人魚姫と“アリス”⑥
その日の夜は、何だか眠れなかった。
前日も、殆ど寝てないというのに……私の身体は一体どうなっているというのだろう。
もし……今、眠りについて帽子屋に会って。彼が淹れてくれた紅茶を飲んで、用意してくれた美味しいお菓子を食べて。それから、あまり噛み合っていない会話をしたら……私が胸に抱えている靄を、晴らす手がかりや切っ掛けを掴む事が出来るのだろうか?
しかし、そんな事を考えている内に。夜は明けて、眩い太陽の光が窓から差し込み室内を照らした。
心のどこかで期待していた帽子屋にも。そして、人魚姫さんにも会えぬまま……。
***
朝日が空全体を、鮮やかな青へと染めた頃。城内の手伝いをする為に、私はメイドさんが居る洗い場へとやって来る。
着ている洋服は、洗濯して下さって乾いた。元々私が着ていた青いワンピースと白いエプロンだ。
「おはようございます」
「あら、おはよう。アリスちゃん」
昨日まで、私の事を“様”付けしていたメイドさんは。私の懇願もあり、“ちゃん”付けで呼んでくれるようになっていた。
「今日は、何からしたら良いですか?」
「朝から張り切ってるわね」
メイドさんは笑いながら続けて「私も見習わなきゃね」と言う。
「実はね、一つ。お願いしたいお仕事があって」
そう言ってから、メイドさんは道すがら説明するという事で私と城の中へと入って行く。
「今日、王子様が朝方。海をお散歩されていたら、遭難していた女性を保護されたの」
「それは、大変でしたね……」
「その方、何か大変な目にでも遭ったのか口も利けなくて……良かったら、アリスちゃん。ちょっと、面倒を見てあげてくれないかしら?」
子供の方が警戒も少ないだろうし、アリスちゃんはしっかりしているから安心して任せられるし……と、いう事らしい。
私はその人の着替えを持って、浴場へと到着する。
「じゃあ、御仕度の手伝いをお願いね。終わったら、一緒に朝食を取りに大広間に行ってあげて」
そう、指示を受けて服を持ったまま私は待機。
暫くしてから、カーテンのように濃く膨らんだ湯気を纏い一人の女性……いや、少女が現れる。その人物の顔を見た瞬間、私は驚きに目を見開いた。
「貴女、人魚姫さん?」
私が呆然としたまま尋ねると、彼女は嬉しそうに勢い良く頷く。
「どうして……」
彼女の顔は確かに、私を助けてくれて、二日前の晩に語り合った人魚姫さんであったにも関わらず。彼女の下半身には、魚のヒレでは無く人間の足が二本生えていたのだ。
私に嬉しそうな表情で駆け出そうとした瞬間、人魚姫さんは一瞬顔をしかめて膝から体勢を崩してしまう。
「大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄り、私は彼女の肩に手を置く。心配な表情で覗き込んでしまう私を余所に、彼女は笑顔で首を振った。
まるで「大丈夫」と、言っているように。
「本当に、声が……」
どうして? なんで? という疑問が頭の中を駆け巡る。でも、それを尋ねたところで。彼女は教える術を今、持ち合わせてはいないのだ。
「とりあえず、洋服着ましょうか」
そう言って、私は人間の洋服の着方を知らない彼女に服を着せる手伝いをする。
それから、まだ“足”に慣れていないのか。歩きづらそうな彼女と手を繋ぎながら、メイドさんに言われた通り大広間へと向かった。
「ゆっくりで大丈夫ですからね」
私がそう言うと、彼女は嬉しそうに一度大きく頷く。
のんびりとしたペースで歩き、私達は朝食の用意されていた大広間へとやって来る。
「あっ、アリスちゃん! ありがとう、彼女を此処まで連れて来てくれて!」
部屋に入ると、王子様と爺やさんが快く出迎えてくれた。
「大丈夫かい?」
少々、ギコちなく歩く人魚姫さんに王子様がスマートに手を貸して椅子まで案内をしてくれる。
カッコよくってとっても絵になるなぁ……とか、思わず考えてしまった。
「さぁさぁ、アリスちゃんも。朝食に致しましょう」
爺やさんが、入口で立ちすくんでいた私に声を掛ける。
「えっ!? いえ、私は後でで……」
毎度毎度、畏れ多い……。
「アリスちゃん、そんな寂しい事言わないで。一緒に食べよう」
「遠慮する事はございませんよ」
王子様と爺やさんがそう言うと、椅子に座った人魚姫さんも勢い良く首を縦に振って頷いた。
「は、はい……」
満場一致でそう言って頂いて、同席しないのは失礼か……と、思い。私も爺やさんに椅子に座らせて頂く。
「まさか、海から流れ着いて来た女の子を二人も城に招待するとは。僕も予想外だったよ」
朝食を食べる傍ら、王子様が言う。
「……確かに、凄い偶然ですね」
苦笑いを浮かべながら、私は言った。
「早く二人の家を見つけてあげたいけど、なかなか手掛かりを掴めなくてごめんね……」
申し訳なさそうな表情を王子様がするが、申し訳ないのはこちらの方だ。
私は自分でも、本当に帰る場所が分からないし。人魚姫さんの家は海の中。絶対、見つかりっこない。
「王子様、本日は彼女達の気分転換にご一緒に街に出られてみてはいかがでしょう?」
爺やさんが優しく微笑みながら言う。
「良いのかい、爺や? 僕は願っても無い話だけど、業務も休めるし」
「貴方様の遊興の為ではございませんからね?」
「分かってるって」
愉快そうな笑みを爽やかに浮かべてから、王子様は私と人魚姫さんを振り返った。
「どうだろうか、二人共?」
人魚姫さんは嬉しそうに、大きく首を縦に振る。
「アリスちゃんは?」
その反応に、王子様が笑みを浮かべると。今度は私に尋ねた。
「私は……」
これは、二人っきりにした方が良いのではないのだろうか?
人魚姫さんと王子様が、仲良くなるチャンスだと思うし……。
「すみませんが、お城のお手伝いをさせて頂きたいのでご遠慮させて頂きます」
「城の手伝いは、今日はお休みで大丈夫ですよ?」
「いえ、私がやりたいので。楽しいですし」
爺やさんの言葉に、そう返す。
不意に人魚姫さんに目を向けると、ちょっと悲し気な表情を浮かべていた。
胸に罪悪感がチクリと刺さる。
「私の事は気にせず、お二人で楽しんできて下さい」
「アリスちゃんは、本当に大人みたいな事を言うね」
私の言葉に、王子様は笑う。
「じゃあ、彼女のお言葉に甘えて。二人で出掛けようか」
と、再び眩しい笑顔で王子様は人魚姫さんへと告げるのだった。




