帰還
広場には静寂が漂っており、観客も緊張に包まれ咳一つすら起こらない。そして、全ての視線は王剣の柄を握りしめた、少年に注がれていた。
少年は瞼を上げゆっくりと息を吐くと、静かに柄を引き上げる。シャラシャラと石と金属の擦れる音がに広場に響き、抵抗を見せる事なく少しづつ剣の全貌が見え始め、姿を現わすと少年は頭上に掲げ名乗りを上げた。
「我が名はアーデルハイド・レクリテス、英雄王と呼ばれし者だ」
暫しの静寂の後に、狂喜の声が英雄王に降り注ぐ。三百年の間抜けなかった王剣が、抜き放たれた事に喜ぶ観光客と住民。その歓声の中でクラースは戸惑いながらも、アーデルハイドに視線を向けると口を切った。
「ははっ、参ったな……凄いな凌二殿! だが、冗談にしてはやり過ぎだと思うが……凌二殿だよな?」
「すまない。残念ながら、この身体は器として捧げられ……凌二のものでは無くなったよ」
質問に寂しさを滲ませながら、アーデルハイドは答えた。つい先程迄、凌二と言葉を交わしたクラースは、その事実を受け入れる事が出来なかった。
「そんな筈が……嘘だろ! 凌二殿は……」
言葉を放とうとするクラースは、二人の警備者に腕を掴まれ広場から連れ出された。その様子を見ていたエルビンとガナードの背後から声が掛かる。
「剣が抜けた様だねえ。おやまあ! リムイちゃんのお友達が抜いたのかい、確か凌二ちゃんだったねえ」
後片付けや、店の戸締りなどで遅れて来たカミラは、驚きの表情を浮かべていた。
「ええ、そうなんですが。アーデルハイド・レクリテスと名乗りを上げたのですが、どう言った事なんでしょうかカミラ殿?」
ガナードはそう応えると、カミラは時間が止まった様に固まり、手に持った杖を落としてしまう。その名を語る意味を知る者にとって、信じ難い事だった。そして、視線をリムイに向けると、複雑な表情を浮かべ質問に答えた。
「英雄王の名は、住民にしか伝えられていないよ。悪用されない様に秘匿されているからねえ。そして、凌二ちゃんは知らないと思うよ、それはリムイちゃんを見れば分かる。つまりは……そう言う事だよ」
ガナードとエルビンは視線をリムイに移すと、姿は凌二であるが全くの別人、英雄王である事を認めてしまったのだろう。いつも笑顔を絶やさない顔に、表情が失われていた。
「そんな、凌二殿が……居なくなった。はは、形は違えど、跡形も無ければどう悲しんでいいのかも解らない……カミラさんが言った事、そのままではないか……」
愕然とする二人の背後から「ガナード様! 至急お伝えする事がございます」と、宿泊先の者から声が掛かる。「とうとう動き始めたか」そう呟くと、ガナードは酷だと思いつつもエルビンに言葉を掛ける。
「侵攻が再開された様です。バートとアレンを回収次第、出立しようと思いますがクラースは如何なさいますか?」
「……解った。宿に急ぎ戻ろう、クラースとは話をしなくてはな」
英雄王の復活に、住民が抱く贖罪は消え去るだろう。だが、凌二殿を知る者にとって、新たな罪を作った事になるのでは無いか? 貴方はどう思われているのかガルド殿。思いを視線に載せガルドたちに送ると、踵を返し二人は広場を後にした。
未だ歓声が収まらない中、ヨシュアは表情を曇らせ口を開いた。
「精神的に揺さぶって、止めを刺したかったんですが。企みは阻止、と言いますか自爆ですか。そして、凌二君を失っての英雄王復活……これはこれで、気分が悪いですね」
「だの……だが、凌二を知らない者には救いとなるの」
「……あの少女は、凌二君が剣に触れない様にしていた。この状況は意図的に避けていた、という事になりますね……」
「ああ、これは彼女を裏切った者が望んだ状況だの……凌二を犠牲にして復活させる、そんな事が許されていい筈がない」
そして、歓声が次第に収まると。英雄王の復活に一人、また一人と涙を流し膝をつき頭を垂らす。観光客もそれに倣い、広場に居るものは全て同様に畏まった。
アーデルハイドは徐に台から降りると、白いローブを纏った老人の前で立ち止まる。
「久しぶりの現世に少々疲れた様だ、寝床を手配して欲しいんだが。頼めるかい?」
「はっはい! 直ちに用意させます。大通りの宿主よ、アーデルハイド様をお案内差し上げなさい!」
「かっ畏まりました! こっ此方でございます!」
宿主により案内されアーデルハイドが広場から去ると、波乱続きの英雄王生誕の儀は幕を閉じ、広場に居た大勢の人々も、興奮が覚めやらぬまま波が引く様に消えて行った。
そして、一足先に石造りの宿屋に戻り、一室で黙々と宿を出る準備を進めるエルビンに声が掛かる。
「失礼します。クラースですが、検閲所の詰所に軟禁されてるとの事、それと、早馬の準備も申請しておきました」
「そうか、バートとアレンも連れて行く。準備を急がせてくれ、クラースの荷物はガナードに頼む」
「了解致しました。エルビ……エレナ様これを」そう言うとガナードは小さな紙袋を渡した。
「なんだいこれは?」と問いながら袋を開けると、中にはカミラの店で見た魔鉱石のアミュレットが入っていた。
「私からでは御座いません。記念にと、凌二殿から渡された物です」
凌二からと聞きエレナは耳を疑った。
たった数時間共にした人物から贈られた物、アミュレットの重量などたかが知れている。しかし、両手で支えなければ、落としてしまうほどの重さを感じてしまう。
「ガナード、少しだけ背中を借りても良いだろうか……」
