24.別の相手と
「こんばんは、エレア様」
「……こんばんは」
私を見てふっと口元に笑みを浮かべながらも、淑女らしくお辞儀をするフローラさん。けれどそのふくよかな胸元には、女の私でも思わず目がいってしまう。
もちろん、そんな彼女のことは覚えている。元婚約者であるポールと、あの日ベッドの上で絡み合っていた女性だ。
ポールが、「愛してる」と囁いていた人。
「何かご用ですか?」
私の前に出るように一歩彼女に近づいたラルが、少しきつめの口調で問いかけた。
いつも、誰にでも笑顔で優しいラルなのに……少し意外だ。
「貴方と少しお話ししたいことがあって……。それとも、この場でお話ししたほうがよろしいかしら?」
フローラさんはラルを見ながらそう言ったけど、最後に一瞬だけ私に視線を向けた。
ラルとフローラさんは面識があるのだろうか。
それともまさか、彼女もラルを狙っている女性の一人なの? でも、ポールとはどうなったのだろうか。
「……ギド!」
ちょうどそのとき、近くを通りかかった騎士団で同期のギドさんを、ラルは呼び寄せた。
「おお、ラル」
「悪いが少しの間、エレアと一緒にいてやってくれないか」
こちらに来てくれたギドさんに、ラルは静かにそう声をかける。
「……ああ、いいぞ」
それを聞いたギドさんはフローラさんを見た後、私と目を合わせて小さく会釈をしてくれた。私もそれにお応えする。
こういう場で、ラルが私から離れるのは珍しい。
ポールの浮気現場を目撃したあの日は、フランカ王女からダンスに誘われてやむを得ないという感じだった。
それに、それであんなことになったから、ラルが私から離れることはもうないのだろうなと、心のどこかで思っていた。
「すまない、すぐ戻る」
「ゆっくりでいいぞ。エレアちゃんは俺が守ってやるから」
「……頼んだぞ」
子供ではないのだから、別に一人でも大丈夫なのに。
ギドさんを私の隣に置いて、ラルは「少しだけ話をしてくるね」と言ってフローラさんと会場を出ていった。
「……」
その背中を、なんだかもやもやする気持ちで見送った。
ラルが自分以外の女性と歩いているところを見るのは、いつぶりだろう。
ラルもポールのように、どこかの部屋に連れ込まれて、ベッドの上でフローラさんに触れたりするの……?
「…………」
ふと、あのとき見た光景を思い出し、私はぶんぶんと頭を横に振った。
ラルがそんなこと、するはずない。
ラルは私と結婚すると言って、しかも好きだと言ってくれているのに……ポールと重ねてしまうなんて、私は愚かだわ。
けれどまだ私の気持ちは伝えていないし、ちゃんと確認し合ってもいない。
正式に婚約を結んだわけではないし、私とラルはまだ兄妹だ。
だから、もしラルが他の女性とそういうことをしたとしても、私は文句を言える立場ではないのだ。
「エレアちゃん」
「あ……すみません」
一人で悶々とそんなことを考えて暗くなっていたら、心配そうにギドさんが声をかけてくれた。
「相変わらず、過保護な兄貴だな」
「ええ……本当に」
ギドさんは、ラルが私に求婚したなんて知らないのだろう。
だから単に、妹と一緒にいてやってほしいと受け取ったのだろうから、私がこんな顔をしていては変に思われてしまう。
「すみません、こんなことを頼んでしまって……」
「いや、俺も一人だったし、退屈だからそろそろ帰ろうと思っていたところなんだ。エレアちゃんと話ができるなんて、光栄だよ」
「まぁ」
ギドさんとラルは、騎士団の中で一番仲がいい。ラルが信頼している方なだけあって、とても優しくていい人だ。
それに、大きくて見た目が少し怖いギドさんが一緒にいてくれているおかげか、ラルがいなくなっても私は誰からも声をかけられていない。
きっとラルの思惑通りなのだろう。
「……それにしても、先ほどの女性は確か、君の元婚約者を誘った人だろう?」
「ええ……そうです」
ポールのことは噂になっているし、その相手が誰だったのかも、騎士たちの間では知れ渡っているのかもしれない。
ラルもフローラさんのことを知っている様子だったし、相手が誰かは調べてあるのだろう。
でも本当に、フローラさんがラルに何の用なのだろうか。
「……君の元婚約者は本当に愚かだね」
「え?」
「君のような魅力的な女性と婚約しておきながら、他の女姓の誘いに乗るなんて」
「……そんな」
形式的に慰めてくれているのであろうギドさんに、私も淑やかな笑みで返す。これは貴族としての嗜みだ。
別にポールのことはもうどうでもいい。ショックじゃなかったわけではないけど、婚約が白紙になってよかったと思っているくらいなのだ。
だから本当は少しだけ、フローラさんには感謝している。あのままポールと上手くいってくれていたらよかったのだけど……本当に、ラルに何の用なのだろうか。
「俺だったら絶対あんなことはしない」
「え?」
結局私の思考はすぐにラルのことになっていた。けれど続いたギドさんの言葉に、私は反射的に顔を彼のほうへ持ち上げた。
「エレアちゃん。もしよかったら、俺と一曲踊ってくれないかな?」
いつになく緊張の色を浮かべているギドさんに、私はその言葉の意味を考えてみる。
夜会では、男女が一対一で踊るものだ。
私もラルとはよく踊っている。ポールとも一度だけ踊ったことがあった。ラルのあとに、だけど。
でも思えば私は、他の男性とはあまり踊ったことがない。
婚約者がいたら他の男性と踊ってはいけないなんて決まりはないのだけど、いつもラルが一緒にいたから。
そもそも私にもギドさんにも、今婚約者はいない。
「ええ……喜んで」
だから、お断りする理由はない。
それに私たちの勝手な頼みでギドさんを付き合わせてしまっているのだ。
彼は退屈していたと言っていたし、彼がダンスを望むなら、私は応えてあげるのが礼儀だ。
「ありがとう。では、お手を」
「はい」
ギドさんの大きな手に掴まって、向かい合う。
ギドさんはラルよりもっと、身体が大きい。やっぱり少し怖いくらいだけど、そのルビーのような瞳はとても綺麗で、優しさを含んでいる。
ラルが信用している方だ。
ラルがフローラさんと今頃どんな話をしているのかはやっぱり気になるけれど、今は純粋にダンスに集中しようと、背筋を正してステップを踏んだ。




