人魚姫と“アリス”②
「王子様!!」
私と青年が休ませて頂いていた修道院の礼拝堂に、慌ただしくお歳をめした男性が入ってくる。
「ご無事で何よりにございますぅぅぅ!!!!」
滝のような涙を流し、男性は青年の前に膝を着いた。
「心配かけてすまなかったよ、爺や」
青年が肩を叩いて謝るが、爺やさんはおいおいと涙を流し続ける。
「おや? ところで王子、そちらのお嬢さんは?」
不意に、私へと視線を向けて言う爺やさん。
「あぁ、僕と一緒に流れ着いていた女の子だよ」
そういえば……と、青年――ではなく王子様は。私に春風のような爽やかな笑みを向ける。
「君の、お名前は?」
エラさんの旦那様もそうだったが、端正な相貌と爽やかな雰囲気の男性に話掛けられるのは少々苦手だ……なんか変に緊張してしまう。
えっ、帽子屋? あの人は、顔はカッコイイとは思うが変人で爽やかさが欠けているので。
「あっ、アリスです……」
「アリスちゃんか。お互い大変だったね」
優しい笑みと声で、彼は言う。
「でも、アリスちゃんも無事で良かった。家はどこ? 良かったら、城の者に送らせるよ」
王子様の言葉に、爺やさんもニコやかな表情で私へ視線を向ける。
……来た。もう、何度と尋ねられるが返答に毎回頭を悩ませてしまう質問。しかも、相手側が善意で聞いてくれているから余計に申し訳が無い……。
「あの、その……実は……」
もぞもぞと忙しなく手を動かしつつ、不思議そうに私を見つめる二人を見る。その傍にある礼拝堂の長椅子や、壁へと視線を動かして言葉を探すが……いくら考えても、言える答えは一つしか無かった……。
「迷子、で……」
私の言葉に、目を見開く二人。
「もしかして……」
すると、王子様が口を開く。
「すごく、遠い所から流されて来てしまったのかい?」
「あっ、はい、まぁ、そんな感じです……」
私自身、全く説明が出来ないので。彼の言葉に同調させて頂く。
「それはそれは……大変でしたね」
爺やさんが同情的な声で私にそう言い、再び涙を流していた。
「さぞかし、ご両親も心配されておられるでしょう……」
“ご両親”が居るかどうか、分からないのだが……。
「なら、僕達が君の家とご家族を探してみよう」
「い、いえ、そんなご迷惑は……」
居るのか、在るのかも分からない事に労力を費やして頂くのは大変申し訳ない……。
「子供が遠慮なんてする必要ないよ」
爽やかな笑顔と声で、王子様が言う。
カッコイイ上に、とっても善い人だな……。
「探してる間は、僕達の城に居たら良い。どうかな、アリスちゃん?」
どうかな……と、言われましても……。
「そんな……とっても、ありがたいです……もし、ご迷惑にならなければ……その……お言葉に甘えても良いでしょうか?」
私の言葉に、王子様と爺やさんが笑顔で私を見るのであった。
***
「それでは、この度は大変お世話になりました」
爺やさんが、修道院の偉いらしい老女と。私と王子様を助けて下さったお姉さんに、深々と頭を下げた。
「いえいえ、困っている方をお助けするのは。当然の事ですから」
穏やかな笑みを携えて、老女が言う。
「本当に無事で良かったわ。お城まで気をつけてね」
お姉さんが少し身体を折り、優しく私に告げる。
「はい、ありがとうございました」
私は深々と頭を彼女に下げた。
「ウフフ……小さいのに、しっかりしてるのね」
「あの」
上品に微笑む彼女に、王子様が少し視線を泳がせながら声を掛ける。
「その……本当に、助けて下さり。ありがとう、ございました……」
一度、視線を下げてから。彼は、ハニカミながらお姉さんへと顔を向ける。
「いいえ、大した事はしておりません。お二人共、ご無事で本当に良かったです」
「なんと謙虚でお優しい方なんだ……」
そういえば……と、嬉しそうな表情で彼は続けた。
「貴女は、とても歌がお上手ですね」
「歌?」
「ええ。僕達を助けて下さった時、素敵な歌声を聞きまして……」
それって、人魚さんの歌じゃ……私がそう思っていると、お姉さんは再び「ウフフ」と笑みを溢す。
「それは、素敵な夢でも見られていたんじゃないですか?」
おかしそうに笑いながら言う彼女に、王子様は照れたように頬を掻く。
「王子様、そろそろ行きますよ!」
爺やさんはそう言うと、「さあ、アリスさんこちらへ」と私の手を取って馬車まで連れて行ってくれた。
「あの……また、会いに来ても良いでしょうか?」
後方で、王子様の声が聞こえてくる。
「……すみません。今回は、非常事態でしたのでこのようにさせて頂きましたが。本来この修道院で修業する身として、気軽に男性の方と交流をするのは……」
続いて、申し訳なさそうなお姉さんの声も。
「そう、ですよね……すみません、図々しい事を言ってしまい」
王子様は苦笑いをお姉さんに向けながら、再びお礼を言って私と爺やさんの乗る馬車へと共に乗り込んだ。
***
馬の蹄と、車輪が平坦ではない道を走る音が響く馬車の中。
「王子様」
と、爺やさんが口を開く。
「彼女は修道女。いくら、助けて頂いた女性といえども。これ以上の交流は、お相手の方にご迷惑になります」
「……分かっているよ」
少し厳しめな口調で言う爺やさんに、王子様は悲し気に瞳を揺らす。
「すみませんね、アリスちゃん」
すると、二人を見つめていた私に爺やさんが優しく声を掛ける。
「あのお姉さんと、仲良くするのはいけない事なんですか?」
私は少々気に掛かったので尋ねてみた。
「彼女は修道女と言ってね、自分の人生を全て神に捧げて仕え生きていく事を誓った人なのです。一生結婚をせずに、先程の修道院で神の為に働くので、あまり男性と仲良くはできないのですよ」
なるほど……と、思ってから。私は王子様へと視線を移す。
「分かってはいるが……僕は……」
しかし、その先を彼は言わなかった。
そして、窓の外を見つめたまま――とはいっても、どうやら外の景色を見ている様子ではなかったが――馬車は美しい海の近くにそびえ建つ。白貝のような色をした外壁の大きな城へとやって来たのであった。




