後編
アウグスタからの離縁通知と、屋敷を引き払うという力技に呆然としていたルーカスを回収したのは家紋の無い馬車で、そこには弟のアルフレトが乗っていた。
あれよあれよという間に馬車を乗り換えさせられ、ティナ嬢と一緒に辿り着いたのは王城。
これはもしや王太子殿下が早くも計画を実行に移したのではないかと、未来の王太子妃である彼女を丁寧にエスコートして向かわされたのは謁見の間で。
扉が開かれれば、ファビアン王太子殿下とティナ嬢を匿った仲間達もいたのだが、誰もが戸惑いを表情に浮かべていることからルーカスと同じように事前の説明なく連れてこられたのだと理解した。
それとして自分は大丈夫だが、ティナ嬢は可憐な令嬢の身。
旅疲れもあるだろうから早く休ませてやりたいのだが、彼女は健気にも微笑みを浮かべて王太子殿下の傍に寄り添うようにして立つ。
愛おしそうに目を細めてティナ嬢を見つめる王太子殿下に、正に真実の愛はここに在るのだと思い、感動に胸を打ち震わせながら二人を見守る。
周囲の人間がどんな顔で自分達を見ているかなんて気にもせずに。
宰相の軽い咳払いが響く。
「これより陛下のご発言ゆえに言葉を謹み、拝聴するように」
「さて、愚息ファビアン及び側近達の処遇を、今一度改めることとなった」
苦い表情を隠そうともせず、玉座に座る王の横に控えるのはファルケンシュタイン公爵家の嫡男フェリックスか。
久しぶりに見たが、いつだって気に食わない奴だ。
本来ならあの場所は王太子殿下のもの。どうして我が物顔であそこに立っているのかがわからない。
「あれほど廃嫡せぬ代わりにと言ったにも関わらず、その娘と縁を切らないのは予想がついておった。
婚約者であるエヴェリーネ嬢もそれぐらいで悋気を起こすほど、ファビアンに対して愛情などないのだから、気にもしていないと言っていたが」
言葉の後、重苦しいため息が落とされた。
「許されぬのは女遊びに個人の資産を使わず、国の金を盗人のように使ったこと。
また昨年の罰に懲りず、再びエヴェリーネ嬢を陥れようとしたことだ」
その言葉に、ファビアン王太子殿下の肩がビクリと跳ねる。
周囲にいる彼の側近達も同じだ。
「その娘に金を使い過ぎて、たかだか物見遊山に行くことすらままならぬか。それとも見栄でも張って土地一番の宿で贅の限りを尽くそうと浅はかな欲望を優先したからか。
違うとは言わせんぞ、婚約者や婿入り先に金を一切使わず、そのために用立てられた金子すらも小娘に使っておったのは調べがついている」
違うのです陛下、と王太子殿下が声を上げるも、すぐに黙るよう厳しく言われてしまう。
「親子であろうと公式の場、許されるまで喋ることを禁ずる」
「妃が遺してくれた唯一の息子だからと、一度だけならばと情けをかけたのが間違いだった。
周囲に頭を下げ、やり直す道をくれてやったものを、愚か者が……」
疲れた顔の王が言葉を続ける。
「二度目はないと言ったはず。
ファビアン、お前は王族から離籍とする。
あわせてファルケンシュタイン公爵令息フェリックスを王太子に据える」
「そんな!」
納得できぬ怒りを顔に浮かべ、前のめりに足を踏み出したファビアン王太子殿下の腕を掴んで拘束したのは騎士達だ。
「王太子妃になれぬ娘と共に添い遂げたいのならば、お前を王太子とは誰も認めぬ。
とはいえ、市井に放り込んだところでいらぬ問題を起こすのも然り。
レジアで海の良さを味わったようだったからな、ベルカ伯爵の地位をやろう。
その名と同じ、ベルカ諸島を恙無く治めるがよい。
ああ、お前の側近と娘も連れて行って構わん。どれもこれも不要だからな」
その言葉の意味を理解しているからか、ファビアン王太子殿下の顔色が蒼白どころか土気色へと変貌していく。
