11.更夜語り
宵國産の藺織のフロア──
「どういうコトこれぇ」
「ゲストルームとかあるでしょ普通」
──の、上の高級そうな純白の寝具。厚みのある適度な柔らかさとすべりのよい肌触りが、整然と敷き詰められて少女たちを待ち受けている。
「親交をはかるための合宿で個室にしてどうする。お前たちはここで雑魚寝だ。いいだろ別に。もう寝るだけだろうが」
確かにもう揉めるような体力は少女たちにもない。だがルチルとフィニチェは不服そうにユイガを睨む。構わずその背を押し、少女たち全員を大部屋へと入れてゆく。
最後に、リレイドの鳥竜種を抱き抱えたナイリが振り返った。湯上がりの熱が、まだ頬に残っている。
「じゃあ、ユイガ隊長もここで……?」
「────!」
「へえ……?」
振り返る少女たちの目に艶が灯る。
「……ハァ。上官と下官が、男と女が同室なわけないだろ」
混浴を許した所為か。もはや、いろいろな境が決壊している。そう思い至ったユイガはため息をつき、そして正論でもってピシャリと線引きをし直した。
「明日は昼から魔力瞑想。その際、少しでも集中を欠いたり転寝すれば令威だ。しっかり休んでおけ。夕刻に差し掛かる前にここを発つ。以上」
隊長らしく淡々と明日の予定を告げて、細工の見事な木戸に手をかける。
「──おやすみ」
だが最後に、少しだけ和らげた声で少女たちに就寝の挨拶をし──大部屋の扉を閉めると、ユイガは自分に割り当てた部屋へと帰っていった。
「なんかアメとムチが絶妙で……腹立つな」
「一緒に寝るなら遊んでやったのにー」
「あのぅ……はぁはぁ……ずぅっと言いたかったんだけどぉ……おねー様方のルームウェアせくすぃー!!」
姉妹は鼻息の荒い後輩を見る。眠たさの所為でいつもよりぽやんとした表情だ。ボトムス側面のスリットと胸元が、なんとも涼しげである。
「おん……?」
「ぱふぱふしてやろーかァ」
「されるー!! ほおおお! はすはすはすぅ!! ひゃーんいーにおいするぅ!」
突進したノイの勢いによって、三人の少女は寝具へともつれ転がった。雑魚寝と言うには質の良すぎるそれは、スプリングコイルで少女たちを包み、瞬く間にルチルとフィニチェを眠気の沼へと引き込む。
「んあ、なにこれ……やゎらかぁ……ぃ……」
「セラ様ほか……お先に失礼しまー……すぅ」
「えっうそ早!? ……なんだここが桃源郷かぁ」
両側から抱き枕にされたような格好のノイは、感じる肉厚とあたたかさに顔をだらしなく弛めた。
──隊長め、さっき湯殿でこんなオイシイ思いを、しかも湯浴み着で。今のルームウェアもすごく良いけれど。
なんてことを考えながら、ノイはごそごそと俯せに体勢を整える。両側の二人はあっという間に熟睡に入ったのか、起きる気配が全くない。
「はい、上掛け」
「ありがとーございまぁす!」
「どういたしまして。……ね、ノイって女の子がスキなの?」
三人へ布団を掛けてやったニーナが尋ねた。
「んー、親族に男が多すぎて、当たり前に女の子に目が行っちゃうようになったってゆーか……まぁぶっちゃけ、どっちでもイケますよ!!」
「わお……」
「うるさいわよティエラ=ノイ嬢」
「よく起きないわね、その二人」
潔さに気圧されるニーナ。そして、容赦のない指摘を入れるリリアとラヴィーネ。だがその指摘にいつものようなキレはない。枕をぽすぽすと整え、銘々に頭をのせる。その瞼は重そうだ。
命を受けたリレイドの鳥竜種が静かに室内を羽ばたく。小さな手足が壁のセンサーに触れると、宵闇が部屋を満たした。
──おやすみなさい。
それぞれが就寝の挨拶をしあう。
一旦訪れた僅かな静寂。
そこに、ぽつりとした声がノイへと届く。
「一つだけ聞きたいことがあるのだけど」
「──ん? あ、私?」
声の主はリリアだった。
彼女の斜め向かいに寝転がるノイは、すこししてから自分に問われたことに気付いた。顔を上げて目を合わせ、先を促す。
「"私らしくない歌"って言っていたでしょう、アレは……どういう意味なの」
