人魚姫と“アリス”④
幸い、誰にも見つからず。会う事も無く、私は城の外へ抜け出す事に成功する。
そして、細かな砂達に足を取られ。浜辺をいつもより、少しスローペースで走っていると。バルコニーで聞いた時より明瞭に、歌声を捉える事が出来るようになっていく。
私は波打ち際まで来ると、海へと視線を凝らし。辺りをキョロキョロと見回した。
空と海、どちらにも澄んだ金の光を放つ月と星がキラキラと輝いて浮かんでいる。だが次の瞬間、海の月と星が揺れて形を歪ませた。
そして、海面からまだあどけなさの残る少女が顔を覗かせたのだ。
「こんばんは! 小さくて可愛いお嬢さん!」
透き通る澄んだ美しい声は、嬉しそうに私にそう声を掛けた。
「こんばんは、人魚さん」
それが、何だかとっても嬉しくて。私も表情を綻ばせる。
「私、“人間”と話すの初めて! とっても嬉しいわ!」
私と人魚さんは、海を見渡せる岩場にて二人で腰を降ろしていた。
「この前も、話したじゃないですか」
「この前は、ちょーっとしかお話出来なかったわ!」
少し眉尻を上げて、人魚さんは強く言う。
「今日はたっくさんお話しましょう!」
ねぇねぇ! と、彼女は元気いっぱいの満面の笑顔を咲かせながら私へと顔を近づけた。
「“人間”の事、たっくさん教えて! 私、見てるだけで、良く知らないの」
そう言われても……私も良くは分からないのだが……。
「貴女は、“人間”のどんな事が知りたりの?」
「足!」
「足?」
「うん!」
輝く笑顔で、彼女は頷いた。
「私にはついてないから、どんな感じなのかな? って!」
確かに。私と人魚さんの大きな相違点だ。
「うーん……どんな感じ、と言われても……」
私は滑らないように気をつけつつ、岩の上に立ち上がる。
「私には、当たり前な事だからなあ……」
それを言ったら……と、私は人魚さんへ顔を向けた。
「ヒレで泳ぐのって、どんな感じなんですか?」
そう尋ねると、人魚さんはパァっと顔を輝かせた。
「一緒に泳いでみる!?」
「いや、そういう事じゃなく……」
だが、私の話を最後まで聞かずに。人魚さんは私の手を引き、海の中へと誘った。
……借りてる洋服なのに、濡らしてしまった。
「あっ、“人間”は呼吸出来ないと死んじゃうんだっけ?」
「は、はい」
「じゃあ、あんまり長く潜り過ぎないように気をつけなきゃ!」
じゃあ、行くね! と、人魚さんは私を抱えてそう言った。
私はとりあえず、空気を出来る限り吸い込んでから口を閉じ。息を止める。
全身を覆う水の感触に、目を閉じた。
すると、楽しそうな笑い声が耳元で聞こえて来る。
「せっかくの景色なのに、目を閉じてたら勿体無いわよ?」
いや、そんな事言われても……と、思いつつ。彼女の折角の好意に応えないのも申し訳なく思い、思いきって目を開いた。
そこには、海面越しに見る夜空が広がっていたのだ。
揺れる天井に映し出される月と星は、ぼやけた輪郭で静かに光り輝く。様々な深い青が奏であって、地上では見る事の出来ない幻想的な景色が私の視界に広がっていた。
「本当は、虹色に輝く珊瑚礁や。お魚さん達のダンスパーティーに連れていってあげたいんだけど、夜だと海の底は真っ暗で何にも見えないし。お魚さん達も、寝てるのよねぇ」
十分です、こんな綺麗な景色を見れただけで……そう、彼女に告げようとしたが。海中では、私は会話をする事は不可能で。体内に収めていた空気だけが、口から零れるだけだった。
「大変! そろそろ、上がらないと!」
私が空気を吐き出したのが、苦しくなったからと思った人魚さんは。慌てて、私を抱いたまま海上へと顔を出す。
「大丈夫!?」
顔に纏わり付く海水を手で拭いながら、私は「大丈夫です……すみません」と返した。
「……すっごく、綺麗でした」
少し痛む目に瞬きを繰り返しながら、私は続ける。
「あんな、綺麗な景色見れただけで……私、十分ですから」
よし、目の痛みが少し落ち着いて来た。
私は人魚さんへ視線をきちんと向ける。
「ありがとうございます」
