イニシエーション
最近銀河鉄道の夜を読み直したので書いてみようかなと思いました。
銀河鉄道に乗りたいと思ったことはないだろうか?
幻想的な風景が車窓から見えるのは素晴らしいのではないだろうか?
現実を忘れ、幻実を見せてくれる世界に心惹かれはしないだろうか?
では、あなたにこの切符をお渡ししよう。
当駅から、あなたの望む場所までお連れしましょう。
ようこそ、銀河鉄道へ。
わたくし共はあなたを歓迎しましょう。
「どうしたんだ?ぼーっとしてさ」
ふかふかの椅子に腰掛けているうちにいつの間にかウトウトとしていたらしい。そんな様子を見かねてあいつが声をかけてきたようだ。
「あー、悪い悪い。この椅子ふかふかでさ、ついつい眠くなっちまったよ…」
「わかるけどさー、せっかく念願の銀河鉄道に乗ったんだから起きてろよ。もったいないだろ!」
「そうだな、ほんと悪い。起こしてくれてサンキューな」
「おう!…ほら、見てみろよ!あの星!」
あいつが指差したのはなんだろう、青い星だった。
なんだろうか、うんうん唸っているとあいつが『呆れた』と言わんばかりにため息を吐いている。
「なんだよ、おまえわかんないのかよー」
「おまえはわかんのかよ…?」
俺がむっとして言い返すとあいつはニシシ、と笑った。
「あったりまえだろー!あんな特徴的な星ほかにほとんどねえじゃん」
「まじかよ…」
どうやらわからないのは俺だけのようだ。だがどうにも答えが思い浮かばない。
「地球だよ地球。俺たちの星だろ!」
「あー、確かに」
青い星といえば地球だったな。誰だったか、初めて宇宙に出た人が言った言葉だっけか?それは丸いだったか?どうにも思い出せない。
それから地球をずっと眺める。光の速さで進む銀河鉄道はみるみる地球から遠ざかって行く。
「はやいなー」
「そうだな」
二人で乗り込んだ銀河鉄道。地球があんなに遠くなっていく様を見れば少しはさみしいと感じてしまうが、あいつと一緒なら大丈夫だろう。
俺が笑うとあいつは不思議そうに笑った。
「どうしたんだよ?なにかいいことでもあったのかよ?」
「いや、お前と一緒なら楽しくやってけそうだなって思っただけだよ、ずっと一緒に行こうぜ」
「なんだよ、照れるな。男に言われても嬉しくねえよ」
「はは、違いない」
銀河鉄道は進み行く。二人の空間。幻想的な世界が俺たちを包む。
そこにノイズが混じる。
噛み合わない視界。銀河鉄道の車内と、見知った部屋が混じり合ってはぶつかり合う。
頭を振る。
「大丈夫、俺は大丈夫だ、大丈夫、大丈夫だから…」
「お、おい。急にどうした!?」
頭を抱える俺の顔をあいつは心配そうに覗き込む。
俺は痛みを我慢しながら笑って心配するなと告げる。
だが、現実は幻実を蝕む。
歩み寄る現実が幻実を捉えて離さない。
「ねえ、そろそろ起きてよ…」
何も聴こえない。耳を塞ぐんだ。俺は銀河鉄道に乗ってどこまでも行くんだ。
「もう、半年経ったんだよ…?」
だからどうした。銀河鉄道に時間なんてものは存在しない。俺たちはずっとずっとこのまま乗り続けるんだ。どこまでも、どこまでも。
「なあ」
あいつが俺に声をかけてくる。心配いらない。俺はずっとお前といるから。
「聞いてやれよ」
お前がそんなこと言うなよ。俺はさ…。
「おっと、外を見てみろよ。北十字だ」
見たくない。
「気づいてるんだろ?俺はもう死んでるって」
知らない。そんなことは知らない。
「見たくないものを見ない、聞きたくないものを聞かないってお前は子供かよ…」
ここにいればお前とずっといられるんだ。
「ずっとなんていられるわけ無いだろ?俺はもう死んでるんだ。お前は生きていて、俺は死んだ。俺は次の駅で降りなきゃいけない。でもお前はずっと乗ってなきゃいけないんだ」
それだったら俺が降りればいいんだ。それならまたずっと一緒だろう?