「えっ、どれの話?」
「命歌よ」
ノイは湯殿でのことを思い出す。
"リリア令嬢らしくない律だと思った"。そういえばそんなことを、確かに言った。
「えー、根に持ってる? ごめんて……」
「違うわ」
謝るも、リリアは静かに否定をする。
明青の髪は、今は窓から淡く落ちる青色に染まっていた。
「責めているわけじゃない。現に私のものではないから。どういう、歌の内容なの。アレは」
「あー古語だから分かんないっスよね。歌ってた本人に聞けば良いのに」
「教えてくれなかったわ」
照れ屋の友人なんだろうか、ツンデレ同士で仲が良いのかな、などと少々失礼な想像をして、ノイは尋ねられた問いにえーと、と歌を思い返して答える。
「うーん簡単に言えば、春の訪れを感謝する……とか、己を取り巻く総てを、愛おしく思うとか、……って感じの内容かなぁー」
「…………そう」
「同じ律だったから隊長、流石につられちゃったんだろーなぁ」
「あ、やっぱり同じだったんだ?」
やわらかい声で、ニーナが話に加わった。
「ええ。ぶふっ、あの韻律の人って、女子なら『春の妖精』、男子なら『オカン』ってあだ名つけられたりするんですよ、笑える……」
「オカ、ン……ッん、ん"んッ」
寝転がっているノイの頭の方向から、笑いを誤魔化す咳払いがした。セラだ。
──"おやすみ"の後の夜語りが長く続く。それが合宿の夜の定理である。
「そういえばセラ様、命歌の時ぼおっとしてらっしゃいましたけど、何かあったんで……まさか隊長の歌に聞き惚れ……!?」
「え、っあ、違うの。あの時……」
少しだけ言い澱んで、しかしセラは続ける。
「波力種が生まれていたのよ。あんなに沢山、連続的に生まれているのを見たことがなかったから」
波力種は、そのあたりに転がっている石からも生まれるとされる。もちろん人からも生まれている。
絶えず様々な物や、生命が生み出してはいるものだが、全体でみればそれは少量。世界に満ちるほとんどの波力種は、惑星が発しているエネルギーから生じている生命体だ。
「あの時、発光クジラが私たちの上を泳いでいたのは……生まれた波力種を食べに来ていたのね。大勢で歌ったら、どうなっちゃうのかしら……」
「え……それってすごい発見じゃないですか!? 歌っても何も起こらないって考えられてるのに……ちょっとナイリちん! 大発見……」
「ナイリちゃん寝ちゃったよー」
「えーマジか。明日もっかい検証しなきゃっすよこれ……!」
「そうね……頑張らないと……スライムに襲われちゃう……から」
「えっ」
「ふふっ、フィイナちゃん寝言、面白いんだよねぇ」
「セラ様それ悪夢では……大丈夫っスかね」
不穏な寝言とは裏腹に安らかな寝顔を、ノイは見つめる。いや、目をかっ開いて焼き付ける。
清廉でたおやかで、強くて格好よくて。美しくて優秀なのに、傲らない。"セラ様"は、貴族の社交の場でも軍の中でも皆の模範。慕い憧れる者も多い。
こんな風に寝顔をガン見できる日が来るなんて。叶うならまた、自分のせいで困ったお顔が見たい。
じわ、と腹の底で巻き上がった感情を潰して、潰して、あれ、逆にちょっとムラムラしてきたぞ? それを潰して──寝顔を目に焼き付ける。そういえば──
「なんでニーナ先輩って、セラ様呼ぶとき『フィイナ』なんですか? ミドルネームが個名じゃない時ってあんまり……」
「あ、あはは……そうなの。私、田舎出身でそういうことにホント疎くて……」
"フィイナシヴィリ"はセラの父方の家名を表すミドルネームだ。仲が親しくあっても、ミドルネームが個人の名でない場合、愛称として呼ぶことはないのが通例。
「軍学校時代では全然、貴族層と接する機会がなかったの。フィイナちゃんとは前期から一緒の隊に編成されたんだけど、みんな『セラ様』って呼んでるから……」
……差別化したいなぁ、とか思って。
そう呟いて、ニーナは一拍、間を置く。
「目をぱちぱちさせてたけど、その後優しく笑って、許してくれたの。無知だった故の、特権なのです」
