凌二の決意
夜を彩る星の輝きを遮る厚き雲、静寂の世界を支配する雨の音。しかし、その一部は、何かに貫かれた様に輪を描き、誘われる様に差し込んだ光に照らされ、仄かに輪郭を表した。辺りの木々や草花に残る雫は、月光の宝石を思わせる輝きを放ち、雲の輪の下にある人気の無い建物を慰めている様に思える。
そして、建物の一室に蹲る二人の少女が居た。状況が飲み込めず呆然とする少女、片や友人を裏切ったと自己嫌悪に陥いる少女。それを見守る様に月の光が差し込む。
「ここは? 戻って来たの? どうして!」その言葉と同時に、堰を切ったように涙が止め処なく溢れだす。
「ごめん、どうしようも無かったんだ。あのままだと、街は……」
涙を流し拭う事なく言葉を受けると、視線を鋭いものに変え向けると口を切る。
「サラ、貴方……裏切ったの、あの男と同じなのね。見損なったわ」その瞬間、乾いた音が室内に響いた。
「まだ、可能性があった。私なら、まだ……彼を救えた」息を切らしながら、言葉を吐き出す。
何の根拠も無い言葉だった。それを受けると頬を抑えながらサラは呟く。
「そうなんだ、可能性があったんだ……」次第に頬の熱さが増し、それに想いを委ね口を切る。そして、再び室内に乾いた音が響く。
「いい加減にしてよ! 犠牲を出さずに助ける、そう言ったのはアリッサだよ! それに、あの時はもう可能性なんて無かった!」
サラは明確にアリッサの言葉を否定する。しかし、千載一遇の時を逃した事を、悔やみ信じる事が出来ない彼女には届かない。心を何処かに忘れて来た様に、虚ろな表情で呟き始める。
「大丈夫よ、まだ可能性はあるはず。もう一度あの場所へ行ければ……サラ、貴方の裏切りは不問にしてあげる。だからもう一度「世界転移門」を……」
「アリッサ!!」叫ぶ様に言葉を投げ掛けると、サラは力強く抱きしめ。諭す様に言葉を紡ぎ始めた。
「私は大切な友達を助けたかった、アリッサも同じでしょ。仲間だった英雄王を助けるために、人間に転生までするんだもん、凄いよね」
アリッサに言葉が届いていないのか気にも止めず、声にならない掠れた声でぶつぶつと呟き続ける。
「英雄王の復活だけ考えれば、器の宗方君の事は気にする必要は無いんだよ。解る? アリッサ」そう囁くと、反応を示しサラの服を掴む。
「何時ものアリッサなら、回りくどい事もしないし。アドレア君の裏切りも、誓約の情報の違和感にも、気が付いてた筈だよ。結界にしたって暴走させる事も無かった……」
呻く様に声を絞り出すと、服を掴む手に力が入り出す。サラは愛しむ様に頭を撫で、更に続ける。
「もう解ったでしょ? 宗方君に特別な想いを抱いてた事」その言葉に自分の想いに気付かされたアリッサは、サラの胸に顔を埋めると叫ぶ様に口を開いた。
「彼は英雄王と同じ考えを持っている。剣を手にすれば、必ず誓約を成す事になるわ!」
頭を撫でながら聞き届けると、サラは宥める様に囁く。
「そうかも知れない、でも、そうじゃ無いかも知れないよ。裏切られたかも知れないけど、私はアドレア君を信じてる」
「あの、男を信じる? どうしてなの?」子供の様に潤んだ瞳でそう問われる。母性を刺激されたのか、優しく抱き締めると母親の様な面持ちで口を開いた。
「彼は、アリッサの英雄王と宗方君を両方とも助けるって、思惑を知った上で行動に出たの。誓約を成す事を考えれば、裏切る事はデメリットしか無いしね」
サラの言葉を聞き「それでも……」そう呟くと、アリッサは泣き疲れた事と頭を撫でる心地よい感覚に、微睡みに囚われると眠りに堕ちていった。
「うん、そうだね……アドレア君がどっちを取るか解らない。だけど、その結末を受け入れないといけないの、それはアリッサが英雄王の運命を変えてしまった事への……贖罪なんだよ」
月の光に照らされた寝顔を見つめ、微笑みながらそう呟くと、サラも次第に微睡みの中に誘われていった。
身体を震わせる冷たい空気と、素朴な電子音で朝の訪れを知る。目覚まし時計を止めると、ベットから渋々這い出し制服に着替える。日常的に当たり前の行動をこなすが、凌二には違和感を覚えさせる。
「取り敢えず、フルクランダムじゃ無い事は解る」そう呟き、背を伸ばし欠伸をしながら辺りを見回した後、手を顎にやり昨日一先ず中断した思考を巡らし始める。
水晶に吸い込まれて、気が付いたら此処にいた。どうやら転送? 転移? どっちでも良いか、されたと考えるのが妥当だな。
問題は以前居た世界なのか、フルクランダムに……戻れるのかって所だな。
一瞬、帰る必要が有るのかと思ったが、皆の顔を思い出すと考えるのを辞めた。
日付を確認するために、目覚まし時計とスマホを見合わせる。同じ日付は示しておらず六日の差があるが、今はこっちの世界の日付が重要だ。
俺が刺されたのが、月曜の最終下校の時ぐらいか。そして、今は翌日の火曜の朝、思ったより時間は経っていない。転移の時差とかの関係はわからないけど、帰る方法については俺を刺した犯人が知ってるはずだ。最低でもヒントぐらいは貰いたいな。
「凌二、ご飯出来たわよ」思考を遮る様に、階段の下から声が掛かる。久しぶりに聞いた懐かしさを抱かせる声色に、少し目頭が熱くなった。
「わかった、今行くよ」と答えると、目をこすり涙を拭い階段を降りていく。
一階に降りると見慣れたリビングと、その隣にはダイニング。そこに置かれた食卓には、父さんと母さんが食事をとり始めていた。
「お早う父さん、母さん」そう声を掛けて席に着く。トーストと目玉焼き、コーヒーと簡単なものだが、感謝を込めて手を合わせると口に運んだ。「あんた、どうしたの?」と、声を掛けられ母親に視線を向けると、その眼には涙が滲んでいた。何事かと父親に視線を向けると、同様に涙を滲ませ凌二を見つめている。
「あっ、ごめん。俺、なんか悪い事したのかな?」そう言葉を掛けた瞬間、両親は凌二を抱きしめた。
「あんた、今までそんな事……全然、言ってくれなかったじゃない……」
「やっと、心を開いてくれたんだな……」
二人に迷惑を掛けない様に、極力関わらない様に生きてきた。でも、違ったんだ。寧ろ、心配を掛けてたんだ。そう思うと、応える様に二人を抱きしめ返し口を開く。
「……ごめん、手を掛けさせない様にしてたんだ」
冷静にしているつもりだけど、駄目だ……声が震える。
「子供の癖に一人前の事言いやがって……迷惑掛けていいんだ、その時は怒ってやるから」
「そうよ。迷惑かけるのは今のうちなのよ……でも、老後は頼むわね」
母さんの台詞は、今にも泣き出しそうな俺に笑いを与え、立ち直させる切っ掛けをくれた。そして、辺りに響くアラームに登校時間を知らされると凌二は口を開く。
「じゃあ、学校行ってくるよ」そう告げトーストを一枚摘み上げ、踵を返し玄関に足早に向かう。靴を履く中「凌二! お弁当はどうするの?」後ろから声が掛かるが、「学食で済ませるから大丈夫だよ」と告げると、凌二は扉を開き学校へ向かい歩き出した。
徒歩で二、三十分くらいの通学路。今まで全ての事から煩わしいと、言い訳をして逃げて。ただの灰色の景色としか見てなかった。並木通りに差し掛かり凌二は天を仰ぐと、目に飛び込んでくる木々の間から溢れる光を、遮る様に手を伸ばす。
「知らなかった、世界がこんなに輝いてるなんて……いや、気付かない様にしてたんだな」そう呟き瞼を閉じる。フルクランダムの事、両親の事に思考を巡らせる。そして、凌二はゆっくりと瞼を上げると、光を掴み取る様に掌を握りしめ、言葉を紡ぎ出した。
「両方とも俺の世界だ、王でもそうでなくても関係ない。とことん足掻いてやる!」
「待ってろ皆んな」そう呟くと、凌二はその目に宿る意思の光を一際輝かせ、フルクランダムへの帰還方法を探す為に学校へ向け歩みを進めた。
そして、多くの学生と共に門を潜り、下駄箱に辿り着き上履きに履き替え。事の発端の生徒指導室に向かおうすると、カジュアルな装いで化粧は薄く、茶色にカラーリングしたマッシュショートの女性が目の前に現れた。
確か、ええっと、氷見野先生だったっけ? この人が生徒指導室に行けって言ったんだよなぁ
「お早う、宗方君。体調の方はどうかな?」そう言葉を掛けられた瞬間、凌二は先生も一連の関係者だと悟る。彼女は不適な笑みを浮かべると、「生徒指導室には何も無いわ、生徒会室に向かいなさい」そう告げると、職員室に向かって去って行った。
正直な所、掌の上で遊ばれている気がするが……今は帰還方法を探す為にも、少しでも情報が欲しい。罠があったとしても、俺には選択の余地は無い。そう結論づけると逸る思いを抑え、その足を生徒会室に向け歩き出した。