ああ、ジョニー、ジョニーはどこ!?」

 びしょぬれの客は、遠慮なく社内を水浸しにしつつ、大仰に部屋の中を見渡す。エリスン、シャルロット、ぶたさんタオル、と順番に見て、最後に、探し求めていた最愛の生物と目があった。

「ジョニー!」

 がばぁっと、ジョニーに抱きつく。この女性こそ、噂のキャサリンだ。

「ヒュィー」

「ああ、ジョニー、どうして……どうして、先にいってしまうの!? どれほど心配したか……!」

「ヒュイ、ヒュユゥ」

「いいのよ、いいの。そんな、謝らないで。あなたが無事だとわかっただけで、わたしはもう……」

 壮大な再会シーンを目のあたりにして、名探偵とその助手は顔を見合わせる。いつものこととはいえ、よくも飽きないものだ。

「……いらっしゃい、キャサリンさん。今日も、びっくりな登場ですわね」

 シャルロットの手からぶたさんタオルを取り、それを手渡しながら、エリスンは極力好意的に挨拶をした。キャサリンの歩いた軌跡が、水に濡れて光り輝いているのが、視界の端に映っている。

「あ、あら、わたしったら……すみません、ご挨拶もせずに飛び込んだりして……少し、興奮していたものですから。突然降りだしたこの雨が、私とジョニーとの間を引き裂くのではないかと気が気じゃなくて……!」

「ヒュゥ、ヒュィー」

「慰めてくれるの……? ふふ、ありがとう、ジョニー」

 どうやら、言葉の壁は存在しないようだ。

「……とにかく、キャサリンさん。あたしの服をお貸ししますから、どうぞお着替えになってください。このままじゃ、風邪をひいてしまいますわ」

「あら、すみません……じゃあ、お借りします」

 というわけで、キャサリンは、二階にあるエリスンの部屋へと一時移動することになった。もちろん、束の間の別れを惜しんで、ジョニーと涙なしでは語れない言葉のやりとりをするのも忘れなかった。


 応接間のテーブルには、アップルパイが四つと、コーヒーカップが一つ、ティーカップが三つ並んでいた。

 薄いブルーのブラウスと、白いスカートというさわやか姿に着替えたキャサリンは、いそいそとジョニーの隣に腰掛ける。アップルパイは、キャサリンが手土産にと持ってきた手作りの品だ。

「……良かったじゃない、シャルロット。あなたの大好きなアップルパイよ」

 皮肉たっぷりに、エリスンがそんなことをいう。シャルロットは驚いたように眉をあげた。

「おや、おかしなことをいうね。もちろん、わたしはキャサリンさんの作ったアップルパイは大好きだが、先ほどいっていたのは、君の作ったおよそアップルパイとはいえない、同じ材料を使用しているということすら疑いたくなるほどの、世にも奇妙な癖になる味を持つエリスン製アップルパイのことだ。ふむ、確かに少々ややこしかったかもしれないな。では、これからはエリスン製アップルパイのことを、エリスンパイと呼ぶことに……」

 エリスンは、ほほ笑みながら、ついうっかりシャルロットの足を踏み付け、ついうっかりその足をぐりぐりした。

「はっはっはっはっ」

 どうやらかなり痛かったらしい。いつもの笑いに覇気がない。

「さ! せっかくだからアップルパイをいただこうかしら」

「ええ、どんどん食べてください。まだまだありますから」

「ヒュイー」

 さっそくアップルパイを食べながらも、エリスンはこっそりとキャサリンの様子をうかがう。彼女が手作り菓子を持って訪れるというのは、イコール依頼があるということなのだ。しかし、月に一度は迷子になるジョニーも一緒だし、何かに心を痛めている様子もない。

「で、キャサリンさん。今日は、どんな依頼があるのかな?」

 誰よりも早くパイを食べおわり、あっさりとコーヒーも飲みおわると、若き名探偵は悠然とキャサリンに問い掛けた。菓子=依頼という法則をシャルロットが理解していたことに、エリスンは失礼にも深く感心する。

