4.大災害
それは、コーギーとサーヤが日の昇る少し前に朝ごはんの準備をしていたころだった。
突如家が縦に突きあげられ、二人は吹っ飛ばされて壁へ打ちつけられた。
「うっ……」あまりの痛さに、息ができない。
今度は、横へ激しく揺すぶられた。マロンがあちこちを転げまわっている。コーギーは近くの家具につかまった。しかし、一緒に床をすべっていく。家具が壁に当たって倒れて下敷きになりそうになったものの、彼はとっさによける。
「サ――」
ほこりが濃霧のように立ちこめている中、彼女の名前を呼ぼうとする。だが、その時間もなく反対側の壁へ転がされる。
サーヤの悲鳴は確実に聞こえている。マロンの恐怖に満ちた声も。一緒になりたい。
まっすぐ立っていたはずの柱が折れ、彼のすぐ横に倒れている。屋根のはがれる不気味な音もする。このままじゃ、全員家に押しつぶされる。早く脱出しなければ。
だんだん揺れがおさまっていく。コーギーは、とりあえず出口を探すことにした。だが、視界が悪くてどこが玄関なのか分からない。
立ちあがろうとしたが、腰が抜けて力が入らない。四つん這いで進み、手探りで壁を探り当てる。
「あった……」
幸運にも、彼は玄関のすぐ近くにいたのだ。ほこりを吸いこまないように手でふさぎながら、中にいるはずのサーヤとマロンに向かって叫ぶ。
「外に出るよ! 早く! 急いで!」
腕だけで体を動かし、無事に外に出た。服がほこりまみれになっていて、両手から血がにじんでいる。
「おーい!」
もう一度呼ぶ。少しして、ほこり舞う中に影が揺らぎ、サーヤがマロンを抱えて飛びだしてきた。目を真っ赤にしてしゃくりあげている。
「大丈夫?」
やっと立ち上がれるようになると、彼女に駆け寄った。見ると、サーヤの服はあちこち破け、ひざ小僧が血と土で汚れている。
彼女から声は出ない。体は震え、コーギーに支えられている。ただ、マロンはしっかり抱きかかえていた。
「とにかく、草原に行こう。もしかしたら家が――」
彼が手を引っ張ったその時、けたたましい音を立てて我が家が崩れた。羊小屋もその倒壊に巻きこまれ、一瞬で粉々になる。
二人は反射的に伏せた。ほこりを巻き上げた爆風が襲う。マロンも二人の間で縮こまる。
風がおさまって顔を上げたサーヤは目を疑った。コーギーの牧場が、草原とがれきの山へと変貌していたのだ。
ふと見上げると、コーギーがその場で立ち尽くしていた。彼の生まれた家。育った家。両親が亡くなっても、一人で暮らしてきた家。全てが跡形もなくなった。
「くっ……」コーギーは突然走り出した。
「危ない!」
サーヤは慌てて彼を止める。がれきに火が回り始めたからだ。
少しもたたないうちに、かつての住みかは炎に包まれた。思い出が黒い煙となって高く昇っていった。
彼はむせび泣いた。
ハッと気が付いて、サーヤは自分の家へと急いだ。
パパと兄弟の何人かは隣の村に出かけているはずだから、今家にいるのはママとまだ名もない赤ん坊だけだ。ママは野生のカンだけは誰にも負けない。だからきっと……。
「ママー!」
無残な光景だった。丈夫なはずの家が、屋根の形を残したままぺしゃんこに潰れている。コーギーの家と同じく、ここでもこげくさい臭いが立ちこめている。
玄関があった所を覗きこんでみたが、暗くて角材がじゃまし、様子がまったく分からない。サーヤは這いつくばって中へ進む。
「危ない!」
突然両足が引っ張られ、外に出された。そのとたん、がれきが崩れ、今入って行こうとしたすき間が無くなってしまった。
二人は息をするのが精いっぱいだった。少しして、サーヤが別のすき間を見つけた。
「やめて! サーヤまで潰れてしまう」
「何言ってるの? ママは潰れてなんかない!」
コーギーの手を振りほどく。
「あれは何だろう?」
サーヤは、彼の視線の先を追った。見ると、山々の向こうから、大量の水が吹き出してきていた。
「まさか……」コーギーは目を疑った。「湖が決壊した!」
「決壊ってどういう事?」
「たぶん、さっきの揺れで地面が崩されて、湖の水を保持できなくなったんだと思う」
「――ってことは……」
「つまり、この村が水に沈む……」
コーギーが生唾を飲みこんだ。
「いやああああ!!」
サーヤががれきの間に手を突っ込んでまさぐる。コーギーは慌てて止めに入った。
「逃げよう! ここにいたら死ぬ!」
「いやだいやだいやだ! ママと赤ちゃんを連れてからじゃないといや!」
マロンが激しく吠えはじめた。川の方を向いている。すでに川の水量はいつもの数倍に増えていた。氾濫するのも時間の問題だろう。
「逃げるならあんただけで逃げて! あたしは絶対家族を見つけ出す!」
今度は頭から入って、必死に目を凝らす。
「でも……」コーギーは少し考え、吠え続けているマロンに言った。
「マロン、サーヤの足にかみつけ!」
主人の命令にマロンは困惑したが、彼の言うとおり、サーヤの右足のふくらはぎに力を加減してかみついた。
「いたっ!」
彼女は飛び上がり、角材に頭をぶつけた。そして、ぐったりと動かなくなる。
「山に登るよ、マロン」
コーギーはサーヤを背負って、山の方へ走った。村のあちこちで煙が立ち上っていた。
とてつもない轟音で目が覚めた。サーヤは彼のひざまくらから飛び起きると、眼下に広がる光景を見た。
見たこともないほどの大きな川が、村を飲みこんでいた。水位は家の屋根くらいまで高くなっている。大量の木々や木材が流されている。羊が溺れて消えた。人間の大人の背中が浮かび、また姿を消す。思わず目をそらした。
サーヤの目から大量の涙がこぼれた。大声でむせび泣く。ママと赤ちゃんを呼ぶが、言葉にならない。息が苦しい。胸が痛い。心臓がはりさけそうだ。
コーギーが彼女の手を握る。だが、サーヤはそれを拒否した。彼に何かを言うが、水の流れる轟音にかき消される。
その日から、サーヤは心を閉ざした。
いつやって来るのか分からない。それゆえに恐ろしい。