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帰巣本能

作者: 橋本たなか

私の隣に少女が一人。机に項垂れる小鳥遊スミレは保健室登校をしている。保健室に行けるようになっただけでも大変な進歩だと考えられるぐらい彼女は長い間引きこもっていた。

理由はSNS。のめり込み過ぎて現実が疎かになってしまったのだ。詳しくは知らないけど、よくある話だと思う。


「ひばり先生の中学時代ってどんなだったの?」

「真面目で地味だったよ」

「ぽいね。中村先生が言ってた通り」


中村先生は私が生徒だった時のクラス担任だった。今は学年主任をしている。そして私は、母校である中学校に養護教諭として戻ってきた。


「良い子ちゃんって感じ」


周りから見ればきっと「良い子」だったんだろうけど、実はそうでもないのだ。私は最低だったし、無知で無能で可哀そうな子どもだった


私の中学生時代は、地味で真面目で暗かった。毎日学校に通い、授業をまじめに聞いてノートを取り、成績はいつも中くらい。上でも下でもない真ん中。部活は文化祭で作品を展示するだけの美術部に所属していた。問題のない生徒。それが私なのだが、私には友達がおらず、いじめられているわけでもないのに、いつも一人ぼっちだった。

中学二年生になり始めた時、あの青い鳥のSNSが流行した。世の中に自分の思想を簡単に発信できるそれは、私たちをあっという間に魅了した。

もちろん私も始めた。私は自作のイラストや好きなキャラクターを載せる為のアカウントを作った。ハンドルネームは「美空ひばり」から取ってきて「美空」。早速イラストを数枚投稿すると、思っていたよりもイイネとイラストの感想を沢山貰うことができた。

私の絵を見て見ず知らずの人が何かを感じてくれたという事は、雷に打たれたみたいに衝撃的で嬉しかった。数名から友達申請も来て、私は初めてできた友人に心躍らされ、初めて夜更かしを経験した。

次の日、私は浮かれながら登校した。もしかしたら誰かが私を「美空」だと気付いて話しかけてくれるかもしれないと思ったのだ。しかし勿論そんなことは無く、美術部員たちも誰も「美空」については触れてこなかった。

そりゃそうだよなと落胆した。学校に行く前は天にも昇れそうだったのに、帰りはアスファルトに足が飲み込まれそうになりながら歩いた。

あの人に出会ったのは、そんな日だった。

ふらふらと歩いていた。汗が出るのに寒くて、まだ家まで距離があるのに道路の隅に座り込んだ。安静にしていればよくなるはず。呼吸を整えながら眼を閉じて座っていると、声がした。


