アーデルの決断
差し込む陽の光と小鳥の囀り、テラスから入り込む心地良いそよ風に、身体を震わせ目が覚める。目を擦りベットから出て辺りを見回し、光と陰が互いに領域を主張し鬩ぎ合う様に部屋を彩る、味気なく侘びしさを漂わせる光景を眺めると違和感を覚えた。
「朝……そうか、夢じゃ無かったんだな」
そう呟くと少し寂しさを滲ませた表情を浮かべ、暫くの間その場にその身を抱きしめる様に佇んでいた。
「ははっ……全く凌二の奴、全然身体鍛えてないじゃないか。これじゃあ剣も振れないぞ……」
そう呟くと、風が舞い込み身震いさせる。陽の光に導かれる様にテラスに出ると、目の前には昨日見た幻想的なものとは異なり、暖かな光に照らされた、生命溢れる絵画の様な街並みが広がっていた。
三百年の時をかけ築き上げられた、神々しい風景を見たアーデルハイドは、知らぬ間に頬を伝った涙の冷たさに気が付くと、それを拭いながら部屋に向け歩き出す。
室内に戻るとベット脇のテーブルに置かれた、服に手を伸ばし着替え始める。その最中、扉を叩く音が聞こえてくる。
「アーデルハイド様お早う御座います。モーリスです、お目覚めになられておりますか?」
ん? モーリス、誰だっけ? 着替えながらも頭の中で検索をかける。昨日の記憶は正直なところ、現世に戻ったばかりで曖昧な所があるんだが。
「あの、アーデルハイド様?」そう言葉を掛けられた時に思い出した。
そうだ! 生誕の儀を取り仕切っていた、白いローブを纏った爺さんだった。確か魔導師? いや、賢者とか言ってたか。
「ああ、すまない。待たせたな、入ってくれモーリス」
「はっ、失礼致します」一言掛けると、杖と細長い包みを持ったモーリスが上品な足取りで室内に入る。「掛けてくれ」とアーデルハイドに言葉を掛けられ中央の椅子に腰を下ろし、一礼をすると微笑みながら口を開いた。
「ほっほっほっ、ご機嫌は如何ですかな? 復活して間もないので、この爺の事など忘れているかと思うておりました」
くっ、図星を指された。この爺さん心が読めるのか? 柔らかな物腰で嫌味を言ってくる辺り、中々良い性格してる。
「すまない、少々記憶が曖昧な所があってな。で、朝早くから、どういう用件なんだ?」
細長い包みをテーブルの上に置くと、それを開き中身を見せる。
「昨日、渡しそびれた王剣の鞘で御座います。抜き身で歩かれるのは、少々不自由で御座いましょう」
黒く艶やかな黒曜樹で造られ、それを引き立てる様に黄金を使った細かな装飾と、陽が当たれば眩い光を放つ赤い石。黒曜樹と宝石を使っている辺り、その値はかなりの物だと一眼で解る。しかし、戦場において装飾の色合いが強いものよりも……いや、そうじゃないな。これは彼等の好意だ、戦に赴く為の物じゃない。
「有難う、大事に使わせて貰うよ」そう言葉を掛けると、鞘を手にベットの脇に向かい、立て掛けてあった王剣を手に取り鞘に収めた。そして、それを見届けるとモーリスが声を掛ける。
「アーデルハイド様、今後の事はどうお考えですかな?」
「今後の事」その言葉を受けると、アーデルハイドは一瞬身体を硬直させる。昨晩、地図や近隣の情報を合わせて思考を巡らし、フルクランダムに戦火が及ばない方法、凌二から生命を譲り受け復活した意味を、眠りに落ちる間際まで探していた。
「そうだな……昨日の今日だ、まだ決めていないよ。あっそうだ、人狼のリムイって子知っているかな?」
「ほっほっほっ、存じております。どうかされましたかな?」
そして、結論は変わらなかった。
「いや、知人に頼まれたんだよ。その子の夢を叶えて欲しいってな」
「……そうですか、あの子は騎士になりたいと言っておりましたな。人当たりが良く、朗らかで皆に好かれておりますが、人狼の身で夢叶わず、住民はその姿を哀れんでおりました」
モーリスの言葉が耳に届くと。異種族の共存共栄を成し、住民は限りなく平等で平和な街でも、無意識下に置ける種族の壁が存在している事を感じた。
三百年経っても風化する事なく、人々に刷り込まれている事に悔しさを覚える。民を想い誓約を成した事により、罪の意識を植え付けた自分に対しての不甲斐なさが手伝い、自分の胸にやり場の無い怒りを抱く。それを悟らせない様に歯を噛みしめ、それを砕く思いで感情を抑える。
生命を捧げ守った街だった。想像を超える発展を遂げ、戦火に晒されず平和を築き、その光景を目の当たりにして、俺は心の底から喜んだ。しかし、今は街が……張りぼての様に見え、創りたかった街とは違うと思える。
それでも、戦火に晒された他の地域と比べれば、天と地の差がある事は間違いない。抱いた感情から目を逸らし、そう自分に言い聞かせると、視線をモーリスに向け口を開く。
「皆を広場に集めてもらいたい。頼めるかな?」
「はっ、承知致しました。ですが、今すぐとはいきません。昼頃になりますが……よろしいでしょうか?」
「それで構わない、有難う。手を掛けさせるけど、頼んだよ」
上品に急いで部屋を後にするモーリスの姿を見届けると、アーデルハイドは王剣を腰に携え、短めの紺色のローブを羽織ると部屋を後にした。
人目を避ける様にフードを被ると、宿から出て大通りにある店を眺めながら歩く。行き交う異種族を含めた人々や、言葉を掛け合い笑みを浮かべる者達。そして、辺りに響く楽しげな声が耳に届けられる。
今し方抱いた感情が、色褪せるような感覚を覚えた。しかし、自分の身を忍ばせ街を歩いている事の意味を思い出すと、複雑な表情を浮かべその場から逃れるように脚を早める。
広場を抜け中通りを歩くと子供が蹲り泣いており、膝から血が流れていて、どうやら転んでしまった様だ。周りにいる数人の子供は友達だろう、辺りを見回す様にオロオロと困った顔をしている。
アーデルハイドは回復魔法を掛けようと、蹲った子供に歩み寄ろうとした。だが一足先に、着物の上に白衣を羽織った、銀髪の男性がその子の前に屈み込む。
膝に右手を翳し「解毒洗浄」と呟き、煌びやかな水色の光が灯ると、流れる様な所作で「急速回復」と呟く、仄かな緑色の光が灯り、瞬く間に傷口は消え去る。子供は泣き止むと笑顔でお礼を言った後、元気よく友達と一緒に走り去って行った。
アーデルハイドは、徐に腰を上げ立ち去る男性に、思わず声を掛ける。
「中々手際のいい処置だったな、医者なのかい?」そう言葉を掛けられた男性は、視線を向けると一礼をし言葉を返す。
「お声をかけて頂き有難う御座います、英雄王殿。私は魔法医のヨシュアと申します、以後お見知り置きを」
「驚いたな、どうして判ったんだ? 一応フードを被ってバレない様にしていたんだが」
「僭越ながら、魔法と気功を習得しております。そのどちらとも人により違っておりますので、一度会った事のある方は覚えております」
微笑みながら、礼儀を弁えた行動をしている。一見非の打ち所がない応対だが、浮かべている笑みに感情がこもっていない様に見えた。そして、俺は彼と会うのは初めての様な気がする、彼が指しているのは凌二の事だろう。
「そうか、君がヨシュアか。モーリスから聞いている、守り人の一人だともね。それで、ここで何を?」
「そうですか、それは光栄の極み……」
感情のこもっていない芝居染みた言い回しに、棘を感じたアーデルハイドは言葉を遮る様に口を切った。
「一応、忍んでいるつもりなんだ。堅苦し言葉は使わなくていい、普通にしてくれると助かる」
ヨシュアは肩を竦めると「そうですか、意外と気に入ってたのですが」と言葉を返すと、表情を崩さずに続けた。
「それでは、お言葉に甘えさせて頂きます……そうですね〜 お恥ずかしい事に、守り人同士で殴り合いが行われまして。その往診と治療に行ってたんですよ、で、今は診療所に帰る所です」
「守り人同士の殴り合い……それは頻繁に起こる事なのか?」
アーデルハイドの問いに「いえいえ、そんな事はありません。滅多に無い事です」と答えると、ヨシュアは視線を鋭いものに変え更に続ける。
「ですが、今回に限り、こうなるのも致し方ないと思いますね。彼等は凌二君の事を知っています、納得しようにも出来ないと思いますね」
「守り人同士の殴り合い」全く不祥事もいいところ、普段であれば丸一日説教をする所ですが……やり場の無い感情を持て余しての行動。そう言えば、二人は幼馴染でしたか……感情をぶつける相手がいる、羨ましい限りです。
思考を遮る様に「納得していないのは、君もだろう?」そうアーデルハイドに返されると、顔を少し歪めヨシュアは口を閉ざした。
「すまない、時間を取らせた様だ。俺はこれで失礼するよ……」
踵を返しその場から立ち去ろうとした、アーデルハイドに言葉が掛かる。
「凌二君は何故貴方に、身体を空け渡したのでしょうか? 抗うことが出来なかったのでしょうか?」
その言葉を受けると脚を止め、暫しの沈黙の後に静かに口を開く。
「……アイツは、自分の意思で決めた様に思える。でなければ、あんな表情は出来なかった筈だよ」
「そうですか。納得する……とまでは言いません。ですが、そう言う事なら貴方を責める事は出来ません……」
「この場合「有難う」と、答えるべきなのかな……」
踵を返しアーデルハイドに背を向けると、眼鏡を指で少し押し上げ曇った表情を浮かべ、ヨシュアは背中越しに言葉を投げ掛ける。
「先程、モーリスさんから昼に広場へ行く様に言われましたが……何をされるおつもりで?」
「知人の願いを叶えるため……と、言ったら納得できるかな?」
「一応納得した……と、言っておきましょうか。凌二君が貴方に託した命、どう使おうが自由です……ですが、彼が居たからこそ、貴方が復活できた事を忘れないで頂きたい」
ヨシュアそう告げると診療所に向け歩き出した。アーデルハイドは背中を見せていた身体を振り向かせ、次第に離れて行く背中を見届ける。
気丈に振る舞い、冷静な口調で放たれた言葉だった。しかし、微かだが言葉が震えていた……表情は解らなかったが、彼も凌二が消えた事を整理しきれていない。
これが誓約を成した時に、民に生まれたものか……王と呼ばれ自分に課せられた責任を果たそうと躍起になってた。民の事を考えていたつもりだったが、何も見えていなかったんだろう。だが、あの時は他に手段が無かった。
「凌二君の事を知っています」か。彼等とは比べる事は出来ないだろうが、束の間だったが俺も言葉を交わし、彼奴の事を知った。だからこそ今は解る、やり場のない想いを……三百年も続けさせた俺の罪の重さを。
「いくら思考を巡らせても、全てこの街の滅びに帰結した。王として復活した俺に出来る事は、前と同じだ……変わらない」
徐に天を仰ぐと、静かに瞼を下ろし許しを乞うように呟いた。
「お前の願いは必ず叶えるよ……解ってくれとは言えない、だけどその後は……」
モーリスの言葉や自分が抱いた感情、そして、ヨシュアの言葉が入り乱れるように頭の中で巡る。その状態はまともな思考を許さず、最早混乱していると言ってもいいものだった。
しかし、瞼をゆっくりと開き姿を現した瞳には、何者にも屈しない意思の光が宿されていた。悲しみを紛らわすように微笑みを浮かべ、アーデルハイドはゆっくりと静かに、そして力強く言葉を紡ぎ出す。
「俺の全てを持って、誓約を成す」




