帽子屋とお茶会Ⅱ
「貴方って、何がしたいんですか?」
ティーカップに入った紅茶を一口啜ってから、私は冷たい目と声を向かいに座る帽子屋に放って尋ねた。
「ボクは、“アリス”に楽しく嬉しく幸せになって欲しいだけだよ!」
だから……。
「それがどうして、エラさんやピノキオ達との出会いや別れになるんですか?」
しかも、一つの世界での経験が終わっても。“私”に繋がる手掛かりを全く掴めていないのだ。
「それは、“アリス”が気が付いてないだけかもしれないよ?」
「もう少し、分かりやすい手掛かりを所望します」
てか、知っているなら帽子屋が教えてくれれば良いのでは?
「ボクが知っている事は、“アリス”が知りたい事とは限らないよ?」
「それは、聞いてから私が判断します」
少し鋭い視線を放つが、彼は「まあまあ、そんな事より!」と相変わらず自分のペースを崩さない。
「今日のお茶とお菓子はどう?」
私はいつも頂くものより、少し甘味とほのかな酸味を感じる紅茶が入るティーカップを覗き込む。
「……美味しいです」
悔しさを感じてしまう程に……そう思いながら、私は目の前にあったチョコチップクッキーを手に取り口へと運ぶ。
こちらも、とてもとても美味しかった……。
「それは良かった! “アリス”の幸せが、ボクの幸せだよ!」
「そういえば、貴方。私の料理食べたいって言ってたくせに食べに来なかったけど、良かったんですか?」
「心配してくれてありがとう! でも、大丈夫! ちゃんと食べさせて貰ったよ!」
「でも、ジェペットさんの家には……」
「君達がお喋りに夢中で、ボクの存在が見えてなかっただけじゃないかな!」
そんなバカな……。
「君が切った大きな野菜達も、少し胡椒を付け過ぎてしまったチキンも。ボク、とっても大好きだったよ!」
……うるさい。
「もう~、怖いよ“アリス~”!」
お茶らけた様子で言う帽子屋。
私は一度溜息を溢してから、再びティーカップへと口を付けた。
温かな紅茶が、気持ちを落ち着かせてくれ。私は彼の言動を気に留めない事を心に誓い、再びチョコチップクッキーへと手を伸ばす。
「そういえば、“アリス”」
私はクッキーを咀嚼しながら、帽子屋へと顔だけ向ける。
「君って、お菓子大好きなのに。どうして、『おもちゃの国』では一口も手を付けなかったんだい?」
あっ、そういえば。
「確かに」
私の心と、声に出した言葉に。帽子屋は愉快そうに再び笑う。
「自分でも自覚無かったんだね!」
「まあ、あの時はピノキオを探すのに必死だったし……」
それに、コオロギの幽霊から「おもちゃの国」の怖い真実を教えて貰っていたから。気軽に、あの島にある物に手をつける気にはなれなかったし。
「な~んだ、ボクのお菓子の方が好きなのかとウキウキだったのに~」
と、残念そうに言う帽子屋の言葉に。
「あ、でも。そうかも」
と。私は何気なく、そう溢した。
「あの島にあったお菓子より、このクッキーの方がずっと美味しそうだし。実際、美味しいし」
まあ、ロバになっちゃうお菓子を私は食べてないから。味の食べ比べはしていないが。
「“アリス~”!」
その時、向かいに座っていたはずの帽子屋がいつの間にか私の元までやって来て首へと絡みついて来る。
く、苦しい……!!
「君がボクを好きなように、ボクも君が大好きだよー!」
いや、私は“貴方が用意してくれたお菓子”が好きなだけで。貴方の事が好きな訳では……。
だが、聞こえているはずの私の心の声は華麗にスルーされ。私は帽子屋の長い腕に無遠慮に抱きしめられる。
「――オイ、お前! “アリス”に何してるんだ! 離せ!」
すると、私と帽子屋しか居なかった真っ暗な空間に。新たな人物の声が響く。それは、聞いた事がある声であった。
「おや、君は。白兎君じゃあないかい? ボクと“アリス”、二人っきりの甘い時間を邪魔するなんて。無粋だなあ~」
甘いって……今日の紅茶は、確かにいつもより甘かったが……。
「もう~! そうじゃないでしょ、“アリス”!」
「良いから、“アリス”から離れろー!」
小さくてモフモフとした体躯が、長身な帽子屋に目掛けて激突する。
可愛らしい容姿の割に、なかなかな荒業を発揮してきたなあ……。
「……“アリス”……そ、そんな呑気な……」
体当たりされた部位が痛むのか、床に伏した帽子屋が珍しく余裕の無い表情で言う。
「“アリス”大丈夫!? コイツに変な事されてない!?」
「多分、まだ」
私の返答に、帽子屋が「多分!? まだ!?」と驚愕の声を出す。
「ボクが君に、変な事するワケないじゃあないかー!」
「どうだかね」
帽子屋の主張に、白兎が白い目を向けながら続ける。
「こんな所に“アリス”を連れ込んで、いつ何するか分かったもんじゃないよ!」
確かに、白兎の意見は間違っては無いな。
「間違ってるよー! 全然、全く、少しも合ってないー!」
帽子屋が立ち上がり、私達の所へとやって来る。
「そんな珍獣の話なんて、鵜呑みにしちゃダメだよ“アリス”!」
「誰が珍獣だ変態!」
「失敬な! ボクは“変人”でも“変態”じゃあ無いよ!」
いや、変人なのは肯定するんだ……いや、でも、確かに変人だった。
「そう! ボクはたった一人の“アリス”だけの、特別な“帽子屋”なのさ!」
彼は“特別”と“変人”をイコールで結び付けようとしているのだろうか?