「えー、なんか妬けます……」
「えへへ」
静かになった大部屋で、香車クラスの二人はひそひそと囁き話す。
「アリスちゃんの『リット』ってさ、これも違うよね?」
「リットは武勲叙位の時に授かる準貴族のミドルネームですねー。あのこ、お父上が英雄になったあと家継いでますから」
「そっか、……じゃあアリスちゃんはアリスちゃんでいこう」
「アリスぽん、ですよ、ぽん」
「だから、なんで、ぽん、なの……」
「うわ起きてたの」
「……にーな、さん。ぽんはイヤ……ぽんは、やめて」
「はわぁ……!?」
アリスは境遇故か、時折、人を寄せ付けない雰囲気を醸す。
そんな少女から発せられた、舌足らずな抵抗。眠たさにとろんとした目と、伸ばされた手。それらがニーナの心をがちりと掴む。
「ふふ、ちゃんと今まで通り呼ぶから安心して?」
「……ん、ぅ……」
「寝ちゃった……? いつも、こんな感じでもいいのに……」
「ぽやんすぎてもアレですけどねー」
ニーナの隣で、安心したような吐息が寝息に変わる。皺のよらない眉間は、年相応の少女で、けれどどこかあどけない。
「……重いモノを背負ってるのは、疎くてもわかるもの。それを私が一緒に背負うことはできないけれど、後輩の立ち向かう背中を、支えてあげることはできると思うから」
「……ニーナせんぱい」
「ん?」
「私も、甘えさせてって言ったら、甘えさせてくれます?」
「ほえ……? うん」
「揉ませてって言ったら、揉ませてくれます?」
「うう、発言が女の子じゃないよぉ……」
さらりと発せられたセクハラに嘆いて、ニーナは話を区切る。いつの間にやら、もう起きていそうなのはニーナとノイだけだ。
「そろそろ寝よ? 起きてるの私たちだけみたい。でも……寂しくなったら、いつでも来ていいからね」
「言質、いただきましたからね……」
「ふふ、おやすみなさい」
「……おやすみなさぁい」
* * *
「こいつ、乳の誘惑にやられたな」
「実は中身オッサンなんじゃね?」
夜明け前。短い睡眠時間にあくびを噛み殺しつつ、二人は小さく話す。
レグホーネルの姉妹の視線の先には、翠色の後輩。だが二人が寝る前に抱き枕にしたはずのその少女は、桃色の先輩の胸に顔を埋めて熟睡していた。
まだ誰も起きていない室内で、寝具を踏みしめることなく、姉妹は木戸の方へと跳躍する。藺織に素足で着地するとリレイドの獣耳がピクリと動いたが、起こしはしなかった。
素足のままそっと大部屋を出て、階段を上がる。目的地は昨晩、隊員たちが最初に通された最上階の露天の湯殿だ。
二人が脱衣所を通過し引戸を開けると、そこには先客がいた。
「うわ」
「えっ隊長はや……」
「……はよーございまーす」
「まーす」
湯殿の見晴らし台で、ユイガが準備体操をしていた。やる気のない朝の挨拶にユイガが振り向く。
「……おはよう。お前らこそ早いな。疲れ、とれたのか」
姉妹は例のルームウェア姿だ。いや、もっと悪いことに寝起きで着乱している。
なるべく見ないようにして、ユイガは声を返した。
「レグホーネルはぁ、朝型なのー」
「朝日だけ拝んで、あとでもっかい寝んの。で、隊長はナニしてんの」
「自主練に出る」
身体の関節の動作を確かめるように動かし、準備体操を終えた。その格好は、昨日の水着姿。右手には軍用手袋と愛用の刀。
「しばらくここにいるか?」
「? んー、まぁ半時間ほどは」
「……計ってくれ。俺が発ったら開始。ここへ戻ったら終了」
「はぁ。了解」
投げて寄越されたストップウォッチを、ルチルがキャッチして答える。
ユイガは一つ深呼吸して、トントンとステップを踏んで、無駄な力を抜く。そしてスタートの合図も何もなく、邸から飛び立った。
行き先は──
「うっわ」
「ナニアレ……」
昨日のブルーホール。スライム風呂の辺りか。
まだ薄暗い空に稲光が立つ。遅れて、空気を震わせるような衝撃音が二人の身体を打った。それが何度か、続く。
「こわ」
「やば」