見上げた彼女の顔は近くて、とっても可愛らしくてドキドキした。
ニコニコと笑っていた明るい碧の瞳を大きく見開き、私を驚いた表情で見つめている。
だが、すぐに満面の笑顔で私を思いっきり抱きしめた。
「私ね、あの景色。大好きなの!」
嬉しそうに、そう言う彼女。
「けど、夜にお出かけすると。お姉様達がうるさくて……実は今日も、こっそりお城から抜け出して来てるの」
人魚さんはイタズラっぽく言う。
「一緒ですね。私も、こっそり抜け出して来ちゃいました」
人魚さんの素敵な歌声に誘われて。
「お姉さんが居るんですか?」
「うん! 五人!」
「五人……結構、いっぱいいるんですね」
「でも、皆。とっても優しくて綺麗なの! 私が末っ子だから、心配ばっかりしてくるけれど……」
「お姉さん達と、仲良しなんですね」
私がそう言うと、人魚さんは笑顔を咲かせて頷いた。
それから、再び。私は岩場に腰を掛けさせて貰う。あんまり、長い事浸かっているとフニャフニャにふやけてしまいそうだったし。
「人魚さんは、お城に住んでいるんですか?」
「そうよ! 貝殻と珊瑚で出来た、海の中の大きなお城にお姉様達と住んでるの!」
「凄い……お姫様なんですね」
人魚“姫”様だ。
私がそう言うと、人魚姫さんは「えへへ~」と照れた笑みを溢す。
「貴女も、お城に住んでるの?」
私がやって来た方向に建つお城を指しながら、彼女が尋ねる。
「いえ……今、迷子なので居候させて頂いてて……」
「アラ、それは大変ね……家族の方達、心配されているんじゃないかしら……」
「そう、ですね……」
毎回、返答をする度に心がチクリと痛む。
「あの、お城……」
すると、先程よりも少ししおらしい声が掛かる。
「あの、お城って……あの、王子様も居る、の?」
自身の美しい淡い金糸の髪を弄び、海面に視線を泳がせながら。人魚姫さんが尋ねた。
「はい、王子様のご厚意で住まわせて頂いてて……」
もしかして……。
「人魚姫さん、あの王子様の事……」
好き、なのだろうか?
「いや、あの、えっと……」
私の言葉に慌てると、彼女は「その、えっと、いや……」と。言葉にならない声を続ける。
「カッコ、良いな……って、思ってるだけっていうか……」
私はジッと人魚姫さんを見つめてから。
「好きなんだ」
と、言い放った。
「ちょっとぉぉぉおおお!!」
私の言葉に、人魚姫さんは顔を真っ赤にして叫んだ。
その反応と表情がとっても可愛くて……そして、とっても面白くて。私は思わず笑ってしまった。声を上げて、お腹を抱えて。
「ちょっ、笑い過ぎよー!!」
怒る彼女も可愛くて、私の笑いはなかなか止まってくれなかった。
「もう、なんでそんなに笑うのよー!」
「だって、人魚姫さん可愛かったから」
私が素直にそう言うと、人魚姫さんは再び顔を赤らめさせる。
「なっ、なんでそんな事恥ずかし気も無く言っちゃうの!?」
「えっ、思った事を言っただけですけど……」
あれ? 今の人魚姫さんの台詞。私がたまに、帽子屋に言っているような……まさかとは思うけど、彼に似てきた?
……嫌過ぎる。
「どうしたの?」
「……いえ、なんでもないです」
眉を寄せて表情を曇らせる私を覗き込み、心配げな声を掛ける人魚姫さんに私は暗いトーンで返す。
「でも、いいなぁ~。貴女は、あの王子様と一緒に暮らせてるんだ~」
「王子様に言いましょうか? 実は、人魚姫さんが私と王子様を助けてくれた事」
「うーん……言って欲しいけど、ダメかな……」
「どうして?」
私が尋ねると、人魚姫さんは少し悲し気な表情になる。
「人魚はね、人間と関わっちゃいけないの」
「どうして?」
「さぁ……私も、理由は良く知らないけど。昔からの決まりなの」
なるほど……あれ? ちょっと、待って。
「私、人魚姫さんとめちゃくちゃ関わってますけど?」
「えっ、貴女は子供だし。小さくて可愛くて妖精さんみたいだし良いかな? って!」
「いや、妖精じゃないんですけど……」
そんなテキトーな理由で関わってしまって大丈夫なのだろうか?
