前編
「なに、三ヵ月だけでいいんだ」
帰宅早々に懇願の言葉と共に頭を下げる旦那様を困ったように見ながらも、アウグスタの答えは拒否一択しかない。
「旦那様が何と言おうとも叶えるわけには参りません。
我が伯爵家は王太子殿下の婚約者であらせられるリヒテンバッハ侯爵家に与する者であれば、そのような不義理をできるわけがありませんでしょう。
まさか当家の立場を忘れていらっしゃるようでしたので驚きましたが、どうぞ王太子殿下にはお断りしてくださいませ」
頭悪いんじゃない?という言葉を幾重もの薄絹にも包まず投げてやったが、気づいたのか気づいていないのかはわからないが、夫であるルーカスは露骨に不機嫌そうな顔をしてから今度は悲しみに満ちた表情を浮かべ直す。
そういうところなのよねと思いながらも、アウグスタの表情が一切変わることはない。
貴族なのだから当然だ。
「さすがに君と君のご両親には配慮して、この本邸には入れはしない。
離れに暫く匿ってもらえるだけでいい。
程なくファビアン王太子殿下が真実の愛として、王太子妃になる彼女を迎えにこられる手筈となっている。
なに、長くても半年程度だ」
最初の言葉より期間が延びているし、やっぱり何もわかっていない。
「何度も言いますけれど、侯爵家に対する恩義と義理ならございますが、今までに誼のなかった王太子殿下の頼まれ事などで当家で預かる義理はございません。
その不貞相手がお困りなのを助けたいのでしたら、当家と関係ないところ、例えば旦那様の個人資産で家をお借りして差し上げればよろしいでしょう」
ここでサラッとルーカスに対しても赤の他人宣告をしておくが、いつものように夢見がちな彼には届かないだろう。
「そんな金があるわけがないだろう。
伯爵家が婿である私にあるべき予算を割り振ってくれないせいで、日々やり繰りに苦労しているというのに、その言い様は何だ」
「婚姻前から当家に一切のお金を入れないと宣言した旦那様に、どうして予算を割り当てる必要が?
ご冗談も程々にしてくださいませ」
王太子の側近として与えられる給与の額は把握している。
そして、それを個人資産として貯め込むわけでも運用するわけでもなく、ただただ誰もが愛する令嬢に今もなお貢ぎ続けていることも。
「君が冷酷な性格をしているのは知っていたが、まさかここまでとは。
こうも言うことを聞かないのならば、離縁だって視野に入れていいのだぞ。
君もこんなつまらないことで目くじらを立てて、器の小さい者だと知れたら伯爵としてやっていけないだろう。
いくら愛されていないと自覚があるからといって、妻ならば旦那様にもっと従順でないと」
「確かに旦那様に対しては冷たいのは事実かもしれませんが、伯爵としての器を旦那様から問われる筋合いはございません」
現実逃避ラブロマンスを繰り広げる王太子の側近業務なんて、不貞相手との逢瀬のセッティングやアリバイ作り、存在していない王太子殿下の婚約者への冤罪作りくらいだ。
実に下らないし、そういった行動すらも児戯に等しくて、彼らが何をしているかなんて関係者全員が把握しているというのに。
珍しくこなしたまともな仕事だって、優秀な政務官や文官達の報告を聞くだけか、サインするだけの数枚の書類に数時間かけるぐらいしかしていない。
「とにかく、明日からファビアン殿下の視察に同行する予定だ。
ティナ嬢も内密に同行させるので、視察から戻る際にはここに連れて帰ってくる。
早急に離れの準備をしておいてくれ」
それだけを言い残してアウグスタの返事も聞かずに階段を駆け上がるルーカス。
視察旅行という名目のバカンスが、余程楽しみで仕方ないのだろう。
内密と言いながらも軽やかに囀る様子が、いっそ清々しい。
秘めておかなければ拙いのだという自覚はある癖に、決して味方ではないアウグスタに対して真実を告げるぐらいには危機感の無さ。
そして公務にかかる費用は国庫から出ている国民の税であることを、これっぽっちも考えない屑だ。
アウグスタの一番嫌いなタイプである。
「いつまで学生気分なのかしら」
