人魚姫と“アリス”⑤
それから、私と人魚姫さんは夜明け前まで話に花を咲かせてしまい。地平線から差し込み始めた朝日に、ようやくお互い「帰らなければ」と焦燥したのだ。
「今日はとっても楽しかったわ!」
人魚姫さんが、満面の笑顔でそう言った。
「私もです」
私も笑みを浮かべて返す。
「またね、お嬢さん!」
そう言って、海の中へと消えて行く彼女の背中に手を振りながら。「はい、是非」と言葉を贈る。
彼女が泳いだ揺れで、少し波立つ海面を見ながら。私は人魚姫さんに、何だかエラさんやピノキオとは少し違う感情を抱いているのを感じた。
エラさんは、優しさでいつも包んでくれるお姉さんのようで。ピノキオは、放っておけない弟のようだった。
しかし、人魚姫さんは。年こそ私より上だが、無邪気で素直で明るくて。私の心に遠慮なく、でも全然不快さを感じさせずに上がり込んで来てくれるのだ。
上手く自分を出せていない私を気にせずに話してくれて、そして笑ってくれる。
言葉遣いこそ私は敬語を使っているが、思いっきり笑ってしまったり、あまり遠慮をしないで彼女との時間を楽しんでしまっている。
――また、会いたいな……。
思わず、素直に無意識にそう思ってしまった。自分でも気が付かない内に、笑みを溢しながら。
***
「あら、アリス様! 洗濯なんて、私達が致しますのでお部屋でおくつろぎしてて下さい!」
城の調理場の裏手、メイドさん達が洗濯や洗い場として使用している井戸にて。私は、自身が海水で汚してしまった寝間着を洗濯していた。
「いえ、自分で汚してしまったので。自分で洗わせて下さい」
私がそう言うと、メイドさんは少々困惑の表情を浮かべる。
「ですが……」
「何もしないで、ただ泊まらせて頂いてしまって、申し訳なさ過ぎて……」
エラさんの時もそうだった。彼女にお世話になりっぱなしで、私はドレスを作る位しかお礼をする事も出来なかった。
だがジェペットさんに多少の家仕事を教えて貰った今の私なら、少しは出来る事がきっとあるはずだ。
「自分の事も自分でしますし、出来れば……お城のお手伝いも、泊めて頂いてるお礼にさせて頂きたいです……」
洗った寝間着を絞ってから、私はメイドさんへと顔を上げた。
彼女は、やっぱりちょっと困った顔をしていたが。次の瞬間、仕方なさそうに微笑を浮かべる。
「じゃあ、折角なのでお言葉に甘えさせて頂きましょう……」
仕方なさそうに、でも優しい声でそう言ってから。
「まだ洗濯物が沢山あるので、お手伝いして頂けますか?」
と、笑顔を私へと向けてくれるのだった。
「はい、是非」
***
それから、お城のお手伝いを色々させて貰ってるうちに、すっかり日は暮れ始め。あっという間に、夜へと変わっていた。
「アリスちゃん、今日は城内でずっと働いてくれていたんだって?」
またしても、畏れ多くも王子様との夕飯に同席させて頂きながら彼に尋ねられる。
「働くだなんて、そんな……泊めさせて頂いているお礼に、お手伝いをさせて頂いてるだけです」
「なんと、ご立派な!」
私の言葉に、爺やさんが感涙しながら声を上げた。
いや、泣く程では……。
「そんな気にしないで、家が分かるまでゆっくりしてくれて構わないのに。アリスちゃんは、良い子なんだね」
爽やかな笑顔が眩しくて、一瞬目が眩む。
「いえ、全然……そんな事は……」
言いながら私は恥ずかしさを隠すように、夕飯のコンソメスープの器を傾けて啜る。
中の具材はベーコンの他に、玉葱や人参やじゃが芋。その形は、少々不格好で歪で揃っていなかった。
「王子様、今晩のスープの野菜はアリスちゃんが切られた物だそうですよ」
爺やさんが言う。
……そう、だからあまり形が綺麗ではないのだ。シェフの人は笑ってお礼を言ってくれたが、私は申し訳なくて穴があったら入りたかった。
なかなか、包丁の扱いが上手にならないな……。
「そっか。だから、今夜の夕食は格別に美味しいんだね」
「いえ、それはシェフさんの腕が元々良いからですよ」