周囲にいる側近も、ルーカスだって同じだろう。
学園に入れば地理の授業で学ぶ場所の中で、一番有名だと言って過言ではないからだ。
「海に囲まれた島だなんて素敵!」とティナ嬢は大はしゃぎしているが、何もわかっていないからこその態度で、真実を知れば泣き叫ぶことになるはず。
ベルカ諸島は人の住めない島々がほとんどの土地だ。
唯一人が住める程度の土地がある島は本土に近いことから細長い石橋が架けられており、そこから物資の搬入が行われる。
行われるのは搬入だけだ、この領地が何かを生み出すことはない。
日用品から少しばかりの嗜好品だけではなく、食料品すらも本土任せとなる。
耕せる土地もなければ、商いをする場所すらもない。
海に囲われていようとも貿易を行うことも、航海する船の中継地点にもならない。
どうやって収益を得るかは非常にシンプルだ。
ベルカには特別犯罪収容所、国内で一番危険な囚人を扱う刑務所があるからだ。
というか、収容所しかない。
この地の住人は罪人か監視する立場の者だけ。
つまり、伯爵とは名ばかりで収容所の所長でしかなく、唯一住める島全体が収容所という場所だ。
それは王太子からの転落だけではなく、王族や貴族として最も惨めな生活を約束されたことになる。
罪人が逃げ出さないように島は背の高い石壁を築かれており、僅かな隙間もないことから日が差しにくい。
そんな中で青白い肌になりながら、罪人達のギラついた視線に負けず仕事をこなさなければならない。視線だけではなく、時には罵倒や牢の柵を蹴り付ける音、毎夜行われるどこかの部屋での暴力によって起こる末路の叫び。
仕事が仕事だけにいつでも対応できるよう、ベルカ伯爵となった者は収容所の中に居を構えて暮らすことになる。
罪人の逃亡を許すことないよう、物資の搬入以外で本土の出入りは許されず、社交の季節にあろうとも王都で過ごすことも許されない。
そんなベルカ伯爵の代替わりは激しい。
生活の過酷さに自らの命を失うことを選択するか、もしくは精神を苛まれて使いものにならなくなったことから静かな療養所に移されるかのどちらかだからだ。
滅多にはないが脱走した罪人に嬲り殺された例だってないわけではない。
そんな場所に後ろ盾もない元王子と、高位貴族であった元令息達、そして可憐な少女が生きていけるはずがない。
* * *
「それで?
皆様揃って、仲良く送り出されたのかしら?」
夕食の席でアウグスタは問う。
「魂が抜けた状態の間に馬車に押し込めたよ。
運良く旅行の帰りだから荷物はまとめてくれていたから、送り出すのがスムーズだった。
それにしても今日の料理は気が利いているね。
確か、ベルカ諸島の近辺にも生息している魚だったっけ?」
アルフレトは唇の端を僅かにあげて、今日の魚料理を褒める。
普段は肉を好む彼が魚料理を褒めるぐらいに、実の兄の末路に思うところがあるのだろう。
憐れみや心配といった感情では決してないと断言できるが。
「確かそうだったはずよ」
今日の魚は白身魚のジガと呼ばれる、庶民にも愛される魚だ。
今の時期が一番脂が乗っており、貴族達も好んで食べている。
食事中の話題としては些か殺伐とした内容だが、新しい夫であるアルフレトとアウグスタは愚かな王太子や側近達の後始末に忙しい。
寝室に戻ってからしたい話題ではないことから、必要な会話は夕食に済ますと決めていた。
新たな王太子とその婚約者の発表は早々に執り行わなければならないし、令息達による再びの離縁や婚約破棄によって虫の息となった家々の経済状況を考えた采配をしたり、瑕疵のない令嬢達は待ってくれていた元婚約者との再度の婚約手続きや新しい婚約者の紹介に尽力したりとすることは山積みである。