実際に学生であるのは王太子殿下と数人の側近だけで、アウグスタの夫であるはずのルーカスは疾うの昔に卒業し、本格的に王太子殿下を支える成人であるはずなのだが。
ルーカスとの会話の最初から、ずっと脇に控えていた執事をちらりと見た。
「お嬢様、どうされますか?」
質問の形式は取っているものの、アウグスタの返事などわかっていると言いたげだ。
「そうねえ、昨年のことがあっての王命ですから。
市井に放り出して子どもなんて作ったら、あちらもお困りだろうと仕方なく引き取ったのだけど」
結婚を打診された際に、きちんと最低限の約束事は契約書に記載されている。
三部の原本は王家と旦那様の実家とアウグスタの家に。
控えは関係者全員に渡されていたのは間違いないので、その内容を把握していないとは言わせない。
「どうしてこうも恋に溺れると愚かなのかしら。嘆かわしいわ。
成績は悪くなかったはずと聞いていたけれど、貴族らしい思考を持ち得ていない時点で論外でしょう」
階段の上から旦那様の声が聞こえてくる。
手伝ってくれる使用人を探しているようだが、あいにくヴィッテルス伯爵家の使用人は忙しい。
旦那様として機能していない穀潰しに手を貸す暇があるならば、使用人仲間の手伝いを優先するだろう。
暫くすると、怒りに任せて適当に衣服を詰め込んだのか、旅行鞄から布をチラチラを揺らしながら旦那様が下りてきた。
白いシャツだろうか。鞄の低い位置から盛大にはみ出しているから、気づいた頃には土埃で汚れてしまっているに違いない。
手にはバカンス向けのレースと造花で飾り立てられた麦わら帽子があり、手の動きに合わせてユラユラと広いツバを揺らしている。
明らかに女性物だ。それも女性を囲んでバカンスを楽しむための贈り物だと一目でわかる代物ときた。
「なんだ、まだいたのか。
今から用意を始めないとティナ嬢を迎える準備が間に合わないだろう。
ああ、君のセンスに期待はしていないが、少しでも若々しいご令嬢であるティナ嬢に合わせた内装にしておくように。
君と違って彼女は淡い桃色が似合う。それからミントグリーンとパステルイエローもだ。
とにかく私は行ってくるから、二週間後の今日にはティナ嬢が寛げる場所と、私が護衛代わりに離れで過ごせる準備も忘れないよう」
ああ、遅れそうだと嘆いた口が歪む。
「これはファビアン殿下からの命令だから、たかだか伯爵でしかない君はちゃんと言うことを聞くように」
そちらこそ、たかだか伯爵の夫でなければ平民になるしかない身分のくせに。
ルーカスが歩くロングカーペットの端を、執事がゴミを拾うふりをしながら力任せに引く。
急ぐあまりに足が縺れ、転びそうになりながら出ていく旦那様を見送り、アウグスタは一言だけ口にした。
「あれ、もういらないわ」
* * *
ルーカスにとって、ティナ嬢は理想を詰め込んだ令嬢であった。
最初はたかが平民に入れ込むなんて王太子殿下も随分と酔狂だなと思っていたが、彼らが街へお忍び外出をした際に監視代わりについていき、王太子殿下に代わって彼女を家まで送ったときの会話であった、知らないことに一つ一つ驚く新鮮さやよく変わる表情、既に王宮で働くルーカスへの尊敬の眼差しや労りの言葉達。
貴族令嬢であれば当たり前だと言い放つのであろう貴族の心得や国への忠誠心も、すごいことなのだと言われて気分が良かったのを覚えている。
思わず、どれだけ努力しようとも年の離れた弟ばかりが可愛がられることを口にすれば、ティナも眉を少し下げて寂しそうに笑い、自分も同じだと言ってから耐え切れないように涙を零した。
その瞬間、ルーカスは報われない遅咲きの恋をしたのだった。
あれ以来、王太子殿下が彼女に求めているものを正しく理解し、そしてティナ嬢が最大の幸せを手に入れられるようにと二人が逢瀬を重ねられるように取り計らってきた。
余計な報告が陛下にされることないよう、殿下の護衛をしている騎士や王家の影を公爵家の金で買収した。
婚約者に使うはずの予算を上手く誤魔化して、ティナ嬢に卒業式用のドレスが届くように手配したのもルーカスだ。
王太子殿下がスムーズに婚約破棄できるよう、婚約者であるエヴェリーネ・リヒテンバッハ侯爵令嬢を陥れるための偽証工作に走り回る殿下と同年代の側近達のフォローもした。
