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10.契約成立

 部屋に入るとわたしは思わず固まってしまった。驚いたことにお父様だけでなく、王弟殿下もいたのだ。わたしはあわてて挨拶をする。もちろん表面上は取り繕ってだ。

 この部屋で待っているなんて聞いていない。心の準備くらいさせて欲しい。

 これまでの人生で一番気を遣う緊張した挨拶になったわたしに対して、王弟殿下は笑顔でわたしを迎えてくれた。

 サラサラとしたきれいなプラチナブロンドに、タンザナイトのようなきれいな目。男の人なのに美人という言葉が相応しい。

 こんなきれいな人に結婚相手がいないなんて信じられない。と言うか、わたしでは完全に釣り合わない。

 まだ結婚していないのも、婚約者がいないのも単純に釣り合う人がいなかったからなのかしら。きっと理想が高すぎるのね。

 お父様、これは完全に成立しないお話です……。


「お初にお目にかかります、クリストファー王弟殿下。わたしは宰相の娘で『ルーン』のリリアーナと申します」


 名前を呼んで不敬にならないかしら。

 お父様はお見合いなのだから名前を呼ぶようにと言っていたけれど、わたしは内心ビクビクしていた。

 本当にこんなことで喜ぶの?


「はじめまして。リリアーナ嬢。君が土地の精霊の声を聞いた聖女だね。わたしのことは気軽にクリスと呼んで欲しい」

 

 クリストファー殿下はとてもにこやかだ。笑顔がまぶしい。

 思っていた反応と違う。お父様の言うとおりのようだ。

 近くでみるとやはりきれいな顔をしていて直視できない。目を見てしまうと、その夜空のような目に吸い込まれてしまいそうになる。

 厳密にはまだ土地と契約していないので聖女ではないのだけれど、そんなことを言える余裕はなかった。

 そして、初対面で愛称呼びなんてとても恐れ多いのだけれど、断れる空気ではない。


「はい、クリス王弟殿下……」

「まだちょっと固いかな。殿下とか要らないから」


 にこやかに遮られた……。妙な圧を感じる。

 ちょっと強引な人なのかもしれない。わたしは素直に従うことにして気を取り直して話を続けた。


「……では、クリス様」

「なんだい?」


 クリストファー様はわたしの呼び方に満足したらしい。


「あの、突然、父が変なことを言って申し訳ありませんでした」

「変なこと?」

「領主になって欲しいとか……。その、わたしとお見合いのようなことをして欲しいとか……」

「あぁ、そんなことか。全く気にしなくて良いよ。いずれどこかの領主になることは決まっていたし、どこになるかは調整中だったんだ。ちなみにあの土地は候補の一つだよ」

「えっ、そうなのですか」


 驚いた。元々そんな話があったとは……。


「あの土地は重要な土地にもかかわらずひどく枯れてしまっていたからね。聖女を迎えるということで現状維持になっていたんだ。だから君は気にしなくて良いよ」

「はぁ」


 なんだかとても軽い。というかフランクな人だ。急にこんな失礼なお願いをされているのに上機嫌なようにもみえる。


「領主の件は良いとしても、わたしはあの土地と契約したいと思っています。精霊と約束しましたから。結婚が必要ですけど問題ないのですか?」

「問題ないんじゃないかな? あの土地をジルベルトたちに任せられないのは兄上も同じ考えだ。加えて、私はどこかの領地の領主になる必要がある。君はあの土地と契約したい。なら、私があの土地の領主になって君と結婚するのが一番だろう?」


 そんな簡単な問題ではないと思うのですが……。


「わたしと結婚するのは嫌ではないのですか? わたしではとてもクリス様に釣り合わないと思うのですが……」

「どうして? 私は君に興味がある。君の行いはすばらしいし、土地の精霊の声をきいて人生をやり直すなんてすごいじゃないか。私に不満はないよ。あの土地の精霊の御意向は尊重したいしね。君は元々ジルベルトと政略的な婚約だったのだろう? お互いのことはこれから知っていけば良いし、わたしたちの相性も悪くないと思うよ。私との政略結婚は不満かい?」


 わたしにとってはこれ以上ないありがたいお話だわ。


「不満だなんて恐れ多いです。わたしはあの土地や人々を大切にしてくれる方なら問題ありません。わたしの事情に巻き込んでしまい申し訳ありません。極力ご迷惑をおかけしないようにいたします」


 クリストファー様の表情が一瞬崩れたように見えた。

 何かおかしなことを言ってしまったかしら。


「……では問題ないね。契約は成立だ。それにどうしても合わなければ、土地を癒やしたあとに離婚するなり何か考えれば良いよ。もちろん、私にはそんなつもりはないけどね」


 一瞬、悲しそうな顔をしたように見えたのだが、気のせいだったのかもしれない。とてもきれいな笑顔で契約を了承してくれた。きれいな笑顔の中に圧を感じるけれど。

 しかし、そんなに簡単に決めていいのだろうか。いや、王族ともなれば政略結婚が当たり前で色々と覚悟があるのかもしれない。

 その割にはこれまで婚約者をお決めにならなかったのよね。やっぱり理想がものすごく高いのだわ。

 わたしも土地との約束を果たすためには手段は選んでいられない。協力してくれるというならそれに甘えよう。王の命令であればジルベルトたちも逆らえない。領地を奪うためには確かにお父様の案は良い案だと思う。


「あと、一つだけお願いがあるのですが……」

「なんだい?」

「あの土地の領民に不足している食糧の支援をしていただけないでしょうか? いずれ、必ずお返ししますので」

「もちろんだよ。国民が不必要に苦しむのは本意ではない。今以上の支援を約束しよう。それに、国の名前で支援しておけば領主の交代もスムーズにいくだろうからね。良い考えだと思うよ」

「ありがとうございます」

「負債はジルベルトたちから返してもらうから安心して」


 そう言ってわたしに向かって軽くウインクしてきた。まさか、こんな感じの人だったとは思わなかった。

 それにしてもどうしてこうぐいぐいくる感じなのだろうか。最後の方は離婚してもいいと言うがそんなことは許さないというような笑顔だった。やっぱりわたしが聖女だから?

 クリストファー様からは逃げられない何かを感じる……。


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