「そうなんです、毎回毎回あつかましいとは思うんですが、今日もお願いがあって参りました」

 カチャリとフォークを置き、キャサリンは、シャルロットの方へと向き直った。

「幸せの青い鳥というのを、ご存じですか?」

「もちろん」

「名前はね」

 同時に、社長&社員が答える。

 キャサリンは、心なしか表情をほころばせた。

「その青い鳥を、捕まえてきてほしいんです!」

「よし、いいだろう」

「……はい?」

 いとも簡単に安請け合いをした社長を押し退けて、エリスンはキャサリンの目を真っすぐに見た。

「……捕まえる、って?」

「ですから、幸せを運んでくれるという青い鳥を、捕まえてきてほしいんです。もちろん、お礼は致します」

「いや、そうじゃなくて……」

 一度窓の外を眺め、気持ちを落ち着かせてから、もう一度エリスンはキャサリンのその真摯な瞳を見る。

「あれって、物語でしょう……?」

「ええ、もっとも有名なのは、物語として語られている青い鳥ですね」

「ヒュィ」

 どうやら、彼女は真剣なようだ。

 エリスンは、何だか絶望的な気分でシャルロットを見やる。しかし彼は、いつもどおり、何の根拠もなく自信満々だった。

「この名探偵シャルロット=フォームスンに任せなさい。必ずや幸せの青い鳥を見つけだし、連れてきてみせよう」

「…………」

 幸せの青い鳥とは、物語上の架空の生物ではなかったか──そう思いながら、エリスンは釈然としない面持ちで首をかしげる。と、正面で、エリスンの真似をして首(身体全体)をかしげて(傾けて)いるジョニーと目があった。

 世の中は、不思議がいっぱいだ。

 ジョニーの存在によって、エリスンは多大に勇気づけられた気がした。

「幸せの青い鳥を見つけてほしいというのは……一体、どうしてですの?」

「もちろん、素敵に楽しい幸せを手に入れたいと思ったからです。ジョニーとの輝かしい毎日に、より一層暖かな光があふれればいいな、と思いまして。あ、青い鳥が生息しているという大体の場所はわかっているんです」

「ほう、それは心強いな。どのあたりにいるのかな?」

 キャサリンは、鞄から革制の手帳を取り出した。ぱらぱらとページをめくる。

「忘れないように、メモしておいたんですけど……あ、ありました。えっと、ロンドドの東側に、ディンドンの森がありますよね。その森の奥地──つまり、隣町へと通じる道が通ってない辺りです──で青い鳥を見たとの目撃情報が、多数寄せられています」

「……情報が寄せられるって……」

「なるほど、ディンドンの森か。そこならばそんなに遠くはないし、必ずや近いうちに良い報告ができるだろう」

「…………」

 エリスンは、深く考えないことにした。

「ぜひ、よろしくお願いします。楽しみに待っていますね!」

「ヒュユユ、ヒュィ〜!」

 キャサリンとジョニーは、同じ方向に小首をかしげ、にっこりと微笑んでお願いのポーズをした。


「……こんなところに、幸せの青い鳥なんているのかしら」

 ディンドンの森に辿り着き、さっそくエリスンは不平をもらした。あれから、雨もすぐにあがったので、二人でとりあえず森まで来てみたはいいのだが、それらしい気配はまったく感じられない。

「大体、目撃情報っていうのも疑わしいわ。キャサリンさんって時々おかしいわよね。ねえ、シャルロ……」

 振り返り、エリスンはゆっくりと瞳を瞬かせた。

 いつもならいるはずの、無意味に偉そうな男が見当らない。

「……ット?」

「ハッハッハッハッ」

 遠くの方で、笑い声が聞こえてきた気がした。

「シャルロット? どこ?」

「ハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッはっはっはっはっは! 私はもう歩けないぞ、エリスン君!」

 笑い声が大きくなってきたかと思うと、やっとエリスンに追い付いたシャルロットが、堂々と泣き言を口にした。どうやら、ひたすら笑いながら歩いてきたらしい。疲れ具合も倍増だ。

「……何をいっているの? 十分も歩いてないでしょう? ここまでほとんど馬車で来たじゃないのよ、あなたちょっと体力なさすぎよ?」

「私の場合、凡人が体力に浪費する力をすべて知力に役立てているのでね。これは、致し方のないことなのだよ」

「あなたの知力が活躍したところなんて、見たことないけれどね」

「はっはっはっ、なぁに、誉めるべきところは誉めていいのだよ、エリスン君」

 やはり、会話が成り立たない。

 馬鹿は放っておいて、エリスンは、改めて森を見渡した。いま二人が立っているのは、隣町へと通じる道だ。キャサリンの話では、青い鳥がいるのはこの道から外れた森の奥地ということだが、見るかぎりではごく普通の森のようだ。花はまだ咲いていないものの、木々は新しい葉をつけ始めており、なんとも爽やかな森の風景だ。これで、探しているのが何の変哲もない鳥ならば、いくらでもいそうなものなのだが。

