黒き狼と使者
アドレアがダナに引き摺られ古城に向かう姿を見届けると、ガルドは店前に木製の看板を立て掛ける。
「ガルドさんピークは過ぎてますが、まだ昼時です。お客様はいらっしゃると思うのですが?」
そう紬が問うと、微笑みを浮かべながら「昨日報せが入って、ファムファーレン王が来るそうだの」そう応えチョークを滑らせると、臨時休業と看板に文字を書き綴る。
「そうだったのですか。戦が終わって間もないと言うのに、中々とお忙しい方ですね」
「ふむ。思いの外、城壁の修復が早かったんだろうの。それと、保身を第一に考える者達が国を捨てた事により、国が洗練されて動きが統一された事も大きいの」
「そう言うものですかね、私には少々わかりかねますが……」
「それもこれも、凌二とお前さんのお陰だ。改めて礼を言わせてくれんかの」
そう言いつつガルドは頭を下げようとするが、紬は言葉でそれを阻む。
「ちょっ、ちょっと待ちなよ! あっ私は只の剣であって、礼なら主人様に頼むよ。それに、ここで働かせて貰ってるんだ、礼を言わないといけないのはこっちだから! えっと、その、あっ有難う?」
こう言う事に慣れていないのか、手を振りながら焦るように言葉を紡ぎ出す。その様子に少々吹き出し、笑い出しながらも言葉を返す。
「人の姿を持ち意思もある、儂らと違いなんて無いと思うがの。更には凌二から名も貰っておるからの、自分を只の剣と言うのはどうかと思うぞ……後、言葉遣いだが、無理せんで本来のものでいいんじゃないかの?」
「うっ、悪かったよ。只の剣ってのはもうやめるけどさ。言葉遣いに関してはね……そこはほら、主人様に恥をかかせない様にしないといけないし、そうなるとあんた達も嫌だろうし」
成る程、紬は凌二の事だけでなく、周りの事も考えているの。本来の乱暴な言葉遣いの裏に、こんなにも優しい想いが隠されているとはの。これが俗に言う「ツンデレ」と言うものかも知れん、使い方は合っているかどうかは知らんがの。
思考を遮るように「ガルド殿〜!」と、遠くから足音と共に声が掛けられる。二人は視線を向けると、ファムファーレン王と護衛の騎士団を捉えた。
一団が店前まで来ると「皆様、遠路遥々お疲れ様です」可愛らしげに畏る、紬の豹変ぶりにガルドは目を点にする。その様子を横目に小声でガルドに言葉を掛けた。
「ほら、余計な事考えてないで応対する。剣の主人は凌二だけど、店の主人はアンタなんだから」
その言葉に我に返ると、ガルドはファムファーレン王に向き畏まり口を開く。
「皆様、遠路遥々お疲れ様です。此度の……」そう言うと、王はガルドを見据え掌を向けると続きを遮る。
「ガルド殿、我々は救われた身。その様な過分な対応は遠慮して頂きたい、此方としても立つ瀬が無くなってしまう」
ガルドは言葉を受け視線を向けると、王の顔にはニカッと割れんばかりの笑顔を浮かべられていた。
「それに国の外では羽根を伸ばしたいものでな、出来ればいつも通りにして貰えると助かる」
「では、お言葉に甘えさせて頂くとしましょうかの」微笑みながら応えると、ガルドは一団を店内へと招き入れた。
一団に席を勧めた後はカウンターに入ると、手早く昼食を作り始め。紬の手により配膳され、暫くは団欒の時間を過ごす。そして、頃合いを見計らい珈琲を入れ、全員に出した後に漸く席に着いた。紬はガルドの席から一歩下がった所で控える。
「ん? 紬は座らんのかの」
「最低限の体裁は保った方が良いのでは?」と、小声で返されたところで王から声が掛けられる。
「これ程に美味い食事をしたのは久しぶりだな。流石の腕前だなガルド殿、礼を言う」
「いえいえ。本来であれば城の方でお迎えするものですが、未だ修繕が終わらず。儂の店で場を持つ事になってしまい、申し訳ないですの」
「いやいや。趣もあり料理も美味いとあれば、忍んでもまた来たいと思っている。私も昔は……」
態とらしく咳払いをし「陛下」と、ガナードは言葉を遮る。この手の話をさせると、半日は続く事を知っている。他の従者もホッとした表情を浮かべていた。
む〜っとした表情を浮かべる王を他所に、ガナードは話を切り出す。
「今日は城壁の修復に目処が立った事のご報告と、避難した民の視察。今後のドルドガーラへの対策について、話し合おうと思い伺いましたが……凌二殿の姿が見られませんが?」
「ええとですな。アドレアが言うには外せない用事があるとかで、残念ながら出席できない様だの」
「成る程な、凌二殿も忙しい身。顔を見れると楽しみにしておったが、そう言う事ならしょうがないな」
む〜とした表情が残念そうなものとなり、王は嘆く様に言葉を口にする。
へっへっ、へーーくしょい!