全てが完璧なはずだった。
それなのに、絶対に成功すると信じていた卒業パーティーの婚約破棄が失敗したのだ。
買収されたふりをしていただけの騎士や影達による証言。
ティナ嬢に使われた金額が正確に記載された帳簿と、支払い請求書の数々。
偽証工作に至っては、生徒の何人かがリヒテンバッハ侯爵とエヴェリーネ嬢の依頼によって、間諜気取りで偽証を引き受けていたのだと声高に主張する。
王太子殿下が声の限りに真実の愛を叫んでも、それが大人達に通用することはなかった。
そして卒業パーティーで起こした結果は最悪な事態を招くことになる。
王太子殿下からティナ嬢は引き離され、廃嫡にしない代わりに二度と会うことは禁じられた。
一学年下だった彼女はすぐさま退学を言い渡され、侯爵家からの報復を恐れた家族によって罪深い少女達が更生の為に入るという修道院へと送られてしまう。
王太子殿下と一緒に各婚約者へと破棄を告げた令息達は彼らの有責での婚約破棄となり、各家々に多額の慰謝料をもたらすことになる。仕方ないから破棄は取り止めて継続しても構わないと言ったにもかかわらずだ。
私のせいだと泣き崩れるティナ嬢の清らかさと裏腹に、多額の慰謝料を毟り取って持参金代わりに他国へ嫁いだり、たいして才能も無いにも関わらず行き遅れの言い訳に留学していった令嬢達のなんと浅ましいことか。
ティナ嬢と違って、相手に対して一途に想い続けられない相手などお断りだと一致団結し、彼女を修道院から救い出してからは小さな屋敷に匿っている。
今回の視察は名目に過ぎない。
人目につかないよう外に出られなくなった彼女が、王太子殿下と恋人らしい時間を過ごすための旅行であり、王太子妃となるティナ嬢の為に一致団結を誓う目的もある。
だから場所も視察がほとんどないレジアと呼ばれる王家直轄の保有地を選んだのだ。
細長い領地であるあそこは土地の大半が海に面している場所だ。
初夏も少し先となる今は人が多くなく、価格が抑えられることで観光客も富裕層の平民が多くなるので、こちらの顔を知っている者に出会うリスクが低い。
人目を気にする必要のない日々を享受し、あの忌まわしきリヒテンバッハ侯爵親子に煮え湯を飲ませる作戦を堂々と計画する。
ほとぼりも冷めた今ならリヒテンバッハ侯爵も油断しているだろうと、再び決起する我々の勝利に向けた祝いだったのだ。
すでに王太子殿下は信頼できる者に依頼し、リヒテンバッハ侯爵の行う悪事を調べさせている。
聞いた話では後妻の息子であるブルクハルトに対し、過度なまでの厳しさで教育しているという話だ。
前妻の娘であるという威光を頼みにして、名ばかりの王太子殿下の婚約者でしかないエヴェリーネ嬢が指図しているに違いない。
あの者の心の醜さは最悪だ。
完璧な淑女と持て囃されているが、性根は腐りきっている。
そんな彼女に付き従うアウグスタのことも好きになれない。
公爵家の跡取りであったはずなのに廃嫡され、苛烈な性分の父親に市井に放り出されるか婿入りするか好きな方を選べと、望まぬ選択肢を与えられて仕方なく結婚したが、ルーカスに対して尽くす様子も見せない冷酷さに辟易として以来、結婚式以降は一切の関わりを拒絶している。
伯爵家で過ごす時間は食事と寝る時ぐらいだろう。
公爵家に比べて小さな屋敷だったが、寝室と食堂の行き来しかしなかったので、未だにアウグスタの部屋がどこにあるのかも知らないままだ。
初夜を断られるという、女としてすら終わっている行動を取られたにも関わらず、あの女はさして気にしていないところが腹立たしい。
結婚するにあたって、ティナ嬢に仮初の妻になど負けないでほしいと懇願されたことから、初恋の彼女に操を立てて夜を共にすることは絶対にしないが、少しぐらい殊勝気な態度でも見せれば、王太子殿下とティナ嬢との恋を成立させる手伝いをさせてもいいと思っていたのに。
だが、旦那様であるルーカスからの命令は絶対なはずだ。
ティナ嬢も奥さんは旦那様が働いてくれるから言うことをちゃんと聞くべきだと言っていたし、ファビアン殿下だって婚約者に公務をしておくようにと命令しかしていない。
