おおかみ料理 たらふく亭
とある一室、ソファーに腰を下ろし紅茶を口にする黒髪の少女。目の前のテーブル上には書類と掌ぐらいの小さな木箱、対面のソファーには茶髪の少女がクッキーを食べている。
「ようやく準備が整ったわね……ここまでどれだけ時間を費やしたか判らないわ」
「だね……必要な物は直ぐ揃ったけど、誓約の解明に時間をかなり掛けちゃったしね〜」
「全くあの男は手間を掛けさせる……」
顳顬に手を当て溜息混じりに呟くと、壁に掛かっている時計を見て時刻を確認する。そして、ティーカップを置きソファーの手すりに掛けられた、黒いローブと木箱を手に取り席を立つ。
「もう行くの? まだ大丈夫だと思うけど?」
心配そうに茶髪の少女が問いかける。
「ええ、役者も重要な要素だけど、舞台の成否は事前準備に掛かってるのよ」
黒髪の少女は黒いローブを身に纏い、木箱から首飾りを取り出し身に着ける。木箱をテーブルに置くと、フードを被り扉に向かって歩き把手を回し開く。
「失敗はできないわ、次の機会が生きている内に巡って来るとは思わないから……」
そう呟き部屋を後にする、辺りに扉の閉まる乾いた音が静かに響き渡る。
ヨシュアの診療所を出た頃には日が沈み始め、空は紺色と橙色のグラデーションが広がっており、それを彩るかの様に星々と巨大な月が薄っすらと浮かんでいた。
街もまるで相手に合わせる様に装いを始め、街灯が灯り煌めき始める。
その中を馬車に向かうアドレア、暗くなる前に店に着きたいのだろうか歩調が速い。リムイはマイペースに歩を進め後ろを付いて行くが、俺はこれからどうすれば良いのだろう?
倒れていた所を助けてもらって、医者にまで連れて来てもらい、これ以上面倒をかける訳にもいかない。しかし、これからの事を考えるとどうしたものやら不安でしょうがない。
今まで人との関わりが煩わしく思い回避してきた。いや、逃げていたからこういった場面に遭遇した時の行動が解らない。1人で何とか出来るものならそうしたいが、持っている硬貨や紙幣も使えるか解らない。
助けて貰った恩も、お礼の一言で返せるほど軽い物じゃない。
じゃあどうすれば……
あれこれ悩んでその場から動けないで居る俺を見て、アドレアは微笑みながら声をかける。
「さあ、帰りましょう凌二。ガルドさんが料理を作って待ってるみたいなので、冷める前にね」
「えっ、何でそこまでしてくれるんですか? 俺は何も持ってないんですよ……」
帰りましょうと言ってくれた事に、この世界に来てから初めての安堵感を感じた。それと同時に好意に甘える自分に抵抗を感じて言葉を返してしまう。
「旅は道連れ世は情けってね! お父さんの口癖だけど僕もそう思うよ凌二!」
「ですね、世の中を渡るには思いやりが大事ですし、このまま放っておく理由もありませんしね」
リムイは微笑みながら、アドレアは顎に手を当て頷きながら返答する。2人の言葉が胸に響き暖かさを与え、不安が薄らぎその場に縛られた俺を解放してくれた。
徐にリムイが近寄って俺の手を取ると、荷台に連れられて乗り込みガルドの店に向かい始める。
少し走ると古城の前の広場に差し掛かる。
幾つもの光によってライトアップされた古城は美しく彩られ、広場の外周に沿う様に所狭しと屋台が並んでいる。
中央には直径約3メートルの円形の台があり、さらにその上には一回り小さい台が乗り、それが3段ほど続き階段の様になっている。その中心には一振りの古びたロングソードが突き刺さり、周りには立入禁止の紐で囲われていた。
「ほほう、だいぶ祭の準備が進んでますね〜」
「へえ〜 祭ですか、どんな祭なんです?」
「そうですね〜 簡単に言いますとこの街を守った英雄王に感謝し、慰霊する為の祭ですかね〜 今では観光の一部として見られてますが」
何処と無く寂しそうな表情を浮かべながらアドレアは説明してくれた。
メインイベントには、300年刺さり続けた剣を、力自慢の者たちが引き抜く事に挑戦する「英雄生誕の儀」が行われるそうだ。
俗説だが、抜き放つ事が出来れば剣の力により古城が蘇り、王として迎えられ栄華を極める事が出来るらしい。
しかし、300年経った今でも剣を抜く者は現れていない。
