09.私の過去2
ホルト家にやってくる度、ラルは必ず庭に来る時間を作ってくれた。
私はラルの話が聞けるその時間がとても楽しみだった。
そしてそのうち、私も自分の話をするようになった。
昔、母が焼いてくれたチェリーパイがとても美味しかったこと。
実父が生きていた頃三人でピクニックに行ったこと。
父と母はとても仲が良かったということ。
父を亡くした母がとても悲しそうなこと――。
ラルと出会ってもうすぐ一年になろうとしていたある日、ラルが自分の髪色によく似たくまのぬいぐるみをプレゼントしてくれた。
「誕生日おめでとう、エレア」
「まぁ……私の誕生日を知っていたのね」
「もちろんだよ。大切な友人の誕生日だ。こっそり父上から聞いていたんだ」
「ありがとう、ラル」
そのぬいぐるみは鮮やかなブルーのベストを着ていて、サファイアのブローチをつけていた。
「でも……こんな高価なものはもらえないわ」
「ううん。エレア、よく聞いて。僕はもう少しでこの家には来られなくなる。だからもし今後何かとても辛いことがあったら、このブローチを握って僕のことを呼んでほしい。このブローチに僕が魔法をかけた。だから、必ず駆けつけてあげるからね」
〝約束だよ〟
そう言って、ラルは私の小指と自分の小指を絡めて目を閉じた。
私が十一歳になった日、ラルは私に三つのプレゼントをくれたのだ。
可愛い可愛いくまのぬいぐるみと、綺麗なブローチ、そしてとても心強い約束を。
ほんの小指一本だったけど、ラルの指と自分の指が絡み合って、私の胸はドキドキと高鳴った。
このくまのぬいぐるみには〝ラディ〟と名付けることにした。
このとき感じた想いが小さな恋心だと気づくのはまだ先だけど、その日はとても嬉しくて、つい母にそのことを自慢してしまった。
「――まぁ、キルステン侯爵様のご子息に会っているの?」
ラルから誕生日プレゼントをもらったことを伝えると、母は顔色を変えて焦ったようにそう口にした。
心のどこかで、「そうだった、今日は貴女の誕生日だったわね。忘れていてごめんなさい。おめでとう」と言って抱きしめてくれることを期待していた。
けれど母親の口から発せられた言葉は、
「もう会ってはいけません」
という残酷なものだった。
「……どうして?」
「ラルフレット様は将来フランカ王女と結婚される方よ。もし貴女と変な噂でも立ってご迷惑をおかけするようなことがあれば……!」
「……――」
母親の話は途中までしか私の耳に入ってこなかった。
ラルは、将来王女様と結婚するの……?
ラルの髪色によく似たくまのラディをぎゅっと抱いて、私はズキズキと痛む胸を誤魔化して、その日は眠りに就いた。
それから、ラルに会えなくなってしまった。
使用人には邪魔だという目で見られたけれど、キルステン侯爵が来ている間は母に部屋に閉じ込められてしまうようになったのだ。
そしたら、使用人は私の部屋の掃除はしなくなった。
そんなことはどうでもいい。
それより私はまた、独りぼっちになってしまった。
部屋の窓から、庭を見つめた。
ラルは変わらずそこで、私を待っていてくれたのだ。
いつもは私が先にそこにいるから、ラルは不思議そうにきょろきょろと辺りを見渡して、私を探してくれていた。
とても悲しくて寂しかったけど、ラルは言っていた。
『僕はもう少しでこの家には来られなくなる』
キルステン侯爵が、ツィロに仕事のやり方を教え終われば、もうラルに会えなくなるのはわかっていた。
だからこの日が来るのは覚悟していたし、そう思ってラルはこの〝ラディ〟を私にくれたのだ。
「大丈夫……大丈夫よ……」
悲しくても笑っていなければ。
私が悲しい顔をすれば、お母様がもっと悲しくなってしまう。
私にはラディがいる。だから寂しくない。
そう言い聞かせて日々を過ごした。
結局ラルにお別れも言えずに、キルステン侯爵の務めが終わりを迎えた。
一年が経ち、ツィロにすべてを教え終えたのだ。
けれど、キルステン侯爵の教えも虚しく、ホルト領の経営は少しずつ傾いていった。
仕事が思うようにいかず、十八歳になろうとしていた義兄、ツィロは毎日荒れるようになった。
気に入らないことがあると使用人に当たり散らし、大きな声で怒鳴り、食事の入った皿を床に払い落とした。
母はそんなツィロを支えようと必死で、妹のレーナはやっぱりいつも泣いていた。
ツィロから理不尽なことで怒鳴られるようになった使用人の怒りの矛先は私に向けられ、ツィロに言えない文句を私に言い残して辞めていく者もいた。
「――本当に酷い人たちよね」
私と唯一ちゃんと会話してくれる侍女のサラは、いつも先輩たちの愚痴をこぼすようになった。彼女も八つ当たりを受けていたのだ。
「きっといつか天罰が下されるわよ」
出会った頃のサラはやわらかい雰囲気のある女性だったけど、最近は少し棘を感じるようになった。相変わらず綺麗な人ではあったけど、強くなければ生きていけないのだろうなということもなんとなく感じていた。
私も強い女性になろう。
妹のように泣いたりしない。母のように媚びたりもしない。兄や使用人たちのように怒りをまき散らしたりもしない、強い人になる。
そういえばラルはいつも笑っていた。私はラルの笑顔が大好きだった。
だから、笑っていればラルのように強く誇り高い人になれるのかもしれない。
子供ながら、私はそう胸に誓ったのだった。