06.宿泊訓練
空を泳ぐ巨大な魚が、白い砂礁にときどき影を落とす。
晴れ渡る青空を映すような穏やかな湖面。
照り返した陽の光はキラキラと輝き、少女たちの瑞々しく健康的な素肌を照らしていた。
第三殲滅隊員たちは今、水の透き通る美しい浅瀬で、可憐な水着姿で優雅にバカンスを──
もとい、激しい攻撃魔法を、繰り広げていた。
「……マジで……鬼すぎ……」
第三隊控え室。
赤蘇芳色のドレープカーテンが窓枠を飾る、執務室を兼ねたそこに戻ってきたのは、草臥れきった左辺ユニットと玉将クラスのナイリだった。
しゃべる気力が辛うじてあるのはフィニチェだけのようだ。
冒頭の華やかな画より、遡ること数日。第二・第三殲滅隊が"英雄の帰還"を退けた日の、午後のこと。
「レナ、雑巾みたいになってんじゃん」
「つぎ……次は、ミアが……こうなるんだからね……」
「うう~、……」
「はぁ……」
ニーナとリリアも、所々焦げ溶けた軍服のまま、よろよろとした足取りでソファーに沈んだ。
ヘルーワィム迎撃中にダウンして警衛隊に保護された二人も、ユイガとシングルマッチを兼ねた強化訓練を受けたのだ。
"警衛隊から快復処置は受けただろう、もう動けるな?"と圧のある上官から言われてしまえば、首を縦に振らざるを得ない。しかしユイガからの攻撃には一切の容赦などなかった。
「左辺ユニットは休憩しておけ。シャワー室の使用も許可する。適宜休んだあとはここに用意してある課題をすること。右辺ユニット、交代だ。着いて来い」
各人それぞれに用意されているのは、辞典のごとく分厚い戦術書1冊。それを速読し、記載された各戦術の要点を週末までにまとめよ──というのが、課題。
右辺ユニットは、左辺ユニットがしごかれていた間、控え室でこの課題をしていた。
先程から窓の外を眺めては足を伸ばしたり手首を回したりして、身体を動かしたくて仕方ないと言った風だったアリスは、いち早く、そして足取り軽く席を離れた。
「……脳筋……」
そんな様子を見てぼそりと呟かれたリリアの声。しかし当のアリスには届かなかったようだ。
あからさまにぎょっとした後ほっと頬を弛めたニーナは、再びソファーに溶けた。
「しかし二期目にして座学て……」
ユイガの執務机に置かれた本をフィニチェが拾い上げた。どうやら一冊ずつ本が違うらしい。装丁が異なる表紙に、各隊員の名前の記された付箋が無遠慮に貼られていた。
「? これ……木紙?」
「はぁ? いつの時代の戦術書よ!?」
重い腰を上げて本を開いたニーナは、そのさらさらとした手触りにすぐ違和感を覚えた。手の水分を柔らかく持っていくその感覚は、現在流通している本には珍しい。
今の書籍は一枚一枚がもっとすべらかな感触で、薄い石灰紙で出来ている。もちろん、本に貼られていた付箋も。
「は……? 書籍の質が木紙から石灰紙に変わってから、100年は経ってますよ?」
訝しんだリリアも立ち上がって寄ってきた。
傍ら、リレイドがナイリに問う。
「宵國と間帯はまだ、木紙書籍も少し残ってるよ、ね?」
「はい、残ってます。が、これ……初版が150年前です」
「300期前ってこと!? 骨董品じゃん!」
「ヘルーワィムが出現したのって、20期ぐらい前だよね……?」
「ええ。──ぱっと見た感じ、軍学校で習うような手はありませんね」
リリアは自らの分の本を手に取り、ペラペラさらさらと頁を捲った。
骨董品と評されたそれらは、それぞれ裏表紙に保存魔法の刻印が施されていた。故に本に劣化はない。ないが、ユイガがこれらの古書をどこから持ち出したのかが気になる隊員達だった。
因みにこの下りは、先に座学を課せられた右辺ユニットも一通りしていた。
一方その右辺ユニットは、再びグラス形状の演習場に到着していた。日中時間が長い陽國の日はまだまだ高い。影は濃く、だが少し、長く落ちる時間帯。
「嘶け、煌熱!」
──レグホーネルの二人は──
目映い光と熱の連撃。同じく魔力を纏わせた刀で受けながらユイガは冷静に、攻撃を仕掛けてくる少女を分析していた。
──攻撃は派手に見えるが芯がない。魔力の出力が薄い。一般的なヘルーワィムを倒すのには問題ないが、先に闘った同系統魔質のニーナやアリスの攻撃と比較するとかなり軽い──