政略結婚なのだから都合よく動いてくれる駒でなければ困るのだ。
「ルーカスさんのお家に泊まらせてもらうことになって悪いなぁって思っているけど、貴族の人の家に泊まるって初めてだからすごく楽しみなんだぁ」
ガタゴトと軽快な音を立てる馬車の中で、ルーカスはティナ嬢と二人きりだ。
ファビアン殿下にくれぐれも頼むと言われたのは、ルーカスの忠義に対する信頼ゆえ。
決してティナ嬢に手を出すつもりはない。
ただ、今日からは離れで二人きりの生活だから、少しばかり心が浮き立つのも仕方がない話だろう。
「きっと素敵なお部屋なんだろうね」
ニコニコと朗らかに笑うティナ嬢に笑い返し、「公爵家に比べればたいしたことはないよ」と返す。
自分に似合わないと自覚しているからか、やたらと格調ばかりを気にするばかりの伯爵家では若々しい令嬢のような色合いを取り入れることなく、よく言えば落ち着いた、悪く言えば地味なだけの部屋ばかりだ。
現在ルーカスが使っている客間も同様で、濃い色の家具と薄いアイスブルーの壁紙、濃紺の絨毯が敷かれているぐらい。
机の上に置かれたインク壺やガラスペンといった文具が照明を反射しているぐらいだった。
ほとんど着の身着のまま公爵家から婿入りさせられたというのに、アウグスタは部屋に置く物すら予算を割くことを許しはしなかった。
だが客が来たとなればもてなさなければならない。
特にティナ嬢は近い未来に王太子妃となる女性だ。
失礼があってはならないのだから、アウグスタは伯爵家の財を以てティナ嬢に尽くす義務がある。
「私がかつて暮らしていた公爵家と比べて数段も見劣りするが、君が過ごしやすいように心配りは忘れないつもりだ。
もし気に入らなければ、家の家具も君好みに買い替えるように言い付けよう」
そう言いながら馬車の窓の外で姿を現し始めた屋敷を見た時、何か違和感を覚える。
屋敷が暗いように思えるのだ。
まだ夕焼けを迎える少し前だから屋敷の照明が灯されていないだけかもしれないが、ルーカスの知る限りでここまで暗かったことはない。
近付くほどに違和感は確信に変わっていく。
門番の姿は見受けられず、この時間ならば庭師が食卓に飾る切り花を用意しているはずなのに姿が見えない。
言い知れぬ小さな不安を抱えて屋敷の前に着くも、出迎えをする使用人達の影も無かった。
王家から貸された馬車の先頭に座っていた御者が確認したのだろう、控えめなノックと共に馬車の外から声が掛けられる。
「何事だ?」
動揺している姿を見せたくないと、できるだけ居丈高に言ってやれば、門が施錠されていることとルーカス宛の手紙が挟まっていたことが報告された。
扉を開け、差し出された手紙を受け取る。
書いたのは間違いなくアウグスタだ。
几帳面で硬質さを窺わせる、寸分の崩れもない綴りは何度か見たことがあった。
ペーパーナイフが無いので気をつけて端を破ったつもりが、中の便箋の端までもが破れて苛々を増長させるばかり。
一緒にペーパーナイフも添えないあたりが気の利かないと思われるゆえんなのだと、心の中で悪しざまに罵りながら便箋を開けば、たった一行で書かれた文字がルーカスの視界に踊り込んでくる。
『ルーカス様はもういらないので離縁しました。
この屋敷も引き払いましたので、後はお好きに生きてください』
それはアウグスタ・ヴィッテルス次期伯爵からの離縁通知だった。
* * *
ルーカスが帰ってくるより一週間前。
つまりは視察に出かけて半ば程。
緊急の事態だとして王城へと招集されたアウグスタは、忠誠を誓うリヒテンバッハ侯爵令嬢エヴェリーネの後ろをきびきびとした足取りで歩いていた。
「アウグスタのお陰で早々に話が片付きそうだわ」
リヒテンバッハ侯爵家の宝石姫と呼ばれるエヴェリーネとは長らくの付き合いだ。
「とんでもないことでございます」
軽やかな足取りといつだって優雅に微笑む彼女は、誰もが理想とする淑女の鑑であるが、同時に国の為ならば辣腕を遺憾なく発揮する、王妃となるべく育てられた令嬢である。