スウィートクラウドの邸の中にはきっと響いていないのだろう。だが外に出ているレグホーネルの二人は、ユイガが放っているとおぼしき魔力の余波に、なんとなく語彙を消失していた。
しかしやがて音も稲光もなくなる。さやさやと、湖面が静かに模様をつくり、徐々に夜が明けてゆく。影が少しずつ、濃くなる。鳥竜種の囀りがする──うとうととしながら、姉妹は朝の気配を身体に刻む。
やがて水平線の向こうから、主星が小さく夜を裂いた。
二人は眠そうながら真面目な顔つきで目を閉じ、拝礼する。
──なんだろうか、空が悲鳴を上げるような音が近付いてくる、
「っはぁッ!! 時間はッ!!?」
「ッ……!!?」
「!? ッあ、」
水飛沫が激しく立つ。否、激しい、なんてもんじゃない。
屋上に立つ少女たちの目の前まで水片は巻き上がって、スコールのようにけたたましく落ちていった。突然の衝撃に、二人の心臓が暴れ跳ねる。
ユイガが帰って来ていた。ルチルは慌てて手元のストップウォッチの時間を慌てて切って、隊長へと渡す。
「び、びびった……なにをどーしてきたの」
「昨日のコースを、なぞった、だけだ。ッはぁっくそっ、タイム落ちた」
「昨日のコースって」
「……ブルーホールを蓋してるスライム。駆除してなかったろう。内海は、適当に襲ってくるヤツを駆除しながら、最短コースを泳いで、月から降下」
あの隊長が、息を荒げて床に転がっている。本当に全力で、言うとおりにしてきたのだろう。
「今、衛星……宵国側じゃ……」
「正確には、間帯付近だった。だいぶ遠くなるが、入射角を考えながら突っ込めば最小の抵抗で済む上に、自転に乗れる。夜に真っ直ぐ突っ込むより実は楽だ。まぁ……なんかの機会に覚えとけ」
「夜のがキツイんかよ」
「んな機会無いと思うんだけどぉ……」
息の落ち着いてきたユイガも次第に、静かな朝に同化してゆく。
「ねぇ、なんで昨日の事とか聞かないの」
「あ?」
零れた問いかけはルチルからだった。ユイガが寝転がったまま仰ぎ見ると、少女は唇を尖らせて、まるで悪戯がバレた子供のような罰の悪そうな顔をしていた。
わざわざ叱られたいのだろうか。珍しく、殊勝とも取れる態度だ。
だがユイガは経験則で知っていた。その人物の性質や仲違いを、失態を。根掘り葉掘り聞き出して上官が諭しても、あまり効果はない。嫌煙されるのがオチだ。本人が気付き内省してこそ意味がある。
黄色の少女は、風に靡いた髪を耳にかけ、視線を彷徨わせて、隊長からの答えを待っている。
──しかし、自分のしたことを誰かに吐き出したいのであれば話は別だ。ユイガは身体を起こして頷く。
「なら、ルチルは降下訓練中にラヴィーネに対して行った事を。フィニチェは調整期間中に何故撃譜を俺に撃って来なかったかを、それぞれ反省文にして提出しろ。期限は2日後」
「は、はぁっ!?」
「私とか、"撃つ余裕なんか与えてくんなかったじゃん"で終わるんだけど!!?」
「それだけか」
「そーだよ!!」
「なら今から、実践中に撃てるよう個人訓練を行う」
「嘘でしょやだやだ!! 休憩してなって隊長! ねっ?」
「あ"ーーー!!! 私ら寝直すからぁ!!」
「あ、たいちょー? 昨日セラ様が言ってたんですけど命歌でね、すごい発見ですよー!」
「お前も早いな……、!? 着ろ!! 湯浴み着を!!!」
陽國の夏季の夜は、短い。
昨夜、そこそこ遅くに就寝したはずの少女たちは、朝日の昇る時間帯に元気に活動しだしていた。朝日を浴びに、自主練をしに、あるいは朝の湯浴みに。
──パワフルがすぎる。
自隊に対する、友の評価が脳裏に響く。
明日から第三隊は、本始動だ。
「──空であれ」
薄明の空。開け放たれた、窓辺。
淡紫の少女の1日は、家訓を唱えることから始まる。
「優良たれ、至誠たれ、模範たれ、」
やわらかに波を描く髪を、まだ涼しい風の波力種が遊びながら抜けてゆく。少女の目の端、屋上の湯殿にいくつかの人影が映る。
心に蓋をするように瞼を下ろして、セラは再度呟く。
「……空であれ」
言い聞かせるように。