やや上方から襲う大鎌は空を舞い遊ぶような軌道だ。対してユイガはその下方へと潜り込んで、強烈な雷撃で少女を貫く。
「、ぅ"……ッく、チィッ……」
──耐久力はあるな──
殆どの隊員が意識を手放す痛みに耐え、中空で持ち直す。その上で、すかさず入ったユイガの太刀にギリギリ反応して防御して見せた。少女は、手を抜くことが許されない。間近で浴びせられる上官の気迫がそうさせる。
「あ"ッ、はァッ、ッてェ……!!」
「立て」
そして制限時間の特に定められていないシングルマッチは、少女がダウンするまで続けられた。
「本日の訓練終了。では、各人楽しみにしているであろう隊内順位を発表しよう。上位から名を呼ぶ。返事はいい」
へとへとに疲れた右辺ユニットと共に控え室に帰って来たユイガは、隊員を整列させて告げる。
「第一回査定結果。
ラヴィーネ=アストラヤ=セニ=フロスティアンバー 士長、
セラ=フィイナシヴィリ=ツゥ=ウーラニア 三曹、
リレイド=フイスフォルテ 一士、
ニーナ=タンドレニャ 士長、
ナイリ=カラスバ 特別兵、
アリス=リット=ジングハーツ 二士、
フィニチェ=レナ=レグホーネル 一士、
ルチルレット=ミア=レグホーネル 一士、
ネガ=リリア=メトロメニア 二士、
シャクティエラ=ノイ=パロットピジョン 二士。以上。
評価の詳細は明日までに、個人の業務アドレスへ送る。納得出来ない者は第二回査定を期待しつつ、日々の実戦で示すように」
その場から動かぬまま、ユイガは少女ひとりひとりと目線を合わせた。ラヴィーネ、セラ、リレイドは結果に納得している様子だ。また意外にも、レグホーネルの二人も平然としている。ナイリとアリスは表情に動きがない──
ニーナは自己評価よりも高かったのか、元から大きな目を更に大きく丸くして瞬きをした。対してネガは、非常に悔しそうな、不服そうな気を隠せていない。そしてノイは察するまでもなく「ふぇぇ」と気の抜けた悲しげな声をだして眉を下げている。
ネガもノイも、新兵としては優秀な部類に入るだろう。だが相対的に評価し順位付けをすると、やはり下位に収まってしまう。
順位付けが隊員達にとって良い方向への刺激になることを願いながら、ユイガは編成初日を締め、解散を告げた。
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「ん、これ潜水猟許可証。宿泊はいつものように使ってくれ」
「悪い。助かる」
「なんてことはないよ」
第一警衛隊長のセッカから、ユイガは重厚なプレートを受け取った。
「繁殖期後だから有り難いけど、今期はどうした? 特務隊の訓練でも請け負ったのか?」
「いや、自隊にさせるつもりだ」
「……え、あれを? 女子隊員に?」
問題が? と言いたげなユイガに、セッカはひきつった笑みを浮かべた。
「特務隊にも女子隊員はいるだろ」
「いやでもお前……! 鬼だな!?」
* * *
「わぁっ……すごく懐いてるね、テイム順調なんだ?」
「うん、頭のイイコみたい」
「名前は? 付けた?」
「それは……まだ」
ニーナに問われたリレイドは、自身の膝の上に寝そべっている鳥竜種を撫でた。第三殲滅隊の新編成初日に手当てをした、あのドラゴンだ。
隊員達が演習場へ去っていった後も、開け放たれた控え室の窓から出ていかず、ソファーで悠々と寛いでいた強者である。
まだ柔らかい皮膚は青空と同色。頭冠には青い火焔が小さく燃えなびき、黒々とした大きな目が幼体らしさを醸している。脚に取り付けられた脚環が真新しい。
リレイドは野性動物のテイム資格を保有している。長く相棒のいなかった彼女は、この鳥竜種を軍用に育てることにしたのだ。だが、名はまだ決めかねているらしい。
「セっラっさまーーーー!!」
「ノイ、っ、あぁあああ」
「戒枷」
「んっぐあッ」
溢れる愛のままに、ノイはセラのもとへ勢い良く飛びつく。それはもはや、第三殲滅隊の毎朝の日常風景になりかけていた。むろん、ノイが罰されるところまでがセオリーである。
「懲罰魔法、お使いになられたらよろしいのに……」
「え、ええ……」
被害者本人に代わって懲罰魔法を行使し、姿勢良くセラの方へ歩いてきたラヴィーネ。軍服の裾をひらめかせる歩調は、優雅でありながら厳然としている。