アウグスタも従姉妹であった子爵令嬢に一年という時間を無駄に使わせたことのお詫びと感謝から、彼女の結婚式や新居の費用は伯爵家に支払われた公爵家の慰謝料を充てるよう手配している。
互いに思い合っていた二人だから大丈夫だとは思っていたが、それでも会えない一年は心細い思いをしただろう。
国の為とはいえ、その献身には報わなければならない。
アウグスタもこの度の離縁によって、本来の婚約者であったアルフレトと結婚することができた。
アルフレトは次男であったことからアウグスタの家に婿入りする話は早くに決まっていて、学園に入るよりも前の幼い時に出会った二人の仲は大変良好だった。
王太子達が問題を起こすことがなければ、卒業と同時に結婚していたはずなのに。
食事を終えれば居間へと場所を変え、いつものように珈琲を頂くことになる。
そこでアルフレトの執事が、アウグスタに一通の封筒を差し出した。
「アルフレト様経由で奥様にお手紙を送ろうとした様子で……」
封筒の裏に書かれた名前に眉を顰める。
「嫌だわ、元旦那様からのお手紙よ」
あの荷物の中に筆記具なども入れていたのだろうか。
乱れた文字から馬車で書いたのかもしれない。
自身の執事にペーパーナイフを持ってこさせて封を切る。
横からアルフレトが覗き込むのを気にせず全て読み終え、そして手紙を宙へと放り投げた。
「以前に恋愛小説を読んだときに同じような場面が描かれていたのだけど、こんな常識知らずは貴族にはいないと馬鹿にしたのは謝るわ」
アルフレトが拾い上げて、もう一度内容に目を通してから握り潰す。
「見苦しいな。未だにアウグスタに言えば、何とかなると思っているのか。
お飾りの夫でしかなかったというのに、これまた随分と偉そうなことだ」
そもそもの話だが、ルーカスの婿入りは他に受け入れ先がないから、エヴェリーネに頼まれて形式上の夫として迎え入れたに過ぎない。
いわばお飾りの夫だ。
だからルーカスを迎え入れる際の契約として体面上の夫でしかないこと、公爵家と伯爵家の後継者はアルフレトとアウグスタの子になることが書類にしっかり明記されている。
そしてアルフレトは独身のまま。
つまり、事実上の夫婦はアルフレトとアウグスタだ。
結婚式当日に白い結婚を声高に叫んで客間に引っ込んだルーカスは全く気づいてなさそうだったが、きちんと書類を確認しないのは本人の問題でしかないし、どうせ言ったところで碌に話も聞かなかったと断言できる。
大体、いらぬ穀潰しを家に置いてやっているだけ感謝してほしいくらいで、これ以上アウグスタが気にかける必要など感じなかった。
だからルーカスが伯爵家のタウンハウスだと思っていた屋敷は、実際には全く関係の無い借家だ。
執務をこなす時しか訪れず、仕事が終われば公爵家か本来の伯爵家のタウンハウスで過ごしていたし、ルーカスの使っていた客間と食堂、執務室、それから使われることのなかった居間ぐらいにしか家具は置いていなかったが気づくこともないまま。
真実を知れば、どれだけアウグスタがルーカスを拒絶していたのかわかるだろう。
「アウグスタが手紙を書く必要はないよ。
そんなことをしたら、断りの手紙であろうとも反応が得られるのだと思い込んで、執拗に新たな手紙を送ってきそうだから」
アルフレトは便箋とペンを持ってくるように命じ、すぐに準備されたペンを手に返事を書き始めている。
ありとあらゆる罵詈雑言を書き連ねつつ、あの舐め切った性格を真っ二つに折る言葉を考えていそうだなとは思ったが、わざわざアルフレトを止めるつもりもない。
強いて言うならば、自分で書きたかったということぐらいか。
時折アルフレトの手が止まり、少し視線が天井を彷徨ったかと思えば、すぐに便箋へと視線が戻る。
既に便箋は二枚目に突入していた。