「さあ、では張り切って探そうではないか」

 疲れるのも早いが復活も早いシャルロットが、不敵に笑いながらいう。右手に虫取り網、左手に大きな鳥かごを構えて、なおかつ知的な雰囲気を漂わせるあたり、さすがというべきなのだろうか。

「それはいいけど……シャルロット、具体的に、幸せの青い鳥って何なのかしらね? ただ青いだけの鳥なら、たくさんいるんじゃないの?」

「ふむ……君はどうやら、このディンドンの森における鳥類の生息状況をわかっていないようだね」

 瞳を閉じ、ゆっくりと首を左右に振ると、シャルロットは大げさにため息を吐いた。

 むっとして、エリスンが唇をとがらせる。

「そんなもの、わかってるわけないじゃないの。あいにく、あたしは鳥マニアじゃないわ」

「どうも、君は世の中のトレンディー情報に疎い傾向があるね、エリスン君。改善することをお薦めするよ。いま世俗の間では鳥類が大人気なのだということを、知らなかったようだね?」

「…………」

 知りたくもない、とエリスンは思ったが、話がややこしくなりそうだったので、口には出さないことにした。

「はっはっ、なあに、気にすることはない。探偵社にはちゃんと鳥類百科事典が購入してあるとも。帰ったら、あわてず騒がずみっちりと勉強したまえ」

「……それで、鳥情報にお詳しいシャルロットさまは、何がいいたいわけ?」

 皮肉をこめた丁寧口調だったが、どこまでも鈍いシャルロットさまは、満足気に頷いてみせた。

「ふむ、良い質問だ。このディンドンの森には、早い話が、青い色をした鳥の生息は確認されていない。一種類も、だ」

 エリスンは目を見張った。

「何よそれ? キャサリンさんは、ここにいるっていっていたじゃないの。ウソなんてついてもしょうがないし……どういうことよ?」

「そこで疑問を抱く当たり、君は現実主義者なのだと思い知らされるね。いるはずのない森に青い鳥がいるとすれば、それこそまさに奇跡……つまりそれは、幸せを運ぶ青い鳥だということに、ならないかな?」

「……なるほどね……」

 筋が通っているとはいいがたかったが、少なくとも、その青い鳥というのは随分めずらしい存在だということにはなる。幸せを運ぶかどうかは別問題だが。

「では、有能な助手が納得したところで、青い鳥探しの開始といこうではないか!」

 こうして、シャルロットとエリスンの、青い鳥捕獲計画が始まった。


 捕獲計画、一。

 餌。

「鳥が好むと思われるあらゆる餌を用意したつもりだが、なかなかうまくいかないものだなぁ、エリスン君」

「……そりゃあね、そういうことをすればね、あらゆる種類の鳥が集まってくるわよね」

「はっはっはっはっ、なるほど。しかしまさか、鳥の色が確認できないほどたくさんの鳥に襲われるとは思ってもみなかったなぁ!」

 危うく鳥の大群に打ち倒されそうになり、失敗。


 捕獲計画、二。

 おびき寄せ。

「なあに、簡単な原理さ。青い鳥というのは、つまり外見が青いということだ。青ともっともよく合う色というのは、一般的に白だといわれている。つまり、このように地面に白い布を敷いておけば、青い鳥の美的センスが刺激され、放っておいてもおびき寄せられてくると、こういうわけさ」

「……鳥に、美的センスが……?」

 根本的な誤りが発覚し、失敗。


 捕獲計画、三。

 がむしゃら。

「幸せの青い鳥といえば、随分と神秘的な印象を受けるが、所詮は鳥だ。人間の移動力、人間の知恵、人間の力には敵うまい。片っ端からこうやって鳥を捕まえていけば、いつの日か青い鳥を捕まえることができるということは、想像に難くないな。推理以前の問題だ、人はこれを常識というね! はっはっはっ」

「そうか、その手があったわね! いつか、いつの日かきっと……!」

 だめじゃんそれじゃ、ということに気づき、失敗。


 数時間が、虚しく経過していった。

 エリスンは、木の根に座り込み、力なくうなだれた。ほかにもいくつかの方法を試してみたのだが、成果は一向に上がらない。

「……とっても絶望的な気分になってきたわ……」

 そろそろ、身も心も限界だ。

「ふむ、このままではいけないな……。焦っても良い結果など得られないものだ。少し、休憩することにしよう」

 シャルロットの言葉に、キャサリンからもらったアップルパイの残りを持ってきていたことを思い出し、エリスンはバスケットを取り出した。持ち運び用のカップと、ポットも用意する。