片足だけを時空間魔法で縫い止められて派手に転んだノイを立たせた彼女は、ユイガにも劣らぬ冷たい眼差しで威圧した。
「貴女……幾度指導されれば気が済むの」
「うええ、きっつい訓練前にセラ様チャージを……ヒィッ! お、恩情をっ、ラヴィーネさまっ」
「私でなくセラ様に謝罪なさい」
脅えきったノイを前に、ラヴィーネはレグホーネルの二人も薄く睨む。最近二人は、いやにナイリに絡んでいる。
「ねぇチビちゃんって、もしかして?」
「ニザヴェリル事件の"少女"ってチビちゃんだったりする?」
「いえ……それってどんな事件ですか?」
「えー? ほんとに知らない?」
「誤魔化してなぁい?」
「────」
「………………」
鮮赤の少女と明青の少女は、編成初日以降、目も合わせなければ会話もない。
燻る感情が、表面的には鳴りを潜めたように見える、第三殲滅隊。
その編成後にして遂に、初めての連休が近付いていた。
課題の提出期限は迫っている。
だがそれ以上に、毎日扱き倒される疲れた身体をゆっくりと休め、思い切り羽を伸ばそうと、全員が休日を楽しみにしていた。それなのに──
「明後日からは編成してから初めての連休となるが、隊の本格始動のレベルには達していない。そのため、強化宿泊訓練を行う。各自タブレットで確認。口頭でも説明しておく」
いつものようにボロボロへとへとになった終業時。そのタイミングに言い渡された、まさかの休日出勤の知らせを、少女たちは受け止めきれないでいた。しかしユイガに促されるまま、各々が業務タブレットを確認する。
「明後日の朝は、通常どおりここへ集合。服装は自由。隊服でなくてもいい。ただ、有事に備えて隊服は一着持ってこい。必要な者は飛行具も。その他の持ち物は添付したリストの通り。よく読んで調達持参のこと。以上、本日の訓練を終了する。解散」
簡潔最低限の淡々とした説明を終えると、ユイガは控え室を颯爽と後にした。少女たちは敬礼して彼を見送ってのち、溜め息をつきつつ訓練概要をもう一度なぞり見る。
……宿泊期間、一泊二日。持ち物、隊服、媒体武器、宿泊用衣類……
「これ、どういうことだろ……エチケット袋、最低2枚……?」
「吐くほど訓練するってことでしょうか?」
ニーナの疑問に、近くにいたアリスが思ったままをさらっと口にする。青ざめた顔で、ニーナはアリスを見た。
「水中にて活動しやすい服装、かっこ、ラッシュガード等……」
「沈められるんじゃね……?」
今度は、ルチルがぼそりと呟いた。
やりかねない。あの上官ならばやりかねない。どこに沈められるのか、なんて明確な場所は分からないが、皆、沈められている自分のビジョンはありありと想像ができた。
「ふざけんなよもー、外行こうっつってたのにねぇー」
「届出してたのに……有休はもう申請期限過ぎてるし。ハァ、確信犯だなあのドS隊長」
「リラクゼーションの予約……!!」
「シルアたん呼びつけておもっきし癒してもらう予定がぁああ!!」
休日を休日として楽しもうとしていた面々は、ユイガの無慈悲な宣告に泣く泣く予定をキャンセルし始めた。
そしてその、休日出勤当日──
「はよーっす……はぁあ。ん? ふーん。アンタ私服、いい感じじゃん」
「え? ……ありがとうございます」
憂鬱そうに控え室に入ってきた黄髪の二人。ルチルの方が、アリスを眺めて言った。アリスはシンプルで清楚なワンピースを着ていた。普段2つに高く結っている髪をハーフアップにし、パッと見は至って普通の、可憐な令嬢だ。
「そういう系好きだけど、私ら似合わないんだよねぇ」
「ほんとそれ」
「……そんなことは」
軍に所属する者は、滅多なことがない限り軍寮に入る。それは身分などに関係ないことだが、寮棟には貴族階級や軍階級によって当然、質のランクがある。
棟が同じであれば私服で顔を合わせることもあるが、違えばなかなか同隊でも私服を見るような機会はない。それこそ、このような宿泊訓練でもなければ。
《 ラヴィーネ、セラ、聞こえるか 》
控え室に揃い、銘々ゆるやかに談話していた第三隊の通信に、暫定トップの二人を呼び掛ける声が届いた。声の主はユイガだ。
応答した二人に問いが重ねられる。
《 輸送ポートの場所は分かるか 》
