5.サーヤの家族
朝の太陽が、森の中に光を与えている。それは確実に森を暖めつつあったが、この地方は夏でもそれほど気温が上がらない。少し体が震えるくらいだ。
茂みの中で、一人の少年が息をひそめていた。手には短いナイフが握られている。彼は、数十メートル先で木の根元の草を食べている一匹の羊に狙いを定めていた。
羊は一匹でいると、ひどく恐怖心を覚え、警戒が強くなる。そのため、慎重になる必要がある。チャンスを逃さないように一時も目を離せない。
少しして羊が顔を上げ、こちらへ歩を進めてきた。今だ!
彼は口笛を吹いた。羊はすぐさま翻して反対の方向へ走っていく。
すると、羊の進行方向から一匹のコ―ギ―犬が吠えたてながら走ってきた。羊は再びこちらへやって来る。
彼は勢いよく飛び出した。犬と挟み撃ちした格好となる。
羊はなおも逃亡を続けようとした。だが、彼に近づきすぎていた。少年によって首筋を刺された。激痛と共に意識が遠ざかっていく。少年は的確に出血量が多くなる場所を選んだのだ。
羊の動きが鈍った所で、彼はとどめを刺した。羊が二度と立ち上がる事はなかった。
解体した羊の肉を持って、コーギーは森の中にある大きな空地に着いた。
「ただいま」
近くの山肌に出来た洞穴に顔をのぞかせた。返事が来ないことは分かっていた。
「外で焼いてるから、お腹すいたら食べに来てね」
日が高く昇る。コーギーは額の汗を拭うと、あらかじめ集めた焚き木を使って火をおこす。いつもしていた事だから、慣れた手付きだ。
羊肉は、川で血抜きを済ませている。串代わりの枝に、適当の大きさに分けた肉を刺していく。もろい枝が混じっていたようで、数本が折れて使い物にならなくなった。
普段ならここで調味料をかけるのだが、今はそんな贅沢など言ってられない。そのまま焚き火の周りに並べて焼いていく。
そう。贅沢は言ってられないのだ。
大災害が村を襲ってから三日が経った。湖の決壊によって村を失ったコーギーとサーヤは、一旦山の中腹に逃げ、そこから村とは反対の方角にある大きな森へと住みかを求めた。サーヤが、かたくなに村が見える場所を拒んだからだ。
食糧は問題ない。木の実や食べられる草が豊富で、危険をいち早く察知して逃げ出してきた羊も多く見つかる。少し歩いてゆけば川もある。
問題なのは、サーヤだった。彼女は、ママと赤ちゃんが村と一緒に川に飲みこまれてしまった。その事に心を痛めた。
コーギーが呼びかけても、何も答える様子はない。昼間は食事と用足し以外はほとんど洞穴の中で過ごしているし、背中を出入り口へと向けている。
羊肉が良い焼き加減になってきたころ、サーヤが洞穴から出てきた。うつろ目で顔が青白い。
「ほら、もう焼けてるよ。食べて」
コーギーが差し出した物を、彼女は黙って口に入れた。おいしいともまずいとも言わない。一口がとても小さい。
「今日しとめた羊、なかなか脂がのってる。誰の羊だったんだろう」
様子をうかがうが、彼女の表情は変わらない。サーヤは半分だけ食べると、残りをコーギーに手渡して再び洞穴へと戻っていった。
まただ。昨日彼女へ上げた木の実も、ろくに食べられずに捨てられていた。
コーギーはため息をつくと、そばで生肉をかじっているマロンをなでた。食べるのに夢中で、しっぽだけ振っている。
彼女には笑顔になってほしい。また二人でおいしい夕ご飯をつくって食べたい。そうすれば、次第にお互いの傷も癒えていくだろう。だがどうすればいいのか。それが分からなかった。
彼は青い空を仰ぎ見ると、二つ目の肉にかぶりついた。
天に無数の星が瞬く夜、サーヤの家に一つの命が生まれた。
兄弟がまた一人増えた。ベッドで横になっているママは、安堵の表情を浮かべている。
「ねえママ、この子はどんな名前にするの?」
産湯で赤ん坊を洗いながら、サーヤが尋ねる。
「考えてあるけど、名前をつけるのはまだ先よ」
この地方では、赤ん坊に名をつけるのは半年後にするという習慣がある。
「楽しみね。あっ、生まれたばかりなのにあたしの指を握った!」
「ふふっ、サーヤは本当に赤ちゃんが好きなんだから。他の家の出産にも立ち会ってるし」
「だって、この純真無垢なところが可愛いじゃない。そこらのガキとは違って」
「可愛いくて抱きしめたくなるのは分かるけど、早く羊の毛布で包んであげなさい。風邪引くわよ」
ふかふかの毛布から顔だけのぞかせている赤ちゃん。まだ目も見えず、自分では何もできない。この子はあたしが守らなければ。サーヤにやる気と使命感が湧いてきた。
サーヤはママの胸に赤ちゃんを近づけた。赤ちゃんは少し探るようにしていたが、乳首に吸いつくと勢いよく母乳を飲み始めた。
「すごい……」
何回も見てきたはずだった。羊や豚の授乳を含めるともっとだ。しかし、この光景は幾度でも感動する。心が満たされていく。
「よーし、赤ちゃんのためにも仕事がんばるわよ!」
サーヤに新たな生きがいが生まれた。
サーヤは夢から覚めた。昨日と同じ夢だった。おとといもその前も。寝ている間に涙が流れていたらしい。指で拭うと、立ち上がって洞穴を出た。
外は晴れていた。きれいな満月と星が輝いている。夢の中の空と同じだ。
サーヤは、朝に羊肉を焼いていた焚き火のそばに腰を下ろした。そして再び夜空を見上げる。こうしていると、家族の事を思い出す。ママは、星を見るのが好きだった。
今見えている星のうち、どれがママだろうか。一番光り輝いているやつかもしれない。いやいや、ママは意外と謙虚な所があったから、少し小さいやつだろう。そうすると、その隣でさらに小さく光っているのが赤ちゃんだ。
そう。二人は上から自分を見守ってくれているんだ。そう思っていると、少し心が落ち着く。でも……。
彼女は静かに涙を流した。つらい。ママと赤ちゃんのぬくもりに包まれていたい。他の家族にも会いたい。どうしてそれが出来ないの?
マロンが、なぐさめるようにサーヤに擦り寄った。
書いててつらかった。