灰かぶりと“アリス”③
「どうせ……また会えると思ってた」
夜が深くなり、エラさんと隙間風吹き抜ける肌寒い屋根裏部屋で一つのベッドの中。身を寄せ合って眠ると、私はまたまた再び、あの暗闇へとやって来た。
「さっきぶりだね、“アリス”。また会えて、ボクはとーっても嬉しいよ!」
帽子屋が言う。
「……白いウサギと、嗤う猫は居ないんですね」
「うん。此処にはボクだけ。“アリス”と“ボク”だけの、二人の為だけの世界!」
当初から、ちょこちょこ言われるキザっぽい台詞に何と返答して良いか分からず。私は「変なの……」と、一言言うに止めた。
「“変”とはなんたる素敵な褒め言葉! 他には無い、誰とも被らない個性! 光栄の極み!」
何かズレてるような……そして、相も変らぬ無茶苦茶な前向き思考……。
「今回は、さっきの“うたた寝”と違ってゆっくり出来そうだね! お茶会をしよう! ケーキにクッキーにチョコレート、“アリス”の好きな物を用意するよ!」
用意するって……此処には何にも無いではないか。
「いいや! 此処にはテーブルも椅子も、ティーポットもティーカップも揃っているよ!」
そして、彼は自身が羽織る長い外套をひらめかせながら一歩左へズレる。
「ほら」
すると帽子屋の後ろに丸くて白い、真ん中を一本の支柱で、そのバランスを保つテーブルと。同じ材質で出来ている丸いフォルムの椅子が現れる。
椅子は三脚あり、その内の一つには視点の定まっていない間抜けな表情をした茶色いウサギのぬいぐるみが鎮座していた。テーブルの真ん中には、眠っているヤマネのぬいぐるみが置かれている。
「今日は、ミルクとお砂糖たっぷりのアッサムティーにしようか!」
言いながら帽子屋は紅茶をティーカップに注ぎ始め、砂糖とミルクを放りまくる。
「お菓子は何が食べたい?」
何だろう……あ、チョコレートケーキ食べたいな……。
ココアのスポンジで出来た、濃厚なカカオのチョコレートのクリームがたっぷりコーティングされた、チョコレートのホールケーキ。装飾に、甘酸っぱい真っ赤な苺が乗ってると尚良いなあ……。
「チョコレートケーキ! とっても最高だね!」
帽子屋の言葉に顔を上げると、私が想像を膨らませたケーキがイメージそのままにテーブルの上に乗っていた。
「なんで……?」
「君が思い浮かべたから、此処に現れられたんじゃないかな」
「本物?」
「食べてみたら良い!」
帽子屋がそう言うと、私の背後から衝撃が襲い掛かる。短い悲鳴を上げて、その衝撃に身を任せていると。私はいつの間にか椅子に座っていて、椅子が勝手に動いて私をテーブルの前へと座らせていたのだ。
「さあ、君の分!」
帽子屋がケーキを切り分けて、白い皿の上に乗せ差し出す。
「……変な物とか入ってません?」
「大丈夫! 毒も入ってないし、このケーキで大きくなる事も無いよ!」
毒はともかく、大きくなる心配はしていない。てか、“このケーキ”でなければ大きくなってしまうのか?
「いいからいいから!」
笑顔で促され、私は不審な眼差しを向けたまま一口。口へと頬張る。
しかし、そのチョコレートケーキは私の不安に反し。濃厚なチョコレートクリームとココアのスポンジ、甘くて少し酸っぱい苺と。見た目通りで想像通りの美味しい味が広がった。
「口に合った? それは良かった!」
「これは本物?」
「“本物”かもしれないし、“偽物”かもしれないね」
「またそれか……」
私は疲れた表情で言う。
結局、何を聞いても“本当の事”を彼は私に教えてはくれないのだ。
「いやいや、ボクはちゃんと教えているよ! ボクにとって“本当”でも、君にとっては“偽り”かもしれない。でも、君にとっては――」
「分かった。もう良いって」
話が長くなりそうなので、私は冷たく言ってからケーキをもう一口。口へと運ぶ。
「そんな事より! 君は、今。悩みを抱えているね?」
仮面のように貼り付けた笑顔で、私を覗き込む帽子屋。
「聞かせておくれよ、“アリス”!」
「いや……別に何も……」
エラさんと一緒にいる私は、優しいエラさんの為に、何か出来る事はないか……とは、思ったけど……。
「ふむふむ……それを、ボクに言っても仕方ない……と」
あ、心読まれるんだった……。
「ボクに隠し事は出来ないよ、“アリス”!」
何だか心が丸見えなんて、気分の良いものではないな。
「まあまあ、そう言わないで。ボクと君との仲じゃあないか!」
「どんな仲だったか、存じ上げないので」
私にとってこの帽子屋は、つい先刻初めて出会った知らない人だ。
「それはなんたる幸運! 今、君は“ボク”を知らないのなら。これから“ボク”を知る喜びに出逢えるという事だよ!」
だから、その前向き思考は何なのだ……。
「視点を変えれば、“不幸”だって“幸福”になる! “悲しみ”だって、“喜び”になるよ!」
「いや、そうならない事だってあるでしょ」
「あの“エラ”という女性は、“不幸”かい?」
突然、エラさんの話題を振られ。私は固い表情で帽子屋を見る。
「義母と義姉達に虐げられ、毎日奴隷の如く扱き使われる。そんな彼女は不幸かい?」
「不幸……と、たった一言で決めつけるのはどうかとは思うけど。優しいエラさんが、そんな扱いを受けるのはおかしい……って、思います」
うん、見ず知らずの私を匿って。ご飯をくれたエラさんは、もっと優しい人たちに囲まれるべきだ。
綺麗なドレスを着て、素敵な男性と踊るくらいの幸福を許されるべきだ。
「ふむふむ……成程成程」
向かいでティーカップを片手に、帽子屋が笑顔で言う。
「“アリス”がそう思うなら、そうなんじゃないかい?」
「でも、私がエラさんに出来る事なんて……」
「君は“出来ない”と思っていても、ボクは“出来る”って思っているよ」
「そんな簡単に行くわけ……」
「君がそう“思っている”だけだ」
「じゃあ、具体的に何をしたら良いの?」
「そうだね~……君がしたいようにするのが、良いんじゃないかな?」
「いや、だからそれが分から……」
「おや? そろそろ時間かな?」
え? 急に?
「せっかくの“アリス”とのデートだったのに~!」
デートだったのか?
「じゃあね、“アリス”! またね!」
ひらひらと手を振り、帽子屋はあっさりと言ってのける。
結局、私の悩みは解決を果たさず。やはり、彼に話した事は意味があったのだろうか……最後に、そんな思いが私の中に過るのだった。