団欒
夕闇に包まれた閑静な住宅街、その中の二階建ての家の玄関が開かれ「ただいま〜」と、少々疲れ気味な声が響く。それに気が付いたのか、玄関先の廊下の奥からトントントンと足音が聞こえてきた。
「あら? 今日は定時だって言ってなかったっけ」
視線を向けると、中肉中背で肩まで伸びた髪を後ろで纏め。オレンジ色のシャツに、デニム生地のズボン。そして白いエプロンで手を拭きながら、笑顔で迎えてくれる年配の女性の姿があった。
「あ〜、そうだったんだけど、野暮用でちょっと遅くなったんだ。連絡しないでごめんね、お母さん」
「野暮用ね〜 まあ、いいわ。ご飯とお風呂どっちにする?」
「う〜ん、ご飯で! お風呂はシャワーで済ますよ」
その言葉に「またか」と呟き、あきれた表情をうかべてしまう。娘の疲れた背中を見ると軽くため息を吐き、腰に手を当て少し顔をしかめながら口を切った。
「あんたね〜、若くてもちゃんと湯船に浸からないと身体の疲れが取れないよ!」
「わかってるって、明日はちゃんと浸かるよ〜」
そう言いながら靴を脱ぎ捨て、ダイニングに小走りに向かった。そして、散らかった靴を揃えながら「あれで先生してるのよね。はぁ、ちゃんとやれてるのか不安を感じるわ」呆れながら母は呟いた。
ダイニングに入ると四人がけのテーブルが視界に入り、卓上の中央には大きな皿に唐揚げが盛られ、横にはサラダ。味噌汁からのぼる湯気は、料理が出来立てであることを物語っていた。
ただ、食器が三人分しか用意されていない所を見ると、お父さんは残業の様で、今日も遅くなることが窺える。
「本当、定時は最高だと思うわ」
軽やかに唐揚げを摘み上げ、舌鼓しながら肩にかけた鞄を椅子に置くと共に腰を下ろした。もう一つ頂こうと右手を伸ばそうとすると、背後から足音と溜息が聞こえてきた。
「その台詞は社会人としてどうなの? あと、摘み食いは止めたほうがいいわね、はしたないそうよ」
掛けられた言葉と共に、手の甲に軽い痛みを感じ、渋々と手を引き甲をさする。くすりと笑みを浮かべながら横を通り過ぎ、対面の席に座るデニムとパーカー姿の麗月に視線を向け、左手の人差し指を伸ばし横に振る。
「チッチッチ、わかってないな〜。社会人だからこそなのだよ、麗月ちゃん。あと、私疲れてる、お腹すいた、オケ?」
「お疲れ様、私達も連絡無くて心配した、今に至る、オケ?」
くっ、教師である姉が軽々と妹に論破されるなんて! まあ、連絡し忘れ心配させた私が悪いし、笑顔でそう返されるとぐうの音も出ないし、嫌悪感も生まれない。むしろ、愛されているんだな〜と、なんとなく嬉しくなってくる。
少し頬に熱を帯びた事を知ると、誤魔化す様にコホンと咳をおとし麗月に言葉を掛ける。
「そう言えばさ、何時に帰って来たの?」
「最終下校の少し前に出たから、六時半ぐらいかしら?」
帰宅時間を聞き「ふ〜ん」と返事を返し、同時に鞄からノートパソコンを取り出すと、起動させ軽快にキーボードを叩き始める。
「で、向こうの滞在時間はどのくらいだった?」
「嫌味眼鏡のおかげで、厄介な仕事を押し付けられてね。お昼ぐらいから、深夜までってところだと思うけど」
「ふ〜ん、大体12時間ぐらいか。残業、お疲れ様でした」
自分から聞いて来たのに素っ気ない返事。少しイラついたのは黙っておきましょうか。学校では見せない姿ではあるけど、可憐な指先が踊る様は、誰も彼もが魅せられてしまう曲を奏でるピアニストの様に見えてしまい、声を掛けるのも不粋だと思わせる……絶対に言わないけど。
一際高いキーを叩く音が聞こえたと思うと、徐に顎へ手を寄せると思考に耽り始めた。その姿を見て不安を抱いたのか、麗月は思わず問い掛ける。
「う〜ん……今の所ね、問題視するかどうか迷ってるんだよね」
返答と共にディスプレイを向けられると、複雑な波形グラフが映し出されていた。視線をもって「これは?」と問いかけると、姉さんは背もたれに身体を預けひと伸びすると口を開いた。
「これはね、魔力推移とゲートの時差についてのものだよ」
「時差?」
「そう、いくらアンカーを作って固定しているとはいってもね、時間という大きな流れには完全には抗えないんだよ」
「あら? 姉さんにも敵わないものがあったのね」
「も〜茶化さないの。竜言語は難しいし、種族によって違うし、更には時代別ってのもあるし複雑怪奇。ごく一部しか解析出来てないんだよ」
幸いな事に、沙羅さんの協力があり。短期間で世界転移門の術式について解析が終わって、起動に関しても魔力の供給が安定しているから問題無し。
ただ、時間を止める事が出来ない以上、時差についてはどうしようも無いかな。けど、数日のデータでみるグラフからは、潮の満ち引きの様に一定の動きが見て取れる。まあ、もう少し様子を見て、周期的に安定してればいっか。
「そう言えばさ、麗月ちゃんがゲートを潜った後の風景って、どんな感じなの?」
「薄紫の水晶で囲まれて、同じ材質で作られている様な道が伸びてて、その先には少し黒ずんだ大きな扉があったわね。それがどうしたの?」
そっか、安戸君は森の道、沙羅さんは雲の道と言ってた。種族的なものが関係してるかもね。
「沙羅さんと安戸君にもきいたけど、本人の資質によって見る景色が違うみたいだね〜、ちょっと面白いなって思ってさ」
「そう?」と、興味が薄そうな言葉を返されると同時に、玄関から戻って来た母がご飯をよそいながら口を切った。
「オカルトもいいんだけどね〜 熱中し過ぎて浮いた話の一つも無いのはどうかと思うわよ。あと、ご飯だからパソコンしまいなさい」
その言葉に「むう〜」と不機嫌な表情を浮かべ、援護を求めて視線を麗月に向けるが……
「私はまだ高校生だから、大丈夫よ」
「うわ! 酷い! 麗月ちゃんの裏切り者〜」
「はいはい、早くしないとパソコンの上にご飯置くよ、いいの?」
「あ、はい、すいません。今すぐ片付けますので、それだけはやめて下さいお母様」と言葉を返した後、温かい笑い声がダイニングに響いた。
そして、食事を済ましてシャワーを浴び、自室に戻り。タオルで髪を拭きながら「さてと」そう言葉をこぼし。机の上のノートパソコンを再び起動させ、タオルを首にかけるとキーを叩き始めた。計上していなかったデータを入力した後、波形グラフを眺めながら訝しい表情を浮かべると、溜息まじりに呟く。
「う〜ん、三人と比べてみると、宗方君の時差が大きい。なんでかな? ゲートに異常でもでたのかな?」
……おっと、データが少ない状況で結論を出すと良い事ないんだよね〜 って、宗方君とか他の子達にも風景の話を聞くのわすれてた。見るものが違えば、道の長さもって事かもしれないし。案外そういうところで左右されてるかも。
「知れば知るほど興味が湧いて来る、この世界を教えてくれた麗月ちゃんには感謝だね。お母さんには申し訳ないけど」
そう呟くと、データを保存して電源を落とし。ベットに潜り込むとルームライトを消し、微睡に身を任せ眠りに落ちていった。