「いやいや、アリスちゃんの愛情が込もってるからに違いないよ」
再び放たれる爽やかな笑み。
これは、人魚姫さんじゃなくても普通の女子ならば惚れてしまいそうな罪深い笑顔だ……。
「王子様も、アリスちゃんを見習って頂きたいものです」
すると、先程より厳しめな声で爺やさんが言う。
「おい、爺や。僕はちゃんと毎日、王子としての責務は……」
「そうではなく、いずれ国を背負って立つ身として妃になって頂く方をお迎えするのも貴方様の立派なお役目にございます」
爺やさんの言葉に、王子様は居心地の悪そうな苦笑を漏らし。視線をあからさまに逸らす。
「僕には、まだ早いよ……」
「いいえ! 国王様……即ち、御父君は。今の貴方様の年齢には妃になる女性……即ち、御母君と出会って御結婚を――」
「もう、その話は何回も飽きる程聞いてるよ……」
「でしたら」
王子様の言葉に、爺やさんが厳しい面持ちを崩さずに続けた。
「きちんと、お考え下さいませ。これは、国の為。そして、貴方様のお幸せの為にございます」
少し、頭を下げて爺やさんはそう言った。
***
「爺やは、小さい頃からずっと多忙な両親の代わりに僕の面倒を見ていたからか。ちょっと、心配症が過ぎる上。口煩いんだ」
「まぁ、それだけ愛されてるって事で幸せじゃないですか」
「アリスちゃんは、小さいのに随分と大人な事を言うんだね」
微笑みを浮かべ、王子様が言う。
私と彼は今、私が借りさせて頂いている部屋に居た。
夕飯後、私が部屋に戻ると。爺やさんの目を盗んで、私の所へと何故かやって来たのだ。
爽やかでカッコイイ王子様と二人きりとは……とても緊張してしまう。何にも無いのは、勿論分かっているのだが。
「あの、所で何の御用で?」
私は王子様に尋ねてみる。
「ちょっと、アリスちゃんとお話をしたくなって。ほら、出逢ってからあんまりゆっくりおしゃべり出来てなかったから」
私なんかと、何を話すというのだろうか……そう、心に思いつつ。私は「はぁ……」と、曖昧な返事を返してしまう。
「僕、一人っ子でね。兄弟もだし、城内には子供もいないから。アリスちゃんみたいな子が居るのが、何だか嬉しくって」
カッコイイ王子様が、可愛らしい笑みを浮かべる。何だか、こんなに近くで目撃させて頂いて罪悪感を感じてしまう。
「勝手にだけど、妹が出来てみたいで嬉しくて」
なんと勿体ないお言葉……。
「それは、私には勿体ない程。カッコイイお兄さんです」
「アリスちゃん、本当に子供? 大人顔負けの口の上手さだね」
……やっぱり、私。帽子屋に似てきたのだろうか……?
私の言葉に、可笑しそうに笑う王子様。
「僕だってね、何も考えてないワケじゃないんだ。ただ、結婚とかそういう事は……今はちょっと、考えさせて欲しいというか……」
私は視線を少しさ迷わせる彼の顔をジッと見た。
胸に過る違和感を、確認するように。
「僕は……あの日、君と僕を助けてくれた修道院の女性が好きなんだ……」
はっきりと彼はそう言った。残酷な迄に、迷い無く。
「でも、神に仕え。修行をする身の彼女とは、身分が違うだけでなく。志の違いで、決して結ばれる事は叶わないんだ……」
そうに言った彼に、どこか人魚姫さんと同じ切なさを感じる。
……本当は、私達を助けてくれた澄んだ美しい歌声を奏でていた人物は人魚のお姫様なんだと告げたら。二人の切なさを、拭ってあげる事が出来るのだろうか?
でも、それは。私と人魚姫さんの交わした約束を違える事になってしまう。
それは……果たして、彼女の為になると言えるのだろうか……。
「ごめんね、こんな話を君にしてしまって」
王子様が、私に苦笑を浮かべながら告げる。
「なかなか、弱音なんて言える人が近くに居なくてね……アリスちゃんは、小さいのにしっかりしてるからつい甘えちゃったんだ」
気にしないでね……そう言って、再び微かに笑みを浮かべた彼に。私は、曖昧な返事をし。気の利いた言葉を贈る事も出来なかった。




