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夜にしか咲かない満月 (短編ホラー)

作者: 月山青雲

「夜にしか咲かない満月  禍眼ノ醜女まがめのしこめ



 冷たい雨が降る長月半ばの夜だった。

 狭い路地の脇に佇立する水銀灯は寒々しい光を放ち

 雨に濡れた路面を白々と染めていた。

 

 会社の帰り道、俺はその水銀灯の真下で奇妙なものを見てしまった。


 老婆だった。

 白い着物を着て、雨のなか傘も差さず俯いたまま立っていた。

 不気味な姿だった。濡れて乱れた髪が顔を覆っていて、

その表情はよく分からない。

 だが、ずっとこちらを睨んでいるような視線を感じ、

 背筋に冷たいものが走った。

 靴など履いておらず、枯れ木のように細い足が

 着物の裾から見えている。

 寒さのせいだろうか、その小柄な身体が小刻みに震えている。

 

 俺には霊感など無い。

 だがすぐに分かった―――この老婆は、この世の者では無い。

 

 心臓の鼓動が、速まった。

 一刻も早くこの場から逃げたいが、恐怖で足が震えて一歩も動けない。

 

 すると、うつむいていた老婆は突然顔を上げ、カッと眼を見開いた。

 俺は卒倒しそうになった。

 老婆の眼には黒目が無かったのだ。いや、黒目が白く濁っていた。

 そして、皺だらけの顔には、黄ばんだ蛆虫のような腫瘍がびっしりと

 覆っている。そのあまりに恐ろしい形相に、俺は悲鳴ひとつ出せず硬直した。

 

 老婆はゆっくりと俺のほうに歩を進めながら、凄まじい大声で、

 「おまえ、夜にしか咲かない満月を、知っているかあ?」

 と叫んだ。

 俺は歯の根が合わずガチガチと震えて、喋ることもできない。

 「夜にしか咲かない満月というのはあ、これだよ」

 次の瞬間、老婆は自分の両眼に指を突っ込んだ。

 眼窩から凄まじい勢いで血が噴出した。

 「これだよ、満月はあ、これだよ」

 老婆は、鮮血にまみれた二個の球体を掌に乗せ狂ったように笑いながら

 俺にじりじりと近寄ってきた。

 掌の上にある二つの白目が、俺を睨んでいる。


 その時、俺の中で何かが弾けた。

 

 逃げた。

 

 ただひたすらに逃げた。老婆は凄まじい勢いで俺を追いかけてくる。

 眼球を指でつまんで再び眼窩にはめ込みながら、奇声を上げて迫ってくる。


 「見せておくれよ! おまえの、満月を、見せておくれよ!」


 悪夢だった。老婆は俺の眼をえぐろうとしている。


 不気味で甲高い笑い声が、背後からだんだんと近づいてくる。 

 あまりの恐怖に後ろ振り向くことなどできず、ただやみくもに走った。

 この醜い悪魔から逃れようと薄暗い路地を必死で走った。

 

 どこをどう走ったのだろうか? 

 気づいたときには、近くの神社の境内に居た。

 雨でずぶ濡れになりながら、肩で息をしていた。

 

 息を整えてから、拝殿の賽銭箱のそばにへなへなと座り込みながら、

 先程の恐ろしい出来事を心の中で反芻していた。


 あれは何だったのか。

 あんなにも醜く恐ろしいものが、この世にいるのか。

 老婆の凄まじい形相を思い出すと、身体がまた震え出した。


 すると境内の端にある社務所の扉が開き、中から初老の男性が出てきた。

 この神社の宮司だろうか。

 何やらそわそわとした感じで境内を見渡し、

 やがて賽銭箱のそばに居座る俺を見つけ、訝しく思ったのか、

 宮司はこちらに歩み寄って来た。

 そしてジッと俺の眼を見ながら、こう言った。

 「あなた、その眼どうしたんですか? 私の顔、見えてますか?」

 「えっ? ええ、ちゃんと見えてますが」

 「黒目が、白く濁ってます」

 「そんな、そんな……」

 俺はうろたえた。

 自分の眼が、先刻のあの老婆のようになっているのか。

 「もしかすると」

 宮司の表情が、険しいものへと変わった。

 「もしかすると、マガメノシコメ(禍眼ノ醜女)が憑いてるかも知れません」

 「ま、まがめのしこめ?」

 「なぜか、今夜は胸騒ぎがしていたのです。特にこんな雨の夜には、

  決まって悪い物が出たりするので」

 「じ、実はさっき道端で……」

 先ほどの出来事を話そうとする俺の言葉を遮るように、

 宮司は強い口調で言った。

 「話は後です。とにかく、急いで奥の社殿へ来て下さい」

 「え? どうして?」

 「今すぐ祓わないと、大変な事になります!」

 すごい気迫だった。

 こうして俺は、訳も分からぬまま半ば強引に御祓いを受けることになった。

 