「せっかくだから、半年前の事件についても書いておこうか」
満面の笑みでアウグスタへと声をかけるアルフレトの顔には、100%の純粋な悪意に満ちている。
そして彼の言う事件に、アウグスタも心当たりがあった。
通称、暴虐のオストロア殺人事件。
国立劇場で芝居をすることを許された劇団の一つに所属する、主演俳優ダレイオスによって起こされた事件だ。
事件の証拠が集められ、騎士団に捕まるまでに殺された美しい若者達は推定36人。
彼の標的にされたのは美しいと評判の若者達で、まだ幼い少年少女すら含まれていたとされている。
彼自身もまるで世に並ぶ者のいない美しき彫刻と呼ばれる美貌の主で、その声を聞くだけで魅了されて何も考えられなくなると評判の俳優だった。
実際アウグスタも友人に誘われて観劇に向かったことがあるが、確かに魔性の魅力を持った人間だと感心し、同時に近づくのは止めておいた方が良いと思ったものだ。
そんな彼の性質は残虐にして暴力的。
攫った若者を長時間に渡って思いつく限りの拷問で嬲り続け、最後はその辺りの路地へと捨ててしまう。
オストロアは穀物地帯でよく見かけられる風習だ。
藁人形に女性の服を着せて春の神へと埋葬するという、豊かな農場でもあればどこででも見かける風物詩である。
死体の放置のされた姿から凡庸な風習からなぞらえた名前で、よくもまあ神への儀式の名を軽々しく借りるものだと思ったものだ。
ではなぜ、手紙にそんなことを書くのかといえば、ダレイオスがベルカ犯罪収容所にいるからだ。
ダレイオスが騎士団に捕まった当初、王都に住まう誰もが死刑になると信じて疑わなかったのだが、そこに権力の横槍を入れてきた人物がいた。
彼の熱狂的な信者であったヴィーナー伯爵夫人だ。
被害者が全て平民であったことから権力と金とコネを捻じ込んで、法務大臣と遠い親戚であったことから結果的に何とかしてしまったのだ。
当然そんなことをしてヴィーナー伯爵夫人も無事で済むわけがない。
ダレイオスがベルカ特別犯罪収容所にて終身刑になるのと引き換えに、平民の反感を買ったヴィーナー伯爵夫人は真昼間に馬車で王都を移動中に襲撃されて死亡。
それを聞いたヴィーナー伯爵は慌てて伯爵夫人の遺体を引き取らずに離縁扱いとし、夫人の実家に押し付けた話は有名だ。
親戚の懇願一つで刑を軽くした法務大臣も命こそ狙われなかったが、自身もいつ襲われるかわからないという恐怖から精神的に不安定となり、これ以上の仕事は難しいだろうと大臣を退くことを余儀なくされた。
現在は息子に当主の座を譲って、領地の片隅の小さな家に侘しく住んでいると新聞の片隅に書かれたのは、事件の終息して三ヵ月ほど経過してからだった。
さすがに楽観的かつ能天気な彼らも、ダレイオスが誰なのかはわかるはず。
当時の新聞の一面を連日賑わせていたのだから。
さて、何もない退屈な生活に飽きて、魔性の美貌を見てみようなんて好奇心を起こすのは誰が最初になるか。
出会ったら最後、全員無残な姿で見つかることになるだろう。
これはエヴェリーネに報告しておいた方がいいだろう。
場合によってはベルカ特別犯罪収容所の秩序が乱れ、凶悪な犯罪者達が牢から解き放たれて収容所内を跋扈する可能性がある。
すぐさま撤退できるように刑務官と騎士達は門近くの詰め所に配置し、数少ない使用人達も曰く付きにしてもらおう。
門の外にも騎士を待機させた方がいいが、最終的には中で人の死亡が確認された時点で収容所が放火されたことにしてしまった方が早い。
馬車に揺られて進む彼らの到着は一週間もあれば十分だとすれば、明日にも動く必要がある。
三枚目の便箋を手にしたアルフレトを尻目に、アウグスタも手紙を書くために準備を命じるのだった。