混迷への誘い
ファムファーレン王と騎士団達が帰路につき、その姿を見送るとガルドは、カウンターに戻ると食器を洗い始めた。
紬は助力を申し出ようとしたが、素早く丁寧に油汚れを落とし、皿やコップが次々と片付けられていく。その体躯からは想像し難い、流れるような熟練の動きをみて開いた口が塞がらなかった。
ガルドは妙な視線を感じ、顔を上げ「ん? どうかしたかの?」手を止めずに言葉を掛け、紬は我に戻ると「えっと、お手伝いをしようと思ったんですが……必要なさそうですね」と、複雑な表情を浮かべていた。
「ああ、すまんの。そろそろダナ達が来るんでな、何時もより急ぎで洗っておっての〜」そう言いながら、再び視線を手元に戻し尚も続けた。「まあ、色々と話し合わんといけないからの。宿の掃除はお前さんに任せても良いかの?」
その言葉を受けると、先ほどの表情は一変し明るいものとなり、スカートを両手でちょこんと掴み畏ると「お任せください」そう言い、顔を上げ瞳を鋭いものに変えると口を開いた。
「塵一つ、皺一つ残しません」
「いや、ここ高級宿屋じゃないからの? そこまで気負わんでも良いからな、適度な感じでお願い……」
言葉を最後まで聞く事なく、颯爽と踵を返し、奥の階段に鼻歌まじりに跳ねながら向かった。その背中を見送り「やれやれ」と、微笑みを浮かべ細やかに呟いた。
二階に着くと掃除道具入れに向かい、箒や塵取りなどを手に取り「さあ、掃除を始めるとしましょうか……」と言葉を溢すが、顎に手を当てると思考に耽る。
たらふく亭の宿は全部で七部屋、商店街に面している方は三部屋で、左側には四部屋とL字型となっていおり。右側一階は食料貯蔵庫や洗濯場と馬房。二階は、掃除道具入れや衣類倉庫、貴重品を預かる金庫室などがある。
「そう言えば、「生誕の儀」から客入りが無かったって言われたましたか」店の事を教えて貰った時を思い出す。そうなると、掃除やベットメイクにそれ程時間が掛かる事はない。
「御厄介になっていると言うのに、恩返しもままならないとは……」ため息混じりに呟くが、以前なら抱く事が無かった感情に気付くと、思わず笑みを浮かべてしまう。
「さてと、使用頻度の高い三部屋から始めましょうか」
扉を開け暗い室内に入り、気合を入れ勢いよくカーテンを開けたものの、差し込んでくる日の光に眩み、少々怯みながら手で遮った。そして、目が慣れるまでの少しの間、手に伝わる日の暖かさ、部屋に漂う優しい木の香り。
「似て非なるもの……か」
その言葉は刀の世界と現実世界、両方を知る本人だからこそ出て来たのだろう。
目が慣れてきた紬は硝子戸を開け、テラス出ると徐に深呼吸をする。その最中、商店街を歩くダナ達を視線に捉えていた。
「やはり、こちらの空気は美味しいですね。さてと、主人がいらっしゃるまでに終わらせますか」そう言うと、箒を手に取り部屋に戻って行った。
洗い物が終わり、珈琲を入れ始めた頃。たらふく亭の扉が開かれ、挨拶と共にダナとヨシュアが入って来ると、先日転生したタスクが後を付いて来る。
「おう、早かったの?」そう声を掛けると、三人はカウンター席に腰を下ろしながら答える。
「ええ。私の方は、ご近所のタモン宅に診察に行ってましたので」
「僕は父の付き添いというか、手伝いですね」
「儂も古城の修繕に掛かってたからな、場所も近いしな。んで、後は弟子に任せてきた」
「そうか」と言葉を返し、出来立ての珈琲を三人に出し、一息つこうとした時。「ん? 父? 僕?」と、一緒に住む事は聞いているが、ガルドとダナは視線をタスクに向け違和感を口にした。
「やっぱり、変ですかね?」そう答えると、頬を朱に染めながら、珈琲を啜り出す。そして、視線はヨシュアへと向けられた。
「ええとですね、精神と身体の安定。魂の定着させるという事でですね。試しに言葉遣いを変えてみたんですが……しっくりきた様で、以前の言葉使いに戻らなくなってしまったんですよ」
「僕は困る事は無いんで、別に構いませんが? 」
「あっ、そうじゃなくての。ちょっとだけ驚いただけだ、なっダナもだの?」
「おっおう、別に悪いって訳じゃねえんだ。ちょっとだけ驚いただけなんだって」