 社殿の中は薄暗く気味が悪い。一応天井の電灯はついているし、

 祭壇の蝋燭には火が灯っているのだが、それでも暗い。

 四方は木戸で覆われていて、息苦しさを感じるほどの密室ぶりである。

 祭壇には丸い鏡が鎮座していていて、白磁の瓶、稲、野菜などが供えられている。

 やがて宮司がやってきた。白い絹袴を纏っている。

 宮司は手に大幣おおぬさと呼ばれる白い紙切れの付いた木の棒を持ち、

 それを振るいながらなにか浪曲(?)のようなものを歌いはじめた。


 「たかあまはらにかむづまります、かむろぎかむろみのみこともちて……」 


 祓詞はらいことばと呼ばれるものらしい。

 俺は床に正座して合掌した。社殿の中に宮司の浪々とした声が響き渡る。 

 すると突然、俺の両目に鋭い痛みが走った。焼けるように熱い。

 「あああ、目が、目が」

 「落ち着きなさい、大丈夫だから」

 いつの間にか俺の後ろにもう一人の宮司……正確には禰宜ねぎと呼ばれる

 宮司の補佐役の人が居て、俺の肩を押さえていた。

 まだ若い。宮司の息子のようだ。

 

 その間も宮司は祓詞を続けている。

 しばらくのあいだ痛みを堪えていると次第に目の痛みが消えてきた。


 突然、雷が落ちた。地響きのような轟音。同時にフッと電気が消えた。

 祭壇にある蝋燭の弱々しい褐色の光だけが僅かに残っているが、

 社殿内はほぼ暗闇である。だが、まだ御祓いの儀式は続いている。

 俺は正座しながら静かに祓詞を聴いている。

 

 トントン。


 ふいに、社殿の木戸を叩く音が聞こえた。小さな音だった。


 俺のすぐそばに居た禰宜の表情が険しくなり、

 大幣を手に取って宮司と同調するように祓詞を唱え始めた。

 

 ドンドンドン。

 また木戸をノックする音。さっきより音が大きい。

 

 ドカン! ドカン!

 戸を蹴り破らんばかりの轟音。

 木戸が歪んでひびが入り、今にも割れそうになっている。

 

 「見せておくれよ! おまえの満月を見せておくれよおお!」

 あの声だ。あの恐ろしい老婆の声。

 俺は耳を塞ぎ、震えた。

 だが宮司は祓詞を続けて必死に祈っている。

 

 禰宜は懐から札を出して、四方にある木戸に貼り付けはじめた。

 それほどの悪霊が来ているということか。

 

 祓詞を唱え終えた宮司は、祭壇にあった白磁の瓶を手に取り

 木戸のほうに行った。

 「不浄の者よ、去りなさい! 黄泉へ帰るのです!」 

 「満月をおお 満月をおお!」

 老婆はまだ木戸を蹴っているようだ。宮司は焦った。

 禰宜が叫んだ。

 「駄目です、戸が、結界が破られます!」

 バリッバリッ、メキメキという音と共に老婆が社殿の中に入ってきた。

 

 雷が落ちた。青い雷光に照らされた老婆がゆっくりと俺の方へ顔を向けた。

 あの白い眼が、俺を睨んだ。

 老婆はキキキと笑った。

 皮膚に貼り付いた蛆虫のような腫瘍が、ボトボトと床に落ちる。 

 「おまえだ、おまえの満月をよこせええ!!」

 宮司はすかさず、手にした白い瓶を老婆へ投げつけた。

 瓶が老婆の顔面に当たって砕け散り、中に入っていた液体も

 老婆の顔面で弾けた。

 「ぎゃあああ!!」

 老婆の顔や髪に火がつき、やがて火は体中に燃え移った。

 身体をじたばたさせ半狂乱になってうめき声を上げている。

 周囲に焦げる臭いがたちこめる。俺は思わず息を止めた。

 「去れ!」

 手に持った大幣を振り回し、宮司が叫んだ。

 すると老婆は顔を手で覆いながら走り去っていった。

 

