3.嵐の前の静けさ
サーヤはチェアに腰かけて、さっき自分が発した言葉を思い出していた。
働いて疲れてしまい動きたくなかったのは仕方ない。グチをこぼしたのも無意識だった。でも、それを聞いたコーギーが、泊まっていくよう誘うとは思ってもみなかった。
しかも、夕食まで食べていくよう勧めてきた。さすがに申し訳ないと思った。断るべきだった。
だが、サーヤは首を縦にふっていた。家には、口うるさい親はいるが家族が待っているはずなのに。
もし理由があるとすればきっと、コーギーのことが放っておけないと思っているからだろう。だって、掃除や洗濯などの家事全般はほとんど出来ないし、サーヤに任せきりなのだから。
それに、彼といるといつも楽しい。コーギーとマロンが戯れているのを見ると、自分もその輪に入りたくなる。
恋とはちがう。ただ、ずっと仲良く一緒にいたいだけだった。
「サーヤ、こっち来て手伝って!」
彼が調理場で呼んでいる。コーギーは、料理だけはサーヤよりも上手い。既に二人分をつくり始めている。
まあ、たまにはいいか。親には後で事情を話せばいい。彼女は彼のもとへ行った。
「何か用?」
「ええとね、これを食べやすい大きさに切って。スープに入れるから」彼は数種類の野菜を指さした。
「分かったわ」
サーヤは手を洗い、包丁を手に取って野菜を切り分ける。少し乱暴な手付きだ。
コーギーは自分の作業をしながら、その様子を少し心配そうに見ていた。
「ちょっと羊のミルクを取って来るね」
「何に使うのよ?」
「もちろん、スープさ」
彼は舌なめずりをしながら外へ出て行った。なんとも嬉しそうな顔だ。
数分後、コーギーが鍋にミルクを入れて戻って来た。マロンはしっぽをふりながら、その匂いを確かめるように鼻を動かしている。
「ちょっ、ちょっと手を貸して!」
サーヤは慌てて駆け寄る。コーギーの足どりがフラフラだからだ。
二人は力を合わせて運び、そして火が燃えているところに置いた。ふう、と彼は額の汗をぬぐう。
「野菜は全部切り終えたけど?」
「ありがとう。そしたら、もう鍋に入れていいよ。これからゆっくりと煮込んでいくんだ」
サーヤが野菜を投げ込むと、コーギーは道具を使って中身をなでるように混ぜ始める。
「おいしくなぁれ、おいしくなぁれ」
彼は母親から教わったおまじないを唱え続ける。
少しすると、温まったミルクから甘い匂いがしてきた。羊の愛情がたっぷりと詰まったその匂いに、二人の顔がほころぶ。
数々の野菜が、栄養分をミルクへと溶かしていく。バラバラだった野菜が鍋の中で一つとなる。大地の恵みの結晶が、今ここに生まれようとしている。
「仕上げは、羊の肉だよ!」
コーギーはそうっと投入した。羊の肉も、それらの仲間となった。
やがて、羊と野菜のスープが完成した。食卓にはそれと一緒にパンが並んでいる。
「いただきます!」コーギーはすぐさまスープにパクついた。
「い、いただきます……」初めての二人だけの食事に、サーヤは少し戸惑っている。
「うーん、旨い! 野菜と肉の旨みが溶けてていい味出してるなぁ。ほら、サーヤも食べて!」
静かに口へスープを運ぶ。そのとたん、サーヤの目が丸くなった。
「なにこれ、とっても美味しいじゃない! あんた料理だけは一流ね」
「料理だけって……」
「そうよ。当たり前でしょ?」
彼女の手が忙しく動いている。はふはふと熱そうに肉をほおばる。人前であることを忘れ、テーブルや口の周りを汚しながらスープを食していく。
「そんなに焦って食べなくても……。いっぱいつくったからおかわりは――」
「おかわり!」
満面の笑みで皿を差し出した。スープが染み込んだパンをくわえながら。
「ふふっ」
「あっ、コーギーったら何笑ってるのよ?」
「いや、サーヤのその顔を見たのは久しぶりだったから。まるで小さい子どもみたいだな、と思って」
「どういうこと? あたしがガキだって言いたいわけ?」
コーギーを鋭い目でにらむ。
「ち、ちがうよ。とても素直で感情豊かってことさ」
「本当……? 怪しいわ」
二杯目のスープに手をつけ始めながらそう言った。
彼は苦笑いしながら、スープのおかわりをした。
それぞれお風呂をすませると、早々に寝床へ入ることになった。羊飼いの朝は早いのだ。
コーギーが寝室へ来た時、既にサーヤが彼のベッドに入っていた。
「あ、あの、サーヤ……? そこはぼくの寝るとこなんだけど」
「何よ、あんたは私に床で寝ろって言うつもりなの?」
「い、いや、そんなことはないけど……」
「別にいいわよ」彼女が向こう側へ体を向け、ベッドのスペースを空ける。
「え?」
「晩ご飯とお風呂へ入れてくれたお礼よ。十秒以内にベッドへ入らないと、今の言葉を取り消すから」
「ちょっ、ちょっと待って!」
コーギーは慌てて潜りこんだ。お互い背中を向けて横になる。ベッドの中に、二人の体温が満たされ共有されていく。彼は背中全体で、サーヤの温かさを感じていた。思わず息をのむ。
一分くらい沈黙が続く。それを破ったのはサーヤだった。
「今日はありがと。羊のスープ、とてもおいしかったわ」
いつもとはちがう、優しく包みこむような声だ。コーギーはそれに少し驚きながら、声が裏返らないようにせきばらいを一つする。
「こちらこそ、あんなに喜んでくれてうれしいよ。つくった甲斐があったというものさ。それに――」
「それに?」サーヤが体と顔を彼に向けた。それに気づいてコーギーも彼女を見る。二人は十センチと離れていない。
「ぼく、いつもつくった料理を一人で食べているんだ。足元にマロンはいるけど、やっぱり同じ料理を一緒に食べて、味を誰かと共有したかった。大切な人とね」
「大切な人って誰?」
「もちろん、サーヤだよ。ぼく、君のことが大好きだから」
「え、ええ!?」サーヤは顔を真っ赤にする。「何言ってんのよ、あんたは!」
コーギーを両手でベッドから落とした。「いてっ」
「誤解しないで。あ、あくまでも友達として好きってことだから。安心して」
彼は必死に弁解する。すると彼女の表情が、一気に熱が冷めたように引いていく。
(友達だってはっきり言われるのも傷つく……)
「ん? 何か言った?」
「なんでもないわよ! あたし、もう寝るから」
サーヤは再び向こう側を向いた。コーギーも腰をさすりながらベッドへ潜る。
その後二人は、少しの間寝付くことが出来なかった。
明け方ごろ、大地がうなりをあげた。
ここまでがあらすじに記載されている内容です。次から、事態は急展開します。お楽しみに。