錯綜する思い
晩御飯を食べ終わり食器を片付けようと席を立とうとすると、リムイが俺の食器を手に取り始める。手伝おうとすると掌で制された。
「凌二のは僕が片付けるから座ってて!」
もふもふの尻尾を振りながら流しに向かい、ガルドに手渡す。今度は珈琲とお菓子を受け取ると、俺の目の前まで持って来てくれた。
「ありがとなリムイ。でも、手伝わなくても良かったのか、世話になってるんだし……」
「大丈夫だよ凌二! 僕の方が強いからね〜 騎士は弱い者を助けるんだよ!」
「ぷっくっく、だの。リムイそろそろ眠る時間だぞ、寝る子は育つ解るな? 騎士になれなくてもいいのか?」
微笑みながらリムイに就寝を勧めると、別れを惜しんでいたが渋々二階に上がっていく。
「あ〜あ〜、もう少し凌二とお話したかったのになぁ。」
と呟きつつ自室の前に辿り着き、扉を開けるとベットに潜り込む。あっと思い出すかの様に起き上がり、寝間着に着替えて靴を脱ぎ再びベットに潜る。
今日の出来事で精神的に落ち着く事が出来ないのか、何度も体制を変える。ようやく落ち着いたのか、少しだけ鼻を空気に当てるためにシーツから出す。
騎士達から受けた嘲笑。種族的な問題で希望も絶たれ、夢を砕かれ本当に諦めようとしたリムイ。凌二の前で情けなく泣き喚く事はしまいと、子供ながらに意地を張り我慢していた。
本当ならベットの中で声を殺しながら泣こうと思ってた。
「凌二ありがとう……」
リムイの口から出て来た言葉は感謝の一言。
橋を渡る時に聞かれた「騎士の夢を諦めるのか?」の一言、凌二にどんな思いがあったのかは解らない。それでもリムイはその一言に背中を押してもらった気がしていた。
夢を諦めるな! って言ってもらった気がしたんだ。だから泣かずに笑えたんだ、もっと頑張るって思えたんだよ。
「必ず僕は騎士になる……凌二を護る騎士に……」
決意を固めながらも微睡みの中に身を委ね、次第に深い眠りに堕ちていく。
ガルドはリムイが二階に上がるのを見届けると、視線を凌二に移すと口を開く。
「お前さんはどうするかの? 風呂入って寝るか? それとも、まだ起きとくのかの?」
そう尋ねられると表情を曇らせ俯く凌二。今日の騎士達の出来事を話すべきか、しないべきか悩んでいた。
あんな事が有ってもリムイは夢を諦めないと言ってくれた、何か自分に出来る事がないかとも思っている。だが、この世界を知らない俺が口を挟む事なのか?
けど、それでも……。
「街で何か有ったのか? 例えば騎士の事とかの?」
思わず考えていた事を当てられた俺は、驚き目をガルドに向ける。
「図星か……お前さんが悩む事じゃないが、ありがとの」
「俺は何も出来なかったんです……」
顔を悔しさに歪ませると再び俯く。残っていた珈琲に薄っすらと映る自分の顔を見ると、コップを握る力が強くなる。
「アイツはいい友人を持てたの。……儂も若い頃は騎士にと、そう思っとったんだがの」
微笑みながら遠くを見つめつぶやく。ガルドは珈琲が入ったポットをテーブルに置き、椅子に腰を下ろした。
「その様子だと、種族的な問題ってのは知ってるの。その事で儂は夢を諦めた……だが、アイツは笑ってたの」
俺は視線をそのままに、静かに言葉の続きを待つ。
「あれは夢を諦めた者の顔じゃない、何か言ってくれたんじゃないのかの?」
「夢を諦めるのか?って聞いただけですよ……」
「それでもアイツには充分だったんじゃないのかの」
そう言うとガルドは珈琲を俺に勧めてきた。顔を上げ残りの珈琲を飲み干し、カップに注がれる珈琲の湯気を見ながら呟く。
「俺もリムイに救われた様な気がしました……」
ガルドはポットを静かに置き暖かい眼差しで、相手を急かさず頃合いに合わせる様に凌二の言葉を待つ。
「傷つく事が怖くて、全ての事から逃げてました。理由を付けて自分を騙し続けてた……」
「誰だってそうだの。自分が可愛いもんだし、逃げるが勝ちって言葉もあるしの」
ガルドはそう言ってくれた。逃げても良いと、今までの俺を否定しなかった。
「それでも自分と向き合う事からは逃げちゃいけなかった……」
凌二は今までの自分を思い返し、静かに珈琲を運び口にする。
その姿を見て思い出したかの様に席を立ち、本棚に向かうと一冊の本を手に取り戻ってくるガルド。
「もう夜も遅いからの。その様子じゃ寝付けんだろう、これでも読んだらどうだの」
差し出された本を受け取ると、皮の表紙で題名は原点と書かれていた。古びていて歴史を感じる事も有って、ずっしりとした重みを感じた。
「爺さんから貰ったもんだ、歴史や小難しい事が書いてあるがの。今のお前さんには丁度良いかと思っての」
そう言うと追い立てる様に二階に上げ、用意した部屋に案内される。机とベットが置いてある質素な物だったが、隅々まで掃除が行き届いていた。
「読むか読まないかは、お前さんの自由だがの。それじゃ儂は用事があるからこれでの」