 静寂が戻った。

 雷は収まり、雨も止み、ひんやりとした微かな風が社殿内に吹き込んできた。

 停電が復旧し、天井の電灯がついた。

 俺は、へたりこんでしまった。

 

 「あれは、あれは何だったんですか?」

 宮司も禰宜も、さすがに疲れたようで、床に座り込んだ。

 「あの老婆は、禍眼ノ醜女という妖怪です」

 「マガメノシコメ?」

 「禍眼ノ醜女は、元々は神……いえ神の御影とも言うべき者です」

 宮司によれば、あれは月の神である月讀命つくよみのみことの分霊で

 いわば月讀命の心の負の部分が自我を持ち、別の霊体として分離独立した者で、

 その醜悪さから、天照大御神により黄泉へと追放されたのだそうだ。

 黄泉に落とされた禍眼ノ醜女は天の神々を恨んだ。それ以来、太陽や月光の輝きが

 弱まる悪天候の時に、黄泉の国から人界へとやってきて、人の眼球をえぐり取って

 ゆくそうだ。

 「なんの為に人の眼を取ろうとするんでしょうね?」

 「さあ、私にもそれは分かりません。何せ化け物の考えることですから」

 宮司は腕組みをして首をかしげていた。

 仏教にも西洋の神話でも、眼をたくさん持つ神が出てきたような気がする。

 そういった神々は、たいてい強い力を持っていた。

 確証は無いし想像の域を出ないが……人から眼を奪い、自分の体に取り込んで、

 四方八方を同時に見渡せるようになれば死角も隙も無くなり、確かに強くはなるだろう。

 短絡的だが、そんな考えが禍眼ノ醜女の脳裏にあったのかもしれない。

 

 「今夜はもう大丈夫ですが、念のためココで泊まっていきなさい」

 宮司に勧められ、その夜は社殿に泊まらせてもらうことになった。

 一緒に寝るわけではなく、俺だけが社殿に寝ることになった。

 宮司や禰宜は社務所で寝ている。

 もし異変があれば携帯電話を鳴らして知らせる手はずになっている。

 社殿の戸には御札が何枚も貼り付けてあり、部屋の四隅には

 盛り塩が置いてあった。

 「たぶんもう奴は来ません。ですが、これも念のためです」

 と禰宜さんは言っていた。

 だが俺は、またあの老婆が来るんじゃないかとビクビクしながら、

 用意された布団に潜り眼を閉じた。

 眠ろうとしたがなかなか寝付けなかった。



 1時間ほど経った頃だった。


 トントン。

 木戸を叩くかすかな音がした。

 

 ドンドンドン。

 叩く音。今度ははっきりと聞こえた。


 ドカン!ドカン!

 木戸に貼ってある御札が焼けたように黒く染まってゆく。

 四隅の盛り塩も黒く濁ってゆく。


 「おまえの、満月を、見せておくれよおおお!!」

 あの老婆の声。

 突然電灯が消え、こんどは祭壇の鏡が割れた。

 社殿全体が地震のように揺れた。とても立ち上がることは出来ない。

 

 やばいと思った俺は、宮司を呼び出そうと携帯電話を取り出して

 教えてもらった番号にかけて、携帯を耳に当てがった。

 繋がらない。ザーッという雑音が入ったままで呼び出し音も鳴らない。

 背筋に冷たいものが走った。

 頼みの宮司も禰宜も異変に気付いてないのだろうか。

 

 「神様! 助けて下さい! 助けて下さい!」

 俺は祭壇に向かって必死になって祈った。

  

 凄まじい音と共に、戸がひしゃげて割れた。

 割れ目から、にゅっと顔が覗いた。

 眼が合ってしまった。

 十秒ほど見つめ合った。

 顔は赤黒く焼けただれて、さらに醜くなっていた。

 髪の毛も燃えて無くなっていた。

 「ひいい!」

 俺は腰が抜けて動けなかった。尿も漏らしていた。

 老婆は戸を蹴破って、社殿の中に入ってきた。

 俺の方へじりじりと歩み寄ってくる。

 「来るな! こっちに来るな!」

 老婆はキキキと笑いながら、ヒタヒタと近寄ってきた。

 俺は眼を閉じ、両手で頭を抱えた。

 足音は、すぐそばで止まった。

 

 俺の耳元で……俺の耳の穴に直接注ぎ込むように、その声は耳に入ってきた。


 「おまえ、夜にしか咲かない満月って、知ってるか?」







                                 END

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