「確か……研究棟の裏手……でしょうか?」
《 そうだ。二人で第三隊を輸送ポートまで引率せよ。ああ、荷物も持ってこいよ 》
輸送ポートへ引率せよ。
ラヴィーネとセラは顔を見合わせて、隊長からの指示を把握するとともに、その言の意味を考察した。
大抵の街には瞬間移動ゲートが設置されているはずである。輸送ポートで空機を使うような場所に赴くということは、もしかしたら宿泊訓練の実地場所は、よほどの辺境──
ゴロゴロと自走するスーツケースを伴って移動を開始した少女たちは、ユイガはそこにいないのに、何となく無意識に2列に並んで歩いていた。
そうやって輸送ポートに到着した10人が目にしたもの、それは。
「航空、挺……?」
「たまに運転しないと忘れるからな」
「そんな車の運転みたいな」
小隊用の航空挺。翼には、少女たちの背丈を優に越えるような大きなプロペラが並び、フロートを携える。胴体には陸用のタイヤがついているものの底は平たくなっており、船底を思わせる。
割合高い位置にある出入口からひらりと飛び降りて、ユイガは何でもないように言った。
普段はかっちりと軍服を着込んでいる隊長が、今日は幾分かゆとりのある服装をしている。首回りは大人の男性らしい筋肉が晒されており、鎖骨が形良く浮く。そしていつもはスッキリと纏め上げられている前髪が下りていた。
「隊長、髪下ろしてるとちょっと幼……若いね」
「ですね」
「でも今は、アンジュテクスト不足で運用規制されてるはずでは」
ニーナがアリスにこそりと耳打ちしたその前方で、リリアは昨今の問題を指摘した。
陽國の主エネルギーは、光粒子と光魔素でできた、アンジュテクストだ。連星太陽の片方の光量が弱まっている現在、その合成率も採集量も減少している。軍でも節約の為に、大型機の運用は極力控える措置がなされている。
「俺の魔力を動力にして飛ばす。魔力操縦桿に魔力を食わせると燃料の代替になる」
「……!? 無茶苦茶ですね!?」
「そんなわけあるか。魔力操縦桿が取り付けられていることの、本来の意味かつ本来の使用方法だ」
飛行具に必要なエネルギー量とは訳が違う。魔力の出力が規格外だ、とリリアは言いたかったのだが、ユイガは微妙に的の外れた回答を返した。
「各自、荷物を積みこんで乗れ。もしもの時の為にエチケット袋は手元に置いておくように」
「あ、エチケット袋ってそういう……」
吐くほど訓練させられるのでは、と不安に思っていた少女たちは、幾分ホッとした表情をした。
──皆深くは考えなかったのである。ユイガが持ち物にわざわざエチケット袋を"最低"2枚と指定することの意味を。
《 言い忘れていたが…………その、 》
荷物を詰め込んで全員乗り込み、身体を座席に固定したところで、通信が機内に響く。それはユイガにしては珍しく言い澱むような声音で、少女たちは虚を衝かれたような心地がした。
《 俺は操縦桿を握ると人格が変わる、らしい…… 》
──以下は、第三殲滅隊の乗った航空挺に搭載された、機内レコーダーの音声データである。
「ちょっ、何でこんな回転する必要がっ、うぅ、おええ」
《 悪いな、ダージボグオルカを轢き殺しそうになったんで避けた 》
「ぐっ、うっうえ」
《 ヘルーワィム酔いの練習になるだろ、頑張れ 》
「人格ッ、変わりすぎっしょ、コレ機体ヤバイって!!」
「確かにっ、普段隊長は"頑張れ"なんて言わな、ひっ! キャァァ!! 窓ッ、目ェェェェ!!」
《 この空域はやっぱり最高だ……ダージボグ種がうよついている。煽り飛行には、……のらないと 》
「はねられるのはこっちですよ! ッ、ぐ、Gが……ッッ」
《 ふふ……魔力を吸わせまくってレッドラインまで一気にフケるこの音、この高揚感…… 》
「たい、隊長! コレ戦闘機じゃないんですよ!? こんなスピード、」
《 逃がすかァ! 錐揉旋回! 》
「ァァアアア!! しぬ! し、ッ──やぁぁあああ!!!」
《 ───ガガッ ──グラファイト一尉! 空挺0485に異常値が出ている、直ちに自動運転に── 》
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「まぁ、なんだ。悪かった。全員、エチケット袋は足りたか?」