雪の女王と“アリス”⑤
花の王様とマイア妃に元気を貰い、私と女王様を乗せたソリは再び走り出す。
雪を滑り、空へと浮き上がって街や森、海や湖を見下ろしながら駆けて行く。
やがて、カーテンのように大きく広がるオーロラが空に輝く極寒の地域。そこに高く聳える雪山に建てられた氷の宮殿へと辿り着いた。
「此処が、女王様のお城なんですか?」
女王様の後ろに続きながら私が尋ねると、彼女は「えぇ」と返答をしてくれた。
そして、私と女王様は大広間へとやって来る。そこは氷で出来たテーブルや椅子、調度品で溢れていた。
内装は豪華なのだが、色合いが単色の為。少し殺風景に感じてしまう。
「招いておいて悪いのだけれど、この宮殿には貴女に出せる物が無くて」
「そんな、構いなく」
女王様が触れた物は全て凍らせてしまうと言っていたから、この寒い城内に常温の物。人間や生き物が食べたり飲んだり出来る物が、恐らく無いんだろう。
「あっ、前にお世話になった方から貰ったお菓子がありますけど食べますか?」
料理長さんが持たせてくれたお弁当は全てもう食べてしまったが、メイドさんが包んでくれたお菓子はまだちょっと残っていた。
「良かったら、どうぞ」
私はチョコレートがコーティングされたドーナツを差し出す。
一度、女王様は私が差し出すドーナツへと手を伸ばしかけるが。途中で、宙に手を止める。
「……私が触れると、凍らせてしまうから」
あっ、そっか。
「じゃあ、もし嫌じゃなければ……」
と、言い。私は椅子から立ち上がり、女王様の傍まで寄った。
「あーん、して下さい」
四つに割って、一口大にしたドーナツの欠片を差し出しながら言うと。女王様は、戸惑いながらも口を開けてくれた。そっと、彼女の口の中にドーナツを入れる。
「不思議……こんな感触の物を食べるのは、初めて……」
何度か咀嚼して、味わってから。女王様はそっと、言葉を溢した。
「ありがとう」
無表情、無感情で放たれた言葉に。私は顔を綻ばせた。
「……貴女みたいな優しい娘に看取られて、人魚の姫はきっと……幸せだったと、私は思うわ」
続けて告げられた台詞に、私は息を飲んだ。
「でも、私……何も出来なくて……」
「最後まで傍に居て、自分の想いを知ってくれる人が居るのは、とても幸福な事よ」
一人で誰にも悲しまれる事無く、自分の存在も想いも記憶に留めておいてくれる人も居ないで亡くなるより。きっと、ずっと、幸福な事だと……雪の女王様は言ってくれた。
「でも、きっと……最後に隣に居て、自分の想いを知って貰いたかった人は……私じゃなくて、王子様だったと思います……」
私では無くて、命を懸けて愛した人。
「そうかもしれない」
けど……と、女王様は言葉を続けた。
「それが叶わない事は、彼女が一番良く分かっていたんじゃないかしら?」
確かに、そうだ。
話しをする事も叶わず、自身の気持ちを伝える事が出来なかった人魚姫さんは。別の女性と結ばれる王子様を引き留める術を持ってはなかった。
「それなら……私が、王子様に本当の事を――」
「彼女が、それを望まなかったんでしょ?」
そう……本当の事を、私が告げようかと尋ねたら。それを、人魚姫さんは拒んだ。
他の人魚さんや海の方々に迷惑が掛かるからと、王子様を苦悩させたくないから……と。でも、それを押し切って勝手に私が言ってしまっていれば――
「彼女は、貴女も苦しめたくなかったんだと思うわ」
私は女王様へと顔を上げた。
「自分の事で、貴女を。苦しめたくなかったと、私は思う」
「でも……だったら、余計。私は人魚姫さんに生きていて欲しかったです……」
彼女が居ない現実の方が、私にとっては苦しくて痛い……。
「それだけで、きっと十分だったのよ」
――ありがとう、アリスちゃん。私の為に、泣いてくれて……最後まで、傍に居てくれて。
「自分の気持ちが報われないとしても、全身全霊で人を愛する事が出来て」
――私ね、人間になれた事。ちっとも後悔してないのよ。
「最期に、傍に……優しい友人が寄り添っていてくれて……きっと、後悔はしてなかったと思うわ」
――だって、人魚だったら出来ない事。いっぱい出来たんだもの!
彼女が、最後に贈れた言葉が……私の中で、次々と溢れていく。
――見ているだけだった王子様と、二人で街にお出かけしたり。一緒に食事をしたり。
あの時には、見る事が出来なかった。人魚姫さんの嬉しそうな表情が、私の脳裏に鮮明に思い起こされる。
――とっても楽しくて、最高だった!
――近くで見ても、すごくカッコイイんですもの!
――すっごくすっごく優しいし!
本当に、本当に嬉しそうな声だったなぁ……。
――あの人を好きになって、本当に良かった……。
私の気も知らないで……。
――貴女とも、お友達になれたし……。
大切な“友達”に、私は何も出来なかったんだよ?
――私のせいで、いっぱい苦しませちゃって、本当にごめんね……。
――でも、私。アリスちゃんに会えて、本当に嬉しかった。
――貴女みたいな優しくて可愛い娘が、お友達になってくれて幸せだった……。
なのに、なんで……。
――ありがとう、アリスちゃん。大好きよ、ずっと……。
私も、そうだよ……ずっと、大好きだよ。人魚姫さん……。
その時、私の目から大粒の涙が溢れてきた。次から次へと、止めどなく。あの時、あの日。流して枯れたと思っていた涙が、次々に零れていく。
私は、あの時。人魚姫さんが最期に遺してくれた言葉を、きちんと受け止めれていなかったんだ。
彼女の想いよりも、自分の想いを……後悔を、優先して勝手に思い詰めていたのだ。
涙で顔をぐちゃぐちゃにして、上手く話せない中。私は目の前に居る雪の女王様にその思いを吐き出す。
彼女に伝えるべきなのは、懺悔ではなく。“私も彼女が大好き”な事と“ずっと、貴女の事を忘れない”という事だったんだ……。
ヒンヤリとした掌が私の頭に触れた。冷たいという認識はあったのに、とても温かさを感じる掌だった。
「ごめんなさい……私は、こんな時。どんな言葉や魔法を掛けてあげたら良いか、分からなくて……」
掌から伝わる、女王様の優しさだけで十分です……上手く話せない状態になっている私が、不器用にそう言うと。女王様の唇が微かに動く。
その時、私と女王様が居る真横。氷の壁に反射する光が揺れた。
「“アリスー”!!」
そして、勢い良く。聞き覚えのある声の人物が、壁をすり抜けて飛び出して来る。
「やっと見つけた……」
穏やかな表情で私を見つめるのは、懐かしささえ感じる帽子屋の顔であった。