大分、違う意味合いなのだが……。
「“アリス”こんな変態帽子なんか放っておいて、早く僕と……」
その時、私の手を取ろうとした白兎の口に。何かを押し込める帽子屋。
「まあまあ、白兎君。少し、落ち着いて、お菓子でも食べ給えよ」
帽子屋がそう言い終わると、「ゴックン」という音と共に白兎の喉を彼が食べさせた物が通り過ぎて行く。
「お前! 僕に何を……」
すると、眉を寄せて帽子屋に詰め寄る白兎の小さい体躯が。徐々に徐々に大きさを増していく。
「アレ? アレぇぇぇぇぇ!?」
驚愕に顔色を染め、戸惑いの声を出す白兎。
何も言葉が出ず、私が唖然とその光景を見つめていると。白兎はあっという間に、私の五倍。帽子屋の三倍はありそうな大きさへと変貌を遂げていた。
「わーん!! “アリスー”!! どうしようー!!」
悲痛に叫ぶ白兎。
いや……どうしよう、と言われても……どうしよう……。
「わぁ~! おっきなウサギだぁ~!」
この事態の犯人は、私の隣で巨大白兎を見上げて愉しそうに笑っているし。
「こっ、こんなんじゃあ……“アリス”と一緒に帰れないよぉ~……」
言いながら、彼の目から大粒の涙が何粒も何粒もポロポロと零れ落ちて行く。
「“アリス”にも、きっと、嫌われちゃう……」
「いや、別に大きくなったくらいで嫌いには――」
「そうだね~! 大きい君なんて、可愛くなくって嫌かもねー!」
「ちょっと!!」
余計な虚偽を白兎に吹き込む帽子屋に、私は怒鳴るが時既に遅し。
白兎は、本格的に泣き始めてしまう。
「だっ、大丈夫だよ! 嫌いになったりしないって!」
しかし、声を上げて泣きじゃくる白兎に。私の言葉は届いていなかった。
どう宥めたら良いやら……と、思考を巡らせていると。ふと、自身の足元に違和感を覚える。
少々、感触の悪い感覚に眉を寄せて下を見ると。なんと、私の踝辺りまで白兎の涙で浸水していたのだ。
「ちょっと、コレ……」
「どうやら、白兎君の涙が此処に溜まって来ちゃったようだね~!」
「そんな呑気な!!」
先程まで、足元しか沈めていなかった涙の海は。瞬く間に私の腰、胸へとせり上がって行き。ついに、床に足を付けているのが困難となってしまう。
「ちょっと、コレどうするの!?」
「どうするって?」
楽しそうに水面を背にして漂う帽子屋の言葉に、私は自分のこめかみがピクっと痙攣するのを感じ取る。
「このままだと私達、涙の海で溺れちゃいますけど!?」
そして、語気荒く怒鳴る私。
「え~? しないよ?」
そう言う帽子屋は、むくりと上半身を起こし。私へと視線を返す。
彼はまるで、普通の床に腰を下ろしているように水面に座っていたのだ。
「ちょっ、なんで?」
私は水から必死で顔を出しながら呟く。
「さァ? なんでだろうね?」
いや、もうどうでも良いから。この状況を何とかするか、助けてくれないかな!?
「いや、でも丁度良いから。このまま、この海に次の世界に連れてって貰ったら?」
は?
「わーん!! “アリスー”!!」
突然、叫び出す白兎。
すると彼の声と動きの振動で、涙の海が波打ち。私へと襲い掛かる。
「ちょっ、待っ……」
しかし、私の声も願いも叶わず。私は波に飲み込まれ、荒々しい流水に体を激しく揺らされ。抵抗など出来ぬまま流されて行くのであった。
――いってらっしゃい、“アリス~”!
お気楽な声が、耳に纏わり付く水音に紛れて聞こえた気がした。
……今度、会ったら。絶対、許さない……!!
上へ下へ、既に分からなくなってしまった左右に身体を揺らされながら、私はそう心に怒りを強く燃やすのであった。