「じゃあ、貴女と私。二人の秘密ね!」
無邪気な笑顔で、人魚姫さんは言った。
「……分かりました。誰にも、言いません」
でも、王子様と私を助けてくれたのは彼女なのに。それを、王子様が知らないというのは。寂しい話だ……。
「あと、これも。私と貴女の、秘密のお話ね」
そう告げてから、人魚姫さんは続けた。
「人魚はね、十五歳になったら陸の世界を見る許可が下りるの。私も、この前。十五歳になった日、海の上を見に行ったわ!」
キラキラと輝く太陽のような笑顔で、彼女は話す。
「そしたらね、そしたらね! 大きな船が居て、たっくさんの人達が居て、その中に……あの人が居たの」
「王子様?」
私の質問に、人魚姫さんはコクリと頷いた。
「すごく、すっごく……カッコイイ人だなぁ~って、思ったの」
確かに、あの王子様はカッコイイ。おまけに、優しいし。しかも、王子だし。
「でも、そんな時に。海の天気が、突然荒れだして……」
「船から海に投げ出されて、溺れてた王子様を助けたの?」
「そうなの!」
近くで見たら、さらにカッコ良かったわ~! と、人魚姫さんは両手で紅潮させた頬を覆いながら。嬉しそうな表情で身悶えする。
「そんなに好きなら、やっぱり。本当の事、言った方が良いんじゃないですか?」
「……そうだけど、そうしたいけど」
でも……と、人魚姫さんは続ける。
「もし、それで。私のお姉様やお友達に迷惑が掛かったら大変だし」
眉尻を下げて、彼女は困ったような笑みを浮かべた。
「あ~あ、私も人間に生まれたかったなぁ~」
「そうですか? 人間の方が、不便そうですけど」
「え~? だって、人間だったら“足”で色んな所に行けるじゃない」
「足で行ける範囲なんて、そんなに広く無いですって。それだったら、人魚さん達のヒレの方が海の何処へでも行けるじゃないですか」
「海の中以外、何処にも行けないわ! 花や草や木を見たり触ったり出来ないのよ!」
ああ、それは確かに……。
「海の中だけで約三百年も生きていくなんて、きっと退屈なんでしょうね~」
「三百年?」
「うん。人魚の寿命は、大体三百年くらいなの!」
それは、スゴイ長寿だなぁ。
「私のおばあ様も、もう二百八十歳なんだから!」
「……それは、長生きで」
これからも、元気に過ごされる事を願っております。
「あと、人魚は死ぬ時に泡になって消えて終わりだけど。人間は、魂が天国へと昇っていくんですって」
「そう、なんですか?」
「らしいわ。おばあ様が言ってたの」
死んだ後の事は、流石に誰にも分からないと思うのだが……そんな意地の悪い思考が、私の中で横切った。
「泡になって消えて何も遺せないより、魂になって想いを遺せた方が。どんなに素敵なのかしらね……」
隣で人魚姫さんが呟く。綺麗過ぎて、どこか切ない声で。
「あと、それに……」
続けて、頬を赤らめながら。ちょっと、小さめな音で彼女は続けた。
「人間だったら、あの人に会いに行けるのに……」
結局それが、一番の本音なんだろうなぁ……。
「何か無いんですかね? 人間になれる方法」
帽子屋が魔法使いとして、また現れてくれたら……いや、彼の力には頼りたくないなぁ……。
あと、私は今。彼に怒っているのだ。まず、顔を見たら文句を言わねば。
「……もしかしたら、あの人なら」
小さく呟く声が、私の耳に届く。
「何か、あてがあるんですか?」
「あっ、うん! 海にね、スゴイ魔法使いの魔女さんが居て!」
その人に頼めば……と、言いながら。彼女の表情は、どこかギコちなかった。
「ねえ……」
私に向けられたと思われる声に、「どうしたんですか?」と尋ねる。
「もし……私が、人間になれたら……私と、一緒に居てくれる?」
質問されている意味が良く分からず、私は疑問の表情を浮かべてしまう。
「どうして、ですか?」
少々困惑気味に尋ねたら、彼女は「いや、だって」と笑い出す。
「陸の上に来ても、お友達が一人も居なかったら寂しいじゃない」
ああ、まぁ、それは確かに。
「ずっと一緒とかは、約束出来るか分かりませんけど……お友達でしたら、私で良ければ」
私がそう言うと、人魚姫さんは嬉しそうに笑ってくれた。




