8 全てが物質なら精神も消えない論
※この部分は、前部分を二つに分けました。
※この話は、新約の理解がないと分かりにくいお話です。
このうさぎっちのように、人間が意味合いを持って作った物。
この後数年も人生を共にするうさぎっちを眺める。本当に間抜けで、真面目な人をイラつかせそうな顔だ。
「お前、マジムカつく顔してんぞ。」
…。
ファクトが言っても、うさぎっちはシレッとした顔をしている。
…どう考えても自然に構成される物でもなく、複数作るにしても自然の生成物のように自動にはできない。地球に置き換えて言えば、水や酸素は意図しなくても勝手にどんどん構成されていくが、うさぎっちは様々な要素と意味合いと、各々の意図がなければ絶対に新たにできないものなのに、この世界は全て自然の産物と啓蒙派は言っている。
人間のその思考、方向性さえ進化なのか。進化というか、ただの物質の流れなのか。
そもそも精神さえ物質というなら、他のエネルギーに転嫁されることはあっても、他の次元に移ることはあっても、なくなることはない。物質は見えなくなることはあっても消えることはないのだから。つまり死んだところで精神はなくならないという、宗教的考えは科学的にも合っているという事になる。まだ質量保存の法則以上は習っていない小学生ファクトは、シンプルに結論を出した。
死んだところで、人は、精神は、消えないのだ。
おっ、結論出てるじゃん。うさぎっちをなでる。
「おれ、天才じゃん。」
ただ、ファクトにはもともと霊世界を見る霊性があるので、死んでも一個体としての人は消えないことは身で知っているのだが。
自分には物凄い信条も信念もないが、何でも反対する世界にはいたくない。
両方の視点で考えるのだ。その中で符合するものを見付けていく。
ID論を支持する科学者のなかには世界トップの者も多い。
信仰がある上、頭のいい牧師や科学者が、聖典そのままに無花果やリンゴを食って世界が堕ちたなんて思うだろうか?
いや違う。まずファクトの両親がそうだ。そんな風に考えるほど頭が悪い訳がないのに、なぜそれが前時代の世界には広まらなかったのだろう。聖典のキーワードの多くは象徴で暗号であるとみんな知っている。
ゲーム好きなら考えれば分かる。
クソゲームと言われるゲームの開発元でも謎をうまく作るのに、世界屈指の頭脳のある人間たちが人生を掛けて崇める本が、ただの昔話の訳ない。
ちなみに前世界の先端の科学者や指導者、為政者は無神論が多くても、最上辺は信仰者の方が多い。
が、所詮彼らも前時代では論破できなかったが。
思わず鼻をほじってしまう話だ。
実際、鼻をほじって先生に叱られた。
人類は失敗なのか?
そう、失敗と言える部分もあるだろう。
たとえこうして自分は毎日楽々暮らしていても、その楽々さは誰かの犠牲の上に成り立っているのだ。ひどい劣悪環境の中での労働。低賃金。数千、もしかしたら数万年経ってもまだ奴隷もいるし、字も読めずに道で死んでいく人もいる。みんな罪の上にいる。
そういう部分は全く神様を理解しがたい。
あと鍵になるのはここだ。愛と慈悲だけではない。
『全知全能』の部分。
ここに何かヒントがあるのだろう。全能なら絶対にこんな世界にしたかったわけではない。はじめから失敗する世界を造ろうとしたわけではないはずだ。理由がなければ全知でも全能でもない。行き当たりばったりで、そんなの俺にも出来る。
『愛と慈悲』『全知全能』
その二つが欠かせない『核』である。これを切り離したら世界は分からなくなる。永遠のカオスに入ってしまうのだ。
一見、相合わないように感じる2つが核なのだ。
別の言い方をすると、旧教新教、正堂教の教えは、メシアが全ての罪を被って、全ての罵りと悔しさを受け、それでも人類を愛したその愛が基盤になっている。
それはおかしい。それだと、讃えるべき至上の愛には『虐待や虐殺、罵りという罪が必要』になる。
人の悪意、憎しみ、罪や死罪、刑罰…十字架はその上で生まれたのだから。
「全てが愛なら十字架そのものが存在しない…という結論になる。」
「お前、それ言うなよ。それ言って、新教牧師が怒ってただろ?」
ラスが呆れている。
「あの牧師なら、怒らなさそうじゃん?」
十字架が必然ならBCの始まりのために、帝国の混乱と同族の裏切りが必要だったことになる。旧約の四千年と憶の命はただの犠牲なのか。