「これじゃ、まるで遠足ね」

 ぼやきながら、バスケットを開ける。ほのかな甘いかおりがして、エリスンの表情がいくぶん和らぐ。

 しかし、バスケットの中に、見慣れない指輪を発見し、エリスンは眉をひそめた。

「……何かしら、これ?」

 銀色の指輪だ。とくに飾り気はないものの、きらきらと光っている。少なくとも、エリスンの持ち物ではない。

「? どうかしたのかね?」

 なかなかアップルパイが出されないので、不審に思ってシャルロットがバスケットを覗き込む。その瞬間、バスケットの上を風が吹きぬけ、シャルロットは声をあげて後ろに仰け反った。

「うわ! な、何だ?」

 尻餅をつき、顔を押さえながらバスケットを見る。すると、先程までそこにあったはずの銀色の指輪がなくなっていた。

「何かしら、今の? 風が……」

 シャっと、もう一度風が吹いた。

「青い鳥だ! エリスン君、青い鳥がいたぞ!」

「なんですって!? じゃあ今の……きゃあっ」

 今度はエリスンのすぐ横を風が吹きぬけ、エリスンは思わず叫ぶ。どうやら、鳥が飛ぶことによって風が起きていたようだ。一瞬だが、鳥の姿が見えた。鮮やかな青色だ。

「本当だわ! やっと出てきたわね……!」

 がばっと立ち上がり、シャルロットから虫取り網をひったくると、エリスンはひたすら網をふるった。目的はほとんど忘れている。今の彼女の行動原理は意地のみだ。

 しかし、網を右に降れば後ろに、左に降れば上にと、青い鳥は素早く移動し、一向に捕まえることができない。

「もうっ、おとなしく捕まったらどうなのっ!」

 思い切りふるった最後の一撃が、木に激突し、エリスンは反動でよろめいた。細かな震えが手に伝わってくる。

「いったぁーいっ!」

「もう少し落ち着いたらどうだね、エリスン君」

 エリスンの体をささえながら、シャルロットがやれやれというふうに息を吐いた。網を取り返して、地面に置く。

「レディが振り回すものではないだろう。物事を考えるということが足りないな、君は」

「だって、馬鹿にしてるわ、あの鳥!」

 エリスンが、木の上を睨み付ける。確かに、遠くへ逃げるわけでもなく、木の枝からこちらを見ている様子は、馬鹿にしているようにも見える。

「なんなのかしら、あの鳥。思ったより大きいわ。でも、見たことある感じよね……」

「ふむ。思うに、あれは……」

 何事か思いついた様子で、シャルロットはバスケットをあさった。

「やはりな、指輪がなくなっている」

「指輪って、あれ、あなたのものなの?」

「なに、少し思うところがあって入れておいたのだがね」

 シャルロットは、不敵に笑った。

「君の正体がわかってしまったよ、青い鳥君。君はずばり……」

 びしっと、青い鳥に人差し指を突きつけ、

「カラスだな!」

 ……空虚な、沈黙が落ちた。

 つっこむことも忘れ、エリスンは、茫然とシャルロットの指が示す先を見た。

 確かに、カラスのようにも見える。

 だが、どうにもこうにも青色だ。

 青い鳥は、二種類の真っすぐな瞳を受け、応えるように、

「カァ」

 と一声、鳴いた。




「なぁに、たいしたことじゃない。光りものを好むといえばカラスに決まっているからね。推理というのもおこがましいほど簡単なことだ。はっはっはっはっ」 探偵社に帰りつき、いつもどおり偉そうに肘掛椅子に腰をかけ、いつもどおり偉そうにシャルロットは笑い声をあげていた。

 その隣で、鳥かごにすっぽりとおさまった幸せの青いカラスがじたばたしているのを眺めながら、エリスンは様々なことをぼんやりと考えていた。

 なぜ、カラスが青いのか。

 なぜ、カラスが青いことに関してはノータッチなのか。

 深く考えてはいけないような気がしながらも、疑問が超特急で疑問度を上げていく。

「……キャサリンさんも、なんでこんなもの欲しがるのかしらね」

 とりあえず、色の謎は置いておいて、趣味の謎に迫ってみた。

「幸せが欲しいからだろう? 本人もそういっていたではないか。この鳥が幸せを運ぶかどうかはともかくとして、この鳥が幸せの象徴であると思うかどうかが重要なことなのではないのかな。人は、信じるだけでたいていのことはやってのける生きものだからね」

「アホゥ、アホゥ」

 幸せの象徴は、確かに幸せそうに鳴いている。

「シャルロット、ちゃんとキャサリンさんに連絡したんでしょうね? 見つかったらすぐに来るとかいっていたけれど、大丈夫なの?」

「キャサリンさんは来ないよ」

 さらりと、シャルロットはとんでもないことを口にした。

「……は?」

「コーヒーが飲みたいな、エリスン君。ブラックでひとつ、いれてくれたまえ」

「どういうことよ、それ!?」

「……ふむ」

 シャルロットは、おもしろそうにかた眉を上げる。それから、自分で立ち上がり、コーヒーカップを取り出しながら、ついでのようにいった。

「今回のことは、私が企てた狂言だ。キャサリンさんには手伝ってもらっただけだよ。だから、幸せの青い鳥を受け取りに、彼女がここに来るわけがない。そんな依頼、本当は存在しないのだからね」

「…………」

 剣呑な目つきでシャルロットをにらみ、エリスンはシャルロットの手からコーヒーをひったくると、それをテーブルに置き、ゆっくりと腕を組んだ。

 説明してもらおうじゃないの、とその目がいっている。

 シャルロットは、肩をすくめた。

「最近、鳥類が流行しているという話はしたかな? 私はね、このロンドドについて、あらゆる鳥類の調査をした。その結果、ディンドンの森に世にもめずらしい青いカラスが一羽、生息しているという情報を得た。それで、どうしても手に入れたいと思ったんだ」

 悠然と鳥かごをつかみ、それをテーブルの上に移動させる。意外なことに、青いカラスは止まり木でおとなしくしていた。

「なぜ、といいたそうだね? もちろん、これが幸せを運ぶのだと信じていたからだとも。私はロマンチストだからね。……今日が何の日か、君は知っているかな?」

「……? 何の日なの? その詭弁と何の関係が……!」

 怒りが限界を超え、エリスンがシャルロットを怒鳴り付けようとしたのを遮って、彼はにっこりと笑って鳥かごを差しだした。

「君がここに来て、ちょうど三年目の記念日だよ、エリスン君。これは、私からのささやかな贈り物だ」

「……は?」

 静かに瞳を瞬かせ、すっかりと毒気を抜かれ、エリスンは思わず鳥かごを受け取った。

 シャルロット探偵社で、助手として働き始めたのがいつだったのか、そんなことは忘れてしまっていた。

「あたしに……?」

「最近の君はぴりぴりしていたからね。たまにはああいう冒険もいいだろうと思ったのさ。楽しんでいただけたかな?」

「…………」

 ちっとも楽しくはなかったが、エリスンは思ったよりも感動してしまっていたようで、いつもの憎まれ口をいうタイミングを逃していた。茫然と、鳥かごを抱いている。

「これからも、私のためにエリスンパイを作り続けてくれたまえ、エリスン君」

「シャルロット……」

 エリスンの胸を、何か熱いものがこみあげる。

「アホゥ」

 幸せの青いカラスが、鳴いた。

 ムードがきっぱりとぶち壊れた。

「…………複雑な気持ちだわ、シャルロット」

「喜んでもらえて何よりだ! はっはっはっはっはっ!」

 この馬鹿でかい特殊カラスをどうしたものかと、これからの探偵社の情況を憂えて、エリスンは深く深く溜め息をもらすのだった。







 舞台はフォームスン探偵社。

 我らが名探偵シャルロットは、コーヒーカップを静かに置くと、肘掛椅子を回転させ、パイプに火を灯す。そして、初めてこちらに気づいたかのように、大仰に驚いてみせて、それから道化のように不敵に笑う。

「やあ、みなさん。今回も、この名探偵シャルロット=フォームスンの活躍を楽しんでいただけたことと思う。……なに? 青いカラスの正体? そんなもの、たいした問題ではない。本編でも述べたと思うが、信じるかどうかが重要なことなのだよ……わかるかな? もちろん、最初から捕まえるものがカラスと知っているうえで森に赴いたわけだから、捕獲計画はたいした茶番ではあったがね。なかなかおもしろかったので、よしとしようか。

 ……おや、エリスン君が呼んでいるな。どうやら、エリスンパイが出来上がったようだ。食べてみたいって? 皆さんは普通の舌をお持ちだろうから、やめておくことをお薦めするよ。それでも挑戦したいというのなら、それなりの覚悟を決めてからにしたまえ。

 では、そろそろ失礼させていただくことにしよう。安心するがいい、私は誰の期待も裏切らない。また近いうちに、皆さんの前に姿を現すことを約束しよう……。はっはっはっはっはっ──」

 高笑いとともに立ち上がり、ダイニングへと姿を消すシャルロット。

 ──暗転。



                                                                 fin.

 




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