帽子屋とお茶会Ⅲ
「なんか……ごちゃごちゃした味がする」
いつものお茶会セットがある真っ暗な会場にて、私は椅子に座ってティーカップを傾ける。
しかし、口へ流し込んだ紅茶は。いつもと違って、何だか色んな風味の味が混ざり合いとても騒がしかった。
「君が飲みたいと言ってくれたからね! 気合を入れて、ボク特性のオリジナルブレンドを作ったんだよ!」
だからか……きっと、色んなお茶を混ぜこぜにしてこんな事に……。
「変にゃ味にゃ~」
私の膝に座るチェシャ猫が、両前足でカップを持ちながら言う。
「君には別に、飲んで貰わなくて構わないんだけど」
「おミャーはミャーに冷たいにゃ~」
言いながら、嗤い出す猫。
「なんで、小太郎に対してそんな敵対心剥き出しなの?」
呆れた口調で、私が尋ねる。
「だって、コイツ! いつも、君にベタベタベタベタ甘えるんだもん!!」
だって、猫だし。飼い猫だし……。
「それに、コタだって気まぐれだからいつも甘えてくるワケじゃないしね」
「にぇ~!」
顔を覗き込むと、チェシャ猫が笑顔を向ける。
私の身体は、元の年齢の十四歳の身体と姿に戻っていた。服も、先程の“私”が一度着ていた紺のセーラー服姿だ。
さて……これから、どうしたものか……。
「此処に、ずっと居ても良いんだよ?」
帽子屋が、お皿に乗ったお菓子を私の前に差し出しながら告げる。
「此処でずーっと、面白可笑しくお茶会をして。偶に、色んな世界に冒険に出よう! あっ、灰かぶりの彼女や。元操り人形君、雪の女王様の所にも遊びにも行こうよ!」
それは……とっても、魅力的なお誘いだ。
「ミャーも、一緒に遊べるにゃら構わにゃいにゃ~」
全てを思い出し、知りたかった真実を知る事が出来た私には。帰る場所なんてなかった。
というか、私は今。病院のベッドで寝ているらしいが、戻れるのかどうかも分からなければ……。
「今更、戻れないしな……」
逃げ出しといて、どの面下げて……という話になってしまう。
だったら、居心地の良い此処に居させて貰いたいな……そう、思った時。懐かしささえ感じる名前を誰かが呼んだ。
振り返ると、白兎が立っていた。
「貴方は……」
「帰ろうよ、 !」
駆け寄ってきた白兎が、私へ視線を上げながら言う。
「でも、私……」
顔を俯かせる私の前に、先程の法廷にあった手鏡が差し出される。
何も言わずに差し出す帽子屋の顔を一度見るが、彼は何も言わずにただ差し出しているだけだったので。仕方なく、私はとりあえず手鏡を受け取った。
鏡の中を覗き込む。見慣れた自分の顔が、そこには映った。けれど暫くしてから鏡が揺れ、ある景色が見えて来る。
白い部屋に、白いベッドに眠る私……そこに、別の人物達の姿も映し出された。
「お姉ちゃん……」
その隣には、お姉ちゃんの恋人になった彼の姿もある。
私の手を握り、涙を流すお姉ちゃんに。彼が悲しそうな表情で肩を優しく抱いていた。
そして、お父さんとお母さんも――お母さんの顔は、どこか魔法の鏡を持つ義母に似た面差しをしていた――辛そうな顔で、私を見つめていた。
――私は……。
「ねぇ、 」
続いて、呼ばれる私の名前。
「早く起きて」
その声は、白兎の声だけど。そうでは無かった。
手鏡の中に映る、家族以外のもう一人の人物。確か……お姉ちゃんの恋人の従弟の子だ。彼は返事もしない私に、声を掛けていたのだ。
その姿と、その声……それに、彼の涙に。胸が締め付けられ、痛みが走り出す。その様子は、人魚姫さんを失った時の事を私に思い起こさせた。
そして、先程映った両親と。姉と彼の姿が再び脳裏に過る。
皆、私が居なくなって。どうでも良いと……そう思っているようには思えない、そんな苦しそうな表情であった。
まるで、マッチ売りの少女の死を悲しみ。責任を感じていた、雪の女王様のような……そんな苦しさを感じた。
「君が居ないと……とても辛くて、とても……悲しいよ……」
そう呟くと、彼――秋兎君の瞳から。大粒の涙がこぼれ落ちる。
私は正直、彼の事をあまり良くは知らなかった。
長期の休みの時に、たまに顔を合わせたり見かけたりするくらの。お姉ちゃんの恋人の従弟。その程度の情報しか持っていなかった彼が、こんなにも……私の戻りを願ってくれていたなんて……。
「“アリス”」
呼ばれた呼称に、私は顔を上げる。
「とりあえず、お茶と一緒にお菓子をどうぞ」
そう言って。先程、差し出していたお菓子を再び私の前に置き直す。それは、私が大好きなお菓子であった。
「フォンダンショコラだよ! 温かいうちに、どうぞ召し上がれ」
ありがとう……と、述べてから。私はフォークを差し込んだ。ショコラケーキから、とろとろのチョコが零れだし。甘いカカオの香りが誘惑する。
口に運ぶと、濃厚な味が温かく甘く広がった。
「……美味しい」
「それは良かった!」
帽子屋の、明るい声が弾ける。
「君が、決めて良いんだよ」
私は、再び顔を上げた。
「何処に行くのか、それは君が決めて良いんだよ」
私は……自分の心に、静かに問いかける。そして浮かんだ答えを、ゆっくりと整理した。