まとめるとつまり、悪いことをする人が絶対必要じゃん。
その人だって後で地獄に行くぐらいなら、いい位置に生まれたかっただろう。生まれてみたら、悪人だっただけだ。
運でしかない。
なのに新教徒は自分が救われてうれしいのか。仏教ですら自分がドブにはまっても、ドブを掻き分けて中で溺れている子が誰であろうと助けようともがいていくのに。そんなわけがない。
今までファクトに怒った牧師もそれくらいしてほしいと、思い出して怒りが湧く。
キリストだって、自分の命と引き換えに全てを救いたい気持ちは当たり前にあったはずだ。でも、そうできなかった、しなかった理由もあるはず。最期はしてしまったけれど「必然の必然じゃない出来事」だったと思う。
だって、トゥービーコンテニューだ。
「まず、創造主が『愛と慈悲』と言う前提に大いに疑問があります。その根拠は?」
ファクトは手を上げると、牧師は笑って答える。
「いい線いってるな。
もっと生きてみれば分かるよ。キレイ事じゃない。感情を持って生まれさせ、ドブの中に生まれてただ生きろなんてひどすぎやしないか?」
子供の自分には話してくれなかったけれど、その時の牧師は内戦の中で生まれて、やっとできた家族を失ったらしかった。
「かわいい子には旅させろ」くらいに言える、かわいい苦労ならいい。
あの頃の自分も、きっと今の自分もまだ何も人生というものを知らないのだろうけれど。
交通事故にあった知り合い兄弟。そのためずっと苦しんでいたその両親。亡くなったお兄さんの後に続くように、夫と後遺症の弟を残して弱った母親も亡くなった。あんな風景を見たら、絶対苦しみなんていやだと思った。誰も苦しんでほしくない。
全能で愛の存在が、そんな痛みの中でしか真実を伝えられないのだろうか。
牧師の言ったことは、例えばそういう事だろうか?
「人類が欠陥だらけで『全知全能』ってひどすぎます。前時代は地球の自然が壊滅前だったと聞きました。」
その時はまだやはり知らなかったので、「そもそも全知全能ってなんなんだ。あなたの作った人間が世界をぶっ壊しています」くらいの気持ちでいた。
でも、自分と一緒に語る牧師やお坊さんの多くに、超エリートが何人かいたのだ。そういう人たちが「全知全能」を語る意味もまだよく分かっていなかった。
「じゃあファクト。ファクトの中にはもっと崇高な存在はいるのか?」
「そうですね。もっとエネルギーにあふれ、もっと光り輝くものがあります。教会や寺にいるのより、相当でかくて温かいです。」
自信満々に言ったら牧師の答えはこうだった。
「なら、それが『創造主』、大いなるものなんだよ。」
牧師の語るものより、もっと大いなる力を想像して得意になっていた分おもしろくない。
「それよりももっと大きいです!」
「なら、それよりも…」
これを繰り返す。お互い疲れてしまいファクトはその反対を言ってみる。
「なら、めっちゃ小さいのもです。」
「なら『それ』すらも!」
「知っているだろ。あの話。孫悟空が釈迦を出し抜いてやったと思ったら…
それはまだ釈迦の…手の内だったんだ!」
牧師は笑った。
「越えたと思っても、越えたと思っても、ずっと手の内だったんだよ。」
「それでな、ファクト。
神は神だから、自分とほぼ同格の存在を作りたかったんだ。」
「同格?」
「それには、自身の自発的な意思で、神にされたからではなく自身の理性と発露において、心においても知性においても、世界を包括できるような人間を。
神に何か言わされるのは嫌だろ。神は自由な意思を持つ、第三者的な存在がほしかったんだ。」
「?完璧人間を作るのとは、違うんですか?」
「ファクトが神なら、何をもって完璧とする?自分とは違う、他者がいてその人が構ってくれて、初めて心が満たされるだろ?自身ではなく相対する相手だ。」
「………うちの父さんと母さんみたいな感じ?父さんは母さんがいないと嫌だって言ってました。一人でも生きていけるけど、ママがいいって。」
「神も同じだよ。自身そのものではなく、自身に相対相応する者。」
「………?」
「そして、それだけを望んだのではなく……そんな一人に、絶対性と自由を与えたかったんだ。」
牧師は仕方なしに言う。
「それを得るには、自分で学び、自分で選択するしかないんだよ。それに関しては、神も被造物に対して無力なんだ……。
