オープニング
「富士野さん、ヒーローになってくれませんか?」
「なります」
その即答は、極めて自然なものだった。なぜなら、僕は片想いをしているからだ。
「わぁっ! 本当ですか!?」
生肉の並ぶショーケースに手をついて、鷹宮ハルカさんが身を乗り出してくる。まんまるでキラキラした瞳、三角巾からはみ出した栗色の前髪、薄桃色の肌と何らかのいい匂い……。
富士野さんこと僕は思わず後ずさり、歩道を走る不届きな自転車に轢かれかけた。チリンチリン! 咎めるようにベルを鳴らし、仏頂面の女子小学生が走り去る。
「ほ……本当です」
本当なのか? 脳みその奥から一瞬、声がする。けれど、ハルカさんの二度目の「わぁっ!」とそれに伴うジャンプの前に、僕はあまりにも無力だった。ジリジリと焼かれるような五月の暑さが、新緑の季節の爽やかな陽気に変貌する。
「ありがとうございます! お父さんったらもうすっかり乗り気になってるから……まぁ私も乗り気なんですけど」
いつになくはしゃいだ様子で、ハルカさんは言う。彼女は計量した豚バラ肉をパックに詰めると、僕に優しく差し出してくれた。会計は済んでいるのでそのまま受け取る。
と、パックを掴んだ僕の右手を、木漏れ日のようにあたたかく、花びらのように柔らかな感触が、ふわりと優しく包み込んだ。
「これから頑張りましょうね、富士野さんっ!」
軽やかかつ朗らかな声で言い、ハルカさんが微笑む。自分の右手に触れているのが彼女の両手だと気づき――僕は失神した。
そのあとは失神したままアパートに帰った。土曜日の町に響く夕焼け小焼けのメロディー以外、帰路の記憶は何一つない。