「大丈夫か?」


女の人の声だった。


「こんなところで座ってたら危ないよ」


私は力なさげに頷く。


「意識はあるんだ。泣いてるの?」

「ううん……」

「ちょっと触るよ」


彼女の大きく冷たい手が私のおでこに触れる。


「うわ!あんた熱があるよ!余計にこんな所にいたら駄目だ。立てる?」

「なんとか……」

「背負ってやる。家はどこ?」


彼女の背中に乗ったとき、私の記憶は途切れた。


香ばしいカレーの匂いで目が覚めた。狭くて絵の具の匂いが充満している部屋の壁には大きなキャンバスがあった。


「起きた?」


声がする方に目をやると、絵の具と料理の染みがある汚いエプロンを付けた女性が、カレー皿を持ちながら立っている。


「はい」

「今からカレー食べるけど、いる?」

「……はい」


私は猛烈にお腹が減っており、なんでもいいからお腹に入れたかった。身体は昨日の夜の興奮で寝不足になっていただけで、起きると軽くなっていた。


「あの、ここまで連れてきてくださりありがとうございました」

「良いってことよ」


キッチンから彼女の声だけが聞こえた。


「ここって……」

「私が住んでるアパート。家の場所を聞いたけど寝ちゃったから連れてきた。ごめんな、汚い部屋で」


彼女はカレーを二つ持ちながら出てきて、丸い小さなテーブルに置いた。


「ありがとうございます」

「食欲あるみたいでよかったよ」


そう言った彼女は勢いよくカレーを掻き込む。


「あの……お礼をしたいんですけど……」

「お礼なんていいよ。最近の中学生ってしっかりしてるんだね」


感心したような様子で食べ進める。


「でもカレーまで頂戴しましたし、なんでもいいので」

「んー」


彼女は考え込むと、ふと、真っ白なキャンバスに眼をやった。


「そうだ。絵のモデルをしてよ!」

「え?」

「そう、絵!」


瞳を輝かせた彼女が私に詰め寄る。


「絵のモデル……」

「モデルって言っても、そこの窓際のところに座ってるだけでいい。ポーズとかもいらない」


彼女はスプーンから鉛筆に持ち替え、床に置いてあったスケッチブックをめくり始めた。


「もう始まるの?」

「善は急げ。ちょっと描かせてね」


燃えるような瞳になって脇目も振らずに鉛筆を走らせている彼女を横目に、私はカレーをちびちびと食べた。このカレー本当に辛いけど本当に美味しい。

カレーを食べ終え、一息ついて壁に掛けてあった時計に眼をやると驚いた。夜の八時を過ぎている。


「帰らないと」

「もうそんな時間か」

「介抱してくださり本当にありがとうございます」

「良いって。その代わりまた来てね。まだ絵は仕上がってないから」


帰り支度を済ませた私に、彼女は住所と彼女の名前が書かれた紙を差し出した。


「火鳥さん?」

「変な苗字でしょ。火鳥叶って言います」

「あ、私は鈴木ひばりです」

「知ってる」


彼女は私の鞄に書かれている名前を指さして「真面目」と笑った。


「一人で帰れる?」

「はい。携帯もあるし大丈夫かと」

「よかった」


安堵の表情を浮かべた火鳥さんは、私をアパートの外まで見送ってくれた。火鳥さんの住むアパートは私の部屋の窓から見える古いアパートと同じだった。意外と近い。


「あの赤茶色の屋根が私の家です」

「あれか。良い色だ」



そんな感想が出てくる彼女は、やはり芸術家だと思った。

家に帰ると母親に誰と居たのかを問いただされたが、私は口を割らなかった。火鳥さんのことは誰にも言わないでおこうと決め、住所が書かれた紙は大事に保管した。

次の日も、その次の日も、油絵具が充満するあの部屋に向かった。火鳥さんは毎日美味しい珈琲を淹れてくれて、お洒落なお菓子を出して私をもてなした。


「部活とかしてるの」

「一応、美術部です」

「何を描いてるの」

「部活は行ったり行かなかったりだけど、SNSにはイラストを毎日投稿したりしてます」

「いいね」


無口で寡黙な火鳥さんにだからこそ、誰にも言えなかったことも話せた。あの古いアパートの狭い部屋は全てを包み込んでくれるくらいに優しくて、世界がここだけになればいいと、本気で願っていた。


ある日、私が描いたキャラクターへの解釈違いが原因で、「美空」が炎上した。仲良くしていた人からも酷い言葉で罵られ、アカウントには毎日のように罵詈雑言が送られてきた。


「怖いね」


相談をした火鳥さんの感想はそれだけだった。


「火鳥さんはSNSしないんですか」

「しないよ」

「絵を投稿したら有名になれるかも」

「有名になりたくて描いてるんじゃない」

「じゃあ何で描いてるんですか。有名になったら沢山の人に見てもらえますよ。大きな家に住めるかも」

「私は描かないと生きていけないから描いてる。」

火鳥さんは「休憩しようか」と筆を置き、いつものように珈琲とお菓子を持ってきた。

「衣食住みたいなものかな」


クッキーを珈琲で浸すという、おばあちゃんのような食べ方を火鳥さんはする。


「それ以上かもしれない。衣食住がなくても、絵だけは描いていたい」

「どうして……」

「どうしてかな。ひばりはどうして呼吸をするの?」

「生きるため?」

「だよね。私が絵を描くのはそれと一緒」


私には理解できなかった。有名になればなれるだけいいし、人にはちやほやされたいし、私は友達が欲しい。


「だから私は、別に誰かに絵を評価されなくてもいい。もちろん評価されるところに行ったら評価される作品を描くけど、それ以外は描きたいものを描く。ひばりは描きたくないものを描いたら悪口を言われたのか?」