アドレアの話を聞いてるうちに馬車は広場を少し進み、大通りに向かわず右に折れ、そこそこ広い通りに入り暫くするとゆっくりと止まる。
辺りを見回すとちょっとした商店街の様な感じになっており、直ぐそばには香ばしい匂いを漂わせ、人の話し声が漏れている古めかしく趣のある店があった。
リムイは荷台から降りると手を招き、中に入ろうと促して来る。
ここがガルドの店らしい、掛けてある看板には「おおかみ料理 たらふく亭」と書いてあった。
後を追う様に荷台から降りると、アドレアは一声掛け馬車を収めに行き、俺はリムイと共に店の中に入る。
中に入ると香ばしい匂いと人の騒めきが一層強くなる。1階は食堂になっており、左奥には階段があり2階は宿泊施設の様だ。
高貴な者やそうで無い者、人や見た事も無い姿の者が酒を酌み交わし、料理を楽しんでいる所を見るとやはり異世界だと思わされる。
「おう、ようやく帰って来たの〜 どうだ具合の方は? 飯は食えるかの?」
配膳をしていたガルドから声を掛けられる。
最初は人狼だけあって迫力があり恐怖感もあったが、アドレアやリムイの話を聞いてそう言った感情はなくなっていた。それどころか助けて貰っておいて気絶し、医者まで連れて行けって言ってくれた事に感謝しているし、申し訳なく思っていた。
「助けて頂いて有難うございました!」
「気絶させてすまんかった!」
同時に言葉が発せられ少し間を空けてからリムイが笑い出す、それに2人も釣られて笑ってしまう。背後からアドレアが入って来て何があったのか気にしているが、ガルドは笑いながらも3人に席を勧め座らせた。
暫くして運ばれて来た料理は、大胆かつ繊細、顔程ある大きな骨つき肉は時間をかけて火を通してあり、口の中に入れば肉汁が溢れて来る。さらには数種類のスパイスで味付けされており、香りは鼻腔を刺激し直ぐにまた齧り付きたくなる美味しさだ。付け合わせの野菜や果物も飾り切りされていて、特製ドレッシングも万人受けしそうな物で、味も見た目も文句の付けようがなかった。
料理を食べ終わり、両手を合わせているとガルドから問い掛けられる。
「事情は聞かんが、お前さん。これからどうするんかの? 当てはあるのかの?」
正直なところ今1番聞かれたく無い事だ、ここまで好意を受けて更に甘える訳にもいかない。幸いここは街だし雨露をしのぐ所もありそうだ、暫くは野宿しても大丈夫かなと思考を巡らせていると。
「いや〜 今人手が足りなくての。もし良かったらウチの手伝いしてもらえんかの?」
ニヤリと笑いながらガルドは提案して来た、横ではアドレアはやれやれと肩を竦め、リムイは家族が増えると期待の眼差しで俺を見つめている。
「お前さん悪党には見えんし、ウチの子も懐いとる様だしの。どうかの?」
「えっ? いや、これ以上は甘える事は……」
「甘える甘えないは関係ない、これは交渉だからの。儂は人手を、お前さんは寝床とお金得るだけの事だしの」
右も左も分からない状態で、この提案は渡りに船で断る理由もない。ガルドの言い回しも俺に気を使っての事か人情に厚い人物である事が判る。
「……分かりました、暫くご厄介になります。」
「おっしゃ! 交渉成功だの。儂はガルド、人狼でこの店の主だ宜しくの」
「宗方 凌二です、宜しくお願いします」
その後、今日は安静にしておけという事で一通りの説明を受けると、宿の一室を貸してもらえる事となり休ませてもらう事にした。
靴を脱ぎベットに倒れこむと、仰向けになり手の甲のルーンを見ながら今日起きた出来事を思い返す。
天国だと思っていた世界が異世界だった事、ルーンの事、色々考えても答えが纏まらない。ただ、言えるのは環境が変ってしまった以上、今までの自分でいることは難しいと言う事だ。
そして、この場における最大の疑問……。
「何故、俺はこの世界の言葉が解るのか?」
この疑問に思考を巡らしてみるが結論は出ない。時間だけ過ぎ去り、ゆっくりと眠りに堕ち。
俺は夢を見る……。
食堂の人影がなくなる頃には真夜中を過ぎていた。閉店作業と明日の仕込みを手早く終わらせると、ガルドは店近くの自宅に向かう。