「私は……此処に、居たい」
でも……。
「お姉ちゃん達に、謝りたい……」
自分が居なくなっても、世界も家族も誰も。何も変わらないと思っていた。実際、大した変化はないのだろう。
ただ、私の為に。皆が涙を流してしまうなんて思ってなかったから……本当に、それは私の心を締め付けて苦しくさせて……。
「そんな気持ちで此処に居ても、きっと……ダメだと思うから」
私のせいで、心を大きく揺さぶられてしまった人達を見て見ぬ振りして。自分だけ楽しくて幸せに……なんて、きっとダメだ。
「私、帰るね」
許して貰えるかは分からないけれど、もう一度。今度は、自分から向き合って。今、傍に居る人達を大切にしていきたい。
「うん!」
帽子屋は、笑顔で頷いてくれた。
「君が決めたなら、ボクは応援して背中を押すよ! ボクは、大好きな君の味方だからね!」
「彼女にあんまり近づくな! 変態帽子!」
「ちんまい泣き虫白兎君が何をっ!! それに、ボクは“変態”じゃない“変人”だ!」
どこで怒ってるんだ、彼は。
膝の上では、チェシャ猫がまた愉しそうに嗤っている。
しょうもない言い合いを一人と一匹が続けている間に、私とチェシャ猫はお菓子を食べ終えてしまう。
「美味しかったね」
「にゃあ~!」
「あああああああ!!!!」
すると、帽子屋のけたたましい声が鼓膜を突く。
「またお前だけ、“アリス”と楽しそにー!!」
帽子屋の言葉に、チェシャ猫は「ニャッニャッニャッ!」と嗤う。
「猫に怒ってもしょうがないだろ」
白兎が言う。確かに、ウサギと言い合いをしたり、猫に怒ったりしてもしょうがないと思うのだが。
「君は何も分かってないんだよー!」
いや、そう言われましても……。
「早くこんな変態帽子の所から帰ろうよ!」
私は差し出して来た白兎の前足へ手を伸ばし、そして止めた。
「すぐに行くから、ちょっと待っててくれる?」
「え? う、うん……」
少し不安そうな表情をしつつ、白兎は私から離れて行く。
「小太郎も」
金の瞳と視線が交わる。
「ちょっと、待ってて」
私が続けると「分かったにゃ~」と、膝の上から飛んで行く。
「あっ、ねぇーね!」
そう言い、チェシャ猫は宙で一度止まって私を振り返る。
「あっちで、みゃーが寄ってったら構ってくれにゃ! あと、おやつのチュルチュルはマグロ味が良いにゃ!」
「何ちゃっかり要求してるんだい?」
「今がチャンスにゃ!」
呆れた口調で言う帽子屋に、チェシャ猫は気にも留めずに嗤う。
「分かったよ、小太郎。お母さんに伝えてみる」
「ヤッタにゃー! 約束にゃ!」
喜んでから「あっちで待ってるにゃ」と、チェシャ猫は宙を漂って行くのであった。
「ねぇ、帽子屋さん」
「何だい、“アリス”」
「貴方は一体、誰なの?」
チェシャ猫は小太郎で、白兎は秋兎君だった。他にも、出逢った人達の殆どは。私がこの世界の外で会った事がある人達だったのだ。
けれど、彼は一体誰なのだろう?
自分の記憶を取り戻してから検索を掛けてみるが、それらしい該当人物は見当たらない。
「君の事が大好きな、帽子屋さ」
そうじゃなくって……。
「良いじゃないか。分からない事があった方が、面白い時だってあるさ」
「幽霊や妖精や、未来みたいに?」
「そうだよ!」
帽子屋の言葉に、私は「まぁ、一理あるか」と納得をする。
「あと、私が最後に途中までだけど読んでいた本。『不思議の国のアリス』だったんだけど……この状況と、何か関係があるの?」
「それは、きっと。君が望んだ世界なんだよ!」
そうなのだろうか? 正直、教科書も何もかも内容が頭に入って来ない中で。あの本は特別、内容の理解が追い付かなかったのだが……。
「まぁ、でも……また読んでみたら、前とは違った発見があるのかな」
ほんの一歩、一ミリ単位の成長だったとしても。その一ミリで、見える世界が変わるのかもしれない。嫌な所だけじゃなく、正反対の部分を見つけられるかもしれない。
「ねぇ、帽子屋さん」
「何だい、“アリス”?」
「また……会える?」
尋ねた質問に、帽子屋は一瞬。驚きを表情に垣間見せた。
「君が、また。会いたいと思ってくれるなら」
約束だよ。
「君がそう、望んでくれるなら」
帽子屋の言葉に、私は安心して。「ありがとう」と告げた。
「……君の」
私は彼の言葉の続きを待った。
「君の笑顔が見れて、ボクは」
彼の表情は、心からの嬉しさを感じさせるように笑みが咲く。
「とっても幸せだよ!」
自分でも気が付かぬうちに、笑っていた自身の顔に触れる。
「……変な帽子屋さん」
「変とは、至極光栄の極み! 他には無い――」
「誰とも被らない個性!」
彼の言葉を、私が盗み取った。笑っていた私に、彼の笑みが交わされる。
「またね、ボクの“アリス”」
「うん……またね」
嬉しい気持ちで、そう言えたのは初めてかもしれない。
「私の変な帽子屋さん!」
楽しみに出来る約束を交わし、私は小走りでチェシャ猫と白兎が居る方へと向かって行くのであった。




