11.戻らないラル
「……あの、ラル。今日お仕事から戻ったら、少し話せる?」
その日の朝、仕事に行くラルを見送るため、玄関で彼と向き合っていた私は、勇気を出してそう口にした。
最近、私はずっと考えていたのだ。
ラルが本気で私と結婚しようとしてくれているのは、よくわかった。
であれば、一度きちんとラルと話さなければならない。
ラルがどういうつもりで私と結婚しようと言ってくれているのかも、確認しなければ。
ラルは優しいから、ただ兄として妹を心配して言ってくれたのだろうか……それなら、結婚しても仮の夫婦になってしまう。
それとも、ラルは私のことを妻として愛そうとしてくれているのだろうか――。
でも、五年間兄妹として育ってきたのに……?
どっちみちラルは侯爵家の跡継ぎを作らなければならないのだから、ラルがどういうつもりで私に結婚しようと言ってくれたのかで、私の覚悟は大きく変わってしまう。
「僕は今でもいいんだけど?」
すると、私が何を言いたいのか予想できたのか、ラルは一歩私に歩み寄って、顔を覗き込むように微笑みを向けてきた。
こんな至近距離で……ちょっと待って……!
「今は……仕事に遅れてしまうから……」
「……わかった。それじゃあ今日は早く帰るから、今夜話そうか」
「ええ、いってらっしゃい」
ラルの顔を直視することができなくて、視線を俯けながら答えると、ラルが私の頭の上でくすりと小さく笑ったのが聞こえた。
たったこれだけのことで、胸がドキドキする。
こんな状態で、私はちゃんとラルの気持ちを確認することなんてできるのだろうか……。
ラルが帰ってきたらなんと言ってこの話を切り出そうかと、その日はずっとそのことばかりを考えて過ごした。
*
「――ラル、帰ってきてる?」
「まだでございます」
「そう……」
けれど、その日はラルの帰りが遅かった。
いつもの帰宅時間を過ぎても帰ってくる気配のないラルに、私は先に夕食と湯浴みを済ませることにしたのだけど、それでもラルはまだ帰ってきていないようだった。
今日は早く帰ってくると言っていたけれど、何か問題でも起きたのかしら。
……心配だわ。
「まだお待ちになりますか?」
「……そうね、もう寝るから、貴女も休んで」
「かしこまりました。おやすみなさいませ、エレア様」
「おやすみ」
私が起きていたら私の侍女も寝られないと思い、侍女のメアリにはそう声をかけて一旦部屋に戻った後、そっと部屋を出てリビングに向かった。
屋敷の者は皆もう寝ている。
ラルは、仕事が遅くなるとそのままお城に泊まってくることもあるけれど、今日に限ってそれはないような気がする。
だってラルは、帰ったら話そうと言ってくれた。
ラルが今まで約束を破ったことはない。
だからきっと、何かトラブルが起きて帰れないのだと思うけど……それでも絶対に帰ってきてくれるはずだ。
そう信じて、私は大きなソファの上で本を読みながらラルの帰りを待つことにした。
「――様、エレアお嬢様!」
「……ん」
いつの間にか、私は眠ってしまっていたらしい。
メアリに名前を呼ばれて目を覚ますと、リビングのソファの上だった。
「こんなところで寝ていたら、風邪を引いてしまいますよ」
「そうね、ごめんなさい。……ラルは?」
「昨夜はお戻りにならなかったようです」
「……そう」
メアリは、このキルステン家に長く仕えているベテランの侍女だ。年齢不詳だけど、三十代にも見える美人な大人で(たぶんもっといってるけど)、いつもチョコレートのような艶のある茶色い髪を綺麗にまとめていて、まったく隙のない人だ。
そんなメアリは、ソファで毛布も掛けずに寝ていた私に、「すっかり身体が冷えてしまっているじゃないですか」と言いながら厚手のガウンを羽織らせてくれた。
結局、ラルは帰ってこなかった。
すごく遅くなってしまったから、お城に泊まってくることにしたのかしら。そしたら、きっとそのまま仕事に行くから、今朝も戻らないだろう。
会えるのは今夜ね。
少し寂しい気持ちと、よほど忙しかったのだろうと思うと心配な気持ちが混ざり合って、私も着替えてこようと立上がったときだった。
「エレア様、王宮から報せが届きました」
「え?」
玄関のほうからバタバタとやってきた使用人の手に握られた手紙に、どきりと鼓動が跳ねた。