「ううん。描きたいもの描いたら叩かれた」

「じゃあ放っておきな」


そう言うと、また筆を執った。


「あと少しで完成するからゆっくりしてな」


絵は私が珈琲を飲んでる間に完成した。


「まだ直したいところもあるから、完璧に完成したら見せてあげる」


そう言って笑った火鳥さんの顔を、私は今でもはっきりと覚えている。


次の日、「美空」アカウントは美術部の人たちに見つかり、炎上の話や絵の話で盛り上がったため、私は火鳥さんの家に行かなかった。友人たちのお喋りは絵を描くよりも楽しくて、絵を描く暇はどんどんなくなり、「美空」は炎上したまま削除した。

あの日以来、火鳥さんには会っていない。


「ひどい」


話を聞いた小鳥遊さんは私を軽蔑した。


「約束なんて簡単に破ってしまうくらい、私はひどい子どもだったんだよ」


当時は、話を聞いて全てを受け止めてくれる大人よりも、誰でもいいから同い年の友人が欲しかった。それくらい一人は寂しいものなのだ。でも、あの時の私は本当は一人じゃなかった。火鳥さんもいたし、中村先生もいた。孤独だと思いたかっただけ。自分に酔っていただけなのだ。それだけの為に、私は大切にしないといけない人の約束を簡単に捨てた。


「火鳥って、火の鳥って書くの?」

「そう。変わった苗字だよね」

「火の鳥……」と呟きながら彼女は携帯を操作する。

「この人じゃない?」


数分後に小鳥遊さんが差し出した携帯の画面には、あの時と同じように笑う火鳥さんがいた。


「私が調べても出てこなかったのに、どうして……」


呆気に取られ、感情よりも先に涙が出てくる。


「最近のSNSは凄いんだから」


彼女は得意気に「あと私の検索力も」と付け加えた。涙で画面が見えない私の代わりに、小鳥遊さんは彼女のインタビュー記事を読み上げる。


 「昔、実家近くにアトリエとしてアパートを借りていたんです。案件とかたくさん抱えてて、すごく充実していたはずなのに、何故か絵が全く描けなくなった時期がありました。そんな時にとある少女と出会ったんです。普通の子なんですけど、孤独のベールを身に纏っていて、それを誰にも悟られないようにしながら生きている。でもそれが滲み出ている。そんな不器用な子でした。その子を描いたのは気まぐれで、練習みたいな感じだったんですけど、この子の内面を見たとき、すごく綺麗で、それをキャンパスに移し入れたいって思うようになって、描く手が止まらなくなりました。その絵は彼女に見せれてないんで、この個展に来てくれたらいいなって思います」


その特集記事では、海外で個展を開いて大盛況に終わったこと、日本に戻って結婚したこと、テレビで密着されたことなどが綴られていた。そして来週、日本で初めて個展を開くそうだ。


「地元でするって!地元ってここですよね?会いに行ける距離ですよ、先生」


興奮した様子の小鳥遊さんが見せてくれたその個展のポスターには、混沌とした部屋でひとり座る、何も分かっていない顔をした、猫背で全然可愛くない、あの日のよく知っている少女がいた。

ずっと寂しくて良かった。

ずっと一人でよかった。

この絵を美しいと思える、その心が私には存在している。


「個展、行くんですか」

「どうだろう。合わせる顔がないけど」

「行ったらいいじゃないですか。その為に火鳥さんはこの場所に戻って来るんです。先生がいるって信じているんですよ」


小鳥遊さんが書いてくれた個展の住所は、あの古くて優しいアパートと同じで、私は少し笑ってしまった。





登場人物の名前はみんな鳥の名前です。

タイトルの「帰巣本能」も鳥が由来です。

私が一番好きな鳥はカラス。

黒ってかっこいいっていう安直な理由です。



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