健康なら子供はいつまでも介助を付けて道を歩くわけにはいかないだろ。歩けないにしても、自身の努力もいる。手放しても歩けるはずなのに、いつまでも親の補助を必要とする者と添い遂げたいか?親が手取り足取り見守って会社を経営している人間に、会社を任せられるか?」
「………会社?」
「例えが少し分かりにくいか。」
「…………僕は、母さんに全部任せたいです!頭がいいから!」
「……。はは!」
「人間が自身の意志で越えなければ、人は動物や植物、鉱物と同じになってしまう。ただ本能や機能で成長するだけの……。」
「……それじゃあダメなんですか?」
「神はね。人を自身と相応するものにしたかったからね。」
「僕は相応していませんか?」
と、元気に手を挙げる。
「ははは、子供としてなら完璧だな!」
その牧師は、愛や慈悲を想像も出来なかったり、世界は闇だと言う子供たちをたくさん見ていた。反応さえない子供たちも。そのせいか、ああいえばこういうファクトがおもしろくて仕方がなかった。
前時代と違って、この時代は一部の強い民族主義者以外は宗教も垣根がなくなりだいぶ開けていた。第六感が開けてから、似たもの、同じものを違う言ってと争っていたことを、肌で感じる人が多くなってきたからだ。
よくこんな感じで、教会やお寺で議論したが、話し相手になってくれる牧師やお坊さんたちは、だいたいこう最後には言った。
「ファクト。お前が想像してみるんだよ。
自分が愛と、慈悲と、全知全能の創造主だったらどんな世界を作りたいだろうか。
どんな風に作ってみるか。
今こうなってしまった世界を、どういう風に変えたいとかではない。それは後だ。
想像してみるんだ。空と大地を造るところからではない。
無から何を造ってみたい?『心』があるならどんな世界にしたい?」
んー?
「全知全能ならね、お前の想像をも越えるものがあったはずだよ。
君たち若者に託したいものがあったんだ。」
『無』とか言われると、今度は『無』の前には何があって、宇宙の外には何があってその外には…宇宙の前には何があって、その前には何があって…と延々帰れない永遠と幾何学的な世界に迷い込むので…
牧師さんたちへの回答に行きついたことはないのだった。
***
さあ、就活だ。
そうと決まれば話は速い。今日は日曜日。早速、西区南海広場に行くことにした。
その前に進学と言う項目があるのをすっ飛ばして、新しい世界に目覚めるファクト。この時は、大学という選択がすっぽり抜けていた。
一応誰かに連絡をしておくか。
スラム周りは危険だ。かといってラスは、母と同じ保守的な慎重派なので駄目である。
ジャンク屋ジャミナイはよっぱどおいしい話がなければ多分昼は出てこない…。
ジャミナイの名誉のために言っておくと、ウナギの後に彼は3万円出してくれた。断ると「高校生からこれだけの物をおごってもらうのは立場がなさすぎる。」とのことだ。親のご馳走だしいいのに。いつも超安値でいろいろ見てくれるから、本当のところウナギでも足りないくらいだとファクトは申し訳なく思う。
あの日の後に、食事代の清算で母ミザルから大目玉を食らったが、ジャミナイの3万円も出し、「シリウス発表の世紀のお祝い事」という事で許してもらった。母はお金は受け取らず、そのお金でまたみんなにご馳走しなさいと言いながらも、あまり下町の人間と関わらないようと釘を刺された。
というわけでファクトはこれからについて考える。
連れを決めるにしても…
リゲルかな?
リゲルは同級生。
この前のお披露目イベントは試験でいなかったが、ウナギは食いに来ていた。
学校ではラスと自分と3人で一緒にいることが多い。
リゲルも少し高校生離れしたごっつい男だ。スキンヘッドに近い髪は淡いピンクに染め、知らない女子から避けられることが多い。でも、人あたりもいいし授業もまじめに受けるタイプなので、関わった人たちには好かれている。
こいつがほどほどにテキトーな男なので、下町にも一緒に行く。ダンスやスケボーにもよくついて来てくれる。よし、リゲルにしよう。就活相談にもってこいの奴だ。
と、ファクトは脳内で締めくくる。
連絡をすると、ついて行きたいとのこと。
スラム近辺は危ないという事で、下町の大人たちに付き添ってもらうことになり、たまり場のレストランで集合することにした。