二人揃って胸の辺りで両方の掌をぶんぶんと振る仕草を見ると、ヨシュアは堪えた笑いを吹き出してしまう。そのお陰で場の雰囲気が和やかなものになり「さてと、それでは始めますかガルドさん」と、話し合いの開始を促した。
「だな、その為にきて貰ったんだしの。今回の訪問については、城壁修復の報告と避難した民の視察が主だったんだがの……」
「ん? なんだ、その奥歯に物が挟まった様な言い方は?」
「良い知らせと悪い知らせがあるが……まあ、一つはこの国に使者を置くと言った事だがの。これはエレナに頼んであるから、問題ないと思うの」
「良い知らせはこの事ですか。でっ、悪い方の知らせとは?」
「ああ、ファムファーレン王はこちらに来る前に、前三国同盟と会合を持ったそうでの」
ガルドは気を落ち着かせる様に珈琲を口に含み、ゆっくりと呑み込みながらカップを置くと口を開く。
「ダリスダキアの方から招待を受けた、書簡も此処にあるがの」その言葉を受けると店内は静寂に包まれ、ヨシュアは静かに思考に耽る。
先の戦で最も損害が少なかった国、ダリスダキア王は同盟にも賛成し、防衛に特化する事も納得しているはず。そして、此方の事情も知っている為、この時期に陛下を自国に招待する事は無いだろう。そうであれば……
「大貴族達からの要請ですかね?」
「ああ、他の二国と比べ王の権力が弱い、複数の貴族達から押し切られた形での。残念ながら、どの名家が手を引いているのかはわかっておらんがの」
「じゃあ、これは断っといた方がいいな。陛下を危険に晒す事は出来ねえし」
「ああ、本来ならお前の言う通りだの。だがな、儂はこれを受けた方が良いと考えているがの」
「は? お前何言ってんだ!」
「なるほど、同盟を崩しかねない問題は早めに解決するって事ですか」
「ああ、それもあるが、もう一つは陛下の王刀についての認識不足を無くすためだの」その言葉を聞き「認識不足?」と、ダナとヨシュアは思わず問い掛ける。
「陛下はまだ理解されていない「王刀を持つ」と言う事をの。タスクなら分かると思うがの……」
「……持ち主を狙い、次の主人となろうとする輩が現れますね」その言葉に緊張が走る。ヨシュアからキツめの視線が飛んでくるが、ガルドは冷静を保ち尚も続ける。
「少々、配慮が足りんかったな、これでも焦っておっての。それについては可能なのかの?」
「誓約を成す以前では、そうだったと書物に記されていました。神剣、魔剣等々、人に力を与える武具は皆そうらしいですが、今の王刀に限ってはどうでしょかね? 人格を持ち人化の術を得た。以前の方法では奪えはしても、主人として認められる事は出来ないと考えます」
ダナは安堵の表情を浮かべガルドに視線を向けるが、その表情は一層険しいものへと変えていた。
「認められないが、奪う事は可能と言う訳だの」その言葉にタスクは静かに肯き、ヨシュアは徐に口を開く。
「それなら例の件、急いだ方がいいかもしれませんね」
疑問の表情を浮かべたダナは「例の件ってなんだ?」と、皆を見渡しながら言葉を投げ、ガルドはその問いに答える。
「影武者を作るって事だの。言うのが遅くなってすまんなダナ、お前には古城の修繕の方に集中して欲しかったからの。」
「陛下はきっと嫌がると思いますが、今後の事を考えると急務と言えますね」
ため息をつき「そういう事か、わかったよ。だが、今度こんな事したら拗ねるからな」と、口を尖らせ呟くとダナは珈琲を飲み干した。
「了解したの。この事なんだが陛下には内密で頼む、住……国民の皆にも伝えてあるからの。それと、後でカミラ婆さんとサラから、発注が来ると思うが宜しくの」
「発注? 儂に何作らせようとしてんだあの二人?」
「さあ? 私にも解りません。ですが、選出の件を持ち掛けた時は、かなりテンション高めでしたが……少々不安です」
「まあ、それは二人に任せるとしてだの。後は陛下を交えて決めていく、という事で良いかの?」
言葉を受け三人が肯くと共にたらふく亭の扉が開かれ、そこには走って来たのだろうか、肩を上下に動かし息が荒くなっていた凌二の姿があり。「遅れてすいません! 後、ただいま!」その言葉は、頬を朱に染め元気よく放たれ、店内に響き渡る。
その健気な姿を見つめ、三人は口を揃え「お帰りなさい陛下」と、微笑みながら迎入れた。




