灰かぶりと“アリス”①
着地点が見えないまま。急降下していた私の体は、暫くしてから鈍い痛みと共に感触のある地面へと投げ出された。
「イタたた……」
打ち付けた背中の痛みに顔をしかめながら体を起こすと、そこは少し埃っぽい匂いが鼻腔を刺激する部屋であった。
見回してみると、部屋の様子はとても質素で。一人用の寝台のみが存在感を醸し出し、あとは生活に必要な最低限の物だけが揃えられているという印象だ。
部屋は所々隙間風が通り抜けているようで、少し肌寒さを感じる。
「また、何処だか分からない所に……」
人の気配を感じない無人の室内にて、私は誰にともなく呟いた。
案外、先程の帽子屋や白いウサギや嗤う猫が応答してくれるかと思ったが、返答をくれたのは無情にも静寂だけ。
ふと、部屋に飾られていた大きめな鏡と目が合う。そこには、黒髪、黒い瞳の六歳くらいの幼女がじっと静かな視線を向けていた。
自身の容姿を初めて確認したが、思っていたよりも小振りな見てくれだったようだ。
少し吊り気味に上がった目尻に、背中まで流れる真っ直ぐな髪と。傘のようにスカートが広がる淡いブルーのワンピースに、白いフリルのエプロンが自身の容姿に似合わないなあ……と、冷静な思考を巡らせる。
すると、ガチャリと音を立てて部屋に人の気配が訪れる。
「だ、誰!?」
何と言い訳をするべきか、まだそこまで考えを纏めていなかった最中。恐らく、此処の主である人物へと視線を向ける。
驚いた声は可愛らしく、今の私の見てくれよりずっとお姉さんであった。金髪碧眼に、ボロボロなスカートとエプロン姿だが。その顔は眩いばかりの美しさを放っている。
「貴女、どこから来たの?」
警戒をしながらも、私が子供だからかその口調は柔らかく優しいものだ。
「えっと、その……」
私自身、正直。何が何だか分からなくて、説明が困難だ。
「迷ってしまって……」
もう、それ以外の言葉が出てこなかった。
「迷って此処に?」
美女、いや……まだ、十代であろうか? 美しい彼女は、小首を傾げながら呟く。
うん、最もな反応だ。
「すみません、勝手に入ってしまって。直ぐ、出て行きますか――」
「ちょっと、シンデレラ!! 私のネックレス何処ー!?」
私の言葉を掻き消して、ヒステリックな女性の声が響いてくる。同時に、ズンズンと地響きを轟かせてこの部屋へと近づいて来た。
「シンデレラ!」
部屋の入口から、女性が一人。顔を覗かせて来る。
「ねえ、私の真珠のネックレス知らない!?」
「それなら、お義姉様のアクセサリーボックスの二段目に入ってますよ」
にこやかに彼女が言うと、女性――シンデレラと呼ばれていた彼女に比べると、失礼ながら少し見栄えが劣る容貌だ――は「あ、そうだっけ?」とお礼も言わずに大股で部屋の入口を後にしていった。
「あの……」
私はシンデレラさんのロングスカートの影から顔を上げ、おずおずと声を掛ける。
「どうして……」
シンデレラさんは、女性が部屋を覗き込む前に私を自分の体の陰に隠してくれたのだ。
「あの人に見つかると、面倒だから」
困ったように笑いながら、シンデレラさんが言う。
「貴女、お名前は?」
「えっと……“アリス”、です……」
“アリス”だよね? 分からないけど……他に無いし、まあいいや。
「アリスちゃん! 可愛い名前ね!」
「お姉さんは、シンデレラさん?」
私の質問に、お姉さんは少し表情を曇らせた。
「“シンデレラ”はお義姉様達とお義母様に呼ばれてるだけで、本当の私の名前は“エラ”っていうの」
「なんで、“シンデレラ”なの?」
「“Cinder”の“Ella”だからって。前に私が暖炉の掃除をしていた時に笑いながら言っていて、それ以来。ずっとあの人達は飽きずに、私を呼ぶ時に使っているの」
「その人達、性格悪いですね」
「アリスちゃんは、はっきり言うのね」
フフッ、と。エラさんは淑やかに笑みを溢す。
「アリスちゃんのお家は何処? 送って行くわ」
優しく言うエラさんに、私の表情は固まった。
「アリスちゃん?」
私の顔を覗き込んでくるエラさんに、私は重々しく口を開く。
「……その……家、何処か……分からなくって……」
何なら、私に帰る家があるかどうかも怪しい。
いや、先程。白ウサギについて行けば家に帰れた? 彼はずっと「帰ろう」と訴えていたし。
「そ、それは困ったわね……」
エラさんが困惑した表情で言う。
「お家の場所、忘れちゃったの?」
「まあ……その、そんな感じ……です」
一切合切覚えていない……等とは、流石に言えなかった。
「お父様やお母様、心配なさってるんじゃないかしら……」
そんな人が居るのかどうかも、私は覚えていないが……。
「あとで、夕飯の買い物に行く時に。迷子になっちゃった女の子が居ないか、町の人に聞いてみるわね」
それまでは……と、エラさんは微笑みながら続けた。
「汚くて狭い所だけど、良かったら此処に居て」
私を安心させるように言う彼女の優しさに、私は逆に戸惑った。
「えっ、でも……」
子供とはいえ、見ず知らずの人間を自室に置いても大丈夫なのだろうか?
「此処には、お義母様とお義姉様達は殆ど寄ってこないし。こんな小さい子を、放り出すなんて出来ないわ」
笑顔を携えて、優しく言ってくれたエラさんは。纏っている襤褸など霞ませる程に、本当に眩しいくらいに美しく輝く女性であった。