幼い頃には既に王としての器に足るのかと、その素養を疑われていたファビアン殿下の為には、公爵家の息子や外務大臣を務める伯爵令息などを側近に召し抱えた。
また未来の王妃としても一人の令嬢としても高スペックだったエヴェリーネには、嫡子として厳しく育てられたアウグスタや同じ派閥の伯爵令嬢と子爵令嬢達が支えるべく集められた。
当初、令嬢の誰もが別の婚約者を迎える予定であったが、早々に一人息子である王太子殿下と側近達が真実の愛とやらによって幼稚な婚約破棄騒動をやらかしたことから、彼らの婚約者達はこれ幸いと婚約破棄の言質を盾に国外や意中の相手の下に逃げ出してしまった結果が今だ。
そこで行き場の無くなった側近達の婚約者の代わりとして宛てがわれたのが、エヴェリーネを支える令嬢達だ。
アウグスタも他に婚約者がいたのだが、王太子達の愚行は若気の至りでなんとか片付けてしまいたい王家の願いを受け入れて、当時はルーカス・エーデルマン公爵令息だった彼の受け皿になった。
まあ、王命を建前にはしているが、実際にはエヴェリーネからのお願いということで結婚したにすぎない。
その婚姻から一年。
とにかく仕事の邪魔をしなければ、そして今までの行き過ぎた行動を反省して、王太子殿下を諫めることができるのならば家に置いても良いかと思っていたが、していたことといえば他の者が手配した小さな家で囲われていたティナ嬢とやらに貢いでいただけ。
この一年しっかり伯爵家の信頼できる使用人に彼の世話をさせつつ、王太子殿下と側近達が何をしているかの記録をつけている。
伯爵家の使用人の証言では言い掛かりをつけることも想定し、しっかり王家の信頼厚い者達も紛れ込ませているので言い訳をさせるつもりはない。
お陰で証拠は盛り沢山だし、最終的にはルーカス本人からティナ嬢と王太子殿下の関係が続いていることを明言してもらった。
「エーデルマン公爵はルーカス様を引き取ってくれるのかしら?」
エヴェリーネの言葉は質問の形式を取っているが、答えはわかっているからかアウグスタの返事を待つ素振りも無い。
エーデルマン公爵家当主は今度こそルーカスを許さないだろう。
元々、最初の騒動の時点で廃嫡どころか除籍にして市井に放り込むつもりだったところを、公爵家がルーカスを廃嫡してしまうと王家としても一人息子であるファビアン王太子殿下に相応の罰を与えなければならないことから、格下への婿入りをするということで取りなしていたのだ。
とんだ甘ちゃん対応である。
アウグスタが王であったならば、殿下など断種にして片田舎に放り込むか、他国の高貴なる方のハレムにでも売り飛ばしていた。
そうでなければ素っ裸にひん剥いてスラム街にでも放り込むかだ。
王国には直系ではないにしても、限りなく王家との血が濃い公爵家は二家。
エーデルマン公爵家は跡継ぎがルーカスから弟のアルフレトに変更することから王家へと差し出せる子はいないが、ファルケンシュタイン公爵家には三人の令息がいる。
王も潔く彼らの中から選べば、恥の上塗りをすることもなかっただろうに。
エヴェリーネの手の中にはアウグスタや他の令嬢達が集めた証拠で膨れ上がった報告書が束になっている。
心なしかご機嫌なのも当然か。
謁見の間への扉前で、噂のファルケンシュタイン公爵家の嫡男が立っていた。
深い笑みはエヴェリーネに注がれ、蠱惑的な笑みを浮かべながらも、どこまでも合理的であることに徹していたはずの黒曜石が熱情を含んだ輝きを放つ。
「これはこれはエヴェリーネ嬢、ここで会えるとは実に僥倖」
「御機嫌よう、フェリックス様」
大袈裟なまでの挨拶と共に、可憐な主にエスコートの手が差し出される。
反対の手は報告書の束が抱えられていた。
きっとエヴェリーネ達が運んできた書類の中身と似たり寄ったりだろう。
これはどう見ても王太子殿下の足を掬う気満々である。
大波乱を呼んだ上での決着になるだろうなと思いながらも、口を挟まずに後ろに控える。
兵士が両開きの扉を開く中、アウグスタは背筋を伸ばして前を見つめた先に、ルーカスの家族であるエーデルマン公爵と弟のアルフレトがいてアウグスタに手を振っていた。