02.逆上する婚約者
フローラさんのそのあまりにも毅然とした態度に、私は何も言えずに彼女を視線で見送るだけ。
見たことのない顔だけど……彼女もなかなか場慣れしている気がする。
これは、ポールは遊ばれただけなのでは? と、思ってしまう。
「行ってしまいましたよ? 追わなくてよいのですか?」
「あ……いや」
「愛しているのですよね? フローラさんのこと」
どんな言い訳をするつもりかはわからないけれど、先ほどの台詞は聞こえていたということを彼に教えてあげる。
「違うんだ、エレア! あれは……」
すると元々白い顔を更に青白くさせて、ポールは焦げ茶色の髪をぎゅっと掴むように頭に手を置いた。
「よいのですよ? あの方を愛していらっしゃるのなら、私との婚約は破棄してくださっても」
「違う、彼女を愛してなどいない! あれは言葉の綾というか……本気じゃないんだ、わかるだろう?」
わからない。そんなのわかるわけがないし、わかりたくもない。
だいたい、そんなこと言われて私が「なぁんだ、嘘でしたの! よかったぁ」って、安心すると思っているのだろうか。
王立学園の魔法科を卒業した私は、本当は魔導師になりたかった。
でも、結婚したら家にいてほしいと言うポールと婚約したから、魔導師団の入団試験を受けることは諦めたのに。
「エレア……僕だって本当は君と愛を育みたいと思っているんだよ。でも婚約したというのに、君は全然僕の相手をしてくれないじゃないか。今夜もラルフレット様にエスコートされてきたし」
相手とは、一体なんの相手だろうか。
でも、なんとなくその答えは聞きたくない。
「兄にエスコートされて何がおかしいのですか? 私たちはまだ結婚していないのに」
今夜は王城で夜会が開かれていた。
確かに婚約者にエスコートされてパーティーに出席する者は多いけど、そういう決まりがあるわけではない。
私とポールは婚約しているけれど、エスコートは私の兄であるラルフレット・キルステンに頼んだ。
これはいつものことである。
ポールと婚約する前から、私が社交界デビューを果たしたその日から、ずっとそうしているだけなのである。
そして今夜も女性と姿を消したポールのあとをついて行けば、彼は「具合が悪くなったので部屋を貸してほしい」と城の従者に告げ、あの女性をここに連れ込んだ。
「でも普通、こういう場には婚約者と来るものだ」
ならば婚約者と来られなければ、他の女性と浮気するのも普通なのだろうか。
私はそんなふうに習わなかったけど。
「ねぇ、可愛いエレア。怒らないで」
急に猫なで声で私に歩み寄り、媚びるような目を向けてくるポール。
吐き気がする。
私は知っているのだ。今夜だけではなく、以前からこの男が色んな女性に手を出しているということを。
「ねぇ、エレア」
「触らないでください」
肩に手を伸され、思わずその手を払う。
「……なんだよ、お高くとまりやがって! 僕が触れるのも嫌なのか! 侯爵家の本当の娘でもないくせに!!」
すると本性を現したのか、ポールは突然カッと顔を赤くしてそう叫んだ。
「だいたいあの男、妹にべたべたしすぎだろ! 血が繋がっていないし、本当は君のことが好きなんじゃないのか!?」
「そんなわけないじゃありませんか」
手を払われたことがそんなに面白くなかったのか、ポールは強引に両手で私の肩を強く掴むと、ドンッと壁に押し付けてきた。
「痛……っ」
「なぁ、そうなんだろ? あいつは侯爵家の嫡男のくせに、いつまでたっても婚約者を決めないしな。義理の妹のことが好きなんだ! だから君も僕に見向きもしないんだろ!? そうだろう!!?」
私の話を聞く気がないポールが、興奮気味に叫んだ。
時々彼の唾が飛んできて気持ち悪い。
「僕は悪くない!! 婚約者がいるのに先に浮気したのは君だ!!」
どうしてそうなるのだろうか。
どうやらこの男はよほど自分の非を認めたくないようだ。
せっかく良家の生まれで見た目も悪くないのに、本当に中身の残念な人ね。
「私と兄の間には何もありませんよ」
「いいや、僕とはカモフラージュのために白い結婚をするつもりなんだろう! 僕を騙したな!!」
「……話を聞いてください」
確かに義理の兄であるラルフレットのことを、私は心から慕っている。
だけど、私がラルと浮気だなんて……そんなこと、あるはずがない。
だって一応兄妹だもの。彼が言うように、血は繋がっていないけど。
「それより離してください。痛いです」
強く掴まれた肩と、壁に押さえつけられた背中が痛くて、とりあえず落ち着いてもらおうと、こちらは冷静に声をかける。
だけどそれがまた気に食わなかったのか、ポールは余計強く私の肩を掴む手に力を込めると、頭の上で大きく舌打ちした。
「この――」
「エレア!!」
その時だった。
力強く掴まれた肩が痛くて顔を歪めたとき、壊れてしまうのではないかと思うほど勢いよく扉が開き、ゴールドベージュに輝く美しい髪を揺らして、ラルが現れた。