踵を返し扉を閉め部屋を出ていくガルドを見届け、ベットに歩み寄ると渡された本を置き腰を下ろし思考に耽る。
自分と向き合う……今までしてこなかった事だ。
何も無い奴に向き合う価値が無いと決めつけて、自分自身を諦めさせてたんだ。
今はどうだ、逃げていた俺の話を否定せずにガルドさんは聞いてくれた。
あんな事が有ったのに、夢を諦めないって言ったリムイが眩しく見えた。俺もそうなりたい、強くなりたいと思ったんだ。
俺には何も無い、どうすれば良いのか解らないとそう思い思考を止める。ベットに倒れこみ横になると、視線に入る皮表紙の古びた本。手を伸ばし掴み取り題名を眺める。
「原点……」
なんとも飾りげのない題名だ。内容もガルドさんが歴史や小難しい事が書いてあるって言ってたし、つまらなそうな本だと思いつつも開く。
内容は世界の歴史や種族的な事、ルーンの事や魔力や気力などの生成の仕組みが書かれていた。読み続けると眠気が次第に訪れ、うとうとと微睡みの中に誘われる時に開かれた最後のページに目を奪われる。
作者の総評なのか、思いを込め言葉を綴っていた様に見えた。
原点は何も無い所からは生まれない、虚無から生まれたと思っても我々が知らないだけ。生まれてくるのは必然で、世界を創る事も人を形づける事も同じ。
原点とは白いキャンバスなのだ。世界は自然の彩り人に至っては感情の色、それらの色に彩られ絵画が出来上がる。
直ぐに描いてしまう者もいれば、二の足を踏んでしまう者もいるだろう。この世に同じ存在は無いのだから、それを描くのに遅いと恥じる事もない。
原点という白いキャンバスを彩るために、誰もが足掻いている事を忘れないで欲しい。何も無いと嘆く事もない、それを彩り世界に一つの絵画を描くのは自分自身だという事を解って欲しい。
そして、最後にこう締められていた。
世界で唯一の存在、自分を信じて欲しい恥じる事なく誇って良いのだと。
「つまりは自分を信じて……足掻く事を恥じずに生きろって事か……」
今までなら下らないって鼻で笑った話だな。
よく見ると本の所々に補修がされ、最後のページには幾つかの涙の跡。
何度も読み返し涙を落としていた、その思いと大切な本を渡された意味が伝わってくる。
「何が出来るか解らないけど、足掻いてみるよガルドさん……」
そう呟き優しく本を置くと、意識を微睡みの中に手放し眠りに就いた。
「へっへ〜くしょい! 誰か噂しとるのかの〜?」
街中に響く大きな嚔の音、皆が振り向き視線を集め笑われる。
本来ならそうなるはずで有ったが、固有スキル静寂の住人を使っているため気付かれていなかった。
視覚と聴覚を惑わしそこに居ない者とするスキルで、物理的に接触してしまえば気付かれてしまう。そこを気を付けていれば、余程の手練れでない限り見破られる事はない。その為、ガルドは屋根を伝い飛び移りながら街を見回っていた。
巨大な月の下で空を舞い、風を切る。
街中を一頻り見回り、時計台の屋根で一休み入れた時に嚏が出た様だ。
「宗方 凌二か……外から来た人間にしては面白い奴だの」
街の者なら解るが外では未だ戦乱が続いていおり、その中で種族間での嫌悪感は想像を絶する。
「人狼の事を心配するなんて考えられんの。ふふっ」
思わず微笑んでしまう、若しくはこの街の様に平和な場所があるのかと。
「何か良いことでも有ったんですか?」
背後から声が掛かる。陽が高ければ作業員の可能性があるが、この時間帯であれば施錠されている為それはない。それにこの声には覚えがある。
「領域探索、ヨシュアか。凌二達の事でちょっとな……」
「そうですか、若者の成長を見るのは嬉しいもの的な事ですか?」
「え? なんで解ったんだ? 全部話してないよな?」
「歳とりましたからね〜。後「の」が抜けてますよガルドさん」
ちょっと自慢しながら話そうと思ってたガルドは、早々に打ち切られた事に意地けながら言葉を放つ。
「ふん、お前の方はどうだったんだの! 儂の方は何も無かったがの!」
意地の悪い笑みを浮かべながら肩を竦めると、ヨシュアは結果報告をし始める。
「ええ。領域探索の範囲を拡げて回りましたが、何も掛かりませんでしたね」
「そうか、有難うの……」
そう言うとガルドは辺りの人々に視線を移し、ヨシュアは少し俯き思考を巡らせる。
誓約を抜ける事が出来ると言うことは、何らかの特殊な装飾品を持っているはず。私の使った魔法はその系統の上位のもの、暗闇に支配された迷宮でも生物や宝を明確にし詳細に示すものだ。
それに映らないと言う事は、対処されていると言う訳だが。ちょっとやそっとで誤魔化せるものでも無い、高位の魔法を持ってそうしている事は明白。
ガルドさんもそれが解らない訳ではないはず、話された中に意図的に伏せられた事があるという事。
考えがまとまるとガルドに別れを告げ、飛翔の魔法を唱えその場を去る。
「これはかなり深刻ですね……最悪の場合も考えないと」
そう呟くと月明かりの下に消えて行く。