灰かぶりと“アリス”②
それから少し、エラさんとお話をしてから。彼女は夕飯の支度をする為、町へ買物に出かけて行った。
エラさんの部屋は屋根裏部屋で、隙間風がいつも通過していくあまり環境の良い部屋ではないので。彼女の義母や義姉達が足を踏み入れる事は滅多にないから、ゆっくりして良いと言われた。
特にする事の無い私は、エラさんの寝具に横になる。
彼女は今、血の繋がった家族と暮らしていないそうだ。
実の母親が他界して暫くしてから、実の父親が再婚して現在の義母が自分の娘を二人連れてこの屋敷にやって来たのだという。
父親が健在の頃は、さほどエラさんへの風当たりは強く無かったとの事だが。父親が亡くなってから、三人の態度は豹変したそうだ。
義母は自分の娘二人ばかりをあからさまに可愛がり、義姉達は嫌味や意地悪を日常的にエラさんに浴びせ始めたのだ。
暫くして、三人の浪費癖が裕福だったこの家を傾け始め。父が健在だった頃に雇っていた召使達の給金の支払いが困難になり、全員に暇を出してからはエラさんがこの屋敷の給仕を全て行っているという。
先程、部屋の小窓から覗いてみた外の景色は広大な庭が広がっており。私が今、居座っている屋敷の大きさを感じさせた。
だが、豊かに咲き誇っていた草花は殆ど枯れ果て。この家の劣化を、お話だけでは無いのだと実感させる。
とても良いお家に生まれたはずなのに、神様はエラさんに意地悪な運命を与えたものだ。
だが、エラさんは美人で優しくて生まれも良くて。もしかしたら、それでバランスが取れているのだろうか……何のバランスかは、自分で考えておいて何だかは分からないが。
***
「やあ、“アリス”! また会ったね!」
派手な帽子を被った青年が、ニコニコと私に言う。
私は感情を表情には乗せずに「どうも」と淡泊に答える。
周囲の景色は、最初に私が目を覚ましたのと同じ真っ暗な空間になっていた。
「此処は……」
「此処は君の“夢”の中」
「夢の中?」
「かもしれないし、“現実”の中かもしれない」
「どっち?」
「はたまた、“空想”の中? それとも“妄想”の中?」
帽子屋の言葉に、私は頭を混乱させ口を噤んだ。
てか、“空想”と“妄想”って一緒じゃないかな?
「まあ、そう言わないで!」
「言っては無いけど……」
「それより、あっちの君の調子はどう?」
あっち? エラさんの家に居る“私”の事?
「そう! そっちの“君”!」
そういえば。この人には、私の考えてる事が筒抜けだった。
「うん! 君の事なら、何でも分かるよ!」
「……調子とか聞かれても、良く分からない」
疑問符だらけの状況と私の心に、一番的確な答えを返す。
「それは良かった!」
嬉しそうな声を出す帽子屋に、私は眉を寄せる。
「“分からない”なら、君はこれから“分かる”喜びを知る幸福が待っているという事だ! “アリス”! 君はなんてツイてるんだ!」
言っている意味は分かるが、あまりにも前向き過ぎる思考方法に私はやはり言葉を失う。
「おや? あっちで、君を呼ぶ声が」
帽子屋は天を仰ぎながら言った。
「じゃあ、またね。ボクの“アリス”!」
そう告げると、帽子屋の姿はだんだんと霞んでいき。視界に捉えられなくなっていった。
――スちゃん
すると、女性の声が小さく響いてくる。
――リスちゃん
それは、優しい音色で。聞き覚えがあった。
――アリスちゃん
ああ、エラさんの声だ。気が付いた時、暗闇だった世界に橙色の光が差し込んだ。
「アリスちゃん」
視界に、エラさんの美貌が映る。
「起きた?」
優しい微笑みが降ってきた。
「良く寝てたから、起こすの可哀そうかな……とは思ったんだけど」
ベッドに横になっていたら、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
外はすっかり日も暮れて暗くなり、室内は小さな蝋燭で橙色に照らされていた。
「冷めたら美味しくないと思って」
エラさんは二人分のパンとスープとサラダを乗せた木の御盆を提示しながら、「食べましょう」と笑顔で告げた。
二人で「いたただきます」と手を合わせ、パンを一口かじった。少し甘い味のするパンはとても美味しかった。
「そういえばね、さっき町に買物に行ったらお城からお触れが出てたの」
楽しそうに話すエラさんへ、口をモゴモゴと動かして少し品悪く顔を向ける。
「お城で今度、舞踏会があるんですって! 王子様の花嫁探しも兼ねてるから、年頃の娘は貴族町民関係なく綺麗に着飾って来るようにって」
素敵よね~! と、エラさんはうっとりと言う。
「エラさんも行くの?」
口の中にいたパンの欠片を飲み込んでから、私が尋ねる。
「そうね……行けたら、きっと素敵ね……」
エラさんの笑顔に影が差す。
「でも、きっと。お義母様とお義姉様達は許してくれないだろうし……それに私、綺麗なドレス一着も持ってないから」
「綺麗なドレスがあったら、エラさんも舞踏会行きたい?」
「そうね……ええ、行きたいわ」
そう言うと、エラさんは食べていたパンを一旦置いて立ち上がり。襤褸のスカートをひらめかせて、華麗なステップを踏み始める。
「昔、小さい頃……丁度、アリスちゃんと同じくらいの年の頃かしら? お父様に教えて頂いたの」
無音が広がる、薄暗い屋根裏で。くすんで汚れた衣類を纏った“灰かぶりのエラ”は、そんなもの、ものともせずにキラキラと自身を輝かせて楽しそうに踊っていた。
「綺麗なドレスで着飾って、少しでも可愛くなって……そしたら、素敵な男性とダンスを踊る……」
くるりとターンをして、スカートと金糸のたおやかな髪を揺らし。エラさんはピタリと動きを止める。
「考えるだけで素敵だわ」
私は拍手を送りながら、エラさんの美しくも切なさを感じさせる笑顔を見つめるのであった。