校舎の廊下に響く嚔の音。それを発した人物を見て、クスクスと笑いながら通り過ぎる生徒達。
「あら、風邪でも引いたの宗方君? この時期は温度差があるから、気を付けないとダメだよ」
「大丈夫です、風邪引いてませんから。あと先生、課題のノートを運ぶのは生徒会の仕事に入るんですか?」
にこにこ笑顔を浮かべる氷見野先生に、呆れながら視線を向けると凌二は言葉を掛ける。すると、先生は何を言ってるのか解らない様な表情を浮かべ、歩みを止め袖を掴んで捲り華奢な腕を見せる。
「か弱い乙女に荷物を持たせるとはね、王様としてどうなのかな〜」
「か弱い乙女?」そう思った瞬間に言葉を溢す。その刹那、空気を切る音が耳に届くと共に「何か?」と、トーンの低い声が響く。
か弱い乙女は、空気を切り裂く手刀は繰り出せないと思います。そう思い言葉を吐こうものなら、両手が塞がっている状態では悲しい未来しか見えない。なんとか誤魔化そうと、精一杯の笑顔と乾いた笑い声を絞り出す。
「罰として、課題のプリントの運搬も命じます。異論はありますか宗方君」
「いえ、ありません」
俺の善戦虚しく、更に仕事が増えてしまった。ガルドさん弱い俺を許して下さいと、心の中で嘆きながら謝る。
「それじゃあ急ぐわよ、今日は定時に帰りたいからね〜」と、先程と打って変わった歩調で職員室に向かう先生、それに従者の如く付いていく凌二。
「はぁ、俺って王様に向いてないよな〜。ガルドさんの方が王様らしいと思うよ」
ふぁっ、うっふっ、ぶっ……ぶっぶえっくしょーーい!
一旦は凌げそうだった嚔を、奮戦虚しく室内に響き渡らせたガルド。一同はどうしたのかと、心配そうに此方を見ている。
「ああ、皆すまんの。どうやら鼻にゴミが入った様だ、風邪とかじゃないから心配せんでも大丈夫だからの」
あれから報告と話し合いが行われ、大分打ち解けた頃の出来事であった。
「なら問題ないな。後はこの街……いや、国に使者を置きたいのだが、どうだろうガルド殿?」
「ふむ、そうだの。今後の事を考えると、そうした方が良いかも知れんの」
「そうなると私の考えとしては、凌二殿と面識がある者に頼もうと思っているが。ガルド殿に選んでもらっても構わない」
その言葉が店内に響くと、肩をピクリと跳ねさせる者がいた。ガルドの視線を避ける様に離れた場所に席を取り、終始沈黙を守っていたエレナである。
「そうだの。戦の様子を見る限り、皆信頼できる者達だと思っているがの」
その言葉を聞き「?」と、王とガナード以外の者は頭を悩ませる。従者達は戦に参戦していたが、目の前の人狼が戦場に居た記憶が無かった。
「凌二との面識の有無を考えると、やはりエレナ達が最適かと思うがの。うちの子も懐いてた様だし、どうか頼まれてくれんかの?」
その言葉を聞き「えっ?」と、我が耳を疑い思わずガルドに視線を向ける。尚もガルドは言葉を続けた。
「凌二が生きていた事に泣いてくれた、あの涙を見たと言うのが一番の理由だがの」
その場面を思い出し、耳まで赤らめたエレナは更に混乱する。あの場にガルドさんは居なかった筈、何処で見ていたのだろうかと。様子を見て居た王とガナードは顔を見合わせ、呆れた様に王は口を開く。
「エレナよ、面識があるのにも関わらず気付かんのか? ガナードは戦場では知っておったのだろう?」
「ええ、何となくですが」ニヤリと笑みを浮かべ答える。未だ他の従者達は混乱を深めており、エレナに至っては「えっ、えっ、えっ」と頭を抱えている。
「まあ、獣化が出来る人狼は限られるからの。解らないのも無理はない、寧ろ気が付いた二人が流石だと言えるの」
えーーーー! と、一同は店の外まで聞こえる程の声をあげる。凌二を乗せ戦場を駆けていた黒く大きな狼が、目の前にいるガルドだった事に驚きを隠せなかった。
「人狼でも高位種であった訳ですか。せめて、正体を明かしてくれても良かったと思いますが」
エレナは目を逸らし口を尖らせながら、呟く様にガルドに食ってかかる。その様子を見て頬をかきながらガルドは口を開く。
「いや、そのな、獣化を解かないと言葉を喋れないしの。それにな……」
「「それに?」」と、一同は好奇心から思わず声を合わせて返す。
「獣化を解くとな、全裸な訳での……はっ恥ずかしいからの」
その言葉を口に出すガルドの素振りに、一同は思わず微笑ましい笑い声をあげる。
「確かにな、ガルド殿の気持ちはわかる。エレナよ、悪気があった訳ではない事が解って良かったではないか」と、笑い涙を拭いながら王はエレナに言葉を掛ける。
「そっそうだったのですか! すっすいません、勝手な事を考えてしまいました!」赤らめた顔をそのままに、椅子から腰を上げ頭を下げると目尻から涙が流れ始めた。
交渉から今日まで散々お世話になっておきながら、この場でガルドさんを笑い者にしてしまった。自分の感情をそのままに口に出した結果がこれだ、私は何て愚かな人間なのだろう。
エレナの行動に場は静まり、床に落ちる雫を見逃さなかったガルドは口を切る。
「本来、獣化のできる人狼はこんな事は気にしない、フルクランダムで育った儂だからそう思うだけだしの。つまりは、その、なんだ、気にしなくても良いぞ」
「ですが……」そう返すエレナにガルドは提案をする。
「ならば、使者の役目を受けてくれんかの? 今は街ではなく国となったし、今までの事はこれで帳消しという事での」
エレナは顔を上げると、微笑みを浮かべるガルドが目に入る。
「これで決まりだな」ニカッと、割れんばかりの笑みを浮かべた王が決定を下し、一同は賛同し頷きながら拍手を贈る。
エレナは「はい、謹んでお受けします」そう答えると、静かに椅子に腰を下ろし安心したのか息を漏らす。
「人選の方はエレナに任せるとして。準備が済み次第こちらに向かわせますが、よろしいですかなガルド殿?」
「ええ、住居は用意しておきますからの。いつでも構いませんからの」
ガルドからの快諾を受けると、王はニヤリと笑みを浮かべる。
さてさて、これから面白くなってきそうだな凌二殿。
王となると戦ばかりが仕事では無いからな、寧ろ戦火を少なくするという想いがある以上、国との交流が必要となってくるだろう。その中には経済的なものから技術支援と、細かく見れば多岐に渡ると思うが、恋愛からの結婚。もしくは、政略結婚というカードも存在する。
下世話な話だが勿論、凌二殿には幸せになってもらいたいと思っている。
しかし、それ以上に世界に再び訪れた英雄の物語を、一人の観客として胸を踊らせ楽しみにしている自分がいる。
「陛下、ニヤケ過ぎです」思考を遮る様にガナードが諫める。我に戻った王は、態と咳払いをすると口を開いた。
「それでは話もまとまった事だ、ここら辺で失礼するとしよう」そう皆に告げると、一同は王を筆頭にガルドに礼をすると店を後にした。
へっへっ、へーーくしょい!
「あら、やっぱり風邪引いたんじゃないの宗方君?」
「多分、大丈夫だと思いますが……てか、そう思うんだったら解放してくれませんかね先生」
「あ〜、これで終わりだからね〜頑張れ!」
プリントの山を抱えながら歩く凌二の溜息が、橙色に染められた廊下に虚しく響き渡った。