店を出た時、辺りに吹く風の中に少し妙な香りが混ざっている事に気がつく。人狼でも気が付かなくてもおかしくない程度のものだが、料理をしているガルドには解った。そして微かながら魔力も感じる。
香りを辿り着いた先は店から少し離れた風上の丘。そこには仄かに光る粉を風に乗せて流している黒いローブを羽織った人影があり、身長は低いが人間であれば標準的だろう。
「何をしているのかの? 夜の散歩にしては怪しい格好だの」
「あら、私より貴方の方が夜の散歩にしては怪しい風貌だと思うわ」
「それについては否定は出来んの〜 で、その魔力が込められた粉を風に流してる訳を教えてくれんかの?」
黒いローブから発せられた声は女性の物で、ガルドが問うと素直に返答が返って来た。
「友人に贈り物をね……」
粉を流し終わったのか、腕をローブにしまい込みその場を去ろうとする。しかし、ガルドはその言い分に納得はしていなかった、人目を避け回りくどいやり方をする以上何か裏がある。そう感じたガルドは問い掛ける。
「待て! 友人とは誰だ、何の為に粉を流した!」
少し語気を強め黒いローブの女に問いかける、すると足を止めガルドに向き直すと静かに言葉を投げかける。
「私は王の責務を放棄した愚かな男に、この街の破滅を贈りたいのよ」
ガルドは破滅という言葉を微笑みながら発した女に恐怖を感じつつも、拘束する為に掴もうと詰め寄ろうとした瞬間。
「パーン!」
ガルドの顳顬に炸裂音が響く、脳が揺らされてしまい流石の人狼も堪らず膝をつく。
「クッ! 空中設置型、不可視の機雷……空圧機雷か? 呪文の詠唱は無かった筈だが……」
「御名答。振り向いた時に詠唱は済ませてたの、まだ何個か設置してるけど喰らってみる?」
ガルドの疑問に答える黒ローブの女、その眼には冷たさが増し先の言葉に確固たる決意を感じさせる。
「ここでは戦闘どころか、攻撃魔法も使えないはずだがの?」
冷たい眼差しはそのままに微笑みを浮かべ、首に掛けられたペンダントを手に取り黒ローブの女は答える。
「ええ面倒な結界だったけど、綻びが出てる事と種が割れてしまえば後は楽ね。感情が鍵を握っていたとは思わなかったけど、後は護符を使ってこの通り。どうかしら守り人のガルドさん?」
ガルドは表情を曇らせる、誓約の抜け方を知っている者は数少ない守り人のみ。
誓約の力があると言っても稀にイレギュラーは起こる、それから街を護る為に選ばれたのが守り人で、その存在は街の極秘事項である。
それを知られたとあれば穏やかではいられない。
「狼爪烈閃!」
ガルドは力を込め両手の爪を掌と同じくらいに伸ばすと、右手を横に薙払い空間を切り裂き真空の刃を繰り出す。
「連斬!」
間髪いれずに左手を同じ軌道を辿り薙ぎ払う。
「命までは取らん、ちょっと記憶を消させて貰うぞ」
「フフッその台詞、控えめに言ってるつもりでも怖いわよ」
黒ローブの女は、余裕の笑みでフワリと後ろに飛び退きこれを難なく躱す。しかし、着地と同時に幾つかの炸裂音が響き渡る。
「なるほど、そういう事ね。守り人ってのは伊達じゃないってところかしら」
前もって設置された空圧機雷が全て破壊された事に、感嘆し賛辞を口にする。ガルドはその隙に疾風のごとく間を詰め再度拘束しようと試みる。
「遅延魔法……縛る蔦……発動」
黒ローブの女はそう言葉を発すると、空中に魔法陣が現れ幾つもの光の蔦がガルドの身体に巻きつき、後数センチで手が届くと言うところで身体の自由を奪う。
「チッ、拘束魔法か……動きが読まれてたか?」
「いえ、保険が役に立っただけよ。……ただ運が良かっただけ、貴方も私もね……」
そう答えると身を翻し手をヒラヒラと振りながら去っていく。
そして、去り際に言葉が響く。
「残念ながら舞台はまだ整っていないの、幕が開けたらまた会いましょう」
姿が見えなくなると次第に身体の自由が戻ってくる、近くの住民が出てこないところを見ると人払いの魔法も使われた様だ。そして、黒ローブの女の言葉を思い返す。
「王の責務を放棄した愚かな男……か、中々キツイこと言ってくれるよの……」
そう呟くと、その舞台の開幕に、守り人の責務に覚悟を決めガルドは家路に着く。