桃色令嬢 ~しょせんはたった一着のドレスのことですが、運命は分かりません~
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「ファシール様は絶対に青のドレスが好きよ」
「いいえ黄色よ」
ユリアー洋菓子店の女性店員たちの最近の話題は、もっぱら一人の男性に関してだった。
「桃色が一番可愛いに決まっているわ」
と、ジェーンは言った。
来月に開かれるのは従業員をねぎらうガーデン・パーティーで、皆はそこでどんな服を着るかという話でもちきりだった。
「そうよ。伝統的なものが好きなお人なんですって。部屋は骨董品で溢れかえってるらしいわよ」
「ファシール様は大人っぽい女性が好きなのよ。桃色なんてご興味を示すはずないわ」
ナナは言外に子どもっぽいと言いたげだった。
が、ジェーンはちっとも気にしていなかった。
「それなら私の方なんて見なければいいのよ。顔を背けて、菫色だの藍色だのに釘付けになっていればいいんだわ」
「もう、ファシール様に会えるなんて、特別な機会なのよ」
女性達の関心は、ファシール・ギルツマンのことについてという認識に統一されていた。
このファシールという御仁は、少しばかり皮肉やな気があったが商才の腕は確かだった。
若くして、ギルツ商会の頭取に就任し、事業を拡大させたやりての跡取り息子だ。
ユリアー洋菓子店が売り出した、ポルポネンという伝統的な焼き菓子をいたく気に入ったファシール氏は、ギルツ商会で売りだそうと考えたらしい。
そういうわけで、ユリアー洋菓子店の私的なガーデンパーティーにも出資をし、本人も出席するというわけなのだ。
何度かファシール氏は店を訪れ、買い物をしていった。
そのたびに販売員の女性たちは先を争うようにお互いを押しのけ、試食を勧めた。
何せ、独身の年若い、すらりとした美青年である。
特に、ファシール氏がヘーゼルの瞳を悪戯っぽくきらめかせて微笑むと、どんな女性でも骨抜きになってしまうのだった。
「私は誰が何て言ったって、絶対にあの桃色のドレスで行くわ。もう仕立て屋さんにオーダーしたの」
「ライバルが一人減るわ!」
と言って、女店員たちは笑った。
ジェーンも一緒になって笑った。
「ナナはいいわよね。あとはウエディングドレスだけだもの」
と、女性店員の一人が言った。
親友のナナは劇作家のボーマン氏と付き合っていた。
もう付き合いも二年半になりそうで、来月は結婚式だ。
「どんなウエディングドレスにしたの?」
「最初で最後だから、キラキラしたディアマンをいっぱいつけたのにしたの。その日だけはお姫様みたいになりたくて。ティアラとセットでね」
「まあ、すごい、いったい幾らするの?」
「給料を一年必死で貯めたわ。リックもね。だけど少しでも理想に近付きたくて、妥協もしたわよ」
「あら、どうしたの?」
「仕立てをシャルドン服店に頼んだのよ。あそこのマダムは腕はいいけど、とってもお喋りじゃない?」
「まあ! そうね、勇気がいるかも」
「他より安かったけれど、店で注文をして半日後には、街中にあたしのウエストサイズが知れ渡ってたわ。妊娠してるんじゃないかって。全く失礼しちゃう」
店員たちは笑い合って、またその日も馬車馬のように無我夢中で働いた。
労働の対価を服飾に費やすのが愚かだという人がいたとしても、ジェーンのことを笑ってはいけない。
彼女の労働への力の源流は、確かに一着の桃色のドレスだったのである。
ジェーン・ヨルネイドは夢見心地で、ドレスを頼んだ仕立て屋に行った。
ずっと貯めていた給料で、もうすぐ手に入れられるのだ。
「そんなに来られても仕上がり日は変わりませんよ、お嬢さん。まだ袖が縫えてないんだから」
仕立屋の婦人は呆れ顔で言った。
「全く、こんなお客は初めてだよ。何回見たって同じですって」
「構いません。私、あの桃色の生地を見ているだけで幸せなんです」
「よっぽど好きなんだねえ。お約束通り、ちゃんと来週には引き渡せるように仕上げておきますよ」
ジェーンがアパルトマンに戻ると、しくしく泣いているナナが部屋のドアの前に座り込んでいた。
「聞いてよ、ジェーン。もう最悪だわ」
ナナはわっと泣き出した。
「どうしたの? ナナ」
ジェーンは驚いて、ナナを部屋に招き入れた。
机の上には、来週、あの仕立屋に渡すドレスの代金が、白い封筒に入れて置かれてあった。
毎月、食費や遊興費を切り詰めながら、大切に貯めたお金だ。
桃色のドレスが手に入ると思えば、辛くは無かった。
ナナはジェーンの部屋のソファに倒れ込むように座ると、今度はしくしくとすすり泣いた。
「あのね。リックが浮気して逃げたの。結婚式ももうすぐだったのに! 信じられない」
「元気出して」
「もう無理だわ。あたし、毒を飲むわ。さようならを言いに来たの」
「何を言ってるの!」
「ごめんなさい、リックを失って、あたしどうかしてるわ。結婚もだめになって……あのね、結婚したらつけようと思って、オーダーメイドのウエディングドレスを注文してしまったの。今日取り立てに来るのにリックはいないわ。どん底なの。もうどうだっていいわ」
「幾ら?」
「1000ラルク。花嫁衣装は譲れなかったのよ、どうしても」
「リックに払わせたらいいじゃない」
「全財産出させるつもりよ。だけど、どれだけかき集めても200ラルク足りないの。お喋りな仕立屋は今日取り立てに来るわ。そうしたら、男に逃げられたってことを包み隠さず言わなきゃいけなくなる。あのお喋りの前でそんな恥を晒すくらいなら、死んでしまいたいわ」
「……ナナ。ここに200ラルクあるわ。すぐにシャルドンに渡しなさい」
「嘘。どうして、ジェーン」
「何も言わないで、ちょうどここにあるんだから、使って頂戴。もう毒を飲むだなんて言わないで」
「ジェーン。あなたって本当に優しいわ……ごめんなさい。あなた、リックは本当に信用できるかって何度も聞いてくれてたのにね……来月お給料が入ったら、絶対に返すから」
ジェーンは笑顔でナナに手を振り、ドアが閉まった瞬間、泣き崩れた。
あれだけ楽しみにしていたパーティーへの出席も、桃色のドレスを着てファシール氏に会うことも、どちらも可能性は絶たれた。
こうなったら、パーティーを欠席するしかない。
ジェーンは、桃色のドレスなしにパーティーに出席する気にはとてもなれなかった。
仲間の同僚たちにも、ずいぶんドレスについての詳細を話してしまって気まずい。何より、誰も笑わなかったとしても、ファシール氏の前で暗い顔を見せたくはなかった。
それから十日が経った。
パーティーはつつがなく行われ、ファシール氏の差し入れもあり、大盛況で終わったらしい。
仕事終わりにナナはジェーンを職場の裏へ呼び出した。
「ジェーン。本当にありがとう、それにごめんなさい。リックがまだ見つからなくて、100ラルクが用意できてないの。もう少し待ってくれる? 必ず返すわ」
ジェーンは頭を殴られたような感じがした。
今日は、仕立てたドレスの支払日だった。
「あら、あなた、そういえばパーティーに来なかったってみんなが言ってたわ。体調良くなかったの?」
何も知らないナナが、心配そうに覗き込んだ。
「ええ、ちょっとね。風邪をひいたの」
ジェーンはのろのろと言った。
「でも、あなた、すごく楽しみにしてたじゃない」
「仕立てが遅くて間に合わなかったのよ。これから取りに行くわ」
「そうだったの。お気の毒に」
「いいの。わたしにはパーティーなんて縁が無かったのよ」
「そんなことないわ。あなたかわいいんだから。それに女神様みたいに優しいもの。ジェーンみたいな子には、きっといいことがあるわ」
力なく微笑むと、ジェーンは店に出かけていった。
歩く度に、足から、手から、少しずつ気力が抜け出ていくようだった。
「すみません。今日お支払いができなくなってしまって。あの、作っていただいた、桃色のドレス、もう少し待ってくれますか。来月から必ず、月賦になるかもしれませんけれど、お支払いします」
「あんた、桃色のドレスをずっと楽しみにしてた子だろ。何回も来るから顔を覚えちゃったよ」
「すみません」
「何か事情があるんだろうけどさ。あんた、この服が必要だったんだろう? なら、持って行きな」
「でも、お金が」
「来月から支払ってくれるんだろう? あんた、一年間、毎月ここに通ってきたじゃないか。あたしだって、お客様の心が分からないつもりじゃないよ。支払いは待つさ。あんた以外にそのドレスを着れる娘を
もうあたしは想像できなくなってるんだよ」
ジェーンは幸福な気持ちでドレスに着替え、街に飛び出した。
パーティーに出られなくとも、今は構わなかった。
自分は今最高に幸福で、何にも代えがたい感動を抱いている。
魅力的な男性との出逢いも、胸が高鳴るような楽しいパーティーも、どうだっていい。
ジェーンは今や完全に自由だった。
もう誰の目も気にしない。
お気に入りの洋服を着ていれば、どこにだって行ける。
何にだってなれる。
やりたいことをすればいいのだ。
ジェーンは通りにある老舗のカフェに入った。
流行の菓子ではなく、旧式のタルトタタンを出す店だ。
リキュールがきいていて、好みが分かれる味だが、ジェーンはわりと好きだった。
職場仲間と行くには彩りが足りないが、一人で座って珈琲を飲むにはちょうど良い。
ジェーンが幸福な気持ちで丸テーブルに座ると、不思議なことが起こった。
「やあ、あなたは、ユリアー洋菓子店の販売員じゃないか? 僕のこと知ってるかな」
「もちろんです」
ファシール氏は、食べかけのタルトタタンをじっと見ると、女性店員たちをとりこにする、あの魅惑的な色気のある微笑を浮かべてジェーンに言った。
「きみ。この間のパーティーに来なかったろう? 風邪でもひいたのかい。一度話してみたいと思ってたんだ。このタルトタタン、最高に美味しいよな。君とは絶対に好みが合うと思っていたよ! 流行の大衆好みの菓子なんかじゃなくて、僕はこういう昔ながらの少し癖のある味わいのものが好きなんだ。よかったらテーブルを一緒にして、お茶をご一緒してもいいかな?」
ドレスに負けず桃色に頬を染めたジェーンは、夢見心地で頷いた。
END
お気づきの方がいたら嬉しいですが、Oヘンリーの『紫のドレス』のオマージュです。
ただ読み返したら本家本元の廉価版みたいな雰囲気になってしまいちょっとアレでしたね…
まあ…供養ということで…せっかく書いたので載せます
赤い酋長の身代金とかも好きです… Oヘンリーいいよねという話でした