「いいや、お前の切符はどこまでも行ける。だけどそれはどこまでも行かなきゃいけないんだ。俺の、俺たちのいけない場所までずっとずっとずーっとな」
そんなこと言うなよ!
「いーや、俺は言うね。お前がいつまでたってもそんなんじゃ俺の評価が下がるだろ?全く、こんなんが友達とかやってらんねえよーってな」
俺は情けないやつなんだよ。お前とは違う。
「いやいや、俺のことをそんな評価してくれるのは嬉しいけどさ。お前が思うほど俺ってすごいやつじゃねえよ。俺だって人並みに泣くし、怒るし、傷つく」
だから、俺と一緒にいれば。
「それはお前の役目じゃない。死者は何も語らない。語るのは生者だ。気づいてるんだろう?」
あいつがそう言うや否や、姿がぼやけていく。そして出てくるのは外套を着た不思議な男だった。
「ここは君の想像の姿。現実と幻が組み合わさった幻実の世界。ここは君の思いが作り上げた虚像。全ては虚ろなもの。だがそれでいて現でもある。君は気づいているかな?現実と幻の区別がつかなくなっているのを」
そんなこと知るか。
「ここにはいつでも来れるのだから。ここは始発にして終点。人がいずれ訪れる場所。ここにくれば彼とはいつでも会えるだろう。ならば、ここに来るのは後回しでもいいのではないかね?」
それだとあいつのことを忘れてしまうかもしれないじゃないか!
「いいんじゃないか?人は忘れて生きていく。それは永遠に忘れるか、一時の間忘れるのか、わからないけれど。いつまでも同じことを覚えて生きているのは不自然だろう?時には忘れ、時に思い出す。思い出とは引き出しにしまった大切なものなのだよ。引き出しに大切に大切にしまいこんでしまうから人は忘れる。大事なことであればあるほどに。でも忘れるということは恐ろしい。だから君はそれをずっと手に持ったままでいる。重みに耐え切れず、思い出は君を壊していく」
いいんだ、それでも。
「だが、その思いは君だけじゃないんだ。君のことを思うことで壊れる人もいるんだと君は知ったほうがいい。ほら、窓から見たまえ」
そうして窓の方に目を向けると今までの幻想的な世界は影を潜め、白い病室が広がっている。
そこでは泣いている人がいた。俺の手を取り呼ぶ人がいた。俺にその日のことを語りかける人がいた。
誰もが俺を思い、想ってくれている。その重みは彼ら彼女らに負担を与えているのがわかる。
これは俺と同じ重い、想い、思いなのだろう。
「何度も言うがここにはいつでも来れる、またいつかあうときが来るだろう。君はここでのことをいつかは忘れて、そのうちに思い出す。それが生きるということ。人は泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑うのだから。ここで精一杯悲しんだのなら、次は精一杯笑うといい。そしてまた泣いて、また笑って。それの繰り返しだ」
俺は立ち上がった。いつの間にか銀河鉄道は止まっていた。外套の男の姿はだんだんと消えていく。
「ありがとう」
その姿に俺は礼を言った。それから今はどこにいるかわからないあいつにも。
「また会いに来る。いつかはわからないけどそれまで待ってろよ!」
「ああ、待っててやるよ。面白い話をたくさん聞かせてもらうからな」
姿は見えないけれど、返事が返ってくる。俺はそれに満足して銀河鉄道を降りた。
その瞬間、光が俺を包み込む。
目に飛び込んでくるのは驚愕した顔。涙を湛え俺を見つめる顔。破顔している顔、
そして、見えないけれど、確かに見えた、あいつの顔。
「生きるよ、俺は…」
一言だけつぶやいて、俺は深呼吸を一つ。それから久しぶりに発声する喉が悲鳴を上げるのを無視してみんなに告げた。
「ただいま」
銀河鉄道に乗りたいと思ったことはないだろうか?
幻想的な風景が車窓から見えるのは素晴らしいのではないだろうか?
現実を忘れ、幻実を見せてくれる世界に心惹かれはしないだろうか?
ですが、あなたにはまだ早いようだ。
あなたの望む場所にはこの鉄道はご案内できないようだ。
ですが、いつかはそこにご案内できるようになりましょう。
ですからそのときをお待ちください。
その時はわたくし共はあなたを歓迎しましょう。