「はい、私ので良ければお使いください」
束の間に抱いた想いだが、その深さに時間は関係ない。それに気が付いたエレナは、凌二と共に過ごした事を思い出し、背中に顔を埋め声を上げて泣いた。
そして暫くしてからガナード達が姿を見せたのは、検閲所の詰所だった。検閲官に挨拶をすると、クラースの居る個室に案内される。
「入るぞクラース」と告げ扉を開くと、椅子に腰掛けたクラースが思いに耽っていた。ガナード達に気がつくと一礼をし騒動を起こした事を謝罪をすると、エルビンは髪留めを取り刻まれた紋章を見せ、頭を下げ口を開く。
「謝って済む事ではありません。ですが、公爵家の一員として謝らせて下さい。取り返しのつかない、辛い想いをさせて申し訳ありませんでした」
共に付いてきたバートとアレンは、公爵と聞き驚きが隠せなかった。クラースもそうだったがエレナは尚も続ける。
「先程、ドルドガーラの侵攻が再開されたと、宿の方に知らせがきました。民を守り避難する時間を稼ぐ為に、今は一人でも多くの助力を必要としています。どうか私に力をお貸し下さい」
徐に席を立つと、頭を下げるエレナに声をかけるクラース。
「子供だった貴方が指示した事ではないでしょう、気に止む事はありません。助力は惜しみませんよ、俺で良ければ喜んでお受けします……そうでもしないと、凌二殿に笑われますからね」
ガナードから荷物を受け取り個室を出ると、廊下で待機していたバートとアレンと目が合った。クラースは深々と頭を下げると口を開く。
「お前達を裏切った罰は必ず受ける、だが、民の避難が済むまで待ってくれないか?」
二人は、はぁ? と訝しげな表情を浮かべると、くっくっくと笑い声が溢れだし、バートは口を開いた。
「アンタがやらなかったら、俺がそうしてたよ。同じ事を考えてたなんて、傑作だなアレン」
「ですね。驚きましたが、自分も出し抜こうとしてましたし、人の事は言えません。それに……手加減してくれたでしょう」
「まあ、どうしてもって言うんだったら。年代物のワインでも奢って下さいよ、そいつでチャラです」
仲間を信じる事をやめた、クラースの土が乾いた様なひび割れた心に二人の言葉が沁み渡る。「すまない。有難う二人共」そう呟くと、恥も外聞もなく泣き崩れた。
「先に馬の所に行ってるぞ、気が済むまで泣いておけ」
そのやり取りを微笑みながら見届け、ガナードは優しくことばを投げ掛け詰所を出ると、日は傾き辺りは暗さが漂っていた。ガナードとエレナはランタンに灯をともし、馬に荷物を載せ出発準備を始める。その最中街の方から灯が近付いてくると、エレナの側で止まりランタンに照らされたガルドの姿が現れた。
「遅れてすまなかったの。王からまだ許可は取れてはいないが、現段階での受け入れ可能な規模、必要経費、資材など試算したものだ。許可については儂が必ず取る、心配しないでいい」
そう言うとエレナに封筒を手渡した。
「有難う御座います、民も喜ぶと思います……あの、リムイさんは……」
「ああ……家に戻って部屋に籠っている、呼びかけても応じる事もないの」
「そうですか……凌二殿を知らない住民の方々は、贖罪から解放されると喜んでいましたね」
「そうだの……どんな結末を迎えようが、赦しを乞う事ができる。叶う筈の無い願いが実現しようとしているんだ、喜ぶのも無理もないの」
唇を噛み外套を掴み耐えていたエレナは、その言葉を受けると感情を抑える事が出来ずに声をあげる。
「無礼を承知で言わせて貰います……凌二殿を犠牲にしてまで、英雄王を復活させる必要があったのですか! 私は……私は!」
「エレナ様」そう背後から諌める様な声が掛けられ、肩を掴まれると我に戻り気が付いた。ランタンの光に照らされたガルドの苦痛に歪む表情に、彼もまたこの事に心の整理が付かず、納得する事が出来ていない事を。
「エレナ様、ガナード殿。準備が整いました、いつでも出れます」
馬を引きながらクラースが声を掛けると、ガナードは馬に向かい歩き出した。それを見送るガルドにエレナは口を開いた。
「申し訳ありません、貴方を困らせるつもりはありませんでした……それでは、これで失礼します」
エレナは馬に向け踵を返し歩き出し、手綱を取ると背中越しにガルドに言葉を掛けた。
「民の受け入れに感謝しています。ですが、私はこの街が……嫌いになってしまったようです」
鐙に足を掛け外套を靡かせヒラリと騎乗し、「はっ」と掛け声と共に、街での思い出を置き去りにするかの様に、颯爽とファムファーレンに向け駆けていった。
五頭の馬が月明かりの下に消えて行き、その場に残されたガルドは夜空を仰いだ。普段なら月の光や星々の煌めきが優しく包んでくれる、だが、今は現状から目を逸らさせない様に、非情で冷淡に惜しげも無く光を注いでいる様に思えた。
彼女の最後の言葉が頭の中で巡る。「この街が嫌いになった」か、そう呟くと、守り人として今までの事を思い出す。
技量を鍛えるために戦乱に身を投じた事、それを持って街を守ってきた事。正義という言葉を降りかざすつもりは無いが、それなりに正しい事をしてきたつもりだった。
しかし、凌二を犠牲に英雄王が復活した時に見た、住民の喜ぶ姿と歓喜の声。儂は守るべき彼等が……
醜いと思ってしまった。
「これからも街を守る事は変わらないが……儂も嫌いになったかもしれんの」
その呟きは、一人取り残され静寂に包まれた世界に虚しく響き渡り、誰に伝わる事もなく消えて行った。