灰かぶりと“アリス”⑪
舞踏会の会場に現れたエラさんは、老若男女問わず参加者全員から注目の的となる。
「ねえ」
私はこっそりと、帽子屋に声を掛ける。
「お義母さんやお義姉さん達に。エラさんの事……」
小声で私が尋ねると、帽子屋は「大丈夫」と笑みを浮かべた。
「ボクの魔法で、彼女が“シンデレラ”だとは分からないようになってるから」
ついでに……と、彼は言葉を続ける。
「“アリス”もボクも、彼女に分からないようになってるから安心して!」
「貴方の魔法って、意外と便利なんですね」
「好きになった?」
「いえ、そこまではなってないです」
私が呆れた目を帽子屋に向け、そして視線をエラさんへ戻す。
エラさんの前には、それは眉目秀麗で。煌びやかな衣装と共に爽やかな雰囲気を纏った、好青年と呼ぶに相応しい男性が跪き手を差し伸べていたのだ。
不思議そうに私が眺めていると、どこからか「王子様がご自分で!?」という声が耳に届く。
「そう。あれが、本日主役の王子様」
私の疑問に、やはり言葉として発さなくても帽子屋が答える。
「一際美しさを放っている彼女に、どうやら一目で惹かれたらしいね」
「エラさんなら当然だね」
「大丈夫。ボクはちゃんと、“アリス”に夢中でそれ以外は眼中に無いから!」
「うん、聞いてない」
刹那、今までバックミュージックとして控え目に奏でられていた様々な楽器の音色が。一際、色濃く浮き上がった。
しっとりとした雰囲気が一変し、大きく広い室内が豪勢な曲で包まれる。
「おや! ダンスタイムの始まりみたいだ!」
見ると、エラさんと王子様を中心に。何人かの男女ペアが手を取り合ってダンスを踊り始めていた。
「“アリス”! ボク達も行かなきゃ!」
帽子屋が私の手を握る。
「えっ!? ちょっ!!」
戸惑う私に構わず、帽子屋はずんずんと私を連れてダンスホールに向かって歩いて行く。
「私、ダンスなんて……」
「大丈夫! ボクに任せて!」
笑顔で帽子屋が言う。
そして、ダンスホールの端の方にて。私達は向き合った。
「さあ、楽しんで!」
嫌な予感が過る。
すると、向かい合わせで私の両の手を握ったまま。彼は私を思いっきり振り回す。
「ちょっ、ちょっとー!!」
「せっかくの舞踏会なんだから、楽しく好きに踊らないとー!」
好きに踊っているのは貴方だけで、私は振り回されてるだけ……。
「さあ、君も好きに踊ろうー!」
いや、無理……。
それからも、私は帽子屋に振り回され持ち上げられ。その他諸々、過激な動きに付き合わされて目をグルグルに回す。
「おや? もう間もなく十二時かな?」
ヘトヘトになった私の身体を、腰に手を回して支えてくれながら帽子屋が言う。
「じゃ、じゃあ……そろそろ……」
エラさんの魔法が溶けてしまう時間なので、私達も屋敷に戻らなければ。てか、この地獄のダンスから早く解放されたい……。
「そうだね。シンデレラと王子様との感動的なお別れシーン見てから帰ろうか」
一瞬、眉を寄せると。彼は扉の方へと私の手を引いて行く。
そして、お城の外へと出る為に扉を潜った。
疑問符を浮かべていると、鐘の音が重低音を響かせる。
「十二時を告げる鐘の音だね」
帽子屋が言う。
なら、エラさんは……と、私が考えていると。大きな扉が再び開かれる。
「ごめんなさい! 私、帰らないと!」
エラさんの声だった。慌てた様子で、彼女は外へと駆けて行く。
「待って!」
そして、背後から。男性の爽やかな声が響く。
「せめて、名前だけでも!」
エラさんにそう問いかけるのは、先程まで彼女とダンスをしていた王子様であった。
……まあ、私は帽子屋に振り回されていて二人のダンスを殆ど拝見する事は出来なかったが……。
「怒ってる?」
「……もう、そんな感情抱くのも疲れました」
脱力しながら私がそう言っている最中も、エラさんの逃走劇は展開され続ける。
王子様の声に、一瞬だけ後ろを振り向いた彼女は。その拍子に、ガクっと態勢を崩した。
だが、すぐさま持ち直し。再び前方に足を急がせる。そして、何とか無事に城門前に停車してあったカボチャの馬車へと飛び乗っていく。
「本当は、この十二時の鐘が鳴り終わったら。魔法が溶ける仕組みなんだけど……“屋敷に着く迄”に延長してあげようかな」
「そうしてあげて下さい」
さすがに、帰り道の途中で魔法が溶けるのは色々と可哀そうだ。
その時、エラさんが駆け下りて行った大きな階段の中盤位置に。キラリと光る何かを見つけた。
「アレって……」
目を凝らして見て見ると、それは魔法使いな帽子屋が。“サービス”でエラさんに施してくれた、ガラスの靴であった。
「さっき、コケた時に脱げちゃったんだ」
あのままにして良いのかな?
「アレは、大丈夫!」
帽子屋が、私の疑問の思考に答える。
「でも……」
私と同じように、エラさんが落とした硝子の靴に気が付いた王子様がその側へと歩みを進めていた。
「大丈夫だよ!」
帽子屋は安心させるように笑顔を私に向ける。
「それよりも、シンデレラより先に帰らないと!」
あ、そうだった!
「今度は、この窓から帰ろうか」
私達がエラさんの様子を眺めていた場所の背後にある大きな窓ガラスを示唆して、彼が言う。
「いや、誰かに見られたら……」
「大丈夫大丈夫!」
安易な……と、私が呆れるのも束の間。帽子屋は有無を言わさず私の手を取り、さっさと夜の城の庭を映す窓ガラスへと